5-07.鎮魂歌
コポッ。
耳に響く音が妙にくぐもっている。
外から届く物音がなにかに遮蔽されて、ちゃんと伝わらないような感じだ。
コポッ、コポッ。
小さな泡が浮かびあがった。
水面に達した気泡がはじけて、パチパチと響くのがはっきりと聞こえてくる。
ああ、いま自分は水中にいるのか。
聴覚が変になったワケではないのだと少し安心する。
―――たしか、音の伝達速度は空気と水では違ってたはずやな。
うろ覚えやけど、液体やと気体の四~五倍ほど速くなるんやっけ。到達する範囲もむっちゃ広くなるらしいで。
なんでもシロナガスクジラの鳴き声は千キロ離れた先でも届くとか。
あの鳴声って独特な響きがあって、なんとのう心惹かれるんや。わざわざホエール・ウォッチングしにオーストラリアの東海岸まで行ったことがあったなぁ……。
とりとめのない思考がつづく。
眠るでもなく目覚めるでもない半覚醒の状態が心地よい。
―――ここはどこだ?
不意に疑問が浮かんだ。
ボンヤリとしていた意識が徐々にはっきりしてくる。
ああ、そうか。自分は再生処理のために【岩窟宮殿】まで帰ってきたのだっけ。目的は、身体を再調整して激減したLP数値元の状態に戻すため。
ほんとうに目論見通りに復元できているのか確認しなくては。
シンは身を起こした。
肺を満たしていた特殊溶液をゲホゲホと吐き出す。相変わらず、液体呼吸から空気呼吸への切り替えは大変だ。ここ十年ほど同じことを繰り返しているけれど慣れないものだ。
術式を展開する。
彼を中心に広がる魔法陣は【状態管理】のもの。
<基本状態>
HP:66/66(更新205→28→66)
MP:73/73(更新236→34→73)
LP:42/42(更新145→12→42)
よかった。各項目の数値はかなり回復している。
強制覚醒する前の三割程度といったところか。これなら再生処理を何度か重ねれば元通りの値にまで挽回できるだろう。
いや、さらに上乗せする必要がある。ルナを安心させるためにも、今まで以上にライフ・ポイントを底上げせねば。
シンは、ルナに向かって親指を立てて“問題なし”と合図をおくった。
ついでにウインクも。やり慣れない行為だったので、ちょっとぎこちない動作であったけれども、相手には意図が伝わる。
彼女はホッとした表情をした。
よほど気にしていたらしい。彼女にしてみれば、やむを得ない決断であったとはいえ、彼の寿命を極端に縮めてしまったのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいであったろう。
でも、シンは非難するつもりはこれっぽっちもない。
それどころか深く感謝していた。彼女は、彼の生命を救ってくれた恩人だ。あのまま再生処理を続けていれば殺されていたに違いない。
なによりも彼女に慰謝を与えられた。
文字通り全身全霊でもって救済してくれたのだ。彼は、新たに生まれ変わったと言い換えても良い。
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その地底湖は人外魔境の大森林の地中深くにある。
湖水はすべて【地母神の雫】という高濃度な魔力を含んだ液体だ。この不思議な水はエネルギーの塊みたいなもの。
シンは、コレを利用して【岩窟宮殿】の維持や各種生産をおこなっていた。
埋蔵量は無尽蔵と言って良いくらい。
地球的な感覚で例えるなら、膨大な埋蔵量を誇る油田といったところだ。数千万人が生活するメガロポリスであっても数百年にわたって支えることが可能であろう。
この地下層の湖には【ペンギン神霊】が住んでいる。
その正体は神の位にまでとどく超常存在だ。
ときおり人外魔境の大森林で目撃する【嵐の巨神】や【彩雲乙女】と同じ上位階梯に位置するモノである。
「クエッ~、クエッ~ 」
「無事に帰還しましたので、ご挨拶にうかがいました。これらは人間が暮らす都市で買い求めた品々です。どうぞ、お召あがりください」
シンはお供えものを差しだした。
大皿のうえに果物やお菓子の類を積んでいる。
全部で十二皿分の貢ぎ物を硬殻兵士に運んでもらった。
ペンギン神霊たちは美味しいものが大好物だ。
定期的に渡す供物をいつも楽しみにしてくれる。その期待感が半端でなくて、シンは要望に応えようとついつい奮発してしまう。
フルーツを大量に収穫してみたり、前世記憶を頼りにスイーツを作ったこともあるくらいだ。
