5.
一週間が経過した。
その間、市長はデスクワークと定例的な会見、加えて囲み取材への対応を繰り返し、私はその様子を誰よりも近くで見守った。常にフレッシュさ、クリーンさをまといながら毅然とした態度で事に臨む姿は、じゅうぶん尊敬に値する。彼女を選んだ市民は胸を張っていいと思う。それくらい、働きぶりは勤勉だ。
心配事がないわけではない。『オープン・ファイア』、『OF』にまったく動きがないことが、かえって気になってしまう。不気味さすら覚えるくらいだ。いつどこで仕掛けてくるかわからない以上、いっときも気が抜けないというステータスはいっこうに変わらない。
それとは別に、一点、困っていることがある。美人すぎる市長として名高い葉桐安奈氏だ。当然、メディアへの露出も多い。毎日、キー局のテレビクルーのカメラに晒されている。目立たないよう細心の注意を払っていても、囲み取材の時なんかはすぐ後ろに控えたりするわけで、よって私の姿も世に流れる。
それがまずかった。
思いもしなかったことだけれど、ネットにスレッドが立ち、美人すぎるボディガードなどというタイトルとともに、画像や動画が掲載されてしまうような事態にまで陥ったのだ。本当に頭が痛くなるような話だ。悪ふざけにもほどがある。
その旨を市長に話すと、彼女は「美人すぎる市長とワンセットでちょうどいいと思うわ」と、わけのわからないことを言ってけらけらと笑った。もうため息しか出ない。真剣に取り合ってくれてもいいではないか。まあ、そうしてもらったところで、これといった解決策など見い出せないことだろうけれど。
今日は市長と秘書のマリカ女史を伴って、後藤さんと会う。市長たっての希望だ。
車で近づくにつれ、大きく見えてくる我が組織の本部。ホワイトドラムと呼ばれるその建物を見て、市長は「本当に太鼓みたいなかたちをしているのね」と、うきうきしているような声を発した。
やがて車は地下駐車場へと滑り込み、市長とマリカ女史、それに私の三人はエレベーターを使って三階へ上がった。着いた先のエレベーターホールでは、すでに後藤さんが出迎えるべく待ち受けていた。
「ようこそ『治安会』へ。歓迎しますよ、葉桐市長」
「急なお願いを聞き入れてくださったこと、感謝します」
「かたいことは抜きにして、早速、ご案内しましょう」
後藤さんに先導され、応接室に。ピカピカの木の長机を間に挟んで後藤さんと市長が向かい合う。私は市長の右の席に、マリカ女史は左の席に、それぞれ腰を下ろした。
「特にご用件はないと伺いましたが」
「はい。いけませんか?」
「いけないなら、オーケーしていません。美しい女性の訪問なら、いつだって大歓迎ですよ」
仙人みたいに鷹揚な様子で構えている後藤さんは、にこりと笑った。
「ああ。失礼。ドリンクはなにがよろしいですか?」
「お気遣い恐れ入ります。でも、大丈夫です」
「言えばすぐに出てきますよ?」
「いいんです、本当に」
「なら、無理にとは言いませんが」
「ところで後藤さん、私がスケジュールの一般公開をやめたのはご存知ですか?」
「もちろんです。あんなことがあったんですから、当然の対処でしょう」
あんなこととは、無論、先日、高速道路で襲撃に遭った件だ。泉さんと本庄さんのおかげで事無きを得たけれど、二人が助けてくれければ本当に危ないところだった。当該事件について、『OF』からなにか声明が出されたということはない。だけど、後藤さんも私も彼らの仕業だろうと睨んでいる。
「あの一件で、今、自分がどれだけ危険な状況に置かれているかを思い知りました。『OF』って、やっぱり剣呑な組織なんですね。あそこまでやるとは思ってもみませんでした」
「そんな『OF』ですが、私にとっての彼らは、いったいどういう存在なのかわかりますか?」
「えっ。また、いきなりですね。後藤さんにとっての『OF』、ですか?」
「はい」
「処罰すべき対象なのだと考えますけれど」
「それは当然です。が、目下における一番の遊び相手でもある。なんて言ったら不謹慎ですかな?」
後藤さんがおどけるように肩をすくめて見せると、市長は「不謹慎ですよぉ」と言って、ころころと笑った。そんなやりとりに「本当に不謹慎です」と不愉快さも露わに割って入ったのはマリカ女史だ。
「後藤さん、真剣に『オープン・ファイア』を取り締まろうという気が、貴方にはあるんですか?」
「第一秘書のアワノ・マリカさん、でしたか? ですから、それはですね――」
「速やかに答えてください」
「遊びだからこそ一生懸命やるんですよ。私はそういうタイプなんです」
「内閣直属だからと調子に乗っていたりするのではありませんか? そもそも、私どもだって、総理直々にご連絡をいただかなければ――」
「マリカ、いい加減にしなさい。失礼よ」
「しかし、私は市長のことを考えて――」
「黙ってて」
「……はい」
「秘書の無礼をお詫びします」
「いやいや。なんとも思っていませんよ。はっはっは」
「少数精鋭を貫かれているのはどうしてですか?」
「その点については、黒峰から聞いていませんか?」
「そのほうがフットワークが軽いから、みたいな説明は受けましたけど」
「機動性を重視していることは事実です。たとえば、私が神様だったとします」
「神様?」
「ええ。神様です。私は、神は万能ではないと定義しています。要するに、自らの信念、信条をあまねく広めるのは不可能だと考えているということです。聡明な市長さんだ。ここまで言えばわかるでしょう?」
「はい。言い得て妙ですね」
「私には猿山の大将ぐらいがお似合いなんですよ。今、付き合ってくれている部下は、そんな私にはふさわしくないくらい優秀です。無論、黒峰にもそれが言えます」
「なにか問題が発生した際には、貴方が全責任を負ってくださるということですね?」
「こら、マリカ」
「そんなことにはならないと言い切れます。マリカさん、議事をとるのはそろそろやめにして、私の目をご覧になってはいただけませんか?」
マリカ氏は、手はキーボードに置いたまま、顔を上げて後藤さんのことを見た。途端、気圧されたように顎を引いた。後藤さんの目には得も言われぬ力があることを、私は知っている。ずっと見ていると吸い込まれるような感覚に陥るのだ。そこに心地よさを感じる者もいれば、逆に恐怖を覚えるニンゲンもいるだろう。マリカ女史は後者なのではないか。
「あの、後藤さん」
「なんだい? 美しすぎるボディガードさん?」
「やめてください。でも、その件については申し訳ありませんでした」
「電話で散々、謝ってくれたじゃないか」
「お会いした時に、改めて謝罪しようと思っていたんです」
「むしろ、