1-10.死は、いつも左肩うしろにいる
翌朝、シンは本拠地の外にいた。
試作錬金罠の実地テストを続けるためだ。
ついでに、昨日、罠に嵌った緑色鬼の確認をしておきたい。連中はトゲトゲ地雷で大怪我をしたが、森の奥へと姿を消してしまった。
最後はどうなったか不明である。
数時間後、緑色鬼二匹の死体を見つけた。
身体がバラバラになっている。
別の魔物か獣に喰われたようだ。
「やはりか」
予感はあった。
ちょっとした負傷でさえ、落命に直結するのが、人外魔境の大森林である。
鬼たちは、全身に怪我を負っていた。
トゲの表面は逆棘がついている極悪仕様。一度、刺さってしまえば引き抜くことができない。
相当な痛みを感じていたはず。
走るのは無理だし、歩くのでさえ厳しい。ましてや戦うなんて絶対に不可能。
「まあ、“手負い”なんて、他の化物からすればエサだもんな。結局、連中の運命はトゲトゲ地雷を踏んだ時点で決まっていた。
死亡するのは、早いか遅いかの違いでしかない。ほんとうに、この土地はキツイ場所だとおもうよ」
ここは、常に危険と隣り合わせだ。
恐ろしいモンスターたちが蠢く領域。熾烈な生存競争が繰り広げられていた。少しでも油断すれば、いや、用心していても、強者に遭遇するだけで命を失ってしまう。
そして、“死、”はシンのすぐそばにいる。
彼は、欠陥のある錬金人間。生存可能な期間は、わずか三週間ほどのポンコツである。定期的に再生処理を施さなければ、やがて活動限界を迎えてしまう。
「【“死”は、いつもお前の左肩うしろにいる】か。まさに、今の状況に相応しい文章だな」
これは、前世で愛読していた書籍の一文。
『“死”は、いつもお前の左肩うしろにいる。
でも安心するがいい。なぜなら、ヤツが声をかけるのはたった一度しか、許されていないのだから。その時がくるまで、静かに待っているだけ。
だから、賢い戦士は、“死”を自分の味方につけて助言を得るのだよ』
ネイティブ・アメリカンの呪術師の言葉だ。
題名も著者も忘れてしまったけれど、この書物を何度も読み返していた。なぜか、上記の文言がよみがえってきて頭から離れない。
LP数値について、常にプレッシャーを受けているせいだろう。
「もっと前向きになろう。どうせ人間はいつか、あの世にいくのだし。早いか遅いかは運命次第。いっそのこと、賢い戦士みたいに、“死”を味方にするか。それくらい強気でも良いよね」
頬を両手でパンと叩く。
無理にでも気合を入れた。
怖がるばかりでは、現状を変えられない。
―――前をみろ、下をむくな!
胸を張って、深く息を吸うんやで。
背筋をシャキンとのばせ。まだまだヤレるはずや。
こんな辺鄙なところで、くたばってたまるか。
数週間、錬金罠の検証実験を繰り返す。
せっせと試作品を用意しては、あちらこちらに仕掛けた。たくさんの失敗事例と、ちょっぴりの成功データーを得て、改良を重ねる。
面白い発見もあった。
魔物たちは、やたらと好奇心が強いのだ。
厳つく、恐ろし気な顔つきなくせに、どいつもこいつも初めて見るものに、ひどく興味を示す。
「人形に惹かれるなんて意外すぎる」
ある日、悪戯半分に木製ドールをトラップのうえに置いてみた。
造りは、すごく雑。小枝を適当に紐で結んで人間の形にしただけ。
これが効果覿面だった。
普通に肉をエサにするよりも、玩具のほうがバケモノたちをおびき寄せる。
ホント不思議だ。
ヤツら娯楽に飢えているみたい。楽しみが少ないのかもしれない。まあ、効き目があるなら、何でも構わないけどな。
錬金罠の本格運用を始める。
試作品のうち、成績の良かったものを採用した。
大量に生産し、本拠地周辺に設置してゆく。
結果、徐々に成果がでてきた。
モンスターどもが近寄らなくなったのだ。
痛い思いをして学習したのだろう。
「おかげで、狩猟採取生活は順調だな。
錬金トラップのおかげで、直接戦闘は回避できている。
おまけに、副次効果もあったしね。魔物や獣の数が減ったから、木の実や山菜の採取量や種類も増えた。いい感じだ」
いっぽうで、農業は断念。
理由は、投入労力と収穫量のバランスが悪いから。草木を刈り、土を耕し、朝夕に水やりするなど、農作業はけっこうな重労働だ。
いっぽうで、収穫はとても少ない。
