1-07.復讐戦
「ヒャッホー、ひさしぶりの外だ~」
シンは空を見上げて、胸いっぱいに息を吸う。
ずっと半壊した地下施設にいたので、ちょっと鬱屈気味だった。もちろん空気循環は機能しており、生活にはなんら問題はない。
とはいえ、新鮮な外気に触れると、なんとなくウキウキする。
「さて、調査を始めようか」
主な目的は食料確保だ。
なるべく早く、食用可能な植物やキノコの類を見つけたい。今は充分な量の備蓄があるけれども、消費するばかりではやがて飢え死にしてしまう。
もうひとつ、密かに狙っていることがある。
それは復讐戦だ。対象は緑色小鬼。
まあ、同じ個体に遭遇するとは思っていない。同種族の魔物を斃せれば満足できる。
「三ケ月間、ずっと訓練をしてきたんだ。うん、自分は強くなった。とにかく、以前の弱っちい男とは違うぞ」
攻撃系や防御系の魔法を習得した。
新たに開発した術式だってある。
どれも実戦で使用できるように鍛錬を重ねてきた。
さらに、本拠地を守る防衛機構の活用も考えている。
先日、小鬼に襲われて死にかけたけれど、助かったのはコレのおかげだ。だから、今回は積極的に結界を利用するつもり。仮に、実力が足りなかったとしても、施設の防御機能を罠として使えば、魔物を撃退できる。
最低でも防衛圏内に逃げ込めば安全なはずだ。
「武器だって、ちゃんと用意している。ナイフと、魔導杖の二重装備! これなら勝てるぞ」
残念だけれど、防具類はない。
倉庫には多種多様なものが揃っていたが、それらはすべて成人用のものばかり。子供サイズの彼には大きすぎるのだ。
しかたがないので、防具の部品を適当に引っぺがして衣服にくっつけている。他に防御用の魔法具も発見したので、身につけた。
呼吸を整えて、原生林へと踏み出す。
背の高い樹々が陽光を遮って暗い。しかも地表付近には草木が生い茂っているので、見通しはたいへん悪かった。
「おっと、忘れてはいけない。【集音】。続けて【熱源感知】」
探知系の魔法を起動した。
【集音】は、全周囲を広く大雑把に。
【熱源探知】で、狭い範囲を正確に感知する。
索敵圏内の死角をなくすよう、上記二種類を組み合わせたのだ。これで、前回みたいな不意討ちを防ぐことができる。
途中でドングリに似た実を拾った。
こいつが本物なら今のシーズンは秋だ。しかし、周辺を見るかぎり秋季とは思えない。
「絶対に面妖しいぞ。同じ種類なのに季節の統一感がない。というか、てんでバラバラじゃないか」
周りに生えている樹木の形態が奇妙すぎる。
あるものは新しい芽を出している。でも、同種の樹は落葉中で休眠の一歩手前といった具合だ。
植物には時期に応じたサイクルがある。
例えばリンゴの木なら、春に新芽がでてきて花が咲く。夏季から果実が大きくなって、秋に果物は成熟し、冬季になると葉っぱが落ちるのが当たり前。
ところが、辺りの樹々を眺めるかぎり、成長周期が見事に異なっていた。
「まあ、食料調達には、ありがたいけれどな」
都合よく解釈しておこう。
時季に関係なく、いつでも食べ物を確保できるのだから。自分は植物学者ではないし、詳しく研究するつもりもない。
常に採取可能なら、食糧問題は解決だ。
「うん? 何か近づいてくる」
【集音】が移動音を捉えた。
方向は南側。姿勢を低くして音源のほうを見やる。
藪の向こうに緑色小鬼が三匹いた。
先日、シンを襲ったのと同じ種族の魔物だ。連中はギャッギャッと意味不明な声を発しながら、無造作な動作で草叢をかき分けてやってくる。
