4-03.対極の関係
ルナの悲痛なひと言。
「あの世に逝かせて」
「な、なにを……」
シンは、思わずカッとなってしまった。
彼女の“死を望む”という言葉に反感をおぼえたからだ。
自分は極端に短い寿命を延ばそうと懸命になっている。
そんな人間に対して、正反対のことを希望するなんて皮肉そのもの。見当違いも甚だしい。
だが、ルナは、彼の心情に気づいていなかった。
こみ上げてくる感情を抑え込むのに必死。
顔を伏せて視線を床に向けたままだ。
「わたしね、ずっと人を避けていたの。できるだけ、他人と距離を空けていたわ」
理由は、自身の不老不死性を隠すため。
若い姿を維持したままで年老いることのない特異体質は、さすがに尋常ではない。なるべく他者の関心を引かないよう地味な生活を心がけた。
活動拠点も頻繁に変更している。
一か所に留まって暮らすのは、せいぜい三~五年といったところ。最大でも十年間が限度だ。
さらに、土地を離れるたびに名前や外見を変える。
いま、彼女が名乗っている【ルナ・クロニス】は適当につけた。
音の響きが良くて気に入っているだけ。なにか考えがあってのことではなく、なんとなく選んだ。
「仕事も、行商や針子仕事などいろいろやったわ。最も多いのは冒険者ね。根無し草のように転々としても怪しまれない。まあ、女のソロ活動は苦労もあるけれど、秘密がバレるよりもずっとマシだから」
彼女は一流冒険者だ。
魔導師ではないけれど、魔力で肉体強化を為す超戦士であり、近接戦闘能力は非常に高い。野生動物や魔物の生態にも詳しく、薬草学の知識は豊富。
隠していても、目利きの利く人物ならば、相手の優秀性を認識する。ましてや美人の独身女性だ。
熱心に勧誘する冒険者チームは数えきれなかった。
「どんなに注意しても勘の良い人間はいる。ときどき、私の特異体質に気づくのよ。一般人なら問題ないのだけれど、たまに権力者がいてね。面倒な連中に目をつけられてしまったわ」
そういった輩は、“力”を得ようとした。
つまり不老不死の不可思議なパワーを。
大金を積んで交渉しようとする大商人。
暴力に訴えて拘束しようとする貴族など、さまざまだ。
なかには気持ちの悪い異常者もいる。
彼女の生血を飲めば、”死なない”と根拠なき与太話を信じたのだ。さすがに悍ましさを感じて、逃げ回る羽目になったという。
「逆に親切にしてくれる人もいたわ。なんの見返りを求めず、やさしくしてくれるのよ」
辛いときに親身にされると、その優しさが身に染みる。
相手は当たり前のことだよと言ってくれた。
でも、彼女にとっては貴重な経験だ。何気ない言葉が、生きる勇気を与えてくれる。
温情を示すのは、ごく普通の一般人。
農夫や鍛冶屋、パン屋の女主人、日雇い人夫、娼婦など。けっして特別な人間ではない。
「でもね、みんな、わたしを置いて先に死んじゃうの。自分は彼らを見送ってばかり」
ルナの瞳からポロポロと涙が落ちる。
口に手をあてて泣き声をあげまいとするけれど、嗚咽はとまらなかった。身体を小さく震わせる姿は、ものすごく弱々しい。
ずっと感情を押し込めてきた。
他人に弱みを見せまいと、気丈にふるまうようにした。
どんなにつらくても、たったひとりで過ごす。
他者との交流を最小限にとどめために。
けっして定住はしなかった。
居心地が良くても、一定の時期が経過すれば、別の土地へと移動する。人との接触を拒絶する行動の裏には、他人を守る意図があったのだ。
彼女を狙ってくる連中が、親切なひとたちを襲わないように。
さみしい。
つらい。
人恋しい。
負の感情は、心の奥深くに溜まってゆく。
貯水し続けるダム湖に似ていた。
ただし、その壁に放水口は”ない”。
土嚢を積み上げただけの貧弱なもので、いつ崩れるとも知れなかった。いつの間にか、水位は危険域にまで達していたのだ。
「ううっ」
いま、それが決壊した。
いろんな想いがゴチャ交ぜになって一気に流れ出てしまう。彼女自身、こうも涙が止まらないのかと驚くほどだ。
情けないことに、シンはあたふたとするばかり。
「お、おい。だいじょうぶか。そんなに泣かなくても」
男というものは、女の涙に弱いようだ。
自分が悪いワケじゃないのに、妙な罪悪感をもってしまう。
彼は、人外魔境の大森林をうろつく危険な魔物を相手にしても動じない。しかし、女性の嗚咽する姿には、どう対処すれば良いか判らずオロオロとするだけ。
「な、なにか……」
かろうじて思いついたのが、ハンカチを手渡すこと。
ポケットをまさぐったけれども、そんな気の利いたものなんて持っていない。
見かねたツクモ族の女官がタオルを差し出してくれた。
彼女の態度は、“コイツ全然ダメね”と呆れた様子。
シンは言い訳するつもりもない。自分自身でも情けないなぁと感じているからだ。