厄介な害虫が繁殖し、植物の病気が蔓延して、ぜんぜん割に合わなかった。お金に換算すれば、収支決算は大赤字になってしまう。
なので、育てるのは薬草類だけに限定する。
しかも、手間をかけない自然農法。雑草抜きはしないし、肥料や堆肥も与えない。せいぜいが畝をつくって幾種類かの薬草を栽培するくらいだ。
この程度でも充分に魔法治療薬の原材料は確保できる。
「いっただきま~す」
食生活は意外と豊富だ。
今日の夕食は、蒸した芋に鳥肉スープ、たっぷりのサラダなど。毎食、野菜類だけでも常に四~五種類を揃えて、その他にキノコ類や果物などを加える。
「香辛料系の植物がたくさんなのはラッキーだった。香草で作ったドレッシングなんかも、イケてるし」
食事内容は多品種少量だ。
なるべく食材の種類が多くなるように心がけている。その結果、バランスよく栄養を摂取できており、健康的な生活をすごせている。
採集作業には注意を払っていた。
摘んでも必ず一部を残し、根こそぎ採る行為はしない。時間をおいて再び採集するためだ。
果物や木の実がなる樹木の手入れも実行中。
育成を邪魔する下草を刈っている。
また、陽当りを良くするため、周囲の樹々の枝を定期的に切り落とす。
「食糧備蓄も順調だと安心するね。これまでは消費する一方だったけど、もう過去のことさ。獲得した食料のうち、三分の一を備蓄しているし。いずれ倉庫はいっぱいだ」
■■■■■
森林のなかは、鬱蒼として薄暗い。
シンは周辺を警戒しながら慎重に足をすすめた。
探査系魔法を展開中だ。
【集音】で全方位を遠距離で大雑把に。
【熱源探知】は狭い範囲を精密に。
この組み合わせは、まことに優秀。
今まで、多くの魔物たちを発見し、いつも先手を取っていた。それゆえに、索敵には自信を持っていたのだが……。
「えっ、なに?」
突然、警告を受けた。
左肩の後ろ側に何者かがいて、注意を促したのだ。
報せた者は正体不明。しかも、音声ではなかった。
脳内で注意喚起の声をかけられた感じ。
それは、“死”からであった。
後日、判明したことだけれど、彼は“死”を自分の味方にしていた。
前世記憶にあったネイティブ・アメリカンの呪術師の教えである。不思議な現象だけれど、生命の危機を救ってくれたので、文句はない。
注意深くあたりを見渡す。
巨木の陰に巨大蟷螂がいた。
まわりの緑に同化して、隠れている。
「チッ、擬態していたのか」
【集音】で捉えられなかった。
この魔法は周囲の音を拾う。
ところが、巨大昆虫は無音であった。
獲物を待ち伏せするために、ジッとしていたからだ。
感知できなかったのも当然のこと。今まで遭遇した魔物は移動して、物音をたてていたから、発見できている。
だが、今回の敵は動かずに無音状態。
初めて【集音】の欠点が露呈した。
大蟷螂は、非常に危険なヤツだ。
以前、アレが戦っているのを観察したことがある。
錬金罠の実地テスト中のことだ。大きな肉食昆虫は、緑色鬼三匹に囲まれていたのに、逆に返り討ちにしている。
「アイツ、面倒くさいんだよなぁ。執着心が強すぎて厄介だし。
自分のエサだと定めた相手を、執拗に追いかける。おまけに移動速度が速いし、飛行可能だから、逃げるのもひと苦労だ。本当に始末に負えない」
そんなカマキリが、ギチギチと鳴いた。
彼を餌だと認識したらしい。
擬態をやめて張りついていた幹から降りてくる。
「ふん、襲ってくるつもりか。でも、私を舐めると痛い目にあうぞ」
投擲武器を放り投げる。
それは、敵の手前あたりでボフッと爆発。
キラキラと輝く小紙片が拡散した。
「特別性の【感覚惑乱紙】だ」
薄紙に光を乱反射する塗料を塗って細かく刻んだもの。
魔法の【浮遊】を付与しており、長時間空中に漂う。ついでに刺激性の強いミントの香りも追加しておいた。
このチャフは、感覚器の鋭い魔物への対策用。
巨大蟷螂には、非常に効果的だ。
なにしろ昆虫の複眼は、移動物体に対して鋭敏な反応を示す。惑乱用紙片は、ピカピカときらめきながら空中に浮かぶのだ。敏感な視覚を情報過多な状態へと陥らせる。
簡単にいえば、眼の良すぎるバケモノ用の武器だ。
ちなみに、匂いがミントなのは、自分を守るため。
最初、強烈な腐敗臭の液体を採用して大失敗。
