6-04. 徘徊する凶霊
神殿が湖畔に建てられていた。
外観は、古代ギリシャの遺跡、パルテノン神殿を連想させる造りだ。大きな石柱が等間隔で並んでいる様は幾何学的な美しさがある。
建物の内外はザワザワと騒がしい。
大型で力自慢の多脚型ゴーレムが動き回っているためだ。
カルデラ湖から引き揚げた錬金加工筐体を運び込んでいた。その数、およそ一千個。
ツクモ族の担当官たちも、作業進捗表やら作業手順書を確認しながら、配下の作業用岩人形たちに指示を出していた。
神殿内で警備が最も厳しい一画がある。
儀式主催者のための空間だ。
その場所は、使用者が快適に過ごせるようにきめ細かな配慮がされていた。
今は、部屋にはシンと関係者のみ。
「カンナ、準備も順調なようだね」
「はい、予定通りです。現在、最終確認をおこなっていますが、これまでのところ問題はありません。
守備も万全です。防衛線の構築は完了していますし、カルデラ湖周辺はいたって平穏ですね」
報告者はカンナ・プブリリウス。
【三賢人】のひとりで、本プロジェクトの実務責任者である。
神殿の環境整備から救済用筐体の作成や搬入、周辺警戒など、さまざまな雑務を指揮監督していた。
彼女はたいへん優秀で、特に組織運用に秀でている。
人心掌握は巧みだし、仕事ぶりは緻密にして大胆。制御下におく人数が多いほど、能力を発揮するという、まことに稀有なタイプだ。
その手腕を例えるなら、一流ホテルのチーフ・シェフのよう。
数百人が参加する晩餐会で、加工方法も調理時間も違う多数の料理をタイミング良く完成させて、客に提供してゆく。どんなに複雑で雑多な業務でも、最後には帳尻をピシャリと合わせるのだ。
彼女ひとりが、組織管理するか否かで、成果がおおきく変化してしまう。
カンナの報告では、準備は順調とのこと。
あと三十分もすれば、儀式を開始できるとのことであった。
シンは、部屋でひとりにしてもらう。
皆を退室させたのは、気持ちを落ち着かせたかったからだ。
深呼吸を繰り返しながら、これから始める【魂魄定着の儀典式】について思いを巡らせた。
【奈落】に囚われていた幽体が、救済用筐体に避難した状態だ。
ただし、肉体を得たわけでは“ない”。
なにも処置をしないまま開封したら、あの世に逝ってしまう。往生できるという点では救いだけれど、ちょっと中途半端であろう。
ゆえに、最期の仕上げとして、錬金製義体に魂魄を固着させるのだ。
儀典式では【言霊奉法】をつかう。
魂が、子宮内の胎児に宿るのは自然現象だが、人為的におこなうには超常的な権能が必要だ。この作業は、まさに“神の領域”の範疇だ。
錬金術なんて、矮小な人間の技術では不可能なことであった。
「はぁ~、ツクモ族たちは勘違いしているよなぁ。
自分には“力”はないと繰り返し説明しているのに、納得してくれない。やはり、傍から見ると、私が奇跡の御業を為していると思うのかね。ホント、やめてほしい」
彼の意識としては、神さまにお願いしているだけ。
今まで悶え苦しんできた者たちを、楽にしてやってくださいと。
ずっと彷徨っていた魂魄に、用意した仮設身体をまとわせてほしいと、一所懸命に懇願する。
肝心な部分は、上位階梯者に縋るしかないのだ。
それなのに、ツクモ族はシンを敬ってくれる。
熱烈といっても良いほどだ。特に、筆頭女官タチアと同僚たちにいたっては、盲目的愛情を持っていた。
―――女官たちの視線がイタいんや。
アイツら、眼をキラキラと輝かせて、自分の一挙一動を注視しよる。まるで世界的スターに付きまとう“追っかけ”みたい。
仕事関係だけでなく、私生活まで管理されているから落ち着けへん。
まあ、献身的に世話してくれるし、悪気がないのも承知しとる。でも、ものごとには程度というもんがあるやろうに。
