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2-08.予兆

 シンの朝は早い。

 日の出前には起床し、身だしなみを整えて散歩に出かける。


 早朝散策は訓練の一環だ。

 (はた)から見るとのんびりと歩くだけだが、その内実はかなりハードなもの。


 実はコレ、彼独自の鍛錬法だったりする。

 まず、身体内部を部位ごとに意識する。

 頭、肩、腕と始まり、ふくらはぎ、踵、つま先へ。次に体全体の骨格構造。最期には、筋肉ひとつひとつに至るまでを明確に把握してゆくのだ。


 そこに歩行動作を加えてゆく。

 例えば、脚部の大腿骨や脛骨、腓骨(ひこつ)が連動して動いているのを認知。同時に、大腿四頭筋が収縮。反対側の大腿二頭筋が伸びているのも感じとる、といった具合だ。


 身体中の感覚器からの情報も認識せねばならない。

 足裏から伝わる地面の様子。体軸の変化。

 肌からは風の強さや空気の湿り加減など。

 普段はまったく気にもしない感覚情報を漏らすことなく意識する。これら一連の知覚が、身体制御の基礎となるのだ。


「さらに追加で【加圧負荷】」


 全身に魔力を巡らせて筋肉に負荷をかける。

 魔法には、【身体強化】という筋力や動作を補強するものがあるが、コレは逆の機能だ。まあ、筋力トレーニング専用のもの。負荷値の強弱には微妙な操作が必要なので、魔法制御の練習も兼ねていた。


 日の出。


 朝日にむかって一礼した。

 次に、柏手(かしわで)をパンパンと二回叩く。

 異世界で目覚めてからずっと続けている習慣だ。


「おはようございます。今日もよろしくおねがいします」


 挨拶する相手は、お天道(てんとう)さま。

 お堅い表現をすれば【太陽神】なのだけれども、親しみを込めて呼んでいる。


 はじめて、()たときは恐れおののいたものだ。

 とてつもない威厳があった。

 神々のなかでも、相当に上位階梯な存在であるのが判ってしまう。とはいえ、なにか害意をむけられる訳でもない。毎日その姿を目にしているうちに、なんとなく親近感もわいてきた。

 いまでは、御来光にむけておこなう朝の敬礼は、ごく普通の慣例になっている。


 散歩が終了すると朝食だ。

 早朝から開いている店が訓練コースの終点になっている。


「いつものヤツをもらおう」


 でてきたのは簡素な料理だ。

 パンと正体不明の肉を焼いたもの。

 蒸かしたジャガイモ。クズ野菜のスープ。


 お気に入りはパンだ。

 混じり物の多いライ麦パンは、お世辞でも上等とは言えない。非常に硬いので(じか)には噛み切れず、汁物に浸して柔らかくする必要があった。


「初めて食べたときは、正直、マズいと思ったよなぁ。

 実際、ジャリジャリした舌ざわりだし。まあ、咀嚼するほどに味がでるというか。妙にクセになってしまう不思議な感じだ」


 砦街に来るまで、パンを口にしたことがなかった。

 ずっと【邪神領域】で生活をしていたけれど、理由は、小麦などの穀物類を入手できないのが原因だ。人外魔境の大森林では、食糧は狩猟採取が中心。

 農業をするには環境が厳しすぎる。

 なにしろ、畑を用意しても、すぐに野獣や魔物に荒らされてしまう。かろうじて残った作物も害虫に(たか)られて全滅するのだから、あきらめるしかない。


「ホント、現代地球の農業技術は凄いよな」


 多種多様な薬剤は病気や害虫を防ぐ。

 電柵は獣を寄せつけない。

 化学肥料は農作物の大量収穫を実現した。

 機械化は少人数で大量の収穫を可能にする。

 発達した科学技術は、何十億人という人間を養うのだから、本当にたいしたものだとおもう。


「まあ、狩猟採取も悪くはない。食生活はけっこう豊かだったし」


 栄養バランスは非常にいいのだ。

 一品あたりの量は少ないけれど、たくさんの品種を収集していた。

 残念だったのは、米や小麦などの穀物類は未発見なこと。ゆえに、ご飯やパスタを作れなかった。そんな背景もあって、あまり美味くないライ麦パンであっても、好んで食べている。


