07-15.神格の違い
シンとルナがいるのは、村落外縁部の一軒家。
家屋には住人がいなかったので、勝手に使用させてもらっている。質素ながらも、こざっぱりしていて心地よい部屋だ。
そんな室内に男女三名がはいってきた。
相手は、【清め司】からの遣いだという。
真ん中の壮年男性が代表者として進み出て一礼をした。
「お初にお目にかかります。【言祝ぎ】様、【禍祓い】様。事前に、挨拶は不要とのことでしたので、すぐに用件にはいらせていただきます。
詳しくは、我が主から直にお伝えいたします」
通信用宝珠を、使者がテーブルの上に置いた。
一見すると、ただの丸い水晶玉だが、遠隔地間の会話を可能にする魔道具の一種だ。男が起動詠唱すると、宝珠が機能する。
老女の姿が空中に投影された。
「先刻ぶりじゃな。移動中のところ、追いかける真似をして申し訳ない」
「いえ、貴女様のご要望とあらば、いつでも構いません。ただ、私たちは本拠地に戻る途中です。お話はお伺いしますが、できれば手短にしていただきたく」
【営業スマイル】で、シンは愛想よく応える。
過去世で培ったビジネスマンの必須スキルだ。
表面上は温和で真摯な態度を維持しているが、セリフ内容は“忙しいのに邪魔するな”という意味を込めておいた。
ルナは無言のまま軽く一礼しただけ。
【清め司】との会談について、事前に彼に一任すると告げている。彼女は面倒な交渉事は不向きだし、気が乗らないから丸投げしたのだ。
実際、相手は老獪な人物である。
こちら側の意図をちゃんと把握したうえで、ニコニコと笑ったまま。ほんとうに面の皮が厚い。駆け引きの技術に関しては、老女のほうが何枚も上手だ。
「なに、ちぃっと頼みごとがあっての。【豊穣の迷宮】絡みのことでなぁ……」
「ほう、まさか、都で暴れまわる魔物どもの退治に協力せよと? グリアント王国の魔導貴族は優秀な者が多いと聞き及んでいます。たかが、【忌蟲】に取り憑かれた元・人間ごとき、いかようにでも処分できるでしょうに」
シンは王都の現状を指摘する。
実際、王国所属の魔導師たちが、魔物駆除をおこなっている真っ最中。すでに多数の市民が犠牲になってしまったけれど、巻き返しは充分に可能だ。
時間はかかっても、いずれは都市内の化物どもを駆逐するはず。
そう判断できる理由。
王都上空にはツクモ族の鷹タイプがいて、高高度からのライブ映像を伝送してくれているからだ。もっとも、それは副次的な役割でしかない。
本当の目的は、【豊穣の迷宮】の跡地を監視すること。
つまり、【奈落】で危険な兆候があれば、即座に警報を発することになっている。いま、アレは小康状態だが油断はできない。
「王国軍も出動して市民保護に乗りだしていますよね。貴国の軍隊は大陸でも有数の精鋭ぞろいだ。初動こそ遅れたとはいえ、王都防衛戦の勝利は確実でしょう」
シンは意図的に話題を逸らした。
自分から【奈落】について触れるつもりはない。
老女から問われれば返答もするが、あんな物騒なモノに関わる気なんてまっぴら御免だ。
【清め司】は、首都攻防戦については問題ないと頷いた。
実は別の用件があって使者を遣わしたのだと説明する。
「実は、【国祖神】様から神託があっての。【豊穣の迷宮】が変容した結果、重大な危機が訪れたと。で、ワシは配下の者を偵察に行かせた」
老女は、迷宮跡地の異様な光景を見たと説明した。
間接的な動画情報だけで、あの黒い空間が猛烈に危険だと分かる。いや、本能的に理解させられたと、彼女はため息をついた。
「で、アレはなにじゃ? お主らは、ダンジョンで発生した異常現象を認識した途端、王都から慌てて脱出した。正体を知っているからの迅速な行動であろう。のう、教えてはくれまいか」
「貴重な情報を無料で提供せよと? ふん、まあ、良いでしょう。事態は切迫していることですし、関わるつもりもないですからね。置き土産代わりにお話ししましょう。
私は、【奈落】と呼称している。歴史書を探せば、どこかに正式名称が記載しているのでしょうがね」
ざっくりと概要説明をする。
アレと同じモノが【邪神領域】の奥深くにあること。
ただし、残りカスだ。活動停止して数百年間は経過しており、危険度は低い。
なお、ツクモ族のことは伝えない。
シンを支えてくれる者たちを守るためである。
彼らは全員が優秀な魔導師で、総数で三千名を超える。大陸国家間の軍事的バランスを崩せるほどの、強力な集団だ。
各国の指導者たちが、事実を知れば、連中はどう動くか予測できない。
