5-25.相対する神々(後編)
ルナは、シンの後方で待機していた。
なにか問題が発生したら対応するためだ。
「上手くいって欲しいものね。失敗したら、わたしがフォローするしかないのだし」
彼女は脱出経路を再確認する。
選択したコースは複数で、条件は、適当に遮蔽物があって体を隠せること。また泥濘などに足を取られず、駆け抜けるのが容易なこと。
あとは、彼を担いで全速力で退けば良い。
ただし、相手は“神”だ。
何がおきるか予測なんてできやしない。
火山を噴火させ、無数の火山弾で周辺の地形を一変させる存在から、逃走を成功させるには、かなりの幸運が必要だろう。
もっとも、彼女に迷いは“ない”。
シンを守るために全力を尽くすのみだ。この身がどうなろうとも、愛おしい人のためなら、なんだってできる。
「相変わらず凄まじいわね。さすが伝説の【言霊使い】」
その権能は古の物語で語られている。
しかし、架空のモノとされ、実在するとは思われていなかった。奇跡の業が、彼女の目の前で発動されているのだ。
周囲の様子が変化してゆく。
先ほどまで、強烈な神威が荒れ狂って立っているのも辛い状態だった。
でも今は、圧力が減じつつある。
【言霊】の“力”のおかげだ。
言葉ひとつひとつに神々が宿っており、そのエネルギーが“お山さま”の暴威を打ち消している。
シンが紡ぐのは、聞きなれない異国の言語。
この世界とは別世界の言葉だという。祝詞というものは、祭典に関わる神職が奏上するもので、彼自身には知識がないらしい。
不思議なことに、自然と出てくるのだと彼は語っていた。
呼びかけに応じて、【ペンギン神霊】が顕現。
光り輝く柱が大地からそそり立ち、その中から姿を現した。降臨したのは、長を含め総数は十柱。
短い脚でヒョコヒョコと歩く動作は、どことなく微笑を誘う。
クエェと鳴く様子も、愛らしくて庇護欲をそそるほどだ。
いっぽうで、小さな体躯から発する神々しさは本物。
“可愛らしさと神威は両立できるのだなぁ”と妙な感心をしてしまう。
ルナがみるところ、神霊たちとシンは特別な関係にある。
彼は、“賃貸契約を結んでいるだけ”と言うが、それは違うとおもう。
企鵝たちは、彼のそばにいるために、名目上の理由として契約締結したのではと、彼女は推測していた。
根拠はいくつかある。
まず、ペンギン神霊は回遊性であること。
古代神話によれば、あの精霊たちは、地中を自由に泳ぎ回り、“定住しない”とされる。しかし、彼らは【地母神の雫】の地底湖に居ついていた。
正確には、そう見えるだけで、注意深く観察していると、けっこうな頻度で入れ替わりがある。交代で一定数が留まっているのだ。
他にも、彼らは、常にシンの近くに控えている節がある。
ルナが、それに気づいたのは【岩柱砦】が奇襲をうけたとき。
地下深くに企鵝たちの気配が、微かにあったのだ。幸い、シンは無事であったのだけれど、イザというときには彼を護るべく、行動をおこしたであろう。
ペンギンの長が、龍三匹を叩いていた。
その態度は堂々としたもの。姿形こそ小さくても、存在感は圧倒的で相手を蹴り散らさんばかり。奇異な言い方なってしまうけれど、神聖性の密度が高いのだ。
龍たちは、十メートルを超す巨体を縮こまらせている。
その様は、犬が、ご主人さまに叱責されて尻尾を丸めているかのよう。はっきりと力関係が判ってしまう情景だ。
ルナは、大きく息を吐いて緊張をほぐした。
どうなるかと心配していたが、なんとかまるく収まりそう。
シンは冗談半分で、“困ったときの神頼み”と語っていた。
人間の手に余るなら、”神様に任せてしまえ”という判断は、なかなかに良い結果をもたらすであろう。
もちろん、実行するには相応の実力が必須である。
並の人物では不可能なことを、彼は成し遂げたのだ。
「シン、ご苦労さ……、え? 」
彼女は異変に気づく。
疲労困憊の彼は、地べたに座り込んでいたのだけれど、不意に立ち上がった。
その動きは、まるで操り人形のよう。
自律的な動作ではなく、外部から無理やりに身体を操作されているような感じ。
ゾワリと悪寒がはしった。
どうにも様子が面妖しい。
シンが祝詞を唱え始めたけれど、いつもの異国言語ではない。
それどころか、複数の声がする。
彼ひとりだけなのに、音程が違う音声が同時に重なっている。
和音となって辺りに響き渡っているのだ。
合唱団の讃美歌のようにも、あるいは仏僧衆の集団読経のようにも聞こえる。
ハッキリしているのは、ひとりの人間がハーモニーを奏でるなんて不可能であること。尋常ではない現象がおきている。
