6-05.カンナの覚悟
シンの認識は甘かったらしい。
やはり、現場をみていないことが原因であろう。
儀式のために神殿に籠っているためだ。せいぜいが、休憩時にガゼボで戦いの響きを耳にするくらい。状況把握が曖昧になるのも、いさ仕方ない。
いっぽう、カンナは前線にいた。
兵士を指揮して、【徘徊する凶霊】どもの動向を直接に見ている。
どちらの意見が現実的であるかは明らかだ。
「貴女が良かれとおもうなら、そうしてくれたまえ。君がプロジェクト実務の総指揮官なのだから」
彼は、彼女の判断を全面的に支持すると明言した。
組織のトップたる者、優秀な人材を登用して、権限委譲しなければならない。
ましてや、眼前の女性は【三賢人】のひとり。
有能だし信頼に値するのだから、この場の仕切りを任せるが最善だ。というか、それ以外の選択肢なんてあり得ない。
現在、ツクモ族の総数は三千名を越える。
今回の儀式で、さらに人数が増えるだろう。可能なかぎり、将来にわたって【奈落】に囚われている魔導帝国の住人たちを救済するつもり。
自ずと、総人口は増加する一方だ。
であるならば、役割分担をして、各員に顕現と責任に委任したほうが良い。彼ひとりだけで円滑な組織運営なんてできやしないのだから。
カンナは、ちょっと嬉しそう。
はにかみ半分、誇らしさ半分といったところか。
彼が信頼していると断言したことで、自負心をくすぐられたらしい。背筋がクッと伸びて、全身に“気”が漲ってくるのが、傍からでも分かる。
「お任せください。かならずや悪鬼魍魎どもを蹴散らしてご覧にいれます。わたくしどもが、我が君をお守りし、儀式を無事に完了できるようにいたしましょう」
「それは頼もしい。で、具体的な作戦内容を説明してもらえないかな」
「はい。現在、凶霊と戦っている防衛線は、もともと警戒用で…… 」
哨戒要員は、敵を早期発見するために展開していた。
神殿から遠く離れた場所で、さっさと魔物を始末する意図でライン構築している。前提として、今までと同様に襲来するバケモノの数が少ないこと。
だが、今回は異様なほど亡霊が多い。
シンの変質した【理外理力】が原因で、連中を大量に引き寄せてしまった。
当然、兵士たちは外敵を排除するために戦う。
頑張りすぎたとも言える。
なまじ、優秀であるが故に、警戒線が、死守すべき防衛線と化してしまったのだ。
問題なのは、戦線が長すぎること。
当然、単位距離あたりの味方密度が薄くなってしまう。
逆に、敵数は多数なうえに、後続が次々にやって来る状況であった。
いくらツクモ戦士が強く、硬殻兵士が頑丈であっても、休みなしの戦闘には無理が生じる。
状況変化が、ゆっくりだったことも災いした。
最初は余裕で敵を撃退できていたのが、徐々に敵勢力の圧力が増している。後退するタイミングを逸して、現状維持を続けてしまった。
このままだと、いずれ防衛ラインが突破されてしまうだろう。
ここで、カンナは戦術変更すべきと判断。
余力があるうちに戦線再構築をしたほうがよい。
「防衛ラインをさげて、戦線を縮小。接敵面積を少なくすることで、味方兵力の密度を高くします。これで部隊間の相互支援も容易となるでしょう。
また、神殿周辺施設を後方支援機能として活用します。補給線を短くして、兵士たちには休憩を充分にとらせる。これで継戦能力が向上できますね」
ただし、デメリットもあった。
彼女が懸念しているのは、儀式の邪魔になること。
【言霊奉法】は一種の神降ろしだ。使用者は、繊細な魔力制御能力と膨大な【理外理力】が求められる。さらに並大抵ではない集中力を必要とした。
戦線が近くになれば、戦闘音やら爆発振動などが、術師に悪影響を与えるかもしれない。
シンは、ひと通りの説明を受けたのち、
「ああ、カンナはやさしいな。でも、心配無用だよ。その程度のことで意識集中は途切れない。私は為すべきことを為すだけだ。
だから貴女も、自分の務めを全うしてほしい」
自信たっぷりな調子で返答した。
これは意識してとった態度である。
組織の最高責任者は、部下を安心させるためにも堂々とするべきだ。
特に、戦場だとかトラブル発生時には、平静な姿勢を維持せねばならない。
トップが動揺する姿をみせてしまうと、それが配下に伝わってしまい、全体に悪影響を及ぼすからだ。