今回のメインは王都で仕入れた焼き菓子。
いままでお目にかかったことがない品々なので、精霊の群れは大騒ぎ。
皿をせっせと抱えて歩くペンギンたちの姿はちょっと滑稽な感じがする。
でも、笑って眺めるなんてできない。
なぜなら、彼らが放つ神威に耐えるので精いっぱいだから。
見た目こそ可愛らしいけれど、やはり超常的な存在。
一匹(一柱?)でも大概なのに、集団ともなれば暴力的なまでの波動が吹き荒れてしまう。
気を張っていないと意識喪失しかねない。
相手は自然体だし、悪意はないのだけれど、それほどまでに人間と大精霊とでは霊格の差は大きいのだ。
幸いなことに、彼らとの関係はたいへん良好。
賃貸契約のようなものまで結んでいて共存共栄な状態だったりする。
シンは、貸主の大家さんとして地底湖を居住地として提供していた。
ペンギン神霊は対価として各種鉱物の資源を渡してくれる。
今回は、白 金や聖 銀などで、錬金術に必要な希少素材ばかり。そんな宝を“今月の家賃だ”とばかりに山のように積んでくれた。
彼らは地面のなかを自由自在に泳ぐ。
姿形はペンギンなのだけれど、実際には物理的な肉体を持っていない。だからこそ地中に埋もれた鉱物資源を採取が可能なのだ。
そのくせ、フルーツなど物質の食物を好むのだから霊的存在とは摩訶不思議である。
「クエッ~、クエッ~ 」
神霊の長が気遣わしげに鳴いた。
その声には、シンを心配する気持ちがこもっている。
ツクモ族たちが殺されたのを知っていて、哀悼の意を示してくれたのだ。
神々は言葉を使わない。直接的に意志を伝達する。
言語なら嘘もつけるが、想念のやり取りだと純粋な本心がダイレクトに伝わる。混じりっけなしの親愛の情が、彼の心にじわりと染み入った。
さらに長は慰めてくれる。
身内を喪うのは辛いものだなと。
精霊であれ人間であれ、親しい者と死に別れて悲しむのは同じだ。残された者たちは亡き人のことを思い出して嘆くのみ。いまは我慢せずに泣くがよかろう。
そんなやさしい思念が伝わってきた。
シンは、ペンギン神霊たちにお辞儀をして告げる。
「ありがとうございます。このあと、逝去したものたちを送るための儀式を執り行う予定です。皆様からの哀惜の念は、参列者にも伝えさせていただきます」
小高い丘が【岩窟宮殿】のすぐ近くにある。
大きな山桜が一本植わっていて七分咲きといったところ。もう一週間もすれば濃いピンク色の花が満開になるだろう。
地面にも色鮮やかな花々がたくさん咲いていて、あたりは彩り豊かな景色だ。
丘の中央には石碑。
巨石の表面は丁寧に磨かれていて、幾つもの名前が刻んである。
いちばん最初に文字入れしたのはふたつ。
ルキウス・コルネリウス。
アウレリア・コルネリウス。
シンの両親だ。
彼は父母と会話をしたことがない。
なにしろ、目覚めた時点で五百余年も前に亡くなっていたからだ。
かろうじて知っているのは顔ぐらい。
亡母アウレリアは状態維持の魔法がかかっていた棺のなか。
ふつうに眠っていると勘違いしそうな状態であった。
亡父ルキウスは、【言霊奉法】で葬送した際に目撃する。
まあ、生前の姿をした霊なのだが。
両親の遺灰は碑の下に埋まっている。
この異世界では火葬が一般的だ。安易に土葬してはいけない。
遺骸に悪霊やら魔物がとり憑いて【生ける死人】と化してしまう。死体を穢されるのを防ぐには荼毘に付すか、聖水をかけて地中深くに埋葬するなどの念入りな処理が必要になる。
石碑に刻んだ名前は百あまり。
直近の十年間で、これだけの数の犠牲者がでた。
ツクモ族たちは頑強な身体をもち、強力な魔法も使える。
しかも、錬金術の粋をつくして作成した武器や防具を装着しているうえに、魔法治療薬を携帯し、部隊には治療に特化した魔導師が控えていた。
にもかかわらず、多くの者が生命を落とす。
それほどまでに危険なのが人外魔境の大森林。通称【邪神領域】とよばれる場所である。
今回、新たに刻んだのは三十二個の名前。
彼ら彼女たちは【岩柱砦】で死んだ者たちだ。
原因は冒険者組合の奇襲攻撃。不意をつかれて劣勢を強いられたが、みんな最後までシンや仲間たちを守って戦い抜いてくれた。
被害状況は次のとおり。
砦に駐在していた百二十名のうち、死亡は三十二名。
負傷は六十余人にも達したが、幸いにも治癒魔法のおかげで命拾いした。
補助人格の【ヤマブキ】は完全に破損。
修理は不可能で、貴重な魔造結晶体をひとつ喪失してしまう。
