5-22.天災は、かくも恐ろしく
シンは背後を振り返った。
大地を震わせる轟音を耳にしたからだ。
目に映るのは、ティメイオ火山から巨大な火柱が吹きあがる光景。
「なんてことだ。聖なる山が噴火してしまった」
その場にいた全員が茫然と立てつくす。
つい先刻まで、彼や護衛役たち、【玄門の塚守】の一族は、互いに戦おうととしていたのに、気が削がれてしまった。
というか思考停止して動けない。あまりの状況変化に意識がついてゆけなかったのだ。
衝撃波が襲ってきた。
彼はまったくの無防備であったため、よろけてしまう。
それは【空震】。
火山の爆発的噴出は、山頂付近の大気を一気に圧縮した。さらに、時速千キロ前後という猛烈なスピードで拡散してゆく。
山の標高が高いこともあって、ソレは広範囲に広がり、途中にあるすべてのものを叩きのめす。
空気のハンマーは、城郭都市バーミリオン・ヒルを直撃。
家の窓ガラスを粉々に砕いた。
さらに、脆弱な建物、主に貧民街の住居を揺さぶり、あるいは倒壊させる。
シンたちは運が良かった。
彼らのいる位置は、地形的な壁があって衝撃エネルギーを遮ったからだ。
だが、火山噴火の脅威は終わりではない。
むしろ、本番はこれからだ。
「拙い、まずい、マズイ。火山弾がくるぞ」
避難場所を探すが、そんなモノは“ない”。皆無だ。
ここはティメイオ火山の麓で、ところどころに雑木林が見えるだけの原野。退避壕どころか、山小屋ひとつ見当たらない。
次善策は自分で作ること。
幸いにも彼は魔導師だ。しかも、出力量は桁外れに大きいし、保有術式の数は非常に多い。己だけでなく、部下たちを守ることぐらいできるはず。
というか、逃げる場所を用意しないと本当に死んでしまう。
「ルナ、こっちへ来て。プラタナス隊長は騎竜たちを呼び寄せるんだ! 早くしないと間に合わない」
彼は、一気に【理外理力】を解放した。
おこなう作業は、穴を掘るというよりも魔法攻撃に近い。
一度に十本もの【魔力の槍】を出現させ、強引に地面に突き刺した。深く差し入れたところで、コレを爆破粉砕。柔らかくなった土砂を、【魔法の腕】で掻き出してゆく。
ここまで全力で魔法行使をしたのは初めてだ。
普段なら、こうも無茶な術式展開はしない。目的に応じて適切な術種選択をするのが常道というもの。
でも、今は無理。時間優先となれば、ゴリ押しの力技で現状突破するのみだ。
彼の視界に、ちらりと玄門の当主の姿が見えた。
一瞬、互いの視線が合ってしまう。
エアハルトは苦々し気に顔をそむける。
ヤツの表情は、助けを求めたそうであったが、すぐに思い直した様子。殺そうとした相手に助力を嘆願するのは、屈辱的な振る舞いだと感じたようだ。
「野郎ども、集まれ! 全員で防御結界を張る。幾重にも重ねれば助かるはずだ。すぐにヤバいのがくるぞ! 」
残念だが、塚守当主は判断を誤った。
これから襲ってくるのは火山弾の嵐。
大小さまざまな岩礫が大量に降り注いでくる。
連中は強力な結界術の使い手だが、天災級の自然災害に対抗するなんて不可能だ。人間の魔法防御なんて、薄っぺらな紙と同じ。
地面に穴を掘って、そこに逃げ込んだほうが、生存率は高いだろうに。
もっとも、助けを求められても困る。
ヤツらは四十余名と大所帯だ。全員を収納できる地下空間なんて、短時間で用意するのは絶対に無理。
シンとて余力はない。
自分と仲間たちを守るだけで精いっぱいだ。いま作っている退避壕だって、役立つのか不安に感じているほど。言い訳ではなくて、本当に連中への助力はできない。
彼は心底から焦っていた。
いつ、火山弾がやってくるのか判らない。
到達するまで残り三十秒なのか、あるいは十秒後なのか。
気が急くせいで呼吸が乱れて、頭がクラクラする。
ついに、火山礫が飛来してきた。
小さな粒が散発的にパラパラと音をたてて落下。
はじめは、小雨でも降ってきたのかと勘違いするくらいだ。
ただし、雨粒と決定的に違うのは、“熱”。
落下物には、溶岩も混じっている。
空中を飛翔するうちに冷えるが、それでも百度以上の温度を保ったまま地上へ着地した。小粒であれば、保持できる熱量は少ない。せいぜいが地面を焦がす程度で済む。
だが、量が多ければ話は違ってくる。
次々に落下してくる岩石は止まるどころか、飛来する数は増すばかりだ。
やがて枯草に火がついてしまう。
夜の帳が降りた暗い原野に、ポツポツと赤い炎が浮かびあがった。
火山礫から火山弾へと変化してきた。
学術的な区分でいうなら、直径の大きさで『礫』と『弾』を区別する。
まあ、とにかく石のサイズがでかくなって、危険度が高くなったと思えばよい。
簡単にいえば、コイツが命中すると負傷確実だ。
