第二話:街へ
第二話:街へ
「ああ……、お腹すいた」
脳の理解を深め、オオカミのケガも無事に癒えた数日後。
持っていた食料も底を尽き、小屋にあった食料もなくなってしまった。
「これ以上、ここにいても意味がないか……」
テーブルに座って頬杖を突きながらため息をする。
解剖の所見をまとめたり、効率よく機能を引き出す脳のいじくり方について考察はできたが、理屈をこねるだけでは進まない。
正直、小屋の住人やあの男では脳の違いがよく分からなかったからね。
二人とも魔法の練度が低いのか、一般人と大差ない構造だった。
もっと実験体がいる。もっと魔法の扱いに長け、多量の魔力に晒され続けた脳が必要だ。
「ぐ……」
椅子の近くで寝そべっていたオオカミが頭を少し上げ、同調するように小さく唸る。
お前も新しい景色が見たいか。そうだよな。
「街に行くか」
「ぐるる!?」
「大丈夫。ペット扱いで入れるさ」
「ぐるう……?」
食料と実験体を求めて移動してはどうかと提案してみた。
オオカミは多少不安そうだが、大丈夫だろう。
確かに、賊や犯罪者の多い近頃は余所者への風当たりが強い。
しかし、どこの街も余所者の力をあてにしているのが事実だ。定住を望む者は安定を望むが、日々力を増す魔物と悪意がそれを許さないから。
だから嫌な顔はされど、門前払いされることはないだろう。
「それに、インスピレーションも刺激される。オオカミも骨は飽きただろう」
「ぐるるるるっ!」
どうやら私の言葉が分かるらしい。
ボディガードの許可も得た。これで、後腐れなくこの地を去れる。
「よし、少し待っててくれ」
「ぐっ!」
私は手始めに鞄へ手帳を突っ込み、身支度を始めた。
※※※
小屋を出て、森を突き抜け、近くの街を目指す。
それが私の計画だ。
なんという街かは忘れたが、森へ入ったときも訪れたことがあるから場所は覚えている。
「私についてきてくれ」
「ぐる」
小屋から森の中へ、うっすらと獣道ができているからなおさら迷いようがない。
これに沿って進めば、あの街にたどり着けるだろう。
「食料はない。調達するときは手伝ってくれ」
「ぐるる」
いざ、数日間ぶりの森へと足を踏み入れる。
「チキチキチキッ」
いざ踏み入れた途端、大きなムカデ型の魔物が茂みから飛び込んできた。
人の手がほとんど加わっていないため、魔物の質も密度も濃いな。
「後ろにいて」
「ぐる!?」
「汚れるから」
並んで獣道を歩くオオカミを左手で下げ、右手をムカデにかざす。
「チキチキチキッ!」
朱色の発達した顎をかち鳴らし、漆黒の巨体を蛇行させながら突っ込んでくるムカデ。
「『風を』」
魔法で空気の圧力を高め、指向性を持たせて瞬間的に打ち出す。
「ヂギィィィッ!!」
不可視の一撃によりムカデは弾き飛ばされ、木の幹に激突して小気味の良い破裂音を響かせた。
同時に、紫の体液が辺りに飛び散る。
「……痛いな」
手のひらに少しかかった。
毒があるようで、ひりひりと痛む。
「お前は、食べないよな」
「ぐ」
しゃがんで地面に擦りつけながら、オオカミの頭を撫でて聞く。
有毒の魔物はどう調理しようが食べられたものではない。
体内器官の構造が異なる魔物はこの限りではないが、オオカミも無理だったか。
「甲殻はボロボロ。触角も足もどこかにいった」
穴が開いてぐじゅぐじゅになった木に近づき、周りを観察してみる。
昆虫の神経構造は特殊で、あの男に使ったような魔法は有効ではない。それに、森の中だから火も使えない。
そのため風で押してみたが、予想以上にバラバラになってしまった。
「ただ、毒は使えそうだな」
私は鞄から小さいナイフと小瓶を取り出す。
ナイフで木の表面を削ぎ、刃に着いた液体を小瓶の中に入れる。
「ぐるう……」
おっかなびっくり、後ろからオオカミがついてきた気配がする。
「……」
私はそれを無視しつつ、そこら辺の葉っぱをもぎ取りナイフを拭き、小瓶に栓をして鞄に戻す。
付着物の採取にも慣れたものだ。
「待たせた」
「ぐうぐるっ」
変に首を振るオオカミ。それは待っていないということか?
