6-22.迷宮攻略(後編)
最下層から報せがやってきた。
【海神の代理指揮権】発動から三時間後のことだ。
連絡をもってきたのは人魚。
彼女たちは士官級で、今回召喚された海の眷属たちを指揮する。
なお、意思疎通は【念話】によるもの。人間みたいに音声で会話しないのだ。
伝えてきた内容。
迷宮最深部に到達し、最終守護者を斃したというもの。
ただし、少々歯切れが悪い。
というか戸惑いの感情が含まれていた。精神感応伝達のためか、微妙なニュアンスまで届いてしまう。
シンは、傍らで寛いでいたルナに問いかける。
「なんだか奥歯に物を挟んだような感じがしないかい?
喜ばしい報告のはずなのに、少々奇妙だ。あとは【迷宮核】を奪うか破壊すれば良かろうに」
「なにかトラブルでも発生したのかしらね。わたしが受けた印象だけれど、困惑している雰囲気だわ。あるいは、判断に迷っている、といったところかしら」
「う~ん、ここで待っていても埒が明かない。
いっそのこと、我々が直接、現場に行ってみよう」
彼はダンジョン最下層への移動を決定した。
同行するのはルナと護衛役三名。ほかに海の眷属たちも一緒についてゆく予定だ。迷宮所属の魔物は既に撃退済みだし、道中は安全であろう。
残りのツクモ族たちは第二十階層で待機。
理由は、【インペリウム】の大魔法陣を維持させるため。未だ、迷宮攻略が完了したワケではない。
最終的な決着がつくまで、攻撃態勢を保ち続ける必要があった。
移動方法はイルカだ。
といっても、乗るのではなくて、背びれに手をかけて運んでもらう。
つまり、シンたちも疑似的に宙を泳ぐことになる。
こんな芸当ができるいっぽうで、普通に呼吸が可能なのが不思議だ。上位階梯者の権能による環境操作は便利というか、理不尽と表現するべきか。
「おっ、魔物がリポップしたな」
迷宮特有の現象だ。
外敵に斃されたバケモノが再び出現する。
通常であれば、所定階層に配置されて、侵入者撃退の役目につくのだが……。
出現直後、大鬼は溺れてしまった。
原因は、白霧によって迷宮内が疑似的海中に変質したため。
呼吸ができない化物は、完全にパニック状態だ。懸命に息を吸おうと藻掻くくのだけれど、そこには酸素は“ない”。
しばらくして、鬼は力尽きて死んでしまった。
同時になにかをドロップして、姿が消えてゆく。
海神の眷属が、お宝をサッサと回収した。
一部始終を見ていたシンは、つい呟いた。
「再出現から消滅するまで、わずか一分間少々。頑強なモンスターといえども抵抗は不可能か。敵ながら哀れさを感じてしまう」
「そうよねぇ。相手側からすれば、ズルいって異議申し立てしたいでしょうね。人間が持つには、強力すぎる“力”なのかも」
「思い出したことがある。前世故郷では、漢字という表意文字を使っていた。
軍事力や武器などを意味するものに【武】というものがある。
これは意味深な文字でね。
【武】は【戈】を【止】める。
つまり、武力は戦争を防止するという含意が込められていたんだよ」
彼が言いたいこと。
【海神の代理指揮権】には制限条件を設けるべき。
強大な“力”を所有する者には、それ相応の責任がある。
「この広域殲滅型魔法は核兵器と同じだ」
【インペリウム】の効果範囲は広大だ。
事実、海神の【大亀仙霊】は、コルベール男爵領を含め、何十キロ平米におよぶ平野部全体を支配下においた。運が悪ければ、何十万人もの人間が死んでいただろう。
シンの前世は日本人である。
唯一の被爆国の国民として、心底から核兵器廃絶を願っていた。
広島や長崎みたいな悲惨なことは繰り返してはならない。直接体験はないが、写真や各種資料などで、あの陰惨極まる被害状況を知っている。
ついつい心理的な嫌悪感を抱くのは、ごく自然な感情であろう。
ただし、彼は同時に現実主義者だ。
核保有国が、核を全廃する可能性は皆無だと認識もしている。
それどころか、厳しい国際関係を鑑みれば、自国の核兵器保有に一定の理解を示していたくらいだ。
「まあ、我々は国家でないからなぁ。拒否的抑止とか懲罰的抑止の概念が成り立たない。それ以前に、同等威力の破壊兵器を所有する敵がいないぞ」
「あら、でも抑止力は大切よ。単純に言えば、相手に“舐めては危険だ”と思わせないと。“拒否的”とか“懲罰的”の区別は分からないけれどもね」
「あ~、その点は同意する」
ルナの指摘にも一理ある。
冒険者組合は、シンを無名無力な一般人だと侮っていた。
だから、預金口座から横領するという違法行為をする。
仮に、連中が、怒らせてはマズいと認識していたら、今回の諍いは起きなかったはずだ。
「当面は、迷宮攻略のみに使う。人間や国家に対しては原則禁止。また、抑止効果を鑑みて、【インペリウム】の情報開示は要検討、といったところか」
「いいんじゃないかしら。舐められるのは嫌だけれど、人々から恐怖の目で見られるのも勘弁してほしいもの」
制限条件ついては、慎重な検討が必要だ。
下手に厳しい条件をつけて、イザという時に使用不可なのは困る。逆にユルユルな設定だと、安易に利用して危険だ。
カンナたち【三賢者】を含めて、皆の意見を募ろう。
やがて、最下層に到着した。
そこはドーム状の造りで、面積は広い。
天井も高くて、周囲には巨大円柱が立ち並んでいる。
