死神
死神
出会った時のことは遠い昔のことになってしまいましたので、よくは思い出せませんが、私も此奴もてんで変わっておりません。此奴はいつでも私の周りをふよふよと漂い、時折頭部に二つついた口から「死ニタイ?」と聞くのでした。私は一度も肯定の返事をした事もなく、ただ草臥れた黒い布が視界を遮るのをボーッと見ておりました。
私はそうやって宙を見てはそこに何か居る様な素振りを見せるので、家族から大層気味悪がられました。悪魔が憑いてるだの、悪霊が憑いてるだの、聖水じゃ祈りじゃと着たくもない純白の衣を着せられ、聖なる云々を謳う枝葉で体を叩かれ、聖水をかけられ、神に祈りを捧げさせられた時など、此奴は縫い付けられた口から器用に笑い声をあげて三つある目をギョロギョロさせるので、私までつい笑いそうになりました。そうしたらまた、悪魔が暴れているのだと、頭から聖水をぶっかけられて、私は流石に学んで口を黙んで立っていたのですが、此奴が何を思ったのか、私が笑わない事を不満に思ったのか、居なくなりました。今思えば、此奴は死神とはいえ生まれたてであり、聖水は毒であったのだろうと分かるのですが、私はまだ幼く、思慮に欠けていました。此奴の正体を考えもせず、こんな茶番の何が楽しいのだと、父母の恐怖に考えが及ぶこともなく、教会から来た神官をも馬鹿にしておりました。その忌々しい儀式から数日して、此奴は姿を見せましたが、私はもう一度此奴が目の前に現れるまで片身が引き裂かれる思いをしていました。私はその時ばかりは安堵で大声を出して泣きました。
両親を含め、私の兄弟は――私は三男三女の次男でしたが――は私を気狂いか何かだと思っていたようで、一族の恥だとよく私を罵りました。私の一族は昔から王国の森番であり、精霊の姿が見えるのです。森とともに生き、森とともに朽ちる。それが森番の生き方であり、私もそうやって生きると思っていました。森番は精霊に愛されたものが一族の中から選び出され、精霊から祝福を受けるのです。兄弟の中では兄が優秀で多くの精霊が光となって兄の周りをふよふよ浮いていました。此奴は私が背が伸びるように、年々大きくなっていきました。精霊達はどうやら此奴を怖がるらしく、私の周りには光が集まることはありませんでした。それでまた馬鹿にされましたけれども、私は此奴がいればそれで良かったのです。本当を言うと、私は此奴が精霊の一種だと思っていて、なぜ他の人に見えないのだろうと不思議でしたが、無能だと罵られても平気でした。
暫くして精霊は此奴に近づかないばかりではなく、一目散に逃げていくようになりました。家族から見れば、此奴が見えないのですから私のせいという風に見えるのでしょう。私はとうとう兄から手や足まで出されるようになりました。家族は見て見ぬふりであり、私は怪訝な視線を向けられ、縮こまって過ごしていました。
最終的に父親から出て行って欲しいと懇願されるまでになりました。父親としては、精霊が私がいなくても逃げていくようになり、仕事にならないというのです。私は、此奴を見ました。宙で黒い布切れをたなびかせながら浮遊する此奴は、不意に私の耳元まで近づくと、二つの口のうち一つから「死ニタイ?」と聞くのでした。
見送りに来たのはまだ小さな妹一人でした。その頃には家族とは極力接触していなかったので、末の妹とは片手で足りるくらいしか会っていませんでした。その眼までもが不審に彩られていましたので、極力怖がらせない様に優しい顔をしておりました。
「兄様。お元気で」
兄だ何だと己を呼ぶ者もいるのだ、その言葉が心に染みて、酷く情けない顔をしそうでしたので、早々とその場から立ち去りました。
「死ニタイ?」
いつもならどうって事ない言葉も今だけは流石に堪えました。
「ふざけないでくれ」
此奴はこれしか話せぬと知っているのに、私は我慢ならず怒鳴りました。この姿を家族に見せなかった事だけが私のとっての幸いでした。此奴の所為だと囁く声が止まぬのです。
私は王都へ向かいました。そこで父の友人が商売をしているそうで、私は住み込みで働くことになったのです。私は一族としての特性が買われたのかと思いました。
「私は精霊に愛されておりませんよ、疫病神には愛されているようですがね」
私はその頃には此奴のことを精霊だとは思えなくなりました。
「構わんよ、精霊も疫病神も俺の商売相手じゃ無いからね」
私はそこで齷齪働きました。店長の言葉が素直に嬉しかったからです。暫くして私の家族が流行病に罹って死んだと手紙がきました。私は特段驚きも悲しみもせずに、ただ少しだけほっとしました。
私は歳を取りませんでした。周りに老いが目に見えてハッキリと表れた頃にも、私だけは若々しいままでした。
「精霊のお陰なのかしらね」
看板娘である店長の娘が不思議そうに私に聞いたことがあり、私はなんと答えたものか、精霊など私を、いや此奴を毛嫌いして逃げるのにと思いました。私は自分のことをそういう性質だと思いました。単に若く見えるだけだと思ったのです。
私より若かった看板娘が私と親子に見えるような外見になって、私は店を辞めました。もう見ていられなかったのです。家族の目に似ていました。人間ではない、何か人あらざるものを見る目を看板娘は私に向けたのでした。
「死ニタイ?」
その質問に是と返して、私は首を掻っ切って死にました。
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