第三話:リアグロ社
第三話:リアグロ社
「う、嘘が分かるんだよ、私は。嘘の大きさに応じて匂いがするんだ」
「ほう」
私が魔力をあふれさせてお願いすると、アレアとかいう女が御託を並べてきた。
匂い?私はついさっきまで自身から漏出する魔力を極力抑えていたし、この女が魔法の類いが発動した形跡もなかった。
なにが、なにがこの女に気づかせた?
「それで、訂正は……」
「おまえ……」
再び凄もうとすると、突然後ろから二の腕を掴まれた。
この握力。それに、漏れ出す魔力を全く感じなかった。
魔力を一切無駄にすることなく、筋力の強化に還元している!
「じゃまっ、だあっ!」
「っ!」
そのまま、数百メートル後ろの上空へ投げ飛ばされる。
急加速に耐えるために質量と肉体を強化していなければ、一瞬で意識を奪われていただろう。
「ふっ」
天地がひっくり返り、星が瞬く夜空を眺めながら考える。
強化した私を投げ飛ばすほど鍛え上げられた肉体と、魔力で裏打ちされた凄まじい膂力。
これは上玉だ。脳を見られれば、私は一歩先をいける!
「『アクア・ボール』っ!」
続いて、詠唱する声。
と同時に、滞空する私に当たるよう水の球が飛来してくる。
「いい魔法だ」
空中で姿勢を正し、魔法を見据える。
透明な水の球の向こうに、人の列の中に異彩を放つ存在が二つ。
「あいつらだな」
腕を振り抜いた体勢の金髪、浅黒い肌に筋骨隆々のタンクトップの男。さらにそいつの隣に立つ、青い髪、長い杖を構えたシャツの女。
覚えたぞ。
「さて…」
パシャッ。
『アクア・ボール』とやらの冷たい水が、私の胸の中で弾ける。
だが、なんの変哲もない普通の純水だ。毒でも酸でもない。
警戒する必要は……。
「『フリーズ』っ!」
「……!」
さらに女が唱えると、私を濡らす水が凍り始めた。
水球を生み出す『アクア・ボール』と、水を凍らせる『フリーズ』。
二種類の魔法の偏差攻撃。離れているのにやるじゃないか。
男だけじゃない、あの女も逸材だ。
「楽しめそうだ……」
水が浸透した胸が、腕が、足の一部分が、じわじわと凍結していく。
リリウス、アレア、リアグロ社。それと金髪の男、青髪の女。
森を出てよかった。やはり蒙昧な私の頭の中だけでは、肉体の進化も不老不死も為し得ない。
「『痛みを』」
これからのことを夢想しながら、私はとりあえず自らの痛覚を遮断した。
※※※
空中で痛みを消し、凍結した患部を再生させた後。
私は重力に従って徐々に落下し、地面へと落下した。
「……ふっ」
魔法で全身の筋肉と骨格を強化しておく。
さらに両足の裏を下にし、跳ねるバネのように全身の関節を伸縮させて衝撃を和らげる。
「ふむ……」
数回バウンドし、接地は上手くいった。
両脇には丈の高い植物。吹き飛ばされた先は、赤い果実が成る畑だった。
「これは、トマトか?」
「ああーっ!?なにやってるんですか!?」
大声とともに、青々とした草の間から男が現れる。
つばが短めの白いハットに水色のジャケット。白のビニール手袋で指の先まで覆い、下は黒の長ズボンに白いスニーカー。
ハンターや旅人にしては身なりがよすぎるし、服がきれいだ。ここの農家か?
「少しトラブルがあってな」
「どんなトラブルがあったらこんなことになるんですかあっ!?」
やけに日焼けしもつつもつくり自体が塩顔の男は、大声を上げながら歩み寄ってくる。
どうやら着地の衝撃で地面が抉れ、周囲の苗が根こそぎひっくり返ったことなんかを咎めているらしい。
「農家の皆さんが大切に育ててくださったトマトなんですよ!それをトラブルだとか……」
「『風を』」
「ふぁが!」
「これ以上騒ぐな」
誰だか知らんが、うるさい。
私は落ちているトマトを魔法で浮かせ、絶えず動く男の口に突っ込んだ。
ついでに周囲の気配を探ってみるが、先ほど私を攻撃した二人を含め、追手はないようだった。
こいつに構う時間はあるか。
「あ……わあわ、おいしい。……じゃなくて、なんですか今のは!」
「黙れ」
「なんですか……、今のは」
トマトを右手で受け取りつつ、咀嚼しながら男は小声で言った。
「魔法だ。空気の流れを操作した」
「そんなことできるんですか?」
「できるできないではない。今その目で見ただろう」
「そう、ですね」
理解が早くていい。
「で、お前は誰だ?」
「あなたこそ誰ですか?ここらへんで見たことがありませんが、身分の分からない人に……」
「私はシャールだ。森からやってきた」
「森って……。身分証は?」
「ない。入街審査官に拒否されたからな」
「バリバリの不審者じゃないですかあ!」
正直に答えると、男は上を向いて叫ぶ。
いちいちリアクションが大きすぎる。
立ち居振る舞い、魔力の漏出量からして少しはやれるようだが、強引に黙らせた方がいいか?