また、シンの身体を再生する培養槽と周辺機器一式も潰れた。まことに手痛い損害である。
シンが丘にいるのは葬儀のため。
同席しているのは多数のツクモ族たち。
彼らの服は正装軍服に似たもの。黒色を基調とし、ところどころに金や銀のラインやら飾つけがついている。華美にならず、それでいて洗練された美しさがあった。
シンは日本古式の浄衣を着込む。
前世記憶を頼りにして、女官たちに狩衣と袴を作成してもらった。形や色遣いは間違っている個所も多いだろうが、この異世界では誤りを指摘する者はいない。
祭事に相応しい服装であれば良かろうと割りきっている。
『いろは四十八神に招ぎ奉りませ。この石床を仮初の喪台と斎い定めて暫時置き据えて…… 』
【言霊奉法】で言の葉に霊力を宿らせる。
この権能は、敬意と感謝をもって死者を送りだすには理想的な”力”だ。依り代になった彼の口からは、ごく自然に祝詞がでてくる。
『八千代に経も、涼やかな風の吹くさきざきに…… 』
薫風がそよそよと吹き抜けた。
山桜の花びらがヒラリと宙を舞い、居並ぶ列席者たちが眺める景色に華を添える。地面に咲く花々がゆるやかに揺れる様子は安穏としたもの。
でも、何故かもの悲しい。ここが葬送の場になっているせいだろうか。
シンは思うのだ。
自分は、こんな死なせ方をさせるためにツクモ族を錬成したのではない。
辛く苦しかった【奈落】の底から救い上げたのは、健やかな“生”を過ごしてほしかったからだ。
彼らと共に過ごした月日はわずか数年といったところ。
みんな、もっと人生を楽しめたであろうに。
できることなら、来世は穏やかな生活をおくってほしい。
『女郎花みるに君の御影の…… 』
はじめてゲンブと出会ったときのことを思い出す。
見るからに厳つい岩石兵士が女郎花を摘む姿はチグハグで可笑しかった。大きく太い指先で花束に小奇麗にまとめあげる器用さにはびっくりしたものだ。
あの無骨なゴーレムは両親に尽くしてくれた。
亡父ルキウスの命を受けて、亡母アウレリアの棺に献花を捧げ続ける。
その期間はなんと五百年あまり。誰かに感謝されるでもなく、誰に労われることもなく、五世紀ものあいだ働いていたのだ。
最後には身を挺してシンを助けてくれた。
崩れ落ちた【岩柱砦】の下から発見されたのだけれど、頑丈な身体が真っ二つに裂けていた。制御核が完全に壊れており修復することは不可能である。
忠義者。ゲンブを言い表すには適切な言葉だ。
もう会えないのかと思うと、心がギュッと締めつけられて苦しい。
ゴーレムを焼いても遺灰なんてできないので、代わりに核を石碑の下に埋めることにした。彼に来世があるのかは判らないけれど、願わくば次は良き“生”を過ごしてほしい。
『御霊は天津神のいと尊き御列に入り給ひて幽世の神業に勤しませと、恐み恐みも申す』
ちなみに、死んだ冒険者は戦死者として扱っている。
連中の遺骨は、こことは別の場所に埋葬した。
これはシンの意向によるもの。憎い敵ではあったけれど、他界すれば敵味方の区別をしない。日本人ならではの感性なのだろう。
ツクモ族代表が弔辞を読みあげる。
「彼らは良き仲間であり良き隣人でありました。ともに笑い、ともに泣き、そしてともに戦場を駆け抜ける戦友でもあったのです。
この場にいる者で、亡き友人に助けられた人は多い。彼らの献身的なおこないに、私たちは救われました。強敵に立ち向かうその姿に、どれほど勇気づけられたことか」
参列者代表は遺族に語りかけた。
あなたたち家族が愛した者がどれほどに高潔であったかを。
同朋に対していかに奉仕したかを。
残った我々が深く感謝していることを。
「生涯を共にと誓った伴侶。やさしかった親。あるいは愛しき我が子。彼らはこの世から旅立ち、【始源の渦巻】へと還ってゆきました。来世の人生が幸多からんことを祈ります」
葬儀はしめやかに営まれ、そして終了した。
参列者たちは親しい者同士で集まり、帰ってゆく。
今日は逝ってしまった戦友を悼もうではないか。
明日になれば次のことを考えよう。
彼らは言葉にしなかったが、共通する思いが一つだけあった。
仲間を殺した連中は絶対に許さない。
必ず罪を償わせてやる。
■現在のシンの基本状態
HP:66/66(更新205→28→66)
MP:73/73(更新236→34→73)
LP:42/42(更新145→12→42)
活動限界まで、あと四十二日。




