特異点
――ユリウス暦二百八年。天龍の期。十五日。青天白日。
《セテの大平原》。
南北に、二つの山脈がそびえ立つこの地は、果てし無く続くように思えるほど広大な草原。植物の殆どはくるぶし程までしか生えておらず、より広さを際立たせている。
そんな黄緑色の絨毯に、土のようなもので軽く舗装されたような道がある。それもかなりの大きさだ。人は疎か、馬車だって簡単にすれ違うことができるくらいに大きい。
そこに、一台のキャラバンが進んでいる。
相当重いものを積んでいるのか、木車輪は前進する度に道と強く接する。そのため、わりと凹凸が激しいこの道でもそれほど揺れず、安定した運行を行えていた。
円柱を縦に割り、それを横に倒したような形状の屋根をした荷車から、複数人の楽しげな会話が聞こえてくる。談笑をしているのか、度々笑う音が鳴っている。
そこからハブられるように、馬を操るための座席が存在する。
運転手は庇が鋭く、後退するにつれて羽のように広がる皮帽子を被り、口元と肩を隠すため、新緑色の小さなマントを身にまとっている。
背中には長弓を担ぎ、腰にはショートソードとダガーを備え、まさに狩人のような風貌だ。
マントの襟は高く、一発で性別を判断するのが難しいが、よく見れば身体つきは女のそれである。
彼女の名はベル。
この辺りでは《心眼》の異名をもつちょっと凄腕の狩人だったりする。
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今日は、大海原でできているんだと言われても不思議でないほど空が青く、美しい。
雲一つない空は、酷くベルの心をくすぐった。
絶好の狩り日和だと。
「…………」
ふと、なにかに心を駆り立てられるような気がして空から目線を降ろし、道の先を見つめた。
しかし、当たり前だが道の先には空と草原以外に何もない。
一体何だったのだろうと、ベルは周囲を一瞥。
その際に、この草原にはあってはならないはずの違和感に気がついた。
「あら……?」
ベルはその違和感に視線を向ける。
発せられた声色はとても甘いように思えてくる。ベルの声は、いかにも乙女らしいものだった。
視線の先にあるものがベルはどうしても気になり、手綱を強く引き戻して馬の歩行をやめさせる。
その力がよっぽど強かったのか、馬は少し吠えるように鼻を鳴らした。
違和感に興味を惹かれ、ベルはその場に立つ。そして、右手の白く細い人差し指と親指で小さな円を作り、その穴から覗き込んだ。
「ん〜…………っと〜?」
焦点が合うまで時間を要したが、段々とボヤけていた視界がクッキリと輪郭を帯び始める。
ベルの視線の先に見えたもの。
そいつは、頭からは一対の巻角を生やし、背中には大きく、マントのような純白の翼がついている。
この世にあっても良いものなのか疑うほど、醜く、美しかった。
悪魔のようで、天使のよう。
ベルの瞳には、そう映った。
「おい、どうかしたのか?」
キャラバンの荷車から一人の男の顔がひょいと出てくる。
男にしては珍しい、艷やかな黒髪の持ち主で、爽やかな印象を受けられる。
鉄鎧に身を包み、腰には長剣が添えられている。
ベルは男の言葉に対して何一つの行動、言葉を返さなかった。
男はそれに困惑する。
「おい、ベル」
ただ一点見つめ続けるのみのベル。
何度呼んでもなんの反応を返さないため、男はだんだんと声を荒らげていく。
そして、
「おい!」
荷車からせり出てベルの両肩を掴んだ。
身体が大きく揺さぶられたことで、ベルは男にようやく気がつく。
「オットー……? どうかしたの?」
「どうかって……。お前が急に馬を止めるから……」
オットーと呼ばれた男は、頭を掻きながら声を掛けた説明をする。ついでに、何故ベルがキャラバンを停車させた訳を求めた。
「天使がいたぁ?」
ベルが放った言葉を、少し煽るような口ぶりで復唱する。
「えぇ……。さっきあそこに……」
そう言ってベルは、さっきまで天使のような、悪魔のような化け物がいた場所を指し示しながら、オットーの視線を動かす。
「何もいないじゃないか」
だが、そこにもうその化け物の姿はなかった。まるで、元々居なかったかのように、忽然と姿を消した。
「おかしいわねぇ……。さっきまで居たはずなんだけれども……」
片手を頬に当て、疑問符を浮かべる。
見ていたところをもう一度観察する。
「疲れてるんじゃないのか?」
「そうかもしれないわねぇ……」
オットーの疑問形の言葉に、何の思考も巡らさせず、ただ頭にぱっと浮かんだ言葉で返した。
「……臨戦態勢」
急にオットーの声が低く、鋭くなった。
その言葉を合図に、キャラバンからオットーとは別の男と女が飛び出た。
