1-14.刺激的なサバイバル生活(前編)
コポッ。
シンは水中の中で目覚める。
ここは培養カプセルのなか。
つい今しがた、身体の再生処理が完了したばかりだ。
肺いっぱいに満たしていた特殊溶液を、咳とともに吐き出す。水中呼吸から空気呼吸への切り替えには、ちょっとしたコツがあったりする。
かなり苦しいが、最初のときから比べればずいぶんと慣れてきた。
「ゲホッ、ゲホッ。【状態管理】」
いつもの魔法を発動させる。
<基本状態>
HP:18/18
MP:25/25(更新24→25)
LP:23/23
「うん、計画通りの数値だ。とはいえ、遅々として進まないなぁ」
身体再生の目的は、基礎能力の強化。
具体的には、【HP】と【MP】の上限値を引き上げることだ。
以前は、【LP】を優先していた。
寿命を少しでも伸ばそうとするのは当然のこと。
実際、覚醒した際のライフ・ポイントは酷いもの。最初期の値はわずかに“14”。つまり、生存期間は十四日間のみと、絶望的に短い。
原因は、錬成中の事故だ。
身体の構成作業中に、培養カプセルや支援機構の一部が機能停止した。その悪影響を受けて、各項目の数値は、計画を大きく下回ることになる。
そんな経緯もあって、彼は覚醒以降、【LP】を底上げすべく努力していた。
ところが、この方針を変更することになる。
「最優先は、生き残ることだからね」
とにかく、スペックが低すぎた。
【LP】も大切だが、項目の向上も必要になのだ。人外魔境の大森林で、生存競争に勝つには【HP】や【MP】の強化が不可欠である。
ちなみに、“遅々として”の意味。
それは、再生処理に制限条件があること。
技術的な問題で、同時に三項目(HP,MP、LP)の改造は不可能なのだ。しかも、数値底上げは最小単位で、という“縛り”までつく。
身体再生の処置は、身体への負担が大きいので、不意の事故を避けるためだ。
「結局、“小さなことからコツコツと”。さすが師匠、異世界でも通用とは」
漫才界の大御所の言葉だ。
元はギャグだったらしいけれど、いつの間にやら格言にまで昇華した。まことに含蓄のある名言だとおもう。
早朝。
シンは、パンパンと柏手をうつ。
太陽にむかって、深々と一礼した。
これは毎朝の日課。というか、一日を始めるにあたっての習慣だ。
「おはようございます。今日も、よろしくお願いします」
彼には【太陽神】が視えていた。
神々しい御姿が、地平線から昇るお日様に重なっている。強烈な存在感があって、自然と頭が垂れてしまうほど。
なお、【太陽神】の名称は、勝手に名づけているだけ。
本当にそうなのかは判らない。理解できるのは、相手は人類よりもはるかに上位の存在だということ。
はじめの頃、恐れを感じていた。
地に伏して真摯に敬意を示さすほどだ。
天罰が下るとか、災いが降りかかるのではと怯えてしまった。
「人間って、慣れるもんだよぁ」
毎日、その姿が視えてしまうのだ。
畏れ多いけれど、まったくの無害だ。
なにか危険があるだとか、攻撃をしかけてくる訳でもない。ただ、“東から昇って西へ沈む”を繰り返すだけ。
危害や厄災は皆無だと分れば安心もする。不要な心配は吹き飛んでしまった。
今では、親近感さえもっている。
毎朝、必ず、お天道さまに“おはようございます”と挨拶していた。気分的には、近くの神社にお参りするとか、道端のお地蔵様に手を合わせるようなもの。
完全に習慣化している。
「前世が、日本人だったことが影響しているんだろうな」
彼の宗教観は、非常におおらかだ。
曖昧でフンワリした感性と言い換えてもよかろう。
神道では、太陽や山岳、炎、知恵などあらゆるモノに八百万の神々が宿るとされていた。学問的に分類するなら、精霊信仰、あるいは自然崇拝にあたる。
そこには、堅苦しく型にはまった教条なんて“ない”。
こんな感覚が残っていたから、【太陽神】に朝のあいさつをするようになった。まあ、実に“いい加減な”日本人だとおもう。
この土地では様々な神さまがいる。
例えば【嵐の巨神】。
強烈な竜巻とともに姿を現した全長千メートル以上の巨大な存在だ。
【山爺】と名づけたもの。
山脈の天辺にどっしりと腰かけるご老人。
空には【ジェット気龍(流)】。
高々度の上空を移動している何匹もの龍たち。対流圏上層にある高速気流の化身ではないかと、彼は推測している。
他にも【大河蛇】や【雲姫御前】など不思議な幻影が多数。
「最初のころは、自分の正気を疑ったけれど……。確実に“いる”のだから、信じるしかないよなぁ」
あるはずの無いものを幻視している。
己は、狂っているかもしれないと思って当然だ。
いまは、超常的存在を知っている。
なぜなら、上位階梯者と直に出会ってしまったからだ。
それは、人外魔境の大森林を歩きまわっていた時のこと。
いつものように食糧採取をおこなっていた。
木の実や果物、キノコなどを見つけては、籠の中に放り込んでゆく。
「この辺りも、ずいぶんと安全になってきた」
危険な魔物や野獣が減ったからだ。
