2-07.自分で考えないのは愚か者(後編)
「なにを言っているのか、さっぱり分からんぞ」
シンはキョトンとしてしまった。
眼前では、チョビ髭がツバを飛ばして捲したてている。
だが、彼はまったくの無関係。
請け負った仕事は、同行者を墓標まで案内すること。コイツが求めるものを探すことではない。
それでも、ちょっと興味をひくことがあったので尋ねてみた。
「隊長、ひとつ聞くが【精霊のヒキオコシ】とは薬草のことかな?」
【ヒキオコシ(引起し)】。
前世地球に同一名称の生薬があった。
故事では、行き倒れた病人にこの草の汁を飲ませたら起き上がったという。別名で【延命草】ともいわれる。
「まさか、漢方薬系の草木があるとは知らなかった」
しかし、同じものとは思えない。
名前が一緒でも、薬効が異なる可能性が高い。ここ異世界、魔法や錬金術など摩訶不思議なモノが幅をきかせている。
とはいえ、独特な呼称からして、強烈な効能がありそうだが。
「仮に、貴方が探しているのが薬草だとしよう。それは地中の底にあっても枯れないのか?」
「バカなこと……、あっ?」
チョビ髭隊長はなにも考えていなかった。
普通の草花であれば、完全に地面の下に埋められたら枯死してしまう。常識的なことすら考慮していない。
そもそも、求める【精霊のヒキオコシ】が植物なのかも把握していない。
理解しているのは、領主が欲しがっていることだけ。
さらにシンは追い討ちをかける。
今回の仕事を受けるにあたって、事前に関連情報を仕入れておいたのだ。
「三年前、領主軍は【邪神領域】へ入った。聞いた話では、未帰還者はおよそ二百四十名。
ここに埋葬した遺体は約五十人だ。残りの百九十人は見つかっていない。未発見の誰の元に、報奨用資金とやらがあるのではないかな」
ちなみに、報償準備金について。
これは、軍トップが用意したもの。
抜群の働きをした者へ褒美として渡すためのお金だ。兵士や冒険者の士気をあげるには、現場で褒め称えるのが最も効果的である。
この大量の金銭が、未だ帰還しない兵隊と共に行方不明だ。
「ついでに言うが、光モノを好む魔物もいるぞ」
カラスがキラキラしたものを集めるのと同じだ。
たとえば、邪狗人などは金貨や貴金属など輝くものが大好き。連中が貨幣を持ち帰ったとしても不思議ではない。
愚かな隊長は動揺した。
「そ、そんなこと。嘘だ、ウソに違いない」
まったく反論できない。
指摘されたことが、まっとうな意見だと気づいたからだ。
己の迂闊さを自覚して愕然とする。
三年前の【邪神領域】への遠征について報告書を閲覧した。希少素材を獲得した可能性があると記載がある。彼は、この情報に飛びついた。
チョビ髭は、文章を読めるが、内容を理解できない半端者だ。
レポートの一部だけを取り出し、それを適当につなげて自分に都合の良いように解釈する。思い込みが激しく、物事を関連立てて把握できない。
いかにも、痴れ者がやりそうなことだ。
「こ、ここにはないのか……」
浅はかな隊長は、力なく地面に座りこむ。
額に手をやって、“そんな馬鹿なことが”とか“身の破滅だ”とかブツブツと独り言をつぶやき始めた。すっかり腑抜けてしまい、先刻までの威張り散らしていた姿とは正反対だ。
冒険者たちや兵士たちは呆れてしまう。
「え~、マジかよ」
「ちゃんと調べてないのか」
「おいおい、指揮官失格だぞ」
彼らは、隊長の目的を知った。
もう上長への不信感でいっぱいになってしまう。
目的達成の方法がお粗末すぎた。部隊の指揮官なら、もっと考えを巡らせて緻密な準備や調査を行うべきだろうに。
うすうす感じていたけれど、ここまで間抜けだとは思わなかった。
こんなヤツのために己の命を危険にさらしていたのだ。もうバカらしくてやってられない。
しばらくすると、チョビ髭隊長が立ち上がった。
「な、ならば、他を探せばよかろう……。どこかに残っているはずだ」
森の奥へフラフラと歩き始めた。
よろめきながら進む。なんらかの目算があってのことではない。衝動的に、どうにかしなければという感情だけで行動しているのだ。
突然、隊長の姿が消えた。
足を滑らせて斜面にズレ落ちてしまったのだが、落下した先が悪い。
毒地蜂の巣を踏み抜いてしまったのだ。
「うわぁ」
蜂が怒り狂って、地表へと出てくる。
体長五センチにもなる大型の昆虫だ。
群れが、ブワーンと羽根音を響きわたらせて、空中に広がった。自分たちの住処を破壊されたのだから、激怒して当然である。
憎むべき元凶に対して、いっせいに襲いかかった。
「た、たすけて」
チョビ髭が地面でのたうち回る。
無数の虫に集られてしまった。
色黒な塊になってしまい、人間だとは思えないほど。
必死に手足をばたつかせて、毒蜂を追い払おうとするが、蟲の数が多すぎる。
シンは咄嗟に大声で叫んだ。
「いかん、逃げろ!」
毒地蜂は危険なのだ。まず、毒液がヤバい。
あれは神経毒の一種だ。
刺された箇所が腕や足ならば、筋肉を制御する神経がやられてしまい、身体が動かない。毒が呼吸器官系の内臓に達すれば、息ができなくて、やがては窒息死してしまう。