「な、なに、これは? いつもの【言霊奉法】ではないわね。
もっと上位互換的なナニかだわ。
もしかして“神降し”をしているのかしら……、いや、“させられて”いる? 」
謎の神が天下ってきた。
シンを依り代として現世に来臨したのだ。
その姿がよくわからない。
彼を中心にして空間が歪曲しているためだ。
強いて言うなら、出来の悪い歪んだガラス越しに眺めている感じ。
輪郭の端っこが虹色になっているのは、光の屈折率が変化しているからだろう。
しかも、不規則に体の位置が“ズレる”。
原因は、時間の流れが乱れているから。
ややこしい表現になってしまうが、今この瞬間に【三秒前の過去】が現れ、次に【五秒後の未来】が出現するといった具合。
視覚的に混乱して頭がおかしくなりそうな光景である。
正体不明の存在は異常すぎた。
いや、もともと超常的存在である神々は普通ではないのだが、コレは桁外れ。その場にいるだけで、時空間を歪ませ、並行存在する世界にまで影響を与えている。
ルナは【神の指先】として、数多くの上位階梯者を見てきたが、これほど特異なものは知らない。
シンと重なるモノが、手のひらを広げて振りおろした。
軽く何気ない動作である。
ただし、結果はとんでもないもの。
見えない手が、龍三匹をまとめて叩いたのだ。ドンと大きな音が響くと同時に、地面に巨大な窪みができて、龍の頭がめり込んでいる。
さらに、透明な腕は連中を宙に吊り上げた。
そのパワーは凄まじく、全長約十メートルの巨体をアッサリと持ちあげるほど。
三匹の龍は苦しみの声をあげる。
前脚で喉元を?きむしるけれど、振り払うことはできない。逃れようと必死で身体をよじらせても、首を中心にして空中固定されたままだ。
しばらくすると、抵抗する力を失ってグッタリとする。
最後には、ゴミのように放り投げられてしまった。
飛んでゆく先は、結界奥の社。
この建造物は、神域へとつながる門を兼ねており、龍の長く大きな体躯をアッサリと吸い込んでしまう。
いっぽう、ペンギンたちは直立不動のままであった。
その態度は殿上人に敬意を示すもの。余計な手出しは不要とばかりに、待機状態を維持するだけだ。
彼らとて、”お山さま”を小僧扱いできるほどの神位階梯の上位者なのに、まったく動いていない。
ルナは、ただ眺めるしかできなかった。
「な、なに、あの神サマは……」
彼女は想像もしていなかった。
人類よりもずっと格上の上位階梯者のあいだで、こうも神格に差があることを。
人からすれば、神々は夜空に浮かぶ星と同じだ。
いくら手を伸ばしても届かない遥か彼方にあるのだし、どれが近く、どれが遠いかなんて、肉眼で判別のしようがない。
星々は遠方にあるのだと、まとめてひと括りで終わる。
超常的存在に対しても同じこと。
ちっぽけな人間からみれば、“途轍もなく凄い”のひと言だ。
むろん、彼女とて、神にも序列があるとは知っている。しかし、眼前で繰り広げられていた光景のように、現実として階位の違いを目撃したことはなかった。
“お山さま”は驚異的なパワーの持ち主だ。
実際、ティメイオ火山を噴火させ、地震や火山弾で周辺の環境を破壊した。地形を激変させるほどの天変地異を引き起こす暴虐的な存在である。
そんな龍たちが、ビビッてひたすら平伏するばかり。
叩かれても歯向かうどころか、抗うことすらできない。
謎の神は圧倒的上位にある。
アレは、天災級の惨禍をもたらす龍たちでさえ、取るに足らない格下のモノとして扱った。ペンギン神霊を含め、他の神々を圧倒するくらい神格が高いのだ。
それでも、ルナが最も関心を寄せるのは、シンである。
「あなたって、何者なの? 」
恋する乙女の前では、神なんて二の次だ。
だからこそ、【愛おしい男】が、龍をも越える超・超常的存在に選ばれたことに意識が向く。
彼が特別なのは明白だ。
魔造の錬成人間な時点で普通でないのだけれど、それが理由で依り代にされることはない。
もっと別のナニかがあるはず。
いまは判らないが、いつか必ず、謎神の意図を明らかにするつもりだ。
■■■■■
シンが目覚めると、膝枕をされていた。
「ん? ここはどこだ……」
「ああ、よかった、よかった」
彼は、ルナにギュッと抱きしめられる。
身体中いたるところ傷だらけで痛い。
しかし、彼女がポロポロと流す涙をみて、抱擁するのを止めてと言えなかった。彼の身を案じてくれた女性に対する言葉ではないからだ。
むしろ、心配をかけて申し訳なかったと謝るべきだろう。
「ありがとう。君のおかげで助かった。ほんとうに感謝しているよ」