セッセと設置した錬金罠の効果が大きい。
たとえば、【緑色小鬼】。知能が低いが、何度も痛い目にあえば、さすがに学習もする。ヤツらは、嫌気がさして縄張りを他の場所へと移動した。
今では、ときおり迷って侵入してくる程度。
それとて、大概は罠に掛かって退散するか、あの世行きになってしまう。
「おまけに、頼もしい護衛もいるしね」
岩石兵士たちだ。
修理を施したゲンブを含めて合計四体が、周辺警戒をしてくれる。
モンスターとの戦いも、随分と様変わりした。
頑丈なゴーレムは前衛の壁役。シンは後衛として、魔法攻撃役を担当する。この役割分担はピタリと嵌った。施設周辺との限定条件がつくけれど、魔物との戦闘では、危険もなく勝利を得ている。
索敵能力も向上した。
事前に敵を察知できており、不意討ちを受けるようなヘマはしない。以前使っていた探索魔法には欠点があったので、その反省をもとに、探知方法を徹底的に見直したのだ。
「開発して良かったぞ、【複合探知】! 苦労した甲斐があったというもんだ」
単機能の魔法群を強引に一つにまとめた。
いちおうだけれど、一括制御できるように調整も施している。
具体的には、【集音】【熱源探査】【精神体識別】【音波反響】【振動感知】などを組み合わせた。なお、運用は常時発動と適時発動を交互に繰り返している。全機能をフル使用していたら魔力がもたないためだ。
【複合探知】は完璧だと自負していた。
実際、敵発見の実績数は連続更新中である。
擬態上手な昆虫系魔物、隠密性に優れた肉食魔獣、非生物系の泥人形など、いずれも事前に補足できた。
その自信は、超常的存在に打ち破られてしまう。
前兆はまったくなかった。
いきなり周辺の空気が変化したのだ。
雰囲気が物理的に凝固したかのよう。
例えるなら、一瞬にして空間がガラス化して、すべてを閉じ込めてしまった感じだ。しかし、万全だと信頼していた【複合探知】は無反応なまま。
「え、えっ、なに?! 」
周囲を確かめようとしたが、身体が動かない。
強烈な神威に晒されて、全身の神経が麻痺したのだ。
皮膚の表面がフツフツと粟立ってくる。
息がとまって、酸素が思うように肺に入ってこない。
ナニかがやって来た。
大型の牡鹿に似ており、全高は三メートルほど。
頭部には、大きくて立派な角が左右に広がっていた。
ただし、ソレは絶対に生き物では“ない”。
「あれは幻影? いや……」
姿形は半透明で、向こう側の背景が透けている。
真っ直ぐ歩いてくるのだが、途中にある樹々を透過しており、まったくぶつかっていない。
【嵐の巨神】と同類だ。
姿こそ鹿みたいだが、あきらかに生物の範疇に納まるモノではなかった。【昏森の精霊】とでも表現すべき超自然的な存在である。
シンは片膝をつき、頭を垂らす。
自然とそういう姿勢になってしまった。
無意識のうちに、身体が敬意を示すのに相応しい態度をとったのだ。
内心ではいろんな感情が入り乱れている。
尊敬。
畏怖。
恐慌。
もう、自分でも訳が判らない。
いっぽうで、彼には冷静に思考している部分もある。
「気を強く持て。でないと失神する」
以前、【嵐の巨神】に意識を持っていかれた経験がある。
しかも、単に視線が合っただけで。
幸い、距離がかなり離れていたので、気絶しただけの“軽い被害”で済んだ。
しかし、今回は違う。すぐ近くにいるのだ。
謎の存在が、何をするかは予測不可能。
通り過ぎるだけかもしれない。
逆に、害意があるなら最悪だ。
いま、とんでもない状態に陥っている……。
【昏森の精霊】がゆっくりとやって来る。
こちらは、敬意を示すために頭を下げており、見えるのは地面だけ。圧迫感が増してくるので、ナニかが接近してきたのがわかる。
ドクン。ドクン。
自身の鼓動音が響く。
―――頼むから静かにしてくれ!
相手の気を惹きたくない。
我ながら無茶な言い分だ。
己の心臓に対して、『死にたくないから止まれ』なんて、支離滅裂すぎた。ただし、本気でそう祈っている。
それほどビビッているのだ。
下手に刺激したくない。早く通り過ぎてくれと願うだけ。
しかし、その望みは脆くも崩れてしまう。
【昏森の精霊】が顔を寄せてきた。
鼻先を近づけて、彼の身体を嗅ぐように鼻孔をピクピクとさせる。
自分のなにが、”神さま”の関心を引いたかは謎だ。
いや、それ以前に、思考形態は人間とは完全に別ものであろう。
むこうは、人類とは隔絶した上位階梯者である。
理解しようとすることが、烏滸がましい。
「……、」
シンは恐れ慄くばかりだ。
顔をあげて、超常的存在の様子を確認したいが、そんなことは無理。体はピクリともしない。
できることは、ただ身を縮込めて、相手が過ぎ去るのを乞い願うしかなかった。
しばらくして【昏森の精霊】が離れてゆく。
のそりのそりと動く脚は、わずかに宙に浮いていた。
地面とは接触していないのだ。
なのに、歩いて移動するなんて、摩訶不思議な在り方をしている。
彼は、だらしなく地べたに座りこんだ。
「た、助かった~ 」