8.
今日は講演会。
場所は高級ホテルのホール、白鷺の間。
テーマは”これからのまちづくりについて”。
さすがは美人すぎる市長。集客力は抜群だ。ホールの収容能力は三百名ほど。そのすべての席が埋まっている。
ロールスクリーンにスライドを表示させ、それを活用しながら理路整然と説明する姿は、実にサマになっている。聴衆を惹きつけるだけのプレゼンのテクニックもある。与党が担ぎ上げただけの、ただのお飾りのお姫様ではないのだ。知識も豊富だし、頭の回転だって速い。言葉を選んでわかりやすく話していることも如実に伝わってくる。
私は講演の様子を舞台袖で見守っている。相変わらず表立ったスケジュールの公開は控えており、だから今回のイベントも除外対象ではあったのだけれど、検討に検討を重ねた結果、予定通り執り行う運びとなった。
現状、特に問題は生じないかなと思う。無論、油断は禁物。でも、最近、本当に『OF』は静かだ。沈黙を保っている。あの犯行予告はなんだったのだろう。一度仕掛けてきただけではないか。もっとなりふり構わず襲撃してくるものだと考えていた。
正直なところ、場合によっては守りきれない可能性もあるのではないかと危惧すらしていた。市長を的にするのは、やはり象徴的な意味があるはずだ。殺害できれば組織は勢いづくことだろうし、世間への衝撃度も半端なものでは済まないだろう。
諦めた?
それとも今回の予告はフェイクで他に誰か目当ての人物がいる?
そうなってくると、目下の本丸として予想されるのは県知事あたり?
それはあり得る話かもしれない。どうしよう。後藤さんに意見してみるべきだろうか。
そんなふうに思考を巡らせている最中に、それは起きた。
最前列に座っていた若い男がいきなり壇上に上がったのだ。素早い動きだった。制止する暇はなかった。
「市長!」
私は叫んだ。でも、市長はこちらに向かって駆け出そうとしたところで、男に腕を掴まれ引っ張り込まれてしまった。腹部に左腕を巻きつけられ、喉元にバタフライナイフを突きつけられてしまう。ボディチェックの甘さに思わず舌を打ちたくなった。SPのくせに性善説でも信じているのだろうか。
私は拳銃を向ける。男のナイフを持つ手は震え、その顔は引きつっている。フツウの精神状態ではないのだろう。でも、それってちょっとおかしい。いや、そもそもがおかしい。どうして人質にとるような真似をするのか。殺害が目的なら、すぐさま実行すべきだ。実行しない根拠が見当たらない。
私は男に向かって「どうしてすぐに殺さないんですか?」と単刀直入に訊いた。その間にSP達が壇上へとにじり寄る。男は「くく、来るなあっ!」と取り乱した声を発する。「来るなよ、来るなあっ!」と続ける。なぜだろう。本当になぜ? なぜ殺さない?
「ここ、殺したくない。誰も殺したくない。で、でも、殺すしかない」
「どういうことですか?」
問い掛けつつ、私はすり足で徐々に前進する。
「もう一度訊きます。どういうことですか?」
「ば、爆弾だ」
「爆弾?」
「あ、ああ。そうだ」
ここで男が突き飛ばすようにして市長を解放した。突拍子もない行動だ。ナイフまで捨てた。それから紺色のダウンコートの前を勢いよく開けた。腹に巻かれている白い物体。プラスティック爆弾と見て間違いない。本当にSPはなにをチェックしたのか。それともチェックしなかった? だったら、それはなぜ?
「た、頼む。外してくれ。自分じゃあどうしたって外せないんだ」
「動かないでください。市長、こちらに」
ひとまず市長を保護。SPに言って、ホールの外へと連れ出させる。すでに聴衆らは慌てふためきながら、我先にと次々に逃げていった。
「経緯を話してください」
「そんなことはどうだっていいだろ!」
「話しなさい」
「くっ……。最近、ネットで知り合った女がいて、そいつのアパートに行ってみたら後ろから頭を殴られて……。目が覚めたら、こ、こんなことになってた。犯行予告は、し、知ってる。だから、『オープン・ファイア』の奴らだったんだと思う」
「指示の内容は?」
「市長を殺して、上手く逃げ出して、電話を入れろ、って。そしたら、遠隔操作でタイマーを止めてやるって」
「ムチャクチャな指示ですね」
「そ、そんなのわかってる、わかってるさ。で、でも、わかるだろ? 俺はやるしかなかったんだよぉぉぉぉっ!!」
やはり解せない。どうしてだろう。どうして『OF』はこんなまどろっこしい真似を? そこには理由などないのだろうか。状況から考えると、きっとそうだ。連中はやはり遊び半分で男を寄越したのだろう。卑劣だ。ゆるしがたい。だけど、今、そんなことを言ったところで始まらない。なにも進展しない。
「お、お、俺にはやっぱりヒトは殺せない。殺したくないから殺せない」
「それがフツウのニンゲンの神経です」
「だ、だよな? だよな?」
「コートを脱いでください」
「あ、ああ。わかった」