彼は、彼女の頬に手をやり優しくさすった。
美しく整った顔には泥が張りついているし、髪は火山灰で真っ白だ。
すごく汚れているけれど、むしろ可愛い。
今まで以上に、相手を愛おしいとおもってしまう。
そんな感情が伝わったのか、彼女はようやく落ち着きを取り戻した。
ルナは、なにがあったのかをポツリポツリと語ってくれる。
「シンの身体に神さまが天下ったの。あんなの初めて見たわ。とても神々しいけれど、同時に恐ろしかった」
正体は不明。人間の視覚では、姿を捉えることすらできない。
五感ではなくて、もっと高次元的な感覚器がないと、把握しきれない不可思議な存在であった。
「地形を変化させて、溶岩流の進路を変更させたの。さらに、大河でマグマを強引に冷却。目撃していても夢としか思えないくらい。とんでもなく大規模な神力行使だったわ」
謎の神様は、地震を起こし、地面の一部を隆起させたのだという。
その位置が絶妙なポイントで、溶岩流の方向をズラしてしまったのだ。
地揺れは大河川をも蛇行させてしまう。
濁流が向きを変えた先には溶岩の帯。
高温の岩漿と大量の水が混ざり合って、水蒸気爆発が連発した。
いま現在も断続的に爆発的沸騰が続いており、彼らがいる場所にも爆音が伝わってくる。白い水蒸気と黒い火山性ガスが、付近一帯を覆ったままだ。
しばらくのあいだ、人間が立ち入るのは不可能だろう。
城郭都市は全滅を免がれた。
多くの住人が助かったのだ。地震と火山弾の爆撃、大規模火災のせいで被害はあるけれど、それでも死者数は少ない。
「バーミリオン・ヒルに駐留していた隊員たちも無事よ。崩落事故で閉じ込められた者は、全員救出されたわ。怪我人はいるけれど、誰も死んでない」
「そうか、良かった」
ルナは念話で報告を受けたとのこと。
シンの護衛三名が活躍したという。
まず、護衛隊リーダーのプラタナス。
彼の状況把握と指揮能力の高さが役立った。現場で動転していた者たちを落ち着かせ、適材適所に人員を配置して、速やかに救助にとりかかる。
巨漢のムクロジは、頑丈で力強い身体を活かして瓦礫を撤去。
治癒系魔法の使い手エリカは負傷者の治療で奮闘したとのこと。
シキミ・リキニウスの救援部隊の到着も早かった。
彼は三賢人のひとりであり、前線基地建設の指揮をしていたが、急遽、要員を集めて城郭都市へ急行したのだ。
当初、夜明けくらいに到着予定であったが、未明(午前二~四時)には都市へ着いている。救助要員ひとりに騎竜二頭を割り当てて、騎獣が疲れると、乗り換えるといった方法で、移動時間を縮めたのだ。
シキミが念話で報告してくる。
『我が君、【清浄なる娘】への工作は成功です。
なに、簡単なものでした。冒険者組合は、地震や火山弾で混乱状態に陥っていましたから。責任者が真っ先に逃げれば、現場職員の士気が下がるのも当然のこと。組織としても末期的な状態ですね』
彼は、組合の状況をみて作戦変更を決断。
真正面から組合建物に入ることにしたのだという。もともとは、地下道から建物へと侵入するつもりであったが、地震で崩落して使えない。
急遽、工作員たちを職員に変装させた。
怪しまれることもなく、補助人格【清浄なる娘】のある地下室へと到達。短時間で侵入経路を仕込むことに成功したのだ。
『現在、各種データを【岩窟宮殿】に転送中。
知識情報を優先しています。我が君のLP値延長に役立つことでしょう。それが終了すれば、冒険者組合の活動記録、過去三百年分にとりかかる予定です』
『よくやってくれた。さすがシキミだ。頼りになる』
シンはやれやれと安堵のため息をつく。
紆余曲折あったけれど、結果だけみれば目的は全部達成だ。
地下坑道崩落で閉じ込められたツクモ族たちは全員助かった。組合が保有する魔造結晶体へのバック・ドア工作も完了。ついでに、城郭都市も溶岩流に飲まれることも阻止できた。
「まあ、苦労はしたけれど終わりよければ、すべて良し……」
「ち、ちょっと、シン! コレはなに! 痛くない? 身体に異常を感じたりしてない? 」
突然、ルナが血相を変えて叫ぶ。
動転しているせいか、その瞳はガラス玉みたいに無機質だ。
彼女は、彼のボロボロに破けた服を開けて、胸元を確かめようとする。
シンは、彼女の視線につられて己の胸をみた。
それは五センチほどのダイヤモンドに似た結晶体。
異世界で目覚めたときから、肉体にガッチリとくい込んでいる制御核だ。
核にヒビ割れがあった。
■現在のシンの基本状態
HP:01/---
MP:01/---
LP:19/---
活動限界まで、あと十九日。
※補足:制御核に亀裂あり