「感知できる範囲にはコイツらだけ。後続はなし。他に脅威になりそうなバケモノも探査範囲に存在せず。今の状況なら、簡単に撃破できそうだな。
どうする? やってみるか……」
復讐のチャンスだ。
ちょっとだけ考えて、攻撃手段は【物体射出】を選択。
これは、小銃をイメージして魔法で再現したもの。予め弾丸形状に加工した硬石を対象に向けて撃ち出す。
魔力消費量は少ないうえに、連続射出できるので、なにかと便利だ。
弾丸用の石を空中で待機させた。
小鬼たちが射程範囲に入ってくるのを待つ。
バクバクと心臓の音が激しかった。
実戦二回目ということもあって、すごく緊張してしまう。
「発射!」
小さな射出音が響いた。
弾丸が先頭にいた魔物にヒット。頭部にちっちゃい穴があく。
続けて残り二匹にも命中。三匹ともバタリと地面に倒れる。ヤツらは何が起きたか認識できなかったはずだ。
「やった、やった、やった! ゴブリンをやっつけた」
死体を検分する。
傷跡は銃創に似ていた。
小銃で受けた傷なんて、実際に見分したことはないけど。まあ、致命傷なのは間違いない。
「それにしても呆気なかったな。前は、本当に死ぬかと思ったくらいなのに。というか、抵抗するのに必死で、敵を見るなんて余裕もなかったし。今回は、落ち着いて対処できたのが勝因かな」
苦労せずに斃せたのは、上々の成果だ。
しかも、数はバケモノ三体。復讐戦としては百点満点である。
「うん? なにかやって来る」
常時発動している【集音】が異音を捉える。
音源はひとつだけ。
でも、移動速度はかなり速い。スピードから想像するに、身体能力は相当に高そうだ。相手の正体は不明だけれど、危険な魔物だと推測する。
シンは用心して、その場から離れた。
移動する先は遠からず近からずの場所。
草に体を隠して暫しのあいだ待つ。
姿を現したのは大きな鬼だ。
サイズこそ異なるけれど、姿形は先刻の緑色小鬼に似ている。仮に、同一種族なら成獣と幼獣の関係。近縁種ならば、“小”の文字を外して【緑色鬼】とでも表現するほうが良かろう。
「アイツの身体、かなり厳ついぞ。胸板は分厚くて手足の筋肉も太い。いかにも強者って雰囲気じゃないか。
肉体のバランスは、歪だけれども、全体的に強靭な感じがする。小鬼よりも、ずっと格上の存在だな」
ソイツは、ゴブリンの死体近くに立った。
観察している。なにがあったのかと訝し気な表情で死体の傷口をみていた。
その態度は淡々としたもの。
けっして死んだ同族を悼む風情ではない。
遺体なんて見慣れている様子。奴の目つきは冷静なもので、緑色小鬼だけでなく周辺の状態なんかも見渡している。
シンは、密かに緑色鬼を窺っていた。
念のため、かなりの距離をとっている。
さらに草叢に潜んでいるのだから、敵に発見されることはない。そう思っていたのだが……。
「えっ? 」
視線が合ってしまった!
ゾワリと悪寒がはしる。
魔物が、ニタァといやらしい笑いを浮かべたのが判った。
いかにも“見つけたぁ”といった顔つきだ。
「やばい、ヤバい。アレは本気でやばい」
飛び起きて走りだす。もう全力疾走だ。
少しでも早く安全圏へ避難しないと、本当に生命が危ない。隠れながら逃走するなんて無理。姿が丸見えでも、撤退が最優先だ。
背後から鬼が駆けてくる。物凄い勢いだ。
双方の間には邪魔な樹々がたくさんあった。地面だってデコボコとしていて、素早く移動するのは困難なはず。
それなのに、ヤツは障害物をモノともせず、猛烈な速さで疾走してくる。
「くそ、逃げきれない! すぐにでも追いつかれてしまうぞ」
―――舐めんなよ。反撃したるわ!
