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ホワイトカプセル・サテライト  作者: 綾沢 深乃
「第4章 ソウ」

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「第4章 ソウ」(1)

(1)


「俺の代わりにこのアプリを使ってくれないか?」


 兄からそう言われて、渋谷 栞菜はホワイトカプセル・サテライトのIDとパスワードを教えてもらった。


 大学進学で地元から上京した兄は、栞菜がとても尊敬している人物だった。友人も多く中学・高校とも生徒会に入っていて、勉強も自分よりずっと出来た。


 中学生になって兄に恋人が出来ると、彼女は家にもよく遊びに来てくれて、三人でゲームをした。両親も彼女と仲が良くて、皆で夕食を食べた事が何回もある。


 栞菜が中学生になると、兄と彼女が家で勉強をしていた時によく混ぜてもらった。三人で勉強をすると集中出来て、栞菜のテストの点数も上がった。高校を卒業すると兄と彼女は同じ東京の大学に進学した。


 地元を離れて大学まで一緒の二人に栞菜は、てっきり二人は結婚するのだと思っていた。ただ、流石に両親の許可は下りなかったのか同棲しておらず、別々にマンションを借りていた。


 そんな兄の大学生活が本来の半分、二年で終わった。


 ある日突然、大学を辞めて実家に帰って来たのだ。

 帰って来た兄は栞菜の知っている兄ではなく、別人になっていた。高校を卒業して、これからやって来る輝かしい未来に期待して玄関のドアを開けたあの日の兄は、世界中の何もかもを恨むような濁った瞳を宿して戻って来た。


 ハリとツヤがあった黒髪は、ビール瓶みたいな暗い茶髪になっていた。

 二年間、兄は実家に一回だけ帰って来たけどそれは一年生の最初の頃で以降はバイトが忙しいと帰ってこなかった。だから栞菜は何も知らない。


 この二年で兄はどうなってしまったのか。


 付き合っていた彼女はどうしたのか。


 一体、東京で何があったのか。


 聞きたい事は山程あった。でも、聞いてはいけない気がして聞けなかった。変わってしまった兄について、両親にいくら尋ねても二人は、栞菜は気にしなくていいと教えてくれなかった。


 父は兄が帰ってきてから何回かは、週末に東京に出掛けていた。

 大学の手続きをしているのだろうと栞菜は悟った。最終的に兄は父に同行せず、自分の部屋から出てこなくなった。母には、そっとしてあげてと優しい声で言われた。


 二階にある自分の部屋に引きこもっている兄は、同じく二階にあるトイレとお風呂(家族全員が寝静まっている深夜に入っているようだ)くらいしか部屋から出ない。


 食事はいつの間にか部屋のドア横に置かれたチェストに母が毎食載せている。


 まれに深夜に外出をしているようだった。ベッドで寝ている栞菜が夜中に玄関のドアが開く音で目を覚ました事がある。一緒に暮らしているのに極力家族と会わない生活を兄は送っていた。


 兄を除く家族三人はリビングで夕食を食べる。

 両親は栞菜といる時、決して兄の話をしない。それなのに空気が濁っている。東京に行って兄がいない期間と環境だけ似せている紛い物の気がして、こっちまで気が変になりそうだった。


 ある日の夕食の事。 


 栞菜と両親はいつもみたいにリビングで夕食を食べながらテレビを観ていた。

 若手芸人が大勢出るお笑い番組。大声で叫んだ芸人のツッコミに両親がケラケラと声を上げて笑っている。


 前までは、両親はこういう番組でココまで声を上げて笑わなかった。


 まるで誰かが書いた台本のお芝居のように笑う両親。

 その姿を見て栞菜の好物の生姜焼きが、全く美味しく感じなかった。

 本当に息が詰まりそうで、機械的に皿の上の料理を口に運んで食べ終える。


「ごちそうさま」


 手を合わせてそう言った栞菜は、すぐに食器が載ったトレーを持って流し台へ行こうとする。


「栞菜、お母さんが運ぶからいいよ」


「いい」


 リビングから早く出たかったのもあって、構わず母に短く返した栞菜はトレーを流し台へ運んだ。キッチンの空いているスペースにトレーごと置いて、マグカップに水を入れて、リビングから出ようとする。


「私、もう部屋帰るから」


「おお。おやすみ〜」


「おやすみ〜」


 父と母がテレビを観ていたままの顔をこちらに向けて挨拶をする。


「おやすみなさい」


 二人に挨拶をしてリビングを出た栞菜は小さく息を吐く。こんな生活が一体、いつまで続くのだろうか。今年受験なのに家の空気が重たくて、勉強にも身が入らない。最近はもう兄を心配するのも疲れてきた。


「はぁ」


 小さくため息を吐いて階段を上がり、自分の部屋のドアノブに手を掛ける。

 その時、隣の兄の部屋のドアノブが下がった。あっ、ダメだ。早く自分の部屋に入らないと、反射的にそう思ったが既に遅かった。


 開いたドアの向こうから兄が姿を現した。丁度、食べた夕食をチェストに片付けるようで、トレーを持った兄と目が合ってしまう。


 久しぶりに見る兄の顔。帰って来たばかりの頃に比べたら、家の食事を食べているからだろうか、やつれた顔は大分回復していた。でも瞳は相変わらずだった。


「……っ」


「……、」


 気まずい沈黙が流れた。栞菜は部屋のドアを開けて逃げるようにドアノブを下にして、自分の部屋のドアを開く。その時、「……栞菜」と兄に名前を呼ばれた。


 早く入ろうと踏み出した一歩がそこで止まる。


「なに?」


 自然とキツい言い方で兄に返事をした。彼は栞菜の視線に怯えるように顔を下げて、「栞菜の邪魔はしないつもりだから」と答えた。


 その言い方に眉間にシワが寄る。


 邪魔? 邪魔って何? 現在進行形で既に邪魔なんですけど? 

 帰って来た事も家の空気を重くしている事も事情を話さない事も全て……。


 栞菜の脳内で不信感が怒りへと変換されていく。自分で無理にでも抑え込まないと、怒りに任せて何でも言いそうになる。


 東京に行ってしまう前までの尊敬していた頃の兄の姿を脳裏に思い浮かべて、冷静になってから口を開いた。


「ありがとう。私、今年受験だから」


「ああ、約束するよ」


 兄の返事を聞いて、それに返さずに栞菜は逃げるように部屋へ入った。これ以上、会話するのは難しかった。


 この、たった数回の往復が帰って来た兄との初めて会話だった。


 約束通り、兄は栞菜の勉強の邪魔になるような事はせず、隣の部屋からは不気味なくらい物音が聞こえなかった。


 呼吸を殺して生活しているかと思わせるくらいに。


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