1-05.再生処置
「ゴホッ、ゴホッ!」
おもいっきり咳き込んでしまった。
必死に呼吸するけれど、うまくいかない。
吸った空気が、肺から逆流してくる液体とぶつかってしまったせいだ。鼻腔からは鼻水が垂れ流れるし、眼からも涙がボトボトと落下してくる。
息が落ち着くまでにけっこうな時間がかかった。
「ゲホッゲホッ……。じ、【状態管理】」
むせながらも、なんとか魔法を発動させる。
視野の片隅に半透明の画面が浮かび上がった。
でも、これは脳内で表示するものであって、非物質なもの。
<基本状態>
HP:10/10
MP:20/20
LP:18/18(更新15→18)
「た、助かった。LP値がリセットできた」
【LP】は寿命を意味する。単位は日数。
数字がゼロになると死んでしまう。
現在のライフ・ポイント数値は“18”。つまり、生きていられる期間はたった十八日間しかない。
それでもシンは安堵した。
延命に成功したのだから。
なにしろ、つい先日までの余命は、わずか三日間。
「ほんのチョットの成果だけど……。でも、命が延びたんだ。これなら、これなら希望が持てるぞ」
数日前、彼は激怒していた。
きっかけは、己の生存期間の短さを知ったこと。
あまりにも感情が昂ったせいで、本当に髪の毛が逆立った。よほど頭に血が昇ったのだろう。脳の血管が破裂しなかったものだと、自分でも呆れるくらい。
目覚めて以降、ずっと不安定な精神状態が続いていた。
歯を食いしばって不安を押し殺し、無理にでも明るく振る舞う。
訳の分からぬ環境に対応しようと、努力を重ねていたのだ。
そこに突然の余命宣告である。
気持ちが爆発するのも当然だ。
例えるなら、パンパンに膨らんだ風船に針をさすようなもの。ちょっとした刺激で、堪忍袋の緒が切れて、抑えこんでいた心労が弾けてしまったのだ。
幸いなことに、寿命延長は可能であった。
方法は、培養カプセルで再生処理を施すというもの。
使うのは、ズバリ錬金術である。
この技術によって、シンは錬成人間として誕生したのだ。
錬成するのも、修理(?)するのも同じテクノロジーを使用するワケである。ミドリの説明によると、一片の細胞から育成したらしい。
彼女の話が本当なら、現代地球の高度な生物工学と同等以上のレベルだ。
フッと脳裏によみがえった文章がある。
『充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』
上記のフレーズは、とある米国のSF作家が書き記したもの。
でも逆も真なりと思うのだ。
『相応に発展した魔法は、科学技術に匹敵する』と。
彼は延命の準備をすすめた。
魔造の結晶体に教えてもらいながら、魔導具類の設定や魔方陣を作成、薬剤の調合などをおこなう。
厳しい仕事であった。各作業は複雑で難しいうえに、準備期間はたった二日間しかない。
しかし、諦めなかった。
なにしろ自分の生命が懸かっているのだ。
徹夜で働き続けて培養カプセルの用意を整えてしまう。我ながら、驚異的な成果をだしたと自負している。
そして今、シンは再生処理を成功させた。
「念のため、私の身体の検査を頼むよ」
「了解しました。検査術式を展開するので、しばらくお待ちください。……チェック終了。特に問題はありません。ご気分はいかがですか?」
「う~ん、全身がすごくダルい。液体呼吸から空気呼吸への切り替えは本当に辛いよ。慣れそうにないかな」
液体呼吸。
文字通り、液体のなかで呼吸をおこなうもの。
まあ、“液”といっても特別仕様のもので、充分な酸素が溶け込んでいる。この方法は、通常の気体呼吸よりもガス交換効率が良い。
なによりも身体改造には不可欠な特殊溶液なのだ。
「再生処理について思い違いをしていたよ」
彼のいう“思い違い”。
それは、『身体が新品同様になる』というイメージだった。再生の処置を施すと、肉体がリフレッシュして元気いっぱいになる……。
そんな勝手な想像をしていた。けれど、これは完全な間違い。
身体再生の施術は、相当な負担を強いる。
被施術者の細胞組織だけでなく、魂魄にまで再編成を行うのだ。体力的にも精神的にも消耗が激しくて当然であろう。
「しばらく睡眠するから、あとをよろしく」
「了解しました。ゆっくりお休みください」
結局、シンは十二時間以上も寝てしまう。
さすがに、寿命延長処理は、子供サイズの体躯に堪えたのだ。体調が回復するには半日以上の休養を要した。
起床後、すぐに食事タイム。
「ガツガツ、ムシャムシャ」
いくら食べても満足できない。
身体改造で消費したエネルギーを補充しようと、肉体が栄養を欲しているのだ。事実、少しばかり身長が伸びたし体重も増えているので、この推測は正しい。
最終的に、普段の三倍もの食事量になってしまった。
食後、ミドリのいる部屋へと向かう。
今後の行動について相談するためだ。
「う~ん、ざっくりと考えて、大まかな目的は三つだな。
第一は、外部社会との接触を図ること。
第二に、寿命を延ばすこと。
最期は、生活環境を整えること」
第一目的の『外部社会との接触を図る』について。
これを実現させれば、寿命問題は解決できるはず。