まあいい、とりあえず先を急ごう。
「水場を探すか。足の裏が気持ち悪いだろう」
「ぐるるう……」
※※※
「やっとあった」
水辺を求めて獣道を外れ、たまに魔物を倒しながら、歩くこと数時間。
澄んだ水で満たされた泉があった。
「きれいだ」
高く上がった日の光が枝たちを通る過程で木漏れ日を生み、水面に差し込んでキラキラと反射している。
私はほとりまで歩き、手ですくう。
行きでは気づかなかったが、こんな場所があったとは。
「煮沸すれば飲めそうだ」
すかさず、鞄から水筒を取り出して水を汲む。
「ぐるるるるうううう!!」
しかし、オオカミが警戒している。
「複数の気配。お前と同じオオカミの魔物だ」
「グルルルゥゥ……!」
「グルル……」
「グルルルルゥ!」
左右から一頭ずつ、私たちから来た方から一頭。毛色はオオカミと同じ黒だ。
見える数は三。近くの木々や茂みに、もう何頭かいるだろう。
泉を縄張りにしているのか、今日戦ってきた中で一番強そうな雰囲気を醸し出している。
「やるか?」
「ぐるうう!」
なぜかやる気のあるオオカミに聞くと、力強い返事とともに一歩前に出た。
もしかして、オオカミにケガをさせたのはこいつらか?
それとも、同族には負けたくないという思いがあるのか。
「ガアアウッ!」
「ぐるるっ!」
正面の一頭が突っ込んできて、たちまちオオカミと取っ組み合いになる。
「がんばれ」
私は岸に座り込んでオオカミを応援する。
世間には獣を戦わせる見世物があるが、こんな気持ちで楽しんでいたのだろうか。
まあ、二頭とも同じような背格好だから区別がつかないんだが。
「バウッ!」
「ギャウギャウッ!」
が、魔物はせっかちだったようだ。
フリーの二頭が私に向かって左右から同時に突進してくる。
速度も連携も良い。この強さの魔物が徒党を組んでいるのだから、泉をモノにできるのも頷ける。
「『風を』」
「ギャッ!」
「ギャワワンッ!」
対する私は、両手を広げてそれぞれに向け、出力を抑えた風の魔法を撃ち出して返り討ちにする。
とうの昔に、魔法の並列発動はものにしている。
「ぐうっ!」
バキっ!と首の骨の折れる音。
ちょうど、オオカミが戦闘相手にトドメを刺した。
「逃げたか」
弾き飛ばした二頭と、視界外で様子を窺っていたものたちも退いたな。
逃げ足の速さも、強さだ。今度相手するときは一撃必殺を心がけよう。
「水があるからちょうどいい」
私は早速、息絶えたオオカミの魔物を解体に取りかかる。
骨折り損になったが、街までの繋ぎとしては一頭で十分だ。
肉食動物の肉は美味しくないしな。
「ぐる」
「ああ。水でも飲んで待っていてくれ」
私は鉈を取り出し、オオカミにそう言づけた。
※※※
「ここが街か」
「ぐるるるう…」
泉から獣道に戻り、さらに数時間歩くと森を出られた。
日が傾き、辺りが暗くなり始めたが、数キロ先の向こうには多くの住宅やビルが見える。
見覚えのある街並みだ。あそこで間違いない。
「もう少しだ」
「ぐる!」
森の中では多数の魔物を狩って素材や肉を得たほか、珍しい植物やキノコをいくつか採取できた。
これらを売ればお金が手に入る。研究に使えるかもしれない。
小屋を出たときは金策に悩むことになるかと案じていたが、これなら街でもやっていけるだろう。
「魔法使いがいればいいが……」
高位の魔法使いに出会えれば、学習や記憶といった脳の機能を向上させる魔法のインスピレーションが得られると思う。
解剖するので、相手には死んでもらうことになるが。
「ぐる?」
「ああ、行こうか」
二、三歩先を歩くオオカミがこちらを振り向いて、首をかしげる。
私とオオカミは、街へ向けて歩みをさらに進めた。
※※※
街の周りには畑が広がっていた。ダイコンやニンジンといった根菜類の他に、トマト、ナス、ピーマンなどが栽培されている。
トウモロコシ畑に挟まれながらあぜ道を通り、街の入口を目指す。
人の出入りは盛んのようで、検問を待つ人の行列ができている。
森には人っ子一人いなかったくせに、どこからやってきた?
「名前は?」
「シャール」
「職業は?」
「魔法使いの旅人だ。ハンターでもないし、企業にも所属していない」
「身分証は?」
「ない」
「……どこから来た?」
「あっちの森から」
「万緑の森か。その前は?」
「森の反対側の……、街に」
「キクリか?」
「ああ」
「キクリでは身分証はどうしていた?」
「なかったから発行してもらった」
「じゃあそれは?」
「森で落としたからない」
「……」
検問を務める守衛の男は、中々に疑い深かった。
とはいえ、悪人を入れてはならないからな。仕事に忠実ともいえる。
「スミレナにはなにをしに?」
「特にこれといった目的はない。旅の一環だ」
「本当か?」
「ああ、嘘をついてどうする」
仏頂面が私の目をじっと見つめて念押ししてくる。
杞憂せねばならないなにかがある、のか?