男は二人、女が一人。
フード付きの外套を羽織り、樹木を荒削りし、先端に赤い宝玉をはめた大杖をもった者。
翼の金装飾が施された白兜と、型位のデカさを見せつけるような大鎧を装備する大剣を持つ大男。
純白の聖職者用ローブ。スリットが深く、中には本来着用を禁止されているズボンを履いている女。
それぞれ、全く違った具足を身に着けている。
オットーの放った言葉に、降車した彼らは警戒を帯びた。
ベルも、キャラバンから飛び降りて馬たちが逃げぬよう、縄を杭で地面に打ち付ける。
打ち付け終えると背中から長弓を取り出し、筒から一本、矢を抜いた。
「近いのお願い。後ろは私達がやるわ」
そう言うと、弦に矢尾を乗せ、力いっぱい引く。
剣を担ぐ男二人は、競り合うように走り出した。
外套を着た男と、ローブを身に着けた女はそれぞれ言葉を連ね出す。
風が吹き、ベルの金が混じったような茶色い髪がなびいた。
その姿は、神話に出てくる月の女神のようであり、見る者を惹きつける。
ベルは、弦を引く方の手を後方へ弾くようにして離し、長弓を手元で半回転させて鏃をは解き放った。
矢は閃光の如き速度で進み、風を切りながら地面と並行に走る。
どんどんと加速していくそれは、当たれば死ぬと誰でも分かるほど速い。
そしていつの間にか矢は目標へ到達し、穿った。
「……あと三匹」
――魔物。
何千年も前から存在が確認されている謎の生命体。
生息地は種類によって大まかに定められて入るが、群れを成して移動を繰り返すため定住はしない。
そのため、度々村や街に出没する。その度に甚大な被害をもたらすことから、狩猟第一優先とされている。
ベルは、再び筒から一本の矢を取り出し、次弾装填。
「《灼熱の炎よ、熱風の暴嵐となりて地獄の苦しみを教えん…》」
ローブの男は《詠唱》を行う。
男の足元から巨大な方陣が浮かび上がる。
順序立てて唱えられた言葉は、力を帯びて理に干渉する。
やがて、具現化させる。
火、水、風といった自然の力を、意のままに操る。
《詠唱》から《真名》。
具現化された言葉は絶大な威力を発揮する。
その名も――――――
「《薙ぎ払え! ブリムストームⅢ》!!」
《魔法》。
自然を操る絶技は、そう呼ばれている。
魔物の群れの直下に、方陣が浮き出た。
次の瞬間、風が巻き起こり、竜巻と化す。
そこへ追い討ちのように、火種が落とされた。
暴風に煽られた火種は踊るように巨大化していき、熱風の大嵐と成り果てた。
当然、そんな地獄のような所にいては生きていられるはずもなく、魔物は灰燼と成った。
その一方、剣を担いでエッサホイサして行く男二人は、魔物と接触した頃である。
羽兜の方の男は接触するなり前に出て、たんびらを大きく振り払う。
斬撃は男の剛腕と遠心力で大きなエネルギーを生み、魔物たちを胴と足で綺麗に分ける。
オットーも負けじと、羽兜の討ち漏らした魔物を丁寧な剣技で薙いでいく。
二人で合計九匹。
中々上出来である。
後衛組が魔物の後衛を処理し終わったことを確認すると、両者とも剣を収めて向かい合う。
「五匹。俺の勝ちだな」
「たった一匹の差だ。何を誇ってる」
羽兜から、如何にも男らしいドスの効いた声が鳴った。
オットーは羽兜の言葉に、少し挑発気味に物申す。
「それでも俺の勝ちに変わりはない。負け惜しみは格好が悪いぞ」
だが、負けじと羽甲も言い返す。
「黙れ。そもそも、あんな食い意地の悪い方は品がない。俺の美徳に反する」
「俺の方も、お前さんのようなチマチマした戦い方は嫌いだがな」
「そもそも、あの戦闘スタイルでは敵の攻撃を避けられない。早死にするぞ?」
「的に怯えながら稽古をするか? この辺りの魔物なんぞ敵ではないさ」
煽りに挑発。
オットーと羽兜は、戦闘のあとこうして必ず前衛としての軽い反省会を開く。
「おーい、むさ苦しい男たち。早うせぇ」
と、二人のもとにベルのストレートな言葉が届く。
それに対して二人は何も言えず、踵を返して顔を見合わせた。
「なんか……ベルって戦闘のあと、性格変わるよな」
「それ、俺も思った」
と、何気ない会話を交わした後に、キャラバンのほうへ二人は足を向けた。
全員が馬車に乗り込む中、ベルは操馬のため打ち付けた杭を抜こうと、前に出た。
そこで、ある異変に勘づく。
「…………」
だが、「気のせい」だと判断した。
このときは、深く考えるのが非常に面倒くさかった。
杭を外し、運転席に着くと手綱を握って鞭を打つように腕を振るった。
がらごろと、車輪が回り、地面の上をゆっくりと進み出す。
目的地は、この平原を超えた先にある小国。《ウカッツォド王国》だ。