1-02.竜巻と巨大な影
「ガツガツ……」
シンは夢中で食物を貪り喰っていた。
ただし、未調理のもの。
保存用の乾燥野菜をそのまま口に入れる。腹が減り過ぎていたため、水に漬けて戻す手間を省いたのだ。
「おっ! 干し肉、みっけ~。あ、あかん。硬すぎる」
ガブリと齧ったけれど、噛むなんて無理。
乾燥した肉片は、石のようにガチガチで歯がたたない。さすがに、コレを生のままで食すのは不可能だ。
「う~ん、スープにできればなぁ。見たかぎり、お湯を沸かす手段がない。水に浸して、硬肉を柔らかくするくらいしか、思いつかん。
正直いって、不味いけれど、味に配慮するなんて余裕はなかろう。まあ、食べられるだけで充分だ」
とにかく、食物を口に投げいれる。
モグモグと咀嚼し、飲みくだした。ひたすらに単純作業を繰り返すだけ。
食事というには、あまりにもお粗末すぎた。それでも、活力が戻ってくるのだから、身体とは不思議なものである。
彼がいる場所は食料貯蔵庫。
大きな棚が並び、たくさんの木箱が置いてある。箱には乾燥加工した野菜、肉塊、干物などが収まっていた。室内の隅には穀物が入った袋が山のように積んである。
ここを発見するまでが大変だった。
数多くの部屋を探しまくったのだ。
扉があれば、遠慮なく開いて内部を物色。格納棚の物品をぶちまけ、引出しを掻き回す。
おなじ作業を延々と繰り返して、広い施設内をフラフラと徘徊する。
「いや~、空腹感が強すぎると、判断力が鈍るって本当だな。
知識として知っていたけれど。まさか自分が経験するとは、想像だにしなかった。もう、二度としたくない」
ギリギリな状態だった。
意識が朦朧としたままで、己が何をしているのか理解できない。極度の空腹状況は、ある種のデバフと同じだとおもう。
調理室を見つけたのは、偶然だった。
めまいがして寄りかかった先が入口。
倒れ込むように部屋にはいると、煮炊き用の竈が、目にはいる。他には、食材を加工する作業台。壁や収納棚には包丁やらお玉やらの調理器具など。
近くに食糧貯蔵庫があると直感した。
ギュルギュルと鳴くお腹を押さえつつ、なけなしの体力を振り絞って周辺を探しまわる。バタバタと四つん這いになりながらも、やっとの思いで貯蔵室の扉を発見。
もう、涙がでてくるほど歓喜したね。
貯蔵スペースに入ったときに変な感覚があった。
例えるなら、高速鉄道がトンネルに突入した際に耳の奥がキーンとするのに似ている。磁場というか、何らかの力場を通り抜けた感じ。
ちなみに違和感の原因は魔法。
後日、判明したのだけれども、部屋全体に【鮮度維持】の魔導がかかっていた。冷凍や冷蔵の技術を使わずに、長期保存できるなんて、不思議すぎる。
なお、食料貯蔵庫を見つけた時点では、魔導系知識は持っていなかった。妙な雰囲気だなと思っただけである。
翌日、施設内の探検を開始した。
現状を把握するため、手掛かりを求めて活動する。
「問題は、自分の記憶が曖昧すぎることか。
ここがどこなのかも知らない。身体が子供サイズに変化している理由も不明。しかも、施設自体が半壊して機能停止状態だ。
おまけに、人間が見当たらない。唯一の例外は、ミイラ化した遺骸なんて酷すぎる。もう、謎だらけだ。なんでも良いから、ヒントをみつけないとなぁ」
食糧貯蔵庫を中心にして探査範囲をひろげてゆく。
かなり広い施設であった。数えきれないほど部屋があるし、ひとつひとつがやたらと大きい。
ただ、どの空間にも窓がなかった。
たぶん、施設全体が地下にあるのだろう。あるいは、外部と直接接触をさせない閉鎖構造かも
「ふむ、まるで巨大地震の跡みたいだ。それとも爆撃で被害を被ったのか」
どこもかしこも荒れていた。
壁には亀裂があるし、ところどころ天井が崩れている。用途不明な機器類が倒れ、床にはいろいろなものが散乱したままだ。
歩き回っているうちに開けた場所に行き着く。
そこは、バカでかい吹き抜け構造。
見上げても、下方向を見ても先が暗くてよく分からなかった。キョロキョロと見渡していると壁側に階段があるのを発見する。
「どうしようかな。上に登るか、下に降りるか……。う~ん、ここは地下ぽいし、地上を目指してみるか」
とりあえず昇ってみた。ただ、彼には体力がない。
太陽を拝めるまで、相当に時間がかかりそう。
えっちらおっちらと足を動かし、何度も休憩をとった。
途中にある別階は素通りだ。余裕はたっぷりある。各階の領域は後で調べれば良かろう。
「ハァハァ。やっと到着したぞ。まさか、一時間以上もかかるとは思わなかった。俺、スタミナなさすぎ」
最上階は円形状の空間。
とても大きくて、コンサートができるくらいの面積がある。
東西南北に開閉扉があるだけで調度品の類は皆無だ。
扉をくぐり抜けた先は、展望台であった。
高さは岩山の中腹あたり。
造りは、砦や防塞に設置する武骨で頑丈なもの。けっして観光地にある小奇麗なものではない。見張り台と表現したほうが正確だとおもう。
「なんじゃ、こりゃ~」
原生林が、ずっと広がるばかり。
地平線の果てまで続くのは生い茂げる植物だけだ。