火口付近から舞い散った砂利は高度数百~千メートルまで上昇し、加速度をつけて落下。当たり所が悪ければ死んでしまう。
シンは作業中止を決断した。
これ以上、地上に留まるのは危険すぎる。
「逃げろ、にげろ! 早く、なかに入るんだ」
退避壕は直径約二メートルの穴。
火山の方向にむかって斜め下四十五度の角度で地面を掘削した。
飛来物が、ダイレクトに飛び込まないようにするためだ。
深さは地表からおよそ五メートル。
入口の周りには、土を盛って簡易な土壁も設置してある。崩れないように、壁の表面を魔法で硬化処理を施した。
わずか数十秒で作ったにしては上出来だと思う。完成には程遠いが、それでも生存率は格段に上がったはずだ。
「ルナ、全員そろっている? 」
「ええ、騎竜たちを含めて、みんないるわ。怪我もないわよ」
即席の地下空間は狭い。
掘削したばかりなので、内部は泥臭くて湿度も高かった。
そんな場所に、人間五名と騎竜五頭がぎゅうぎゅう詰めな状態だ。もう、窮屈だし、息苦しい。
それでも安心感があった。
身を寄せ合い、肌が触れることで、自分には仲間がいるのだと実感できるからだ。孤独感がないだけも、充分にありがたい。
頭上から震動が伝わってくる。
地震によるものではない。
大小さまざまな火山弾が入り混じって大地を乱打していた。
なかには、途轍もなく巨大な岩塊もあるようだ。着弾音が桁違いに大きいので、大質量の物体が地面に激突したのだと推測できてしまう。
とにかく恐ろしい。
巨岩が直上に落ちてくるかもしれない。
退避壕を圧し潰す可能性はある。
このまま生き埋めになったら、どうしよう……。
シンは、ルナを抱き寄せた。
彼女は身を震わせ、歯をガタガタと鳴らしている。普段は沈着冷静なクール・ビューティだけれど、いまの怯える様子は小娘のよう。
場違いだけれど、ちょっぴり可愛いと思ってしまった。
「だいじょうぶだ。簡易な退避豪だけれど、ここは地下深いし、魔法防御も展開している。下手な要塞よりも頑丈だよ。みんなも安心してくれ」
彼は、彼女を勇気づける言葉を口にした。
なるべく、やさしく穏やかな口調で語りかける。
本当のところ、安全である根拠なんて皆無だ。愛おしい女性や、忠実な部下たちの不安を一掃するための嘘である。
それでも、ルナは落ち着いたらしい。
「ええ、そうよね。貴方は、伝説の【言霊】の権能を授かり、古の魔導師でありながらも、最新の錬金術知識を持つ人。
そんな特別な男性が作った避難場所なのだから、わたしたちをキッチリと守ってくれるわ。仮に駄目だったとしたら、もう誰がやっても無理なの。
貴方以上のことができる人物は、いないのだから」
ルナは自信をもって言いきった。
その言葉は本心からのもので、まったく疑念が混じっていない。
彼女が寄せる信頼が重すぎて、彼は困ってしまうほどだ。
シンは少し冷静になれた。
彼女のおかげだ。全面的に自分を信じてくれる女性の前で、狼狽える姿は見せられない。やせ我慢でも平気なフリをせねば、男が廃るというもの。
頭が冷えたところで、なぜか前世知識がフッと浮かんできた。
それは火山活動について。
この異世界では解明できていないし、誰も知らない情報。
いまは、何もできないのだし、もうちょっと詳しく思い出してみよう。
地中奥深くにいるのは岩漿。
マントル層は、地殻のさらに下にあって、非常に高温であるため、岩石類はドロドロに溶けてしまう。温度は、地殻付近で一千度、中心部にゆくほど高熱になり、核近くで三~五千度にもなる。
高圧力を受けるマグマには逃げ場はない。
そこは監獄のようなもの。
常にヤツは脱出の機会を窺っているのだ。膨大なエネルギーを持て余しながらも、マントル層をグルグルと動いている。
でも、ソレは知っている。
ときおり、牢獄の扉が開くことを。
硬く分厚い地殻が割れて、わずかな隙間ができる瞬間があるのだ。
何百年ぶりに牢獄の門が開いた。
千載一遇のチャンスを生かして、ソレは地表に出る。
歓喜のままに、内包する熱量を一気に解放。己を閉じ込めていた忌々しい獄門、つまり火山本体の一部を引き裂き、頂上部付近を粉砕した。
数十万か数百万トンかは知らないが、とにかく大量の岩石と土砂を吹きとばす。
岩漿の爆発的噴出は、大地を大きく揺り動かした。
火山性地震の発生である。
岩盤の硬さや、地質の相違によって地震波の伝達距離は変化するが、かなりの広範囲に伝わったはず。
日没後、人々の多くは就寝しているが、突然の地震に驚いて飛び起きたに違いない。
シンの体感では、およそ震度五~六といったところ。
壁や樹木で身体を支えないと歩行が困難なほどだ。
火山から最も近い都市、バーミリオン・ヒルでは家具が倒れ、食器棚からは皿やカップが落ちただろう。貧弱で耐震性のない建物なら倒壊したかもしれない。