そのほうが助かる確率は高い。後方から襲われるのは危険すぎるからな。
今の自分には“力”があるんや。以前の無力やった時とは違う。実際、三匹の小鬼を斃したしな。
なによりも“戦う覚悟”はできとる。そう簡単にやられたりはせえへんで。
シンは迎撃体勢をとる。
意図的にゆっくりと呼吸。
気を鎮めて戦闘に備えた。
魔法発動に焦りは禁物だ。
攻撃魔法の【物体射出】を発動して、弾丸代わりの硬石十個を空中に待機させる。
「発射! 」
ダダッと連続射撃する。
まるで機関銃のような音が響いた。
この攻撃、工夫を凝らしている。
時間差をつけて射出したのだ。発射角度も変えており、敵が左右どちらに逃げても当たるはず。複数弾の射撃だし、何発かは命中するのは確実だ。
傷を負えば、能力の高い魔物でも動きは鈍る。
負傷した相手だったら、優位な状態で戦えるだろう。
「マジか! アイツ、避けやがった」
緑色鬼はいきなり地面に伏せたのだ。
手足の先を大地に突き立てて強引に身体を止めている。
ヤツは猛烈な勢いで走ってきた。その運動エネルギーは大きいのに、無理やりに停止したのだ。とんでもない身体能力である。
それ以上に恐ろしいのは、直観力の良さ。
シンの魔法攻撃なんて初めて見るのに、瞬間的に回避するなんて信じられない。野生の勘と表現するにはあまりにも的確すぎる。
「ちっ、悪い予感ほどよく当たる」
なんとなく、ヤバい気がしていた。
敵は、戦い慣れている雰囲気があったからだ。
アイツの面構えは、知能の高さを感じさせる。実際、今も鬼は、こちら側をしっかりと観察していた。
間髪入れずに攻撃を重ねる。
念のために、追撃用魔導を用意しておいてよかった。
出し惜しみなしで、加工済み硬石すべてを発射する。
追加で【風刃】を三連発でぶちかました。
この魔法は範囲攻撃に適している。
また、視認しづらいので、避けるのは難しい。
「トドメのダメ押しだ。くらえ【爆炎】! 」
これは、着弾点を中心に高温の炎を撒き散らすもの。
さらに時間差で衝撃波が襲うのだ。命中しなくても、付近にいるだけで大ダメージを加える。
広がる火炎と黒煙を背にして逃げた。
なんだか、手ごたえがない。
攻撃魔法を立て続けに放ったけれど、致命傷を与えた感じが皆無なのだ。勘が告げる。ヤツは全ての攻撃を回避したと。
「あれだけやっても撃退できないのか。でも、まだ負けたワケじゃない。最後の一手が残っているぞ」
必死の思いで駆けた。
もう少し先には、本拠地を守る設置型魔導具がある。迎撃魔法を発射するやつだ。先日、精神作用で小鬼を退けたタイプとは違って、物理的に敵を排除できる。
射程圏内にまで移動できれば、自分の勝ちだ。
「よし!安全圏内にはいった」
安堵しながら振り返ると……。
バシッ!
魔法具【身代わりの護 符】が発動した。
光の壁が展開。
直後、それがひび割れて砕け散る。
彼は衝撃を受けてゴロゴロと地面を転がった。
身体が吹き飛ぶほどのショックだ。
なにが起きたのかと背後を見やる。
緑色鬼がいた。
投球後のピッチャーと同じ構えだ。
奴は、ソフトボール大の石を投げたのである。
とんでもない投擲力で、威力は人を殺せるほど。
だから、護符の魔道具が起動したのである。
魔物は、その場に留まったまま。
どうやら、迎撃結界の範囲を知っているみたい。一定のラインから、こちら側に入ってこない。
しばらくすると原生林へと帰ってゆく。
去り際に、“次はないぞ”という感じで、グルルッと唸った。
シンは、ゆっくりと歩く鬼を眺めた。
ヤツのうしろ姿は強者そのもの。
背中は強靭な筋肉が盛り上がっているし、四肢も太く発達していて力強い。最初に斃した小鬼とは違う。桁違いのバケモノだ。
「あんな怪物と戦ったのか……。いや、単に追われて逃げただけだな」
【身代わりの護 符】を手に取った。
壊れている。これは、一度きりの使い捨てタイプの魔法具だ。発動したということは、致命的な攻撃を受けたということ。
たまたま、護符を身につけていたから助かった。
本当に死にかけた。
もし、捕まっていたら……。
もし、安全な結界までたどり着けなかったら……。
もし、護りの魔道具をもっていなかったら……。
自分は確実に殺されていた。
そう思うとブルブルと身体が震える。
幾つもの幸運が重なったから、命拾いしたのだ。
「こ、怖かった~ 」
腰が抜けて地面に崩れ落ちた。
しばらく、立ち直れそうにない。