 朝食は、路上の屋外テーブルでとるのが習慣になっていた。

 街中を行き()う人々を観察するのだ。

 人間社会のことをよく知ろうと始めたのだけれど……。


「ときおり、奇妙なモノを発見してしまうんだよなぁ」


 ソレは人間に取り憑いていた。

 不思議なことに当の本人は気づいていない。

 黒い(かすみ)のようなものが商人の頭に乗っていたり、透明なミミズが年配女性の身体のなかを出たり入ったりしている。

 摩訶不思議な存在の見てくれはバラバラで、なにひとつ同じものはなかった。


 いまも、眼前には不可視の丸い物体がいる。

 フワフワと降りてきて、年かさの男性にくっつく。ビヨーンとゴムのように伸びて、男の腰あたりに巻きついた。

 ただし、対象人物は無反応のまま。

 周囲の住人たちも、謎の生き物(?)を認識できていないようで、騒ぎたてることはない。


「ふむ、やはり()えているのは自分だけか」


 友人知人に、それとなく尋ねてみた。

 答えは全員が否であった。

 どうやら、彼だけに()えるらしい。


 これについて幾つか仮説をたてたことがある。

 最初の説は、彼自身が精神異常であること。

 初めて目覚めたとき、肉体が子供サイズに変化していたし、記憶だって曖昧模糊としていた。おまけに前世記憶らしきものまであったりするのだから、どこか変なのかもしれない。