その一方で、頭の一部は冷静に考えをめぐらせていた。
魔導師特有の多重思考のおかげであろう。
【理外理力】を扱う者は感情に流されることなく、常に平常心を保つことに慣れている。どんな状況下にあっても魔法を発動させねばならない。
彼は、とある仮説をたてていた。
それは『人間は“不死”に耐えられない』というもの。
特に精神が、生き続けることに対応できないのだ。
いくら魔導的な力で肉体を不死化しても、心への負担が大きすぎるのだろう。
「そもそも生物は死ぬようにできている」
たとえば、細胞には遺伝子レベルで自死プログラムが組み込まれている。
そのおかげで、寿命が尽きた細胞は、体内にゴミを撒き散らすことがない。きれいに消えてゆき、身体全体を健全な状態に保つのだ。
おなじ機能が生物種全体にもはたらいている。
年老いた個体が死去して、新しく誕生する別個体と入れ替わってゆく。種族全体の観点からすれば、世代交代は生存競争で有利になるのだ。
「進化の面からみても、生物は“死”を選択している。
地球史の場合、生命誕生から三十数億年を過ぎているけれど、進化方向が“不死体質”へむかった生き物はいない。理由は、生物種が存続し続けるため。個体の死亡は生物種全体にとって必要だ」
確実にいえるのは、“死なない”のは不自然すぎる。
人間は死去して当然のこと。
“不死”に適応できない。
彼女の特異体質は、本人に相当な負担を強いていたはずだ。
救いなのは、ルナが疑似的な“死と誕生”を経験していること。
何度も肉体を完全消失したと語った。【復元】するけれど、同時に記憶の半分以上をなくしたのだとも。
結果として、新たな学習と体験をする。
精神的なリセットとして良い機会であろう。新鮮な気持ちで学び直すのだから。
しばらくして、彼女は落ち着いてきた
「ご、ごめんなさい。こんなことを言える相手がいなかったものだから」
その姿は、ちょっと可愛らしかった。
たくさん涙を流したせいで目が腫れぼったい。
グスグスと鳴る鼻のまわりは赤いままだ。
しかし、妙に庇護欲をかき立てる。
普段の彼女はクール・ビューティ。
美しいけれど硬質で冷ややかなところがあって、なんとなく近寄りがたい雰囲気がある。
今は正反対で、どことなく頼りない。
無条件に守ってあげたい感じがする。
「わたしばかり話してゴメンなさい。次はシンの番ね。あなたが抱えている問題について教えてちょうだい」
「ああ、わかった。ただ、貴女のように見せただけで、相手に分からせるものは皆無だ。順を追って説明するから、しばらくつき合ってほしい」
自分は錬成人間であると告げた。
ふつうの人間のように母体から誕生したワケではないとも。
目覚めたのは十年前。
ある程度身体が構成できた時点で、覚醒予定であったが、途中でトラブルが発生する。
「その事故が原因で、私の身に不具合が生じた。肉体の稼働時間が短くなったのだ。覚醒時のスペックで、活動可能時間はわずかに十五日間。なにもせずに過ごせば、二週間ほどで死去する体躯だった」
ルナの顔色がみるみるうちに青くなってゆく。
話始めのときは、ホェ~と興味深そうに耳を傾けていた。
しかし、シンの身体機能の欠陥を知って、彼女は身体をプルプルと震わせる。
「あ、あの、ごめんなさい。わたし、ものすごく無神経なお願いをしていたのね。“死を望む”なんて、あなたにとっては嫌味だわ」
「いや、別にかまわないさ」
軽い調子で言葉をかえす。
気にしすぎる女性を心配させないためだ。
確かに、“死にたい”という台詞を聞いたときはカチンときた。
だが、今では相手に同情している。
共感こそできないけれど、苦悩しているのは同じだ。
「それに、貴女の特異体質を研究することは、自分にもメリットがある」
彼は柔らかな口調で説明した。
“不死”の秘密を解き明かすことができれば、寿命を引き延ばすことができるはず。ただ、本当にそれを実現するためには、かなりの調査研究が必要になるだろうが。
「ルナ、君が抱える問題を解決するのに協力しよう。
そのかわり、私の目的達成に助力してもらいたい」
「ええ、わかったわ」
こうして、ふたりは互いに助け合うことにした。
シン・コルネリウス。
神々からは【導灯を掲げる者】と告知された男。
五百年前の技術で誕生した錬成人間で、常に“死”から逃れようとしている。
ルナ・クロニス。
神々からは【月の彷徨い人】と告知される女。
数百年前から生き続けており、安息を得るために“死”を望んでいる。
彼らは、“死”を中心にして対極に位置する関係だ。
不思議な縁で出会ったふたり。
お互いの願いをかなえるために協力しあうことを約束した。
■現在のシンの基本状態
HP:198/198
MP:210/210
LP:120/120
活動限界まで、あと百二十日。