濃淡はあるけれど大地の基本色は緑のみ。ここと同じ山も、ちらほらとあるが、草木が岩肌に張り付いていた。
空模様は曇天で天気は悪くなりそうな感じ。
雨が降る直前の独特な匂いもする。
鉛のような濃い灰色の雲が分厚く空をおおっていた。
風は生暖かくて湿っており、ビュウビュウと吹きつけてくる。
どす黒い雲が渦を巻いているのを見つけた。
ソレは、周囲の雨雲を引き込むように勢力を広げてゆく。外縁部の流れは緩慢だけれど、中心部に近づくにつれて回転は早くなっている。
「おっ、あれは竜巻になるかな」
やがて渦巻の中心から漏斗状の黒雲が伸びてきた。
動きはクネクネと不規則で、まるで獲物を狙う蛇みたい。空の大蛇がジワジワと降りてきて、ついに地上に接触する。
「な、なんか知らんけど、むっちゃヤバそう」
螺旋黒雲は途轍もない特大サイズ。
ざっとした目測で直径千メートル以上はあるだろうか。
今この瞬間も成長しているのが不気味すぎる。
時間がたつにつれてさらに巨大化してゆくのが怖い。
暴風の破壊力は、凄まじいものであった。
大きな樹木を、簡単に舞いあげてゆくのだ。
樹々は大地にしっかりと根を張っていたはずなのに、嵐風は巨木を容赦なく地面から引っこ抜いてゆく。
「竜巻の位置が遠くでよかった。あんなものに巻き込まれたら、確実に死んでしまうぞ」
巨大撹拌機に投げ入れられたのと同じだ。
人間なんてミンチ肉に加工されてしまう。あるいは、空高くあげられて墜落して死亡するか。どちらにしても死亡確定である。
運の良いことに、シンのいる場所は巨大旋風の進路から外れていた。
非現実的で夢をみているかのよう。
刺激が強烈なせいで、脳がパンクしているのだ。
間抜けなことに、口をポカンと開けて、呆然と眺めるだけ。
強い風に煽られて身体が傾くけれど、視線は特大トルネードにくぎ付けのまま。なぜか、目が離せなくなってしまった。
フッと気づけば、巨大な影が視える。
ソレは渦巻く黒雲に重なっていた。
ずっと見ていたはずなのに。
どうして認識できなかったのか不思議だ。
「な、なんだ? 幻覚をみているのか、精神に変調をきたしているのか……」
巨大影は人の形をしていた。
ただし、かなり歪な造型。
全体的に細長くてヒョロリと痩せ型である。
手足や頭部といった各パーツのバランスが悪い。
細い腕は異様なほどに長く指先が膝の辺りに届くくらいだ。
身の丈は非常に高い。
ソイツの頭頂部は竜巻の天辺に達しているので、身長は千メートル以上あろうか。訳のわからない幻影が、ゆっくりとした動作で歩いている。
アレは、物理的な実体では“ない”。
そう判断した理由は人影の向こう側が透けて見えるから。
付け足すなら、舞いあがる樹々や瓦礫は特大影法師にぶつからず、すり抜けている。しかし、夢や幻ではなかった。
断じて違う。人型の影は強烈な存在感があるのだから。
「巨神……、荒ぶる嵐の化身だ」
思わず呟いてしまった。
その台詞に自分自身で驚いてしまう。
何も考えず感じたままに口から出た単語が、ソイツを言表わすのにピッタリであったためだ。
まさに【巨神】。
渦巻く暴風の中心にいながらも、影響されない上位階梯者だ。
人知を超えた超自然的なモノを表現するのに、相応しい【言霊】であった。
そう、【言霊】。
この概念は、言葉には魂が宿り不可思議な力がこもると云うもの。縁起良き物言いをすれば、よいことが起こる。逆に不吉な言辞なら不幸を招く。
故に、大和の国では古くから”言の葉”を大切にしてきた。
「おいおい、あのヤバイ奴に見つかったのか?」
超常的存在の関心を惹いてしまった。
シンの呟きは小さくて遠くに届くほどの声量ではないはず。
にもかかわらず、相手に伝わった。
事実、ソイツの頭部がこちら側に向いている。
その動作は何気に首を回したという程度。
しかし、確実に巨大な影の視線が、彼に突き刺さる。
―――【巨神】と目が合ってしまった!
そう感じた途端、身体はガクガクと震える。
心臓が激しく鼓動し、頭から血の気が引いて顔が真っ青になった。
全身の毛穴が開いて冷たい汗が止め処もなく流れ落ちてゆく。
手足が動かない。
逃げたいけれど、筋肉が硬直して反応しなかった。
眼を閉じることすら不可能。
身が竦んで、転倒するどころか、気絶さえ許されないのだ。
―――周波数が合致したみたい。
場違いな物を連想してしまった。
それは、実家にあった古ぼけたアナログ式ラジオ。
いつも故障気味でうまく電波をキャッチできない。
スイッチをいれてもスピーカーからは雑音ばかりが聞こえていた。ポンコツでも、調子が良いときもある。なにかの拍子に波長が合うと、驚くほどにクリアな音楽を聴かせてくれるのだ。
今の状況は骨董品ラジオと同じ。
巨神と思念波が同調しているのだ。
この考えは絶対に正しい。奇妙なほどの確信が沸きあがった。
なぜか判ってしまう。なんら根拠はない。
馬鹿げているけれど、間違いなく正解している。
でも、そんな確信に意味はない。
逃げられないのだから。
身体は硬直したまま。
動く気にすらなれない。
隠れることもできず、嵐の化身と相対するだけである。
いったい、自分はどうなってしまう?