 次の可能性は、自分自身が特異体質なこと。

 補助人格ミドリの説明によると、彼は錬成人間であり育成途中に事故があって“不完全”なままだ。トラブルのせいで特異な体になったかもしれない。

 他にも、魔法技能の一種だとか、【嵐の巨神】やら【昏森の精霊】だとかに睨まれた影響だとか、いろいろと想定できた。


「まあ、検証する方法なんてないし。考えて無駄なことはやめるか。いまは、()すべきことに集中したほうが良かろう」


 シンの最終目的は、寿命を延ばすことだ。

 自分の身体に改造を施して【LP値】を底上げする必要がある。

 だが、今のところ、実現するための知識は“ない”。

 そんな背景もあって、ヒントになるものを得ようと、手当たり次第にデータを集めているのだ。


 砦街での情報収集は順調である。

 さまざまな分野の書籍を借りた。

 錬金術師組合のシモンヌや同僚の老錬金術師から各種知識を教えてもらっている。


 これまでの調査で感じたこと。


「思ったよりも進歩していない。というか、錬金術関連のレベルは低そうだ。だいたい、五世紀前の魔導や錬金術知識が充分に通用するとはね」


 それどころか、彼だけ(・・)が知る知的情報が多々あるのだ。

 歴史的に知識や文化継承の断絶があったという。

 ただし、そこら辺を調べるには、手がまわらない。いずれ、歴史も研究対象にするつもりだが、ずっと先のことになるだろう。


「ごちそうさま。さて、今日も魔法治療薬(ポーション)作りか。まあ、生産は順調だし、納期に間に合うよな」


 錬金術師組合の建物へとむかう。

 先日、専用の工房室を割り当ててもらった。

 他の薬師たちに朝の挨拶をしながら、自分の工房へと入り、薬作成の準備をする。


 しばらくすると、組合長のシモンヌがやってきた。


「シン、ちょいと良いかい。相談したいことがある」


 彼女の話は、薬を増産したいというもの。

 砦街では薬不足が始まっているのだとか。

 以前から予兆はあったのだけれど、ここ最近、薬剤の需要が急激に上がってきた。備蓄量は減少するばかりだし、供給を増やさないと、近日中に在庫は尽きてしまう。


「無茶を言っているのは理解してんだよ。ただ、領主軍からの大量発注を断りきれなくてねぇ」


「徹夜を二~三日すれば対応できるかな。

 でも、次の日から数日、休息を絶対にとるぞ。長期的視点でみれば供給量は減ってしまうな。それでもかまわないのか?」


「やっぱり、そうなるわよねぇ」


 供給不足の状態が、いつまで続くのか判らないのだ。

 無理な増産が(たた)って生産能力が低下したとき、追加需要があると目も当てられない。最悪の事態が予測できるのだから、この案は却下だ。


「そもそも、問題なのは魔法治療薬(ポーション)に頼りすぎていることだ。症状に合わせた薬を使用するべきだろうに」


 シンの指摘はもっともである。

 街の連中は魔法治療薬(ポーション)を使いたがる。

 薬効がありすぎて、それが(あだ)になっていた。

 魔法の薬液は、自然治癒力を向上させてくれるもの。切り傷や裂傷などの外傷はもちろんのこと、疾病に対する抵抗力を高めてくれる。


 たしかに便利だが、危険でもある。

 なんでもかんでもポーション(魔法治療薬)を飲めば解決すると、勘違いしているのが根本的な原因だ。


「本当に、医師が診断したうえで、処方薬を渡しているのだろうか?」


 医薬品をつくるのは薬師や錬金術師の仕事だ。

 病人を診るのは医者の役割であり、シンが診察に口出しするのは控えるべきだが、今はそうも言っていられない。

 薬の需要が増えてきたからには、ちゃんと対応策を検討したほうが良かろう。


「そもそもどんな病気なのだ?」


「じつは、よくわかっていないんだよ」


 患者の症状は発熱や倦怠感からはじまる。

 二週間ほど寝込んでしまって、ほとんどの者は回復するのだが、約二~三割が重症化する。特徴的なのは下痢や嘔吐を繰り返して急激に消耗すること。また、幻覚や幻聴などの感覚異常になる人も多い。

 老人や子供など体力のない病人がポツポツと死にはじめている。


 シモンヌによると、治療法どころか病気名すら判明していない。

 街の診療所や教会の救護院でおこなっているのは、解熱剤や栄養補給などを与える対処療法のみ。

 唯一、有効なのが魔法治療薬(ポーション)だという。

 高価だし在庫数が少ないため、ごく限られた患者に投与しているのだが、それでも薬不足なのだとか。


 シンは、彼女の説明を聞いて、ふと思い出したことを伝えた。


「先日、軍の軍砦に立ち寄ったのだが……」


 【邪神領域】近くで見たことを語る。

 駐留しているはずの兵士はおらず、二十数体もの遺体が残されていた。

 死体をみるかぎり目立った外傷はない。原因と考えられるのは、病気や食中毒など内科的なもの。

 すでに概要は冒険者組合長のモルガンには報告してある。


 シモンヌは眉をひそめた。


「そいつは初耳だね。仲間を大切にする軍隊が、患者を見捨てるなんて異常だよ。まずは冒険者組合に、領主軍からの返答が、どんなものだったのかを尋ねてみようか。なんなら、領軍部へ直接問い合わせてみるわ」


 シンも面妖(おか)しいとおもう。

 まあ、組合にその情報を届けたことで、心のなかでは終了案件の扱いだ。

 関心を失って放置したともいうが。

 今の薬剤不足な状態を考慮すれば、砦の遺体放置事件(?)と関係があるのかもしれない。


 それよりも、彼には別に対応すべき仕事があった。


「申し訳ないのだが、明日から三日ほど自由にさせてもらう。先日から予定を伝えていたことだし問題ないであろう?」


 じつは、彼には頼まれごとがあった。

 この案件は断れないし、絶対に完了させねばならない。薬不足のなか、街を離れるのは気が引けるが、優先度はこちらのほうが高いのだ。






■現在のシンの基本状態


HP:172/172 

MP:183/183 

LP:66/90 


活動限界まで、あと六十六日。


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【わたしを覚えていて、天国にいちばん近い場所で】
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