ホント、勘弁してくれへんやろうか。
コンコン……。
控えめに扉を叩く音がした。
準備が整ったとのことなので、返事をして部屋をでる。
神殿祭場は広々とした空間だ。
いまは静謐で物音ひとつせず、沈黙が支配している。
床は掃き清められ、真っ白で一点のシミもなかった。壁や天井には細やかな装飾があるのだけれど、それらは上品にまとまっており、空間全体に厳かな雰囲気である。
広い室内には大きな筐体がビッシリと並んでいた。
錬金加工を施した紡錘形のカプセルで、全長は三メートルほど。カルデラ湖の底、つまり【奈落】に一ケ月間ほど沈めていた物体だ。
シンは祭壇の前で一礼。
小さな【亡国の女神像】が祀ってある。
『いろは四十八神に招ぎ奉りませ。此の玉器を、今世の身体と定めおき据えて……』
ゆったりとした口調で称辞を奏する。
神々の恩 頼を祈願しながら、儀式場内をゆっくりと歩いた。並べている救済用筐体に、祝詞をまんべんなく伝えるためだ。
こうして、魂魄定着の儀式がはじまった。
要する時間は、わずか三分間ほど。
というか、それ以上に時をかけるのは不可能。
理由は、精神的にも肉体的にも負担が大きすぎるから。なにしろ、二時間に一回の頻度で、しかも十日間連続で行使しなければならない。
儀典式を成功させるためにも、無理をせず適切なペース配分を考慮する必要があった。
三日目 夕刻
シンは休憩をしていた。
場所は神殿近くに設えたガゼボ(洋風のあずまや)。
屋根と柱だけの構造物で、壁がないため開けた空間になっており、たいへん見晴らしが良い。
ベンチに腰かけてお茶をすすった。
背後には、筆頭女官のタチアが控えていて、給仕を担当してくれる。
体調は良好だ。睡眠は断片的だけれど、まだ余裕はある。
身体の基礎スペックが改善したおかげであろう。
特に【HP】値が“502”と大幅に向上したせいか、疲れはさほど感じていない。以前の身体機能だったら、開始三日目くらいから疲労が蓄積しはじめた。
謎の別天津神の置き土産は、良いものであったと思う。
ただし、イイことばかりではない。
「なにごとにも、表があれば裏もある。まさか、亡者たちが大挙してやってくるとは、想定外の事態だ」
「ええ、おっしゃるとおりですわね。まるで【邪神領域】にいた死霊が全員集合する勢いです。でも、警護部隊の方々がおりますし、なんら問題はないかと」
彼のいう“亡者”。
それは【徘徊する凶霊】という、悪霊の類だ。コイツらは物理的肉体を持たない。死した後、魂だけでこの世に留まり続ける存在である。
連中が集まってくる理由。
ツクモ族用に準備した錬金義体を乗っ取るためだ。
毎度のことだが、魂魄定着の儀式をはじめると、凶霊どもが大挙してやって来る。
その動きは本能的なもの。
けっして冷静な判断をしているワケではない。アイツらは記憶をなくし、現世に留まり続ける原因すらも忘れていた。
生者をみつければ、見境なく襲ってくる。いっぽうで救いを求める哀れな存在でもある。
今回、問題なのはヤツらの数が多すぎること。
以前であれば、神殿を目指してやって来るのは、せいぜい百体ほど。それも十日間の累計だ。さして脅威でもなかった。
ところが、いま現在、防衛線上で戦っているモノだけで三百体余り。
過去三日間だと、総計二千体以上の悪鬼邪霊どもを殲滅した。この先、七日間で、いったいどれだけの亡者どもがやってくるのか、見当もつかない。
「まさか、自分の“力”が、ここまで連中を惹きつけるとは、想像だにしなかった。別天津神が、私の基本能力を向上してくれたのは、ありがたい。けれど、“質”まで変わるとはね。あらかじめ教えてほしかった」
彼の【理外理力】が変質していたのだ。
高品質、高密度化して、とびきり上質なものになっている。
ルナの指摘によれば、その波長は上位階梯者に近い。あきらかに人間の範疇を越えているらしい。