「それで、お前は何者だ」
「怪しい人に明かすのは心苦しいですが、いいでしょう。俺はカナル。リアグロ社で農薬の効き目を研究しています」
リアグロ社だと。農薬を研究する会社だったのか。
「新薬の実証実験が明日行われるので、散布される植物の最終チェックをしに来たんです」
「ほう。あくまで健全であることを標榜しているわけか」
「その言い方……。ああ、検問のあれですね」
リアグロ社と関わりがあるかどうか。
守衛のリリウスも入街審査官のアレアも、リアグロ社という名前を気にしていた。
「自分で言うのもなんですが、私たちは最近スミレナにやってきて、少々強引に農薬のテストや売り込みをしているんです」
「強引に、という自覚があるんだな」
「俺たちも仕方ないんです。上にせっつかれて、ノルマをこなさないととんでもない目に遭うというか……」
「ふうん」
安定した報酬と生涯の雇用の確保を条件に、ハードな仕事を課す。
今、このご時世の企業というのはそういうものだ。
「とにかく、農家の皆さんに理解を頂いて実験をさせてもらっているのですが、元々街のシェアを握っていた農薬や肥料の会社に目の敵にされているんです」
やっかみを受けている新参者というわけか。
「しかもライバル企業たちは、リアグロ社の農薬は家畜や人体にも悪影響があるとか噂を流して、市民の不安を煽るような真似までしているんです!」
「実際に悪影響がないのか?」
「それは……、もっとデータを集めてみないことにはなんとも言えません」
あるんだな。
「とにかく明日は大事なんですから、これ以上畑を荒らさないでくださいね」
「お前は、街に入れるのか?」
「なんでそんなこと聞くんですか。リアグロ社でも社員証を見せれば門を開けてもらえますけど」
「正門は駄目だ。夜でも守衛がいるだろう」
「当たり前でしょう!もしかして街に入ろうとしてます!?」
「オフィスはあるか?新参とはいえ、オフィスくらいはあるだろう」
「ありますよ。でもそれが……」
「なんとかして入れないか」
「……はあ。それなら、大きな苗とか樹木を搬入するための、外とつながっている出入り口があります。そこならガードマンも顔馴染みですし、なんとかなるかもしれません」
「よし、そこから入れてくれ」
「ええ!?嫌ですよ!」
「なら、無理やり入るまでだが」
「……分かりましたよ、案内します。その代わり、魔法について教えてくださいよ」
「いいだろう」
話がまとまった瞬間、ざわざわと葉が揺れる音が鳴る。
「ブラックウルフ!?」
「心配しなくていい、私の番犬だ」
茂みから現れたのは、オオカミだった。
身構えて杖を取り出そうとしたカナルに、私は短く伝える。
「宿の宛てができた。こいつについていくぞ」
「ぐるうっ」
「魔物を連れているなんて、聞いていませんよお~!」
そんなことは知らん、一度承諾したのだから案内してもらうぞ。
私はくるりと振り返り、街に向かって歩き始めた。
その途中、真っ赤な果実をもぎり取り、頬ばる。
「美味い」
「ちょっと、勝手に食べないでください!」
「お前も食べるか、ほれ」
「ぐううん……」
「ブラックウルフはトマトを食べませんよ。ていうか、食べさせるのもやめてください!」
※※※
「ここがオフィスか」
「そうですね」
街の外縁にある、白塗りの漆喰でできた三階建てのビル。
かつて平和だった頃の建物を利用したこれが、今のリアグロ社のオフィスだそうだ。
「正面玄関は閉まっているので、こっちから」
「ああ」
先導するカナルの三歩後ろを私が歩き、そのさらに三歩後ろをオオカミが歩いて建物の裏手へ回る。
一階の入り口部分は両開きのガラスドアになっているが、今は固く閉ざされており、電気もついていない。
「こんばんは」
「カナルくん、お疲れさま。調査の方は上手くいったかい?」
搬入口に到着すると、通路右側に内設された警備室のような部屋の中で好々爺が座っていた。
流れるように、窓ガラス越しに世間話を始める。
「え、ええ……」
「そちらの方と、ブラックウルフは?」
「このお二方はスカウトしてきたというか、その……」
カナルはたじたじな様子で言い訳を並べる。
どうも、この爺に強く出れないようだ。
「私は魔法使いで、こっちのオオカミは私のペットだ。今日この街に来て、魔法関係でカナルにアドバイスをする予定で連れてきてもらった」
「ああ、そうなんですね」
灰色の警備服を着た爺は私に物怖じすることなく、おっとりとした口調で相槌を打つ。
漏れ出る魔力は並以下、体を鍛えている様子は微塵もないが……。
この男……。
「私はリードルと言います。ここで警備員をしています」
「シャールだ。カナル」
「はい」
余計なことは話さず、カナルを急かす。
入り口で時間を食っていると、人に見られる危険がある。
「そちらのブラックウルフは?」
「なにがだ?」
「名前です。なんというのですか?」
「ああ……」
名前か。考えたこともなかった。
「クロだ。黒いから」
「ぐる……」
「なんて安直な……」
今思いついた名前を言うと、クロは嬉しそうに鳴いた。
「そうですか。良い飼い主に出会って、クロも幸せですね」
「ぐるる!」
視線を落としてクロを見つめ、にっこりと微笑むリードル。
やはりこの爺、油断できない。
「リードルさん、シャールさんのことはご内密に……」
「分かりました。ヘンドリクスさんには黙っておきます」
ヘンドリクスというのは、カナルの上司か?記憶の無駄かもしれんが、一応憶えておくか。
「それでは失礼します」
「……」
「カナルさん、明日は期待していますよ」
「はい、任せてください」
挨拶もほどほどに、薄暗い搬入口を進んでいく。
「ふふ……」
私とクロとカナルの三人を見送るリードルの声は、どこか含みがあるように感じた。