検証試験のとき、迂闊にも風下に立ってしまったのだ。
結果、『鼻が、鼻がぁ~』とのたうち回った。言い訳するけど、実験に失敗はつきものなのだよ。うん。
巨大カマキリはキラキラ光る靄のなか。
当惑してその場で止まっている。
キョロキョロと左右に頭を振って、何が起きたのか確かめようとしていた。もう隙だらけである。
今こそ攻撃のチャンスだ。
「くらえ、【火弾】!」
攻撃魔法を三連発で放った。
拳ほどの大きさの炎が標的に命中。
けっこうな傷を負わせた。脚が一本もげ落ちる。他にも表面が焼けただれ、緑色の体液が流れ出ている部分が数ケ所。
「チッ、仕留め損なった。死んでくれればよかったのに。いや、アレが相手では高望みしすぎか」
以降、戦いは苦労しそう。
というのも、カマキリ野郎は魔法を使えるから。
鎌状の前脚を振るうと風魔法の斬撃が飛んでくる。細い木ならスパスパと切り倒すくらいの威力があるから恐ろしい。
シンはすぐにその場から離れた。
同じところに留まっていては、反撃を受けてしまう。飛来する風撃を見てから回避するなんて、器用なことはできない。
対策は、ひたすら動き回ること。止まると死んでしまう。
「あ~、やっぱり撃ち合いになったか。ちっ、煩わしいヤツめ」
双方ともに攻撃魔法を何発も放つから、周辺に被害が広がるばかり。
地面は抉れ、樹々は倒壊した。
一部では小火が発生する。
環境破壊も甚だしい。
「長引くと不利だ」
彼には体力がない。魔力もだ。
身体が子供サイズだと、継戦能力は低くなってしまう。短時間で相手を仕留めきれないなら、撤退も考慮したほうが良かろう。
いつの間にか、戦いの場所は河原へと移動。
そこは大森林を貫く大河のすぐ傍で、大きな岩石がゴロゴロと転がっていた。シンは、有利な位置を確保するために、大岩に飛び乗る。
岩の裏側に“異形の存在”がいた。
「うげっ! 岩石兵士か」
それは岩塊のバケモノ。背丈は二メートルほど。
見た目はローマ帝国の重装歩兵に似ていた。
頑丈なボディは、生半可な攻撃を簡単に跳ね返す。
彼の魔法などは通用しない。
「また、敵を発見できなかったのか」
ちょっとショック。
【熱源探知】で巨石化物を認識できなかったからだ。
相手は、無生物だから体温がないし、センサーに引っかからなくて当然。
先刻の【集音】に続いて、二回目の索敵漏れだ。
今まで、ふたつの探知魔法の組み合わせで問題がなかったのに。でも、今日一日で探査魔法に大穴があることを、思い知らされた。
かなり、ヘコんでしまう。
「おいおい、まだ追いかけてくるのかよ。相変わらず、粘着気質なヤツだな」
巨大カマキリが森の奥から現れた。
大きな羽を広げて宙を飛んでくる。
砂利をまき散らしながら着地。
その勢いを利用して、シンを襲おうとしたが、急に停止した。岩石兵士に気づいたのだ。
彼は大岩の上からすばやく降りる。
位置取りは、ゴーレムと巨大蟷螂と等距離になる場所。
上空から見れば、三者を頂点にして正三角形を形成する位置だ。
「まいった。肉食の大昆虫だけでも大変なのに。さらに岩石モンスターまで相手にするのかよ。こんなのやってられない」
シンは、ジッと動かず様子見だ。
いつでも攻撃魔法を放てるように準備する。
積極的に仕掛けるつもりはなかった。
下手に刺激して魔物二体から挟み撃ちされたくない。
「巨大カマキリは威嚇だけか」
ヤツは、両方の鎌を左右に開いて構えたまま。
敵対者の様子を窺っている感じだ。
自分から襲う意思はないみたい。昆虫とはいえ知恵はあるようで、己が不利になるのを避けていた。
「岩石兵士は……、まあ無表情だわなぁ」
こちらは、当惑している雰囲気だ。
石造りの顔に表情なんないけれど、そんなかんじ。
いきなり争いに巻き込まれたのだから、当然であろう。
ただ、三者のなかで最も強いのは、岩石モンスターだ。
コイツがどう動くかで、戦いの結果は変わってくる。
「三すくみか」
―――できれば撤退したいんやけどなぁ。
迂闊に背を見せるとヤバそう。他の二体から同時に攻撃されるやろうし。かといって前に出るのはまっぴら御免やで。それこそ袋叩きにされてしまうわ。
さてさて、いまの状況は厄介すぎる。
どないしたもんやろか……。