なにせ、五百年以上も昔の技術でシンの身体は造られていた。五世紀も経過しているなら、それ相応にテクノロジーは進歩しているだろう。
彼の肉体がいくらポンコツでも、延命処理だって期待できる。
ただし、難易度は高い。
なぜなら、ここは陸の孤島だから。
展望台から周辺を見渡したけれども、見えるのは森林や山岳ばかり。街や村落はなくて人間の気配は皆無であった。
さらに、ミドリの説明によれば、他の地域との交流が途絶えて久しい。人類文明圏から、かなり距離があるのは確かである。
「外部の人たちと連絡を取る方法ってあるかな? 救助を求めたいんだけどさ」
「回答します。外部社会への救援要請は不可能です」
理由は通信手段がないこと。
もっと正確に表現するなら、接続する相手がいないのだ。
いちおう魔法に【念話】というものがあって、遠く離れた人物と会話ができる。
だが、前提条件として、互いに相手方を認識している必要がある。知らない者同士だと使用できないと、彼女は解説してくれた。
「まあ、その返事は予想できていたし、落胆はしない。じゃあ、近くに人間がやって来たことってある?」
「回答します。本施設への訪問者は皆無ですね。もともと外部との接触を断つため、この地に建設されたのが当施設ですから。
当初の目論見どおり、ここ数百年のあいだ、近辺に人が訪問してきた記録はありません」
「待っていてもダメかぁ。となると、自分から積極的に外へ出る方法を検討しないと」
第一目的は長期戦になりそうだ。
まずは周辺の地理を調べよう。そのうえで、人類の生活圏がありそうな地域を調査する。安全な経路にあたりをつけて、長距離移動に必要な装備や食糧を整えるべき。
目的達成するには、周到な用意と時間が必須だ。
「結局、準備のひとつが二番目の目的となるのか」
第二目的、それは『寿命を延ばす』こと。
いま現在の彼のLP値は“18”。
つまり生存期間は十八日間しかない。
こうも厳しい条件で移動するのは無茶だ。
旅の途中で死んでしまう。せめて生存可能期間を百日間ぐらいまで延長しておきたい。幸い、ライフ・ポイントを底上げする方法はある。
ただし、寿命期間を“100”にするには、最低でも三年間はかりそうだ。
ミドリによると、シンの肉体は一応でも”完成”している。短期間での身体改造は不可能らしい。
こんなポンコツな錬成身体のどこが”完成“なのかと、彼女に問い質したいところだ。
まあ、これは別の話だから脇に置いておこう。とにかく、第二目的も年単位での計画となってしまう。
「長期戦にはメリットだってあるさ。再生処理の併せて【情報転写】を使えるからね。いろいろと学習するチャンスだとおもえば、充分に価値アリだ」
彼の頭脳にインプットされている情報は、当初計画の二割ほど。
残り八割は未挿入のままなのだ。準備期間中に、魔法や錬金術、薬学関係など各種情報を獲得しようとおもう。
知識は“力”だし、無駄にはなるまい。
「じゃあ、ミドリ。第三の目的については助けてね」
「了解しました」
最後は『生活環境を整えること』だ。
特に食料確保の手段は必須である。現状、備蓄品を消費するばかり。今は倉庫には、けっこうな量の食料が山積みだ。
でも、食べるばかりでは、なくなってしまう。先々のことを考えれば、食料調達の方法を確立しないと飢え死にだ。
並行して住環境も整備するつもり。
この地に数年間は生活するのだから、それなりに快適に過ごしたい。現代社会並みとまでは言わないけれど、健康的で病気にならない程度の居住環境を構築する計画だ。
彼女の助力があれば、施設の壊れた箇所も修理可能だ。
用途不明な機器類や魔法道具がたくさんある。それらを復活させれば、文明的な暮らしができるはず。うん、楽しみだ。ちょっとワクワクしてきた。
次の日。
シンは外に出た。森のど真ん中だ。
周囲は背の高い樹木が多く、日差しを遮っているので地表は薄暗い。
小型ナイフで茂る草木を切り払いながら進む。
コレは武器庫にあったもの。倉庫には大量の武具があって、他にも長剣やら槍などが並んでいた。
ただし、大きく重いものばかりで、子供には扱いかねる。いろいろと試したけれど、小さな身体で使える物は、この程度のサイズしかなかった。
巨木の幹にキズをいれて、迷子防止の目印をつくる。
今日の予定は、施設を中心にしてグルリと辺りを一周するのみ。遠くに足を伸ばすことはしない。初めての偵察だし、慣らす意味もある。
「けっこう植生は多様だな。これなら、木の実や果物が期待できそう。さっきも、アケビによく似た植物を見つけたし、果実が熟したら収穫しよう。
問題はキノコか。毒を含むものが多いから、迂闊に手を出せない。でも、食用に適したやつだって、あるだろうし」
ドングリを拾い集める。
上着のスソを前に広げて、収穫物を貯めた。
持ち帰って食べられるかを試してみるつもり。
「ドングリ・コーヒーを作ろうかな。ほかに団栗団子、クッキーなんかも挑戦してみよう。アク抜きは手間がかかるけれども、文句はない。これから先、木実は主要な食料になるからね。もう少し大きな袋を用意してくれば……」
ガッ!
シンは背中に衝撃を受けた。
すごく痛くて、倒れてしまう。
何が起きたのか判らず混乱したけれど、それでも本能的に背後を振り返る。
小さな鬼がいた。