数量も物騒すぎた。
ひとつの群れで、およそ三千から五千匹。
地中に住処をつくって暮らす普通の昆虫で、魔物ではない。普段は温厚なのだが、巣を壊されると凶暴化して相手を集団で襲う。
対抗するのは困難だ。
一斉に千単位の数で攻撃をしかけてくる。逃げるのが、最も助かる確率が高い。
以前、毒地蜂が緑色鬼を斃したのを目撃したことがある。
鬼は必死に抵抗したが、全身を痙攣させながら死んでしまった。思い出すだけで、本当に寒気がする。
アレは、迂闊に敵に回してはいけない虫なのだ。
全員、その場から避難した。
シンは、【感覚惑乱粉】の小型パッケージを放り投げる。ボンと小さく破裂し、キラキラと輝く粒子が拡散して空中にひろがった。特殊な微粉は、付着すると感覚器に異変が生じて動けなくなる。
地蜂の群れでも、充分に効果を発揮するはずだ。
冒険者ボドワンは、血相を変えて逃走した。
「あのバカ、なにやってんだよ!」
全力で走りながら、思いっきり悪態をつく。
ここは剣呑な【邪神領域】だ。
常に細心の注意をはらう必要がある。それなのに、チョビ髭は無警戒のまま行動して、危険を呼び寄せたのだ。
彼は、蜂が追いかけてこない場所でひと息つく。
仲間たちが無事なのを確認し、兵たちも同様なのを見届けた。若い錬金術師は遅れているが、アレは毒虫ごときで死ぬタマではない。
しばらく待っていると、騎竜に跨ってのんびりとやってくる若者をみつけた。
「錬金術師殿。毒蜂の群れはどうなった?」
「ああ、もうだいじょうぶだ。ただし、隊長は絶望的だな」
「ありゃ、誰も手出しできない。自業自得だ。なあ、あんたたちもそう思うだろ?」
ボドワンが、兵士たちに問いかける。
みんな、ウンウンとうなずいた。
チョビ髭が毒地蜂の巣を壊してしまったのだ。
自分で地雷を踏んでしまったようなもの。いくら部下でも、上司を救助するために危険な虫のなかに突っ込んで行くなんて、絶対に無理である。
ましてや、あの愚者に散々振り回されてきた。
恨みこそあれ、忠誠心などひと欠片もありはしない。
むしろ、いなくなって清々したと思っているはず。
実際、連中の顔は晴れやかだし、なかには笑っているヤツまでいたりする。
「厄介者が消えてホッとしたよ」
「これ以上の騒動はゴメンだ」
「それより、この先はどうする?」
皆で相談した結果、ひと晩、ここで野営することにした。
興奮した毒虫が鎮まるには、時間がかかる。
墓を掘り返したままで放置するのは忍びないし、遺骨を埋め直す必要もあった。ついでに、愚か者のチョビ髭の後始末も。
シンがいれば、【邪神領域】での野宿でも大丈夫。
結界用の魔導具を地面に突き立てて簡易な安全圏を形成した。
さらに魔物除けの薬剤をあたりに散布すれば、一夜かぎりの野営地の完成だ。冒険者たちは知らないが、離れたところには護衛役のツクモ族とゴーレム兵士たちが待機していて、万が一に備えている。
翌朝。
彼らは墓標のあった場所に戻った。
逃げ去ったときと同じ状態で、墓は荒れていない。
違うのは、斜面の下にチョビ髭隊長の死体があったこと。
両手で喉を掻きむしった姿で横たわっていた。
「これは窒息死だな。毒蜂の神経毒が原因だ」
シンは、再び泥人形を錬成する。
生前の隊長は、考えなしの愚か者であったが、いまさら罵倒する気はない。泥の魔導人形に命じて、遺骸を墓穴へと移動させた。
次に、散らばっていた遺骨を穴底に並べ、上から土をかぶせて埋葬。墓石代わりの石を設置する。最後に冥福を祈って終わりだ。
「皆に問いたい。今回の仕事は完了したと思う。どうであろうか?」
冒険者も兵士たちも、その言葉に同意した。
彼らとしても、危険な【邪神領域】から離れたい。
誰もが、これ以上するべきことはないと判断している。犠牲者がひとり出てしまったが、それは本人の責任だ。非難されるいわれはない。
全員の意見が一致して、砦街へと戻ることになった。
シンは、来たときと同様に騎竜で移動する。
「あれは報奨準備金だったのか。どおりで金貨や銀貨がたくさんだったワケだ」
実をいうと、彼はお金を拾っていた。
五十人以上の遺体を集めたときに、大量の硬貨を見つけたのだ。もちろん、このことは黙っているつもり。
なぜなら正当な報酬だから。
散乱する遺骨を苦労して回収し、ぜんぶ埋葬した。
さらに遺族に報せているし、寄付金まで渡している。遺骸を放置したままでも問題なかったのだけれど、見捨てるのは忍びなかった。
だから、手間をかけて供養もしている。
これら諸作業に対しての見返りがあって良かろうさ。
元の持ち主から、丁寧な態度で返してほしいとお願いされたなら、対応も違ったであろう。しかし、チョビ髭隊長をみる限り、そんな礼儀正しい申し入れは期待できない。
ならば、口を閉じていよう。
「ふむ、やはりお金は有意義に使うべきだな。街に戻って、おいしい料理を堪能しようか」
■現在のシンの基本状態
HP:172/172
MP:183/183
LP:74/90
活動限界まで、あと七十四日。