私は近づき、男の状態を確認する。爆弾は鎖でぐるぐるに巻かれていて、ご丁寧に南京錠で留めてある。そう簡単に取り外せそうもない。腰の後ろの部分に小さなタイマーが付いていた。赤いデジタルの数字が、もう一分弱しか猶予がないことを示していた。
「……ダメ。ごめんなさい」
「な、なんでだよ。なんで謝るんだよ!」
「本当にごめんなさい」
私は男の眉間に銃口を押し当て、トリガーを引いた。男は膝から崩れ落ちた。すかさず駆け出す私。まもなくして後方で爆発。爆風に背中を強烈に押され、ホールの外へ吹き飛ばされた。だけど、特にケガを負わずに済んだ。幸運だった。
帰りの車中、さすがの市長も怯えていた。「『OF』って、あんなこともしちゃうの?」という声は震えていて、目も潤んでいた。
「ご無事でよかったです」
「それはそうだけど……」
「これからも私がついていますから」
「本当に? 本当に見捨てたりしない?」
「しませんよ。どうして見捨てるんですか。総理直々の依頼なんですよ?」
「総理の依頼じゃなかったら、守ってはくれないってこと?」
「それは……」
「ねぇ、やめて? 冷たいこと言わないで?」
市長の左の目尻から涙が伝った。
「ねぇ、お願い。今日は、今日だけでいいから、ずっとそばにいて?」
「わかりました」
夜。市長の自宅マンション。なにも食べたくないと言った市長だけれど、私は近所のコンビニでパスタを二つ買ってきた。ミートソースとカルボナーラ。レンジで温めてから「選んでください」と言うと、渋々といった感じでミートソースを指差した。
市長は両膝を左腕で抱えながら、右手に持ったプラスティック製のフォークにつまらなそうにパスタを巻きつける。品のいい小さな口へと運ぶ。「おいしくない」と呟く。「おいしくない」と、もう一度。
ちゃぶ台の上の市長のスマホが電子音を鳴らした。市長はビクっと肩を跳ねさせた。電子音は続く。通話の要求らしい。市長が出ようとしないので、代わりに私が手に取った。ディスプレイを確認。電話をかけてきた人物。それは……。
「……誰?」
「忍足さんです」
「えっ」
私からスマホを受け取ると、市長は速やかに通話に応じた。
「はい、はい、はい……。大丈夫、大丈夫です……」
そんなふうに受け答えし、市長は感極まったように涙ぐむ。電話は一分ほどで終わり、スマホを置くと、彼女は「えへへ」と嬉しそうに笑った。涙交じりだけど、花が咲いたような笑顔だった。
次に私のスマホが、ちゃぶ台の上で振動した。
「もしもし」
「大変だったね、黒峰さん」
「まったくです」
忍足さんののんびりとした声を聞くと、つい口元が緩んでしまう。
「ニュースはチェックした?」
「いえ」
「『OF』が声明を出した。自爆テロだってうたってた」
「無理やり人間爆弾に仕立て上げられたというのが、真実です」
「そうなの?」
「はい。気になることがあります」
「それってなに?」
「どうして人間爆弾が会場に入れたのかという点です」
「確かに、それはおかしいね」
「ボディチェックを担当したSPは、『OF』とつながりがあると推測されます。雑なやり口ですけれど、下準備を怠ることはしなかったということです」
「そういう現象があったなら、それは正しい見解だと思うよ」
「でも、もうそれを確かめる術はないですよね」
「うん。そのSPは、とっくにとんずらをこいたことだろうから」
「他になにか共有すべき事柄はありますか?」
「あるよ。拘置所が襲われた。ルーファスが奪還されたんだ」
「えっ。そんな簡単に?」
「ヘリから空対地ミサイルをぶっ放した上で兵隊を投入したみたいだよ。いきなりそういうことをされると、ちょっと防ぎようがないよね」
「どうして拘置所にいることがバレたんでしょうか。事の性質上、移送されたことは一般には知られていませんよね?」
「内通者、もしくは密告者かな? やっぱりそういうニンゲンがいたんだよ」
「どこに敵が潜り込んでいるかわかりませんね」
「そうだね。君もスパイの存在は常に疑ったほうがいい」
「心得ておきます」
「切るね?」
「ありがとうございました」
電話は向こうから切れた。
「悠さんって、やっぱり素敵」
「そうですね。とても優しい方です」
市長はうふふと笑うと、勢いよくパスタを食べ始めた。最後の一口を咀嚼し、ごくんと飲み込む。「元気出さなきゃ。私が不安がると、みんなも不安がっちゃうもんね」と自らに言い聞かせるように言った。
「市長はご立派です」
「さっきまでひどい泣きっ面だったと思うけど?」
「むしろそれが新鮮に映りました」
「馬鹿にしてる?」
「かわいらしいと言っているつもりです」
「なら、よろしい」
市長は満足げに笑んだのだった。
翌朝、市長は緊急の会見を開いた。
その場で言ったこと。
宣言したこと。
「私は『オープン・ファイア』には、けっして屈しません」
本当に強い女性だと、私は思った。