変化に無自覚であったせいで、ヤラかした。
以前と同じ感覚で【言霊奉法】を使い、祝詞を唱えたのだ。初日、なんだか調子が良いなと思っていたが、これが大間違い。
結果として、亡霊どもを大量に引き寄せてしまった。
現在、激しい戦闘がおこなわれている。
防衛線は、カルデラ湖を取り囲む山岳部や尾根を利用して構築したもの。兵士たちが、敵を突破させまいと奮闘中だ。
シンがいるガゼボからでも、戦闘音が聞こえるし、ときおり爆発や魔導閃光がみえる。
「ここは聖なる土地だというのに、【徘徊する凶霊】が入り込むなんて、なんとも嘆かわしい」
カルデラ湖一帯は神域だ。
古代魔導帝国は滅んだとはいえ、この辺一帯は護国神が治める不可侵領域。ましてや、危険な【奈落】まであるのだから、狂暴凶悪なモンスターといえども近寄ることはない。
タチアが、彼の言葉に反応した。
「我が君の言うとおりですわね。とはいえ、【亡国の女神】さまに排除を求めるのは酷というもの。悪霊に堕ちたとはいえ、元は帝国市民たちです。むしろ、死んでも今世に留まり続ける亡者を憐れんでおられるのでは?」
彼女の指摘のとおりなのだろう。
本来であれば、悪霊ごときが、神さまが管理する領域に侵入するなんて不可能だ。
注意して観察していると、結界を越えてくるのは人型幽霊ばかり。
そもそも【徘徊する凶霊】は、人類を含めて獣や魔物など生前の種別種族を問わず、なんでもアリなのだ。
しかし、元・人間の霊だけがすり抜けているのだから、護国神が見逃しているのは確実である。
「まったく迷惑なことだ」
彼にしてみれば、救済活動の真っ最中である。
にもかかわらず、女神自身が邪魔するような状況をつくりだしていた。
そのせいで、シンたちは苦労するばかり。
多数の人員を動員し、労力と資材を投入して警戒線を構築し、戦闘部隊を幾つも配置せねばならない。
苦情申し立てをしたくなるのも当然であろう。
実際、亡者どもに錬金義体を奪われると、本当に危ない。
なぜ、知っているかといえば、実験したことがあるから。
ずいぶんと昔の話である。錬金術に慣れはじめた頃で、今にして思えば、調子にのり慎重さに欠けていた。
とんでもないバケモノが誕生したのだ。
義体ひとつに数百体分の魂魄がとり憑いた結果である。
ちゃんと状況コントロールしているつもりが、まったくできていなかった。悪鬼魍魎どもの妄執というか怨念の凄まじさを、甘くみていたせいだ。
結局、事態収拾のために実験施設ごと爆破。
死者こそ出なかったけれども、多数の岩石兵士を失い、貴重な魔導機器を破棄するハメになる。
この手痛い教訓を得て以降、“実験は慎重に”が信条だ。
物思いにふけっていると、タチアがシンに声をかけてくる。
「我が君。カンナ様がお越しになりました。先日来、続いている戦況について、お話をしたいとのことです」
「ふむ、わかった。こちらに来てもらっておくれ」
カンナは儀式の実務責任者だ。
外敵排除も彼女の責任範囲である。
「我が君、お休みのところ失礼いたします。戦闘状況と今後の計画について、ご報告をさせていただきたく、罷り越した次第です」
現状、敵を撃退できており、問題はない。
優秀な指揮官のもと、兵士たちが奮戦しているおかげだ。
ただし、この先は【徘徊する凶霊】は増えるばかり。いまは夕刻だけれど、亡者たちが本格的に動き出す夜間になれば、戦いは苛烈になってくる。
「現在の防衛線を後退させるつもりです」
どうやら、カンナは強い危機感を持っているらしい。
シンが思っている以上に、かなり厳しい状態にあるのだろう。
■現在のシンの基本状態
HP:416/502
MP:572/731
LP:207/214
※補足事項: 制御核に欠損あり
活動限界まで、あと二百七日