ただし、かなり荒れ果てていた。
床には大穴が幾つもあり、ところどころ土壌が剥き出し状態。石柱は何十本も倒壊して、足の踏み場もないくらいだ。
濃霧が漂っているため視界は悪く、それが逆に荒涼とした雰囲気を強調している。
激闘の跡であった。
「迷宮最後の守護獣はドラゴンか。最深部が六十五層ともなれば、強力な魔物だって用意できるか」
「無呼吸で十分間以上も戦い続けるなんて、タフよねぇ。さすが最終守護者だわ」
指揮官によれば、激闘だったとのこと。
相手の戦闘能力は凄まじく、敵ながら賞賛に値する奮闘ぶりだったらしい。
海神の眷属側は、海竜や大型鮫などが参戦。数の力にものをいわせて押し勝ったのだ。
勝利したのは良いけれど、問題が発覚する。
大広間からどこにも行けないのだ。
事前情報によれば、最終守護獣を斃せば、【迷宮核】が安置している場所に進めるはず。だが、扉や門は見当たらず、みんな困っていた。
「なるほど、君たちの報告に戸惑いがあったのは、そのせいか」
シンは最下層大広間をざっくりと眺めた。
確かに、ゲートらしきものは存在しない。
眷属たちは懸命に調査したが、本当になにもなかった。
「ここは最下層じゃないのかも。さらに下階がある可能性も否定できない。君たちは床面の隠し階段を探してくれ。念のため、私たちは壁に沿ってグルリと一周してみるから」
彼は、ルナや護衛役とともに広間外周を調べる。
石壁はどこも損傷していて、ヒビ割れているか崩れ落ちていた。散らばる瓦礫や、倒壊した巨大柱を避けながら、ゆっくりと歩く。
損傷具合をみるだけで、最終守護獣との戦いが、いかに苛烈であったのか分ってしまった。
「ふむ、なんだか変だぞ。この箇所には、ちょっと違和感があるのだが」
「あら、本当ねぇ。全然、傷跡がないわよ。まるで防御結界で守っていたみたい」
壁に真っ新な部分があった。
周りは高熱で黒く焦げている。
しかし、直径約三メートルの円形部分だけが綺麗な石肌のまま。
汚れた領域との境が、ハッキリとしていて目立つ。
ルナが見立てたとおり、ここには保護機能があるみたい。
シンは手を当てた。
壁表面に微弱な魔力が流れていて、ピリピリとした感じがする。
「ふむ……」
精神波長を同期させようと思いついた。
何故そんな考えが浮かんだのかは判らない。
でも、この方法が正解なのだと確信が湧きあがる。
いろいろと試して五分間ほど。
頭の奥のほうで、なにかがカチッとハマる。
突然、壁面が消失した。
条件が合致したので、入室許可がおりたかのようだ。
「ふむ、秘密の通路か」
「この先が最終の部屋なのかしら?」
それは天然の洞窟であった。
薄暗いのは灯りがないため。しかし、光が、三十メートルほど前方の出口から差しているので、内部の様子は見える。
大広間とは違って、壁や床面は石のままで未加工の状態だ。
デコボコとしていて少々歩きづらい。
シンたちは慎重に移動。
抜け出ると、別の空間が広がっていた。
「廃墟じゃないか」
破壊された地下街といった様相だ。
側面は崩れ落ち、床には瓦礫や土砂が散乱している。
天井まで約二十メートル。
ぽっかりと大穴が開き、灰色の空がみえた。
印象としては、地震か爆撃で被害を受けた感じだ。
「これがダンジョン最奥の部屋なのか? とてもではないが信じられない」
奇妙なのは、構造物が現代的なこと。
崩れた壁はコンクリート製だ。
折れた柱の内側には鉄筋が幾筋も入っている。
床にはガラス片や電源ケーブル、電化製品など。
現代地球の都市残骸だと説明されれば、納得する光景であった。
ルナが、戸惑いながら疑念を口にする。
「想像していたのとは、ずいぶん様子が違うわね。ここに【迷宮核】があるのかしら」
シンは、眼前の廃墟をジッと見つめるばかり。
頭上の大穴から陽光が差し込んでいる。
それは薄明光線、俗にいう“天使の梯子”だ。太陽光線が柱状になっている様は美しい。
荒廃した地上との対比のせいで、切ない感情が湧きあがる。
小さな花が、ひと株だけ生えていた。
天井から漏れてくる、わずかな光を頼りに芽吹いたのだろう。日照時間は短くても、一生懸命に葉を広げて太陽光を受けている。
なんとも健気で、そして逞しい。
「あの小花が【迷宮核】だ」
■現在のシンの基本状態
HP:516/516
MP:328/745
LP:201/240
※補足事項: 制御核に欠損あり
活動限界まで、あと二百一日
※【武】という文字について
シンが語った、『“武”は“戈”を“止”める』は、中国古典の『春秋左氏伝』にでてきます。
ただ、【武】の語源からすると、違う解釈もあるそうで。
もともとは、「止」は、足首全体の象形文字で、意味は「歩む」。
今のような「停止する」とは真逆の意味らしい。
つまり、【武】は“戈”をかついで前へ“歩む”→兵隊さんが行軍するといったイメージ。
詳しくは次のとおり。
https://www.kyudo.jp/pdf/notice/20200603_notice.pdf
でも、文字や言葉というものは時代と共に変化するもの。
【武】には、【戦いを抑止する】といった意味を含んでいると、解釈するほうが好みです。
ずっと含蓄があるし、なによりも平和的じゃないですか。