次にくるのは火山弾。
噴火で空中に舞い散った土砂の量は“膨大”のひと言。
さらに、約一千度もの高温の溶岩が混じるのだから、堪ったものではない。天然の絨毯爆撃と表現しても良いほどの苛烈さで、大地を叩きつける。
そして、いま現在、シンたちは退避壕のなか。
地上の様子を見ることはできなかった。できることと言えば、想像力をはたらかせて、火山噴火の光景を思い浮かべるくらいだ。
他には……、
「大丈夫、だいじょうぶ」
同じ言葉を繰り返すのみ。
危地に陥ったことは幾度もあるが、為す術もなく、唯ひたすらに耐えるだけという経験は初めてであった。
人間で、どうこうできるレベルではない。
火山噴火という天災の前では、人類は無力なのだ。
もう、神に祈るしかない。
もっとも、かくも酷い状態をつくったのが、その神自身である。なんとも皮肉なものだ。
やがて、頭上の震動が減ってきた。
ひと通り、火山弾が落ちてしまったらしい。
空中に舞い上がった土砂や溶岩は大量だけれど、無尽蔵というわけではない。なにごとにも終了というものがある。
再度の噴火がおきるなら別だが、これで落下物の攻撃は打ち止めだ。
「どうやら、終わったみたいだ。すぐに脱出しよう。もっと安全な場所へ移動すべきだ」
「ええ、そうね。こんな危険なところにいたくないわ」
彼らは、恐る恐る退避壕を出る。
一瞬、周辺の様子に戸惑ってしまった。
地上の景色は一変しており、間違って違う土地にいるのかと勘違いしそうなほど。
世界が赤く染まっていた。
火事が、あちこちで起きている。
その範囲は広くて、火災は原野を征服しそうな勢いだ。空中では火粉がチラチラと宙を舞っていた。
もう夜だし、あたり暗いはずなのに、地表は異様なほど明るい。
地形が劇的に変わっていた。
まるで月面のようにクレーター状の陥没跡が無数にある。
もう、地面はデコボコだらけ。サイズは大小さまざまで、小さなものだと直径二、三センチほど。
巨大なモノは、立派な屋敷が数軒すっぽりと収まるほど大きい。
深さは人間の四倍はあろうか。
中心部の底には特大の岩石。
驚くべきことに、直径十メートル級の石塊が鎮座していた。
巨岩をイメージしやすくするため、具体的な例を紹介しよう。
大阪城の石垣に『蛸石』というものがある。
日本にある城のものとしては最大で、高さ五メートル強、幅十二メートル弱、重さ約百八トン。
シンは、前世で現物を見たことがある。
一個の岩塊というには、あまりにもデカすぎて圧倒されてしまった。こんな重量の岩を人力で動かしたのかと、感嘆すると同時に呆れたものだ。
いま、彼の眼前にあるのは『蛸石』に匹敵する巨石。
百トンもの大質量が、空から加速度をつけて大地から降ってきたのだから恐ろしい。
しかも、この巨大サイズの石塊がゴロゴロしていた。
火口近くだと、コレを上回るモノだってあるに違いない。あたりの景色が激変したのも当然である。
「想像を絶する惨状だな。私たちは運が良かった。にしても、ヤツらはどこにいる? 」
彼は、【玄門の塚守】たちを探した。
しかし、人影はまったく見当たらない。視界に入るのは円形状の窪地や燃える草木ばかり。
連中は、得意の結界術で火山弾の攻撃に耐えきれただろうか。
生存者はいてほしい。
死亡した人間は多いとおもうが、それでも生き残る可能性は少しでもある。
当主のエアハルトはともかく、最低でも巫女頭のギルベルタは無事でいてくれと、心底から願う。
不気味な音が聞こえてきた。
立て続けに轟音が鳴り響いて、止まる気配がまったくない。
それは雷鳴であった。
雷が、火口から吹きあがる噴煙を中心に発生している。
高く舞いあがった火山灰や土砂、さらに水蒸気がこすり合わさって静電気が生じているのだ。この放電現象は、火山からの噴出物が大量で、かつ勢いが激しい証拠でもある。
雷光は山頂上方に集中していた。
通常の雷のように広範囲ではなく、逆に火口直上の狭い空間で起きている。
連続するイナズマに本能的な恐怖を感じて、身体が縮こまってしまう。
山頂から溢れ出るのはマグマ。
すでに山の中腹あたりまで到達している。
溶岩は外気に触れ、表面が冷やされて固まるのだが、それは薄い膜のようなもの。内部は高温のままなので、すぐに薄膜は破れてしまう。
岩石の流れは、止まっては前進、止まっては前進を繰り返していた。
シンは、しばらく岩漿の行進を観察する。
あることに気づいてしまい、愕然としてしまった。
「なんてことだ。まだ終わりじゃないぞ」
溶岩流がむかう先。
そこは、城郭都市バーミリオン・ヒル。
■現在のシンの基本状態
HP:82/82
MP:62/98
LP:20/64
活動限界まで、あと二十日。