引き抜きや勧誘ならば理解できるが、トチ狂った馬鹿者が戦いをしかけてくる可能性だってある。だから、彼らの存在を秘匿する必要があった。
「私はひとつの仮説をたてています。【奈落】が、古代魔導帝国を滅亡させた元凶だと。数々の状況証拠を並べると、そんな結論になってしまう」
「ふむ、アレが古の帝国を滅ぼしたと言うのか。
拝聴に値する話やもしれんのう。長い間、彼の覇権国家が消滅した原因は謎とされてきた。学者や歴史家などが自説を出しているが、どれも決定的なものではない。
まっこと、興味深い。じゃが、いまは歴史談義する余裕がないのは残念よの」
【清め司】は歴史学に造詣が深い。
神職という職業柄、古代からの伝承や遺物に触れる機会が多いためだ。
また、彼女は国王の親族である。一般人では閲覧不可能な古文書や研究書籍などを、自由に読める立場だ。歴史の裏事情などにも精通しているのだろう。
「お主の仮説が正しいかは分らん。だが、【奈落】が危険なのは理解できた。少なくとも、【言祝ぎ】殿と【禍祓い】殿が、血相を変えて脱出するほどじゃな。それほどまでに破滅的な厄災が迫っているのか?」
「ええ、おっしゃる通りです。その破壊力や被害範囲の予測すら不可能だ。我々ができることといえば、一目散に逃げるくらい。よけいなお節介ですが、貴女も王都を離れたほうが良い」
「おふたりの好意はありがたいが、そうもいかんよ。これでもワシは王国貴族の端くれでな。身分相応の義務を果たさねばならん」
高貴なる者の務め(ノブレス・オブリージュ)だ。
前世地球でも同じ概念、あるいは社会的規範があった。
つまり、貴族や富貴者などの身分高位者は、権力や財力に応じた責任を負う。社会に対して奉仕せねばならない。
この異世界の魔導貴族も同じ道徳観を持つ。
というか、もっと切羽詰まった事情があった。
凶悪な魔物から一般市民を守るために、魔導師は戦わねばならないのだ。魔法という、摩訶不思議な“力”を得た人間は、否応なくモンスターとの戦闘に強制徴集される。
本人の意思は関係ない。人類生存のため、生活圏を維持拡大するため、最前線に立つからこそ、貴族としての特権を有する。
ゆえに、【清め司】は残らねばならない。
王国民を守護するために、最後まで抗い続ける義務を負う。国家の命運を左右する重大な局面で、敵前逃亡するのは許されないのだ。
老女はピンと背筋をのばす。
「先刻も言うたが、【国祖神】からの神託を受けた。
此度の厄災を回避するには、【言祝ぎ】殿、【禍祓い】殿のお力が必要じゃ。
どうか、グリアント王国を助けてはくれまいか?
当然、充分な褒美も用意する。金でも地位でも、ふたりが望むものは可能なかぎり提供しよう」
「残念ですが、お断りします。報酬内容の問題ではなく、この件に関わる気はありませんよ。今回の混乱発生は、貴族間の派閥抗争がきっかけだ。国内の紛争は、自分たちで解決すべきでしょう。
私たちは貴国の国民ではありません。部外者の人間を巻き込むなんて、とんでもなく迷惑な話です」
「助力要請は【国祖神】からのものじゃぞ。つまり、上位階梯者の御依頼を拒否すると?」
「ええ、そのとおりです。だが、貴女が受けたのは【神託】だ。我々は、直接的に【神告】を承ったワケではありませんよ」
【神託】と【神告】では大違いだ。
文字にすれば一字違いだけれど、まったく意味合いが異なる。
【神託】には強制力はない。
あくまで超常的存在から言葉を託されるだけ。内容はアドバイスだとか注意喚起など。
いっぽう、【神告】には強い圧力がある。
神々からの依頼について、【神の指先】は断りにくい。
まあ、形式的には受託契約だし、働きに見合う報酬もあるので、旨味のある取引だ。しかしながら、拒絶すると後が怖いし、相当の覚悟を要する。
結局、面倒な仕事でも受託するしかないのだ。
繰り返すが、彼とルナは【神託】を受けていない。
この件について不干渉とし、王都から離れても大丈夫ということだ。
「もうひとつ指摘すべき点があります。
なぜ、【神託】だったのか? 【国祖神】の目的は、グリアント王国を救うこと。滅亡を回避するためには、我らに【神告】を発して当然なのに、しなかった。
いや、“できなかった”と私は思うのですよ」
国祖神クローヴィス。
建国の父で、初代国王として君臨し、死後に神の座に加わった。
ほんとうに凄いことだ。人間から上位階梯者に至るなんて滅多にあることではない。生前から人格者として有名であったし、数々の偉業を成し遂げた。
神々が、彼の功績と価値を認めて昇神させるのも、納得できる。
だが、しょせんは新参者でしかない。