逆に、泰然自若にしていると、みんな落ち着いて事態に対処してくれる。
過去の経験から学んだ教訓だ。
以前、コルベール男爵家にカチコミをかけようとしたときのこと。
奇襲をかけるつもりで準備を整えていたが、直前で攻撃を中止するハメに。理由は、相手側が戦闘準備をしていたから。
自陣の情報が事前に漏れていたのかと、ずいぶんと焦ってしまった。実際には、単なる貴族間の抗争でしかない。
想定外のことにオロオロとしてしまった。
幸いにも、タチアたちがフォローしてくれたので、皆に醜態を晒さなくて済んでいる。
それを機会に、彼は反省と決意をした。
組織のトップにふさわしい人物になろうと。
自分をリーダーとして認めてくれるツクモ族に対して、ちゃんと責任を果たそう。
それ以前は、漫然と祀り上げられただけであったけれど、みんなを幸せにしようと決めた。
自覚する前なら、今回も軽率な言動をしただろう。
たぶん、戦いに参加している。後方でジッと待機するなんて、我慢できやしない。というのも、自ら最前線に立っているほうが、ずっと気が楽だから。
現場担当者クラスなら、それでもかまわない。
だが、総責任者が、組織全体のことを顧みないのは無責任すぎる。
ある意味、味方に守られることも組織長の務めだ。
現状のようなケースでは、相応しい人間に権限移譲して任せるべきであろう。
カンナは優秀な人物だ。
【三賢人】の一角を担うだけあって、戦況を見定める判断力を有する。なによりも部下たちの扱いがうまい。たかが【徘徊する凶霊】なぞに、遅れをとるはずもない。
「あとは頼む。朗報を期待しているよ」
「安心して儀式に集中してくださいませ」
シンは神殿の儀式用大広間へと戻った。
神殿付きの女官に案内されて、部屋を退出する。
女性たちがガゼボに残ったまま。
【禍祓い】のルナ・クロニス。
【三賢人】のひとり、カンナ・プブリリウス。
筆頭女官のタチア・ヴァレリウス。
彼女たちは、彼の姿が消えるまで静かに待った。
本人には聞かせたくない不都合な話をするためである。
最初に口火をきったのはカンナだ。
「わたしは、現場指揮へ戻ります。先ほど説明したとおり、現有戦力だけで外敵への対処は可能よ。また、明朝には【岩窟宮殿】からの応援部隊が到着するので、プロジェクト進行に問題はないでしょう。
ただ、マスターから全権を託された者として、タチアに確認しておきたいことがあります」
「ええ、判っております。最悪の場合、儀式を即時中断。女官団が、責任をもって“我が君”をお連れする段取りですわ。
脱出ルートについても候補を三つ選定しています。当然、“足”となる二脚竜は、いつでも出立できるように準備しておりましてよ。
同時に、救助用筐体の完全破壊も抜かりありません。
役割分担と爆破手順については、神殿管理官とも協議済みですし、訓練もおこなっておりますので」
「さすが筆頭女官殿。いざという時は、頼りにさせていただく」
ふたりの行動基準は共通していた。
優先すべきは、主君の安全確保と錬金義体の破壊だ。以前から打ち合わせもしていたので、このあたりに齟齬はない。
しかし、ルナは違った。
ここまで入念な意識共有する機会がなかったためだ。
「ちょっと、質問していい? 儀式をすぐに中断するのは分かるわ。
でも、筐体を完全破壊するというのは、本気なのかしら。
あのなかにいるのは、あなたたちの同胞よ。苦労して【奈落】からサルベージした者たちを見殺しにするなんて。それで良いのかしら?」
「ええ、見捨てます。この優先順位は絶対です」
カンナは穏やかに、でもキッパリと言いきった。
最優先はシン・コルネリウスの安全確保であると。次に優先すべきは、
「錬金義体を奪われてはなりません。アレが、【徘徊する凶霊】に憑依されてしまうと危険です。厄介なバケモノになってしまいますから」
この対処は最悪の場合を想定してのこと。
彼女たちの主を退避させる事態、つまり防衛線が突破されて、ゴーストどもが迫ってくる状態である。
ただでさえマズい状況なのに、敵の数を増やしてはならない。さらなる情勢悪化は阻止しないと。
そのためには犠牲も厭わない。
たとえ同胞であっても切り捨てる。
極端な話、マスターが無事なら、カルデラ湖周辺にいるツクモ族たちが全滅しても構わない。