「リアグロ社とは関係がないんだな?」
「リアグロ社?初めて聞いた」
「ならいい。忘れろ」
男は視線を外し、手元のバインダーに置かれた紙に書き込む。
初耳だが、企業の名前だな。守衛が気にするくらいだ、この街とリアグロ社がトラブルになっているとみてよい。
「それで、その魔物は?」
「森で手懐けた」
「森で?獰猛で、群れで生活するブラックウルフを?」
「特別なことはしていない。ケガを治しただけだ」
「……」
私の言い分に、守衛はまた顔を曇らせた。
魔物を使役するのはそれほど珍しいことではあるまいに。
現に今もお座りをして、大人しくしているだろう。
「分かった」
これは分かっていない顔だ。
「街に入ってすぐ、役所にある入街審査官のアレアのところへ行け。そこで身分の審査と身分証の発行を行う」
「入街審査官?前来たときはそんな面倒なことしなかったぞ」
「前も来ていたのかよ。あらかじめ言え」
「聞かれなかったから」
「……」
守衛の顔がさらにどんよりする。
一日何百人と相手するだろうに、感情が顔に出すぎだ。
「とにかく、短期間に身分証を失くしているし、魔物を連れている。充分に審査の必要があると判断した」
「それだけじゃないだろう。さっき名前を出した、リアグロ社が関係しているんじゃないのか?」
「それは……」
守衛は言葉を詰まらせる。
説明してもいいが、自分の立場から口に出すのは憚られる。大方そんなところか。
「私は魔法使いだ。見返りのない慈善活動をする気はないが、場合によっては手を貸す」
「……」
「リアグロ社とはどういった企業だ?なにを企んでいる?」
「……」
攻守逆転とばかりに質問攻めするも、だんまりだ。
恰幅がよく、いかにもここまで外見の威圧感だけでやってきたとしか思えないこの男。魔法に詳しいとは到底思えない。
他に役に立たないのだから、せめて情報くらいは吐け。
「ほれ、守衛が黙ってどうする」
「……」
「なんとか言ったら……」
「あんまりリリウスをいじめないでおくれよ、イケメンの旅人さん」
時間をかけ過ぎて後ろがつかえている。
不要なことで目立ちたくもないので急かすと、守衛の背中からひょいと女性が出てきた。
「アレア!どうしてここに?」
「うちはあんたよりホワイトだよ。八時から働いてんだからもう終業時間さ」
「なんだ、もうそんな時間か」
「仕事バカもここまでくると心配だね」
「アレアに言われたらおしまいだな」
「そうさね、あははは!」
「はは……」
アレアとかいう女が現れてから、リリウスとかいう男が若干饒舌になった。
余計に時間がかかりそうだ。
「どうでもいいが、私はどうしたらいい?」
「ああ、すまないね。私はアレア、スミレナの入街審査官をしている」
そんなことは分かっている。
「そうか、じゃあ早く審査してくれ」
「つれないねえ、自己紹介はないのかい?」
「その紙を見れば書いてあるだろう、名前も、この街に来た理由も」
私はそう言い、リリウスとやらが持っているバインダーを指差す。
気づけば、完全に日が沈んでいる。いい加減街に入らせてくれ。
「珍しい、普通心象を良くしようとするもんだけどねえ」
「この男いわく、私は不審者だからな。心象を良くしたところでだろう」
「自分で言うか……」
急に引き合いに出されたリリウスがまた嫌な顔をした。
「えーっと。名前はシャール、魔法使いで旅人。キクリ、万緑の森を経てスミレナに来た。身分証なし、街でやることもなし。リアグロ社は知らない。森で仲間にしたブラックウルフの魔物と同伴、ねえ……」
「どうだ?入れてくれる気になったか?」
「ぐるるるっ!」
紙面を難しい顔で眺めているアレアに、私とオオカミが胸を張る。
聞かれたことには正直に答えている。なにも問題はない。
「拒否で」
「え?」
「聞かれたことには誠実に答えている。リアグロ社と関わりがないのも事実」
「なら……」
「でもあんた、なにか隠しているね」
「そんなことは……」
「シャール。入街審査官アレアの名において、あなたの入街を拒否する」
ここまで待たせておいて、入街を拒否?
確かに、隠しごとはある。
森で何人か実験体をこしらえたが、小屋の男も賊もあちらから襲ってきた。いわば因果応報というやつだ。
「今すぐ回れ右をして、今後一か月間、スミレナに近づくことを……っ!?」
「動くな!」
アレアが言葉を切り、リリウスが守衛らしく声を張り上げる。
私はこの街ではまだ、なにもしていない。
どうすれば考え直してくれるか?
「悪い、もう一度言ってもらえるか?」
私は全身から魔力を放出し、最大限の礼儀を持って『お願い』してみた。