はるか太古の昔からいる超常的存在からみれば、青二才もいいところ。言い換えるなら“格”が違う。
たとえば【嵐の巨神】。この異世界で、シンが初めて遭遇した神様だ。全長で千メートルを越える巨体は、常に大嵐をまといながら、地上の岩石を吹き飛ばし、樹々をなぎ倒す。
あるいは【太陽神】。お日様に重なってみえる御姿には、自然と頭が垂れてしまうほどに強烈な存在感がある。
他には【大亀仙霊】。その怒りは、港湾都市と周辺平野部を海の底に沈めることも可能。
強大な自然神と比較すれば、元・人間の新米神なんて、ちっぽけな存在でしかない。
「【国祖神】は遠慮せざるを得なかったと、私は推測します。理由は、迷宮を創造した上位階梯者のほうが格上だから。【神託】を伝えるのが精いっぱいだったのでしょう」
【清め司】は無言のまま顔をしかめた。
なんの反論もしないのは、シンと同じ結論を出したからだろう。
彼女は、神様と接触する機会も多く、経験も豊富だ。神界の事情だって、彼以上に良く知っているはず。もしかすると、公にできない裏事情を把握しているかも。
「神の考えることなんぞ、我ら人類には理解はできん。
人間ができるのは前進することだけ。たとえ、道行く先が濃霧に覆われて見通せなくとも、歩みを止めることはしない。
それこそが、人の人たる所以ではあるまいか?」
「ええ、その意見には同意します。
しかしながら、なにごとにも限度というものがある。
貴女は神々の戦いを見たことがありますか? 私は現場にいて目撃……、いや、体験したと表現すべきかな。とにかく、すさまじいものでした」
思い浮かべたのは、ティメイオ火山付近での出来事。
天災の元凶は三体の龍であった。
権能は強大なもので、大地のあらゆるモノに干渉できる。ヤツらは、地底奥深くのマグマ溜りに高圧力をかけたのだ。
結果、火山が噴火。
何トンもある巨大な噴石が噴出し、その落下衝撃で無数のクレーターができてしまう。粒子の細かな火山灰は、空を覆いつくして太陽光を遮り、疑似的な夜を生じさせた。山頂付近で崩れた大量の土砂は、火砕流となって行く手にあるもの全てを、なぎ倒してゆく。火口から流れ出る溶岩は、触れるものを焼き尽くした。
まさに天変地異。
それ以外に、表現する言葉が思いつかないくらいだ。
謎神が、そんな荒ぶる龍を叩き潰す。
シンの身体を依り代にして、別天津神が、現世に顕現したのだ。
由来不明の神は、龍三匹をまとめて完全制圧。
戦いになるどころか、相手に一切の抵抗すら許さない。完全に一方的な“お仕置き”で終始したくらいに、強烈なパワーを有していた。
謎神は、圧倒的上位の階梯に位置する。
天災級の惨禍をもたらした龍三体でさえ、ビビッて平伏するしかなかった。
「我々からすれば、神様は、みんな圧倒的存在だ。どれも“途轍もなく凄い”としか表現のしようがない。しかしながら、上位階梯者にも神格に差がある。
繰り返しになるが、【国祖神】は、迷宮創造神に遠慮せざるを得なかった」
「お主はなにが言いたい?」
「当然、【奈落】もダンジョン創造者の仕込みだ。
【国祖神】ですら手控える代物を、人間が排除する? 冗談じゃない。迂闊に近づけば、確実に命を落としてしまう。
残念ですが、貴女の要望に応えることはできない」
「なるほど、それが【言祝ぎ】殿の返答か。
【禍祓い】殿のお考えも同じであろうか?」
「ええ、【清め司】様。その通りですわ。
先刻、シンが説明したとおり、アレは、大陸覇権国家である古代魔導帝国をも滅亡させました。事態は、個々人がどうこうできるレベルを越えています」
ルナは、現状を的確に指摘した。
厄災を回避するなんて不可能だ。
例えるなら、人間が大地震を止めようと足掻くのに似ている。
絶対に無理だ。何十何百年もの間、地中奥深くで地殻の歪みエネルギーを溜め込んだ末に発生するのが、地震である。大地を揺らすほどの膨大なエネルギーを、穏便に消滅させる方法なんて“ない“。
できることといえば、安全な場所に避難するくらいだ。もっとも、どこに逃げれば良いのかは皆目見当もつかないけれども。
【清め司】は、ふたりをギロリにらむ。
魔道具による投影映像なのに、彼女が放つ異様な雰囲気が伝わってきた。普段は、温和で接する人を包みこむ暖かさがある。
だが、いまは冷たくおどろおどろしい。
「怨むぞ」
老女の言葉は意外なもの。
ただし、得体のしれない狂気を含んでいた。
■現在のシンの基本状態
HP:516/516
MP:745/745
LP:223/252
※補足事項: 制御核に欠損あり