6-16.外部協力者・ペネロープの場合
ペネロープは薄暗い店内を見渡した。
夕刻前ということもあって客数は少ない。もうちょっと時間が経過すれば、常連客たちが続々と入ってくるであろう。
「みんな、配置についたかい?」
「ええ、問題なしよ」
返答するのは、彼女が属するチームのサブ・リーダーだ。
仲間は合計五名、全員女性で構成している。
室内には二名で、残り三名は店舗の正面と裏側で周辺警戒を担当してもらった。万一に備えて退路確保の役割も兼ねているのだ。
用心するにこしたことはない。
今回、会う相手が裏切るとは思わないが油断は禁物だ。職業柄、予測外のトラブルやアクシデントに対応できるように、できる限りの準備を心掛けている。
待ち人が来るまで、少々時間があった。
多少のお喋りは良かろう。ついでにチームの状態を確かめておきたい。
「貴女からみて、メンバーの調子はどう? 最近、状況変化が激しいから、ちょっと心配なのよね。精神的にまいっている、あるいは家族のことで気に病んでいるとか、問題を感じていないかしら」
「たしかに、ひと苦労していますね。でも、イイほうに向かっているから、誰も文句は言わないですよ。なにせ、以前は泥沼で足踏み状態でしたから。
それが、今では希望をもって前に進めている。あのときのリーダーの決断は正解だったと思いますよ」
サブ・リーダーのいう“決断”。
それは、シン・コルネリウスとの取引のことだ。
以前、ペネロープたちは【邪神領域】にある【岩柱砦】を襲撃する。奇襲作戦そのものは失敗。ギルドの命令で動いていた襲撃組の連中は、ほとんどが死亡。
生き残ったのは、彼女のチームと、攻撃に参加しなかった後方支援の者たちだけ。
彼女が機転を利かせて交渉した結果だ。
「相手がルナ・クロニスで良かったよ。幾度か仕事を一緒にしたことがあってね。あの娘の性格というか、為人を知っていたから、談判もしやすかったわ。
冷静な判断ができる人物だからね。
充分な利益を提供できるなら、過去の遺恨を無視してビジネスに応じてくれる。まあ、ちょっと“おっかない”ところもあるけれど、それは構わない」
彼女のルナに対する第一印象。
それは、どこか得体のしれない謎を秘めた女性というものであった。
悪い人間ではない。むしろ、態度は柔らかいし、誰にでも穏やかに接する。
しかしながら、親密になることを忌避していた。
心的な壁をつくっている。ある一定以上の心理的距離を空けて、近しい関係になることを拒絶するのだ。
勘の良い者ならば、なにか秘密を抱えていると見抜くだろう。
まあ、ルナは信頼できる人柄でもあった。
公的な契約ばかりでなく、軽い口約束でも律儀に守るタイプだ。裏切るだとか、人を貶めるような阿漕な行為はしない。
ひとことで言えば真面目な性格。
知り合いではあるけれど、積極的に友人になりたいとは思わない。
つまり、退屈なで白みに欠ける人物だった。
そんな評価が一変する。
先日、ルナと再会したのだけれど、ずいぶんと変化していた。
その表情は明るく、艶やかな雰囲気。
人生を謳歌しているというか、幸せに満ち溢れているといった感じだ。他人を寄せつけない強固な心理的壁が、きれいサッパリと消え去っていた。
「フン、恋する女は変身するとは、よく言ったもんだよ。運命の人と出会って、素敵な時間を過ごしていますってか。
ケッ、恋愛小説なら楽しいだろうさ。でもね、リアルに見せつけられると、なんだか腹が立ってくるよ」
「アハハ。彼氏がいないからって、拗ねない、すねない。
リーダーにだって、きっと白馬の王子サマがお迎えにきますよ。
にしても、ルナの相手はやっぱり【魔境のアルケミスト】ですよね。彼って、顔は端正だし、金だって唸るほど持っている。
なんなら、愛人枠を狙ってみますか? 応援しますよ」
「馬鹿なことをいってんじゃないわよ。絶対に無理。わたしらのスポンサーは、バケモノ級だとおもう」
アレは、あちら側の人間だ。
自分で言っておきながら奇妙だけれど、何が“あちら”なのか、上手く説明できない。とにかく人間離れしている。
シンやルナは存在として格上なのだ。
もしかすると、精霊だとか天使のような神霊世界的な基準で評価したほうが適切なのかもしれない。
迂闊に近づけば火傷を負うのは確実だ。
下手をすれば、命さえ失いかねない。現状のように金銭での雇用関係ぐらいが、ちょうど良い距離感だとおもう。
不意に懐の警報機に着信があった。
魔道具の一種で機能は単純だ。送信側のスイッチを押せば、受信側のツールが振動する。会話はできないし、有効範囲もせいぜい三十メートルほどだけれど、要は使い方次第。
合図の内容は、待ち人が来たというもの。
送信者は、店の外で見張りをしているメンバーであった。
男が入店してくる。
ガッチリした体格で目つきは鋭い。入り口付近で立ち止まり、さりげなく室内全体の様子を見渡した。要注意人物や危険物の有無を確かめている。
問題なしと判断してから、ようやく店内へと足をすすめた。
「ペネロープ、やはり生きていたか。【邪神領域】の極秘作戦で死んだと聞かされていたが、誤報だったな」
この人物は、裏組織のエージェントだ。
年齢は三十歳前後といったところ。成熟しつつある雄の色気が漂っており、二十歳台の若者にはない落ち着きがあった。冒険者組合の後ろ暗い仕事で、実績を積み重ねてきた貫禄と言っても良いだろう。
ペネロープは軽くうなずく。
「ええ、おかげさまでね。それと差出人不明の呼び出しに応えてくれて感謝するわ」
彼女は、限定された仲間内で通じる方法でコールした。
相手が無視する可能性もあったけれど、それなりに勝算は高いと判断する。勘の鋭い男ならば、差出人が誰なのか気づくと期待も含めてのおこないだ。
当の男は微かに笑って返答。
「いや、違うな。俺が酒を飲みに来たら、たまたま旧知の人間がいただけだよ。そうだろう?」
ずいぶんと用心深い。
明らかに招集合図に応じたのに、面と向かって否定した。
あくまで偶然に出会ったという体裁にしている。これから始まる会話で、フリーな立場を維持したいからだ。
「ええ、そうね。そういうことにしておきましょう」
ふたりは料理と酒を注文。食事をしながら会話を始める。
ちなみに、男性が入店してきた時点で、サブ・リーダーは席を外していた。
「では、再会を祝して乾杯。【絶対帰還者】に幸多からんことを」
彼女の眼前にいる男。
現役冒険者のころから、絶体絶命の危地から生還することで有名であった。どう考えても死んで当然の状況から脱出するのだ。
仲間たちは畏敬の念を込めて、彼を【絶対帰還者】と呼ぶ。
実際、とんでもなく危険回避能力が高い。
優秀だし頭もキレる人物で、特に“生存”の一点において神がかり的な判断をおこなう。他人が、何故こんな決定をするのかと理解に苦しむことも多々あった。
しかし、後になってみれば、それが最適解だったと納得できる。結局、生き残った者が勝ちである。
しばらく他愛のない会話のあと、ペネロープは質問を投げかけた。
「ねえ、貴方からみて冒険者組合の様子はどんな感じかしら? 【魔境のアルケミスト】には、いいようにヤラれているようだし」
「右往左往のひと言につきる。
過去、ギルドは常に強者であって、敵対者を一方的に殴るだけ。しかし、今回は立場が逆転している。こうも見事な反撃を喰らうなんて経験は初めだろう」
男はつづけて見解を述べた。
敵が魔物ならば、組合は何万といる現役冒険者を総動員して事態打開を図ったはず。
だが、今回の相手は知恵のある人間。
しかも主戦場は、経済分野や諜報活動といった、従来とはまったく違った領域だ。腕力はあっても、脳筋と揶揄される粗暴な野郎どもは役に立たない。
そもそも、この種の非武力的抗争は、国家ですら初体験であろう。
誰も有効な対策をたてるなんてできやしない。
「最も問題なのは、ギルドが敵の詳細を調査できないことだ。
なにせ諜報部門が壊滅したからな。敵対者を見定める目と耳を徹底的に潰されたせいで、組合組織は有効な対抗策をうてないでいる。
現在、把握できているのは、【魔境のアルケミスト】と呼ばれるシン・コルネリウスの業績だけ。
しかし、敵勢力は個人ではない。謎の組織だ。
強力な戦力と膨大な資金力、優秀な頭脳を持ち合わせている。複数国家で同時攻撃を実行したことからも明らかであろう。
俺が推測するに、先方は錬金術師の集団。下手をすれば、魔導師すら参加しているかも。もう、単なる私的集団ではない。
どこかの国家に属する非合法組織の可能性は高い」
ペネロープは、見事な現状認識だと感心した。
【絶対生還者】の名前は伊達ではない。
組合上層部の動向に注意をはらい、断片的な情報から全体像を組みあげている。普通の冒険者あがりなら、ここまでの推論なんて無理。やはり、この男は賢く優秀だ。
「じゃあ、そろそろ本題にはいらせてもらうわね。
今回のわたしの役は交渉人。対象はあなたで、目的は勧誘よ」
「なるほど、お前は【魔境】陣営についたということか」
「ええ、そのとおりよ。付け加えておくけれど、すでに鞍替えをした人間は幾人もいるわ」
彼女は新聞紙をテーブル上に置いた。
最近、急速に売上を伸ばしている報道機関が発行しているもの。
特に人気を集めているのが、『とある老人の懺悔』という特集記事だ。
内容は、元・工作員の告白。
過去に行った非合法活動を赤裸々に語り、冒険者組合の極悪非道ぶりを告発していた。
敵対的な人物への脅迫。
夫の眼前で、妻や娘を輪姦したうえで一家皆殺し事件。
地上げ目的で対象区域の建屋に放火したことなど。
この特集で、ギルドの評判はガタ落ちだ。
以前から新聞各社が悪事を暴き立てていたこともあって、一般大衆は記載内容を信じていた。世論はますます厳しくなり、現役冒険者にも悪影響を与えるほど。
マスコミ誘導作戦は見事に成功している。
「記事の人物に見覚えがある。たしか現役時代は大陸を股にかけて活躍していた大物だったな。自己保身や身内のことを考慮すれば、易々と秘密を暴露すまい。なにをした?」
「どうもこうも、本人はすべて納得しているわ。
彼の自主的判断だし、こちら側が強制的に従属させたワケでもない。新聞社への売込みは、ご老人自身が提案したくらいよ。己の余命は少ないから、今のうちにやれることを為すと言ってね」
もちろん、ご老人には報酬を提供した。
内容は、唯一の肉親である孫娘に対する治療と生活支援。
対象女性は難病に罹患していて、高額の治療薬を服用し続ける必要があった。金銭的負担は大きく、蓄えていた資産全部を使い果す。さらに自分は老い先短くて数年後には死んでしまうのだ。
元・工作員は、病弱な孫の未来に悲嘆していた。
「わたしの依頼者が、救いの手を差し出したのよ。
【魔境】から薬師が来てね。孫娘の病状に合わせて魔法治療薬を調合してくれたんだよ。その結果、病気は寛解、つまり症状が安定化しているわ。あと一年ほど継続投薬をすれば、健康体に戻るらしい」
もちろん、これは取引だ。
けっして善意だけで、こんな手間暇はかけない。
冒険者組合との抗争において、有効打を放つための活動の一環である。ペネロープは、【魔境のアルケミスト】陣営の交渉人として、対象老人と契約を交わしたのだ。
「似たような事例は他にもある。これはクライアントの方針でね。
スカウト対象は、冒険者組合に脅迫され、苦境に追い込まれて汚れ仕事に従事した者。ついでに補足すると、わたしのチーム全員も条件に合致していたのよ」
ペネロープたちも救済措置を受けている。
メンバーは親類縁者を人質に取られるだとか、莫大な借金を負うなど、問題を抱えていた。そんな状態を打破してくれたのがシン・コルネリウスだ。
もちろん、交換条件付きの行為であり、彼女たちは取引契約をかわした。
「貴方も選抜条件に適合しているわ。現在、【絶対生還者】の家族は組合の監視下にあるよね。惚けても無駄よ。ちゃんと調べているから」
「そのことに答えるつもりはない。我々はたまたま再会して、旧交を温めているだけ。冒頭でも言ったはずだ。ちがうか?」
「ええ、そのとおりね。わたしたちは互いの近況を語り合っただけ。
ついでだから、もうひとつ教えてあげる。
まもなく抗争は最終局面にはいるわ。いよいよ、依頼人が本気で動くらしい。これまでだって大きな被害なのに、彼は手抜きしていたのだから驚きよね。【魔境】が全力を出したら、どんなことになるのかしら。
ホント、ちょっと想像もつかないわ」
彼女は愉快そうに微笑む。
態度に余裕があるのは、自分に被害が及ばないのを確信しているため。
「お誘いの返事は、しばらく待ってあげる。
よく考えてみてね。でも、残り時間は少ないわよ。その気になったら連絡して。方法は昔に決めたとおりで」
「……わかった」
「じゃあ、さようなら」
ペネロープは、簡単に別れの挨拶をして席をたつ。
ちょっと慌ただしいのは、懐の魔道具が警告を発していたから。
合図の内容は、すぐに離脱せよというもの。おそらく、組合専属の裏稼業者が近づいてきたのだろう。
彼女は急いで裏口から店を出る。
後ろに続くのはサブ・リーダーだ。
「とりあえずの目的は達成した。ギルドの連中に発見される前に、さっさとズラかるよ」
「了解。ところで【絶対生還者】は寝返るとおもいます?」
「ああ、たぶんね。あの人は、生き残ることに関してはピカ一だよ。必ず生存率の高い方を選択する。
少しばかり考える期間をあげても良かろう。アレは、即断即決もするけれど、本来は時間をかけて慎重に検討するタイプだ。
むしろ、問題なのは彼が断ったときだね。
わたしらが知らない情報を持っている可能性がある。なぜ、そう判断したかを調べないとね。場合によっちゃあ、【魔境】陣営から離脱することも考慮すべきかも。用心するに越したことはない」
彼女の信条は“冒険者は生きてこそ”だ。
お貴族さまや騎士のような“名誉ある死”なんて無意味だとおもう。どんなにカッコ悪くても、泥水を啜ってでも生存すべき。
たとえ、恩義ある依頼者に背くことになってもだ。
まあ、それは本当の土壇場でのことだし、そうならないように手を尽くそう。