3-09.助言と遠出と
シンは市庁舎にいた。
応接室にいるのは彼ひとりで、横長のソファに座っている。
ここにいるのは呼び出されたからだ。
命令者はシモンヌ。
砦街キャツアフォートの錬金術師組合の代表代理だった女性だ。もともとは男爵家傍系の支配者階級に属する。
ただ、魔導的才能がなかったので貴族社会を離れていた。現在の仕事は秘書官で、男爵家令息ジュールの部下として働いている。
彼女の服装はキッチリとしたものであった。
いかにも役人のお偉いさんといった雰囲気を漂わせている。
彼が知る人物とは別人のよう。
組合代表をしていたときは、ゆったりとしたローブを着込んでいた。研究優先ですっぴんのまま、平気で活動している。
いまは、化粧を施して目元をキリリとさせたキャリア・ウーマンだ。
「わざわざ呼びつけてスマン。いろいろと都合があって日程調整に手間取っていてな」
「いえ、こちらこそ。面談の機会をいただいたこと、感謝いたします。無礼をはたらいた件についてお詫びしたいと思っていたので。誠に申し訳ありませんでした」
以前から、シンは面会予約をお願いしていた。
目的は謝罪すること。
彼は“裏切り者め”と詰め寄って、彼女の首を締めあげるという乱暴をはたらいた。自分では無自覚だったけれど、相当に怒りを感じていたようだ。
とはいえ、冷静に考えれば、その行いにも理由あってのこと。今ではおおいに反省している。
ただ、しばらく待機の状態が続いた。
時間に余裕がないとのことであったが、面倒ごとに追われていたらしい。けっこうな日数が経過して、ようやく会談の機会が巡ってきた。
「あの件は不問だ。お前が気にすることではない」
彼女は、罵倒されて当然だと思っていた。
砦街の住人からすれば、自身の行為は裏切りだし、殺しとおなじ。
ただし、自分が為したことに弁明や言い訳をするつもりはない。都市封鎖は正しいと考えているからだ。
【バケモノ病】の詳細は不明であったけれど、危険であるのは理解していた。
アレは感染力が強く致死率も高い。
しかも、身体の一部が変質して“異形のモノ”が生えてくるのだ。
罹患者が狂暴化して暴れまわるなんて、悪夢そのもの。そんな謎の感染症が、領都シュバリデンや他地域に拡大するのは、絶対に阻止すべきであった。
彼女は感染爆発の恐ろしさを知っていた。
以前、薬師組合の代理代表を務めており、伝染病の歴史にも詳しい。最悪の感染症被害だと、大陸人口の三分の一が死亡した記録があるくらいだ。
当時の医者が書き記した日記がある。
己の無力さを嘆く言葉がつづられていた。
医療関係者がいかに頑張っても病気を抑え込めず、死にゆく患者たちを看取るのみであったと。最期には、医師自身も病魔に蝕まれて、倒れてしまう。
救いようのない逸話が数多く残っているのだ。
「自分は正しいことをした。だから、言い訳をしない。裏切り者呼ばわりされても、砦街の住人数千人を犠牲にしたのだよ。優先すべきは、王国や大陸に住まう人々を助けることだ」
シモンヌは再び詫びは不要だと告げる。
そのうえで、シンを呼び出した要件を話した。
「早めに領都を離れろ。男爵家当主様が、お前を不快におもっている。なにをするかわからん。知り合いが、厄介ごとに巻き込まれるのを見たくないのだよ」
「男爵に“心づけ”を贈りましたが不足でしたか?」
つまり、“黄金色の饅頭”だ。
彼は幾許かの金の延べ棒をコルベール男爵家に届けた。
目的は、権力者ににらまれたくないため。
この世界は、地球の近世近代のヨーロッパと同じだ。第一身分の聖職者、第二身分の王侯貴族が絶対的な権力をにぎっている。
支配者層からみれば、第三身分は“しゃべる動物”でしかない。
平民なんて土地の付属物か、税金を納める動産でしかない。
シンは優秀な錬金術師だけれど、平民階級のカテゴリーにはいる。
それ以前に無国籍者だったりするのだけれど。念のため、活動を邪魔されたくないので、賄賂を渡しておいたのだ。ちなみに、彼が魔導師であることはバレていない。
シモンヌは別の理由だと述べた。
「問題なのは、お前の研究結果だ。当主さまが非常に気にしておられる」
彼女が言うには、他家からの非難を恐れているとのこと。
貴族社会は足の引っ張り合いだ。表面上はにこやかな談笑をしていても、テーブルの下では互いに蹴りまくっている。
今回の都市封鎖は過激だけれど、正しい判断だった。男爵や令息も同じ意見である。
ただし、他の貴族家の見解はまったく違った。
砦街の破棄は誤りであったとする声が大きい。
なにしろ、キャツアフォートは最前線都市である。魔物侵攻を防ぐための防壁であり、【邪神領域】を開拓するための橋頭保だ。
重要な拠点を簡単に廃棄したのは浅慮だと、部外者が批判していた。
そんな非難者の主張に、シンの研究結果が根拠を与えてしまった。
奇妙な表現になってしまうけれど、【バケモノ病】は“普通”の伝染病だったと。有効な治療方法があるのだと証明されれば、砦街封鎖は間違いであったと確定しかねない。
「その意見は難癖ですよ。疾病対策の基礎すら知らない者が、勝手に文句をつけているだけではないですか」
もし、彼が総責任者ならば、隔離封鎖をする。
謎の感染症なんて、被害規模や拡散速度なんて予測不可能だ。未知の敵を相手に対応する際、心がけるべきなのは、できるだけ大きく構えておくこと。おおげさに準備するくらいでちょうど良いくらいだ。
戦力の逐次投入は下策である。
チマチマとした対策を小出しにしても焼け石に水だ。思いきった施策をしないと、後で泣きをみることになる。
そういった意味では、都市封鎖は正解であった。
とはいえ、切り捨てられる側は納得しない。
そりゃそうだ。死ねと言われて、ハイそうですかと簡単に了解できやしない。生き延びようと足掻くのは当然のこと。
実際、シンだって抵抗した。
彼自身、見捨てられた陣営であり、自分の命を守るための努力をしている。
いっぽうで、今でも、シモンヌを裏切り者だと断じている。
彼女は砦街の一般人であって、支配者階級の人間ではなかったからだ。許しはするが、平民をゴミ扱いした事実は変わらない。
結局、立場によって、価値観や判断基準は変化するのだ。
どちらが正しいとか間違いだとか、安直に判定できるものではない。人間十人いれば十通りの正義があるのだから。
シモンヌは左右に首をふった。
「いや、そう単純な話ではない。貴族社会は複雑でな。正論が常に受け入れられるとはかぎらない。それどころか、黒を白と決定する”力”を持つ権力者こそが“正しい”のだよ」
とにかく支配者階級の力関係は複雑怪奇だ。
相手を引きずり下ろす機会があれば、躊躇せずに攻撃するのが当たり前。
シンの前世記憶は現代日本のもの。身分差もない民主主義に生きた者にとって、貴族社会の人間関係は想像もできない。
「わかりました。ここ二、三日のうちに領都を離れましょう」
彼は、彼女の助言に素直に従うことにする。
せっかくの好意を無視する必要はない。変に意固地になって、トラブルに巻き込まれるのは避けるべきだ。それに目的は達成している。
残っているのは、小さな約束事だけだ。
さっさと済ませて、この土地から出よう。
やり残しの“約束”とは、騎竜で遠出すること。
相手は、グレゴワールという名前の爺さんだ。ベテランのアルケミストで、当代の錬成技術を伝授してくれた。
件の老人は、とても肝っ玉が太い。
砦街から脱出する際、細い補助ロープを二脚竜で駆け渡ったのだけれど、そのときの体験がよほど愉快だったらしい。
スリル満点だと言って、楽しんでいた。
足を滑らせて落下すれば、大河に飲み込まれて溺死確実な状況ではしゃぐ始末。
同行していた受付嬢イザベラなどは恐怖のせいで気絶しかけている。ふたりの態度は対照的であった。
約束当日。
グレゴワールは、ウヒョヒョと奇妙な笑い声をあげながら、
「おう、ようやくじゃのぅ。待ちくたびれて、あの世に逝ってしまうところであったわ」
「よく言う。その調子だと、まだ二~三十年は生きているだろうに」
シンは悪態をつきながらも、ジジイにルナを紹介した。
いつものように、彼は騎竜ウコンに、彼女はサコンに騎乗する。ご老人に貸したのは、荷運びをしていた二脚竜で、素直で穏やかな性格の子だ。
三人は領都の外へと移動した。
街道は古代魔導帝国時代のもの。五百年以上も前に建設されたが、今でも現役で周辺住民が利用していた。大陸の主要な国家や都市間を結ぶネットワークとして重要な機能を担っている。
ただし残念なのは、メンテナンスが不十分なこと。
表面を覆っていた石材は丸くなってデコボコだ。水たまりもあるし、木の根っこが侵食してきて石畳がヒビ割れていたりする。
理由は、資金的余裕がないため。
道路網を構築し、常に整備維持してきた魔導帝国が偉大すぎるのか。
あるいは、朽ちてゆく道路を修理もできない現在の国家群が情けないのか。どうにも意見が別れるところである。
彼らは小高い丘の上に立った。
領都シュバリデンの全体像が観察できる位置だ。
街は、地域交易の中継点として栄えており、湾港には大小さまざまな船が並んでいる。沖のほうに視線をやれば、帆に風をいっぱい受けた帆船が白波をたててすすんでゆく。
「どうだい、爺さん。ここから眺める景色はすばらしいだろう。満足したか?」
「まあまあじゃのう。儂はもっと危険でドキドキする体験をしたいんじゃが」
「なんともまぁ、わがままなことを。細いロープを駆け渡るなんて無茶なことをしたのは緊急避難だからだ。それよりも、ジジイは体力がなさすぎ」
グレゴワールは肩で息をしていた。
二脚竜での遠出は体力をつかう。騎竜にとってはちょっと軽めの走りだけれど、初心者にはきつかったみたい。
昼食をとることにした。
ルナは携帯用の小鍋に給水用魔導具で水をそそぎ、お湯を沸かす。
爺さんは疲れたと言って、地面にどっかりと座り込んだままだ。
シンは周辺を歩きまわって、危険な魔物や動物がいないかを確認。
上空には広域偵察のツクモ族鷹タイプが見張ってくれているが、完璧ではないので念のためのチェックは必要だ。
食事内容は、パンにハムや野菜をはさんだもの。
ホテルのコックに頼んで作ってもらった。
日差しは暖かく穏やかな風に吹かれての食事はおいしく感じるものだ。商人相手にあれこれと交渉するのにウンザリしていたので、遠出は気分転換にちょうど良い。
「うん、うまいな。パンに総菜をはさんだだけの簡単な料理だけど、いくらでも食べられる」
「ええ、そうねぇ。ポカポカ陽気だし昼寝でもしたい気分だわ」
のんびりするルナは、二十歳前後の娘のようにみえる。
だが、騙されてはいけない。
見かけ以上に年齢を重ねていると、シンは推測している。というのも、彼女の助言が非常に機知に富んでいるから。
絶対に若い女性の思考ではない。それこそ【清め司】の媼に匹敵するような叡智の持ち主だ。
まあ、彼としては彼女の正体が謎のままで構わない。
前提として、自分に害がないかぎりという条件がつくけれど。最終目的、つまり、己の寿命を延ばすのに役立つなら、歓迎するだけだ。
いっぽう、グレゴワールの爺さんは食欲旺盛であった。
「まったくじゃのう。えい気分じゃ。おっ、もう一個、儂にくれい」
「おい、爺さんひとりでパンを四個も取りやがって。どんだけ食い意地が張っているんだよ! 私とルナは二つだけだぞ」
詳しく話をきいてみると、碌な食事をしていなかったらしい。
請け負った魔道具の制作に集中していたという。そんな状態で遠出に参加するなと、一応だがたしなめた。
しかし、グレゴワールは平然と反論する
「儂は、やりたいこと優先するんじゃ。いつお迎えがくるか判らんでのう。好き勝手にやらしてくりゃれ」
「自分で“老い先短い”なんてぬかしやがって。踏んでも蹴っても死にそうにないくせに」
シンは悪態をつく。
それを受けて糞ジジイはニャリとして、あと三十年は生きるつもりじゃがのと、胸をはって言いきった。ルナも大笑いして、爺さんをからかう。
三人は益体もない馬鹿話を続けていたが……。
教会の鐘の音が響いてきた。
その調子は急なもの。
幾度も打ち鳴らしている。
とんでもない危険を報せるような切迫した雰囲気だ。いつもの刻を告げる穏やかなものではない。
「うん? なにか変だぞ」
■現在のシンの基本状態
HP:198/198
MP:210/210
LP:75/120
活動限界まで、あと七十五日。