「我が君さえ生きていれば、魔導帝国は復興できます。
だけれど、あの御方を失っては、祖国再建は不可能になってしまう。わたしを含め、多数の被害者がでようとも、躊躇する必要はございません」
「そこまでの覚悟を……」
ルナは絶句した。理解できない価値観であった。
彼女には祖国というがものがない。
いや、生まれ故郷はあったはずだが、いつの間にか忘れてしまった。
彼女は【不老不死】であるが、都合の悪いことも多々ある。
肉体を喪失しても復元できるが、記憶の大部分が欠落するのだ。実際、幾度か身体再構成しているうちに、生まれ育った土地のことなどは完全に忘れてしまった。
長い間、根無し草的な生活をすごしている。
特殊体質がバレるのを防ぐため、同じ地方に留まるのは、せいぜい三年間ほど。人付き合いを最低限にして、時期がくれば転居を繰り返した。
そんな人生をおくっているため、故郷と呼べるものはない。
ましてや、我が身を犠牲にしてまで尽くす祖国なんて、想像の埒外であった。
ルナは、カンナたちを羨ましいとおもう。
同時に“理解できる”気もした。
シンやツクモ族たちと共に過ごす空間は心地よいし、そんな環境を守りたいと思うのも当然であろう。
「うん、わかった。でも、それ以前に最悪の事態にならないようにしなきゃね。わたしは【禍祓い】。迷える亡霊たちの対応は得意よ。防衛戦に参加するわ」
ここが自分の居場所だ。
彼女の願いである『安息の死』を実現すると、シンは約束してくれた。
異質な自分を、カンナやタチアは躊躇いもなく受け入れてくれた。
みんなと同じ食事をして、たくさんおしゃべりをした。一緒に笑ったり泣いたりもした。
ときには魔物と戦い、現在は冒険者組合という巨大組織を相手に争っている。厳しい状況だけれど、彼女らと共にいるために頑張ろう。
「我が身は大事だけれど、家族を守るのも大切よね」
「ええ、ルナさまのおっしゃるとおりですわ」
しばらく打ち合わせをおこなった。
カンナが最後に伝えておきたいことがあると述べる。
「わたしたちは、我が君を最優先でお守りします。
ルナさまも同様に警護対象ですわ。
できることなら、貴女様方には、安全な【岩窟宮殿】に留まっていただきたい。本音では、危険な土地へ赴いてほしくありません。
しかし、おふたりの行動を制限するつもりはありません。なぜなら、大切なお役目があるからです」
シンは【導灯を掲げる者】だ。
超常的存在の【大亀仙霊】が告知したのだし、もう確実で疑う余地はない。
彼の【ふたつ名】については、海神だけでなく、複数の神様がかかわっている節がある。
上位階梯者にとっても重要人物なのだと、推測できてしまう。
けっして、ツクモ族だけのマスターで納まる人物ではない。もっと大勢の、たとえば大陸や世界に影響を与えるような重要な役割を担っているはずだ。
「我が君は幾度も死にかけました。その度に、わたしどもは心臓が凍る思いをしたものです。警護を厳重にし、守備を固めていますが、それでも行動制限はかけません。あの御方には、自由に動いていただきます」
ツクモ族は、シンの眷属である。
カンナたちの共通見解は、自分たちは主に仕え、その活動を補助するために存在するというもの。
【奈落】から救済され『幸せになりました』で終わりにはならないのだ。
これは“始まり”であると、彼女たちは認識していた。
「ルナさまも【月の彷徨人】です。
我が君と同様に大切なお役目があるはずですわ。故に、わたくどもは貴女さまもお守りさせていただきます。お分かりいただけたでしょうか? 」
「ええ、わかったわ。正直に言って、神々がなにを意図されているのか全くわからない。でも、自分なりに良きことを為してゆくつもり。
まずは、凶霊どもを追い払うことに専念しましょうか」
「おっしゃるとおりですわ。では、わたしは部隊指揮所に戻ります。
タチアには、我が君と神殿関連のことをお願いしますね」
「はい、お任せくださいませ」
三人はガゼボを離れて、各自が担当する場所へとむかった。
これから女たちの戦いがはじまる。
■現在のシンの基本状態
HP:416/502
MP:572/731
LP:207/214
※補足事項: 制御核に欠損あり
活動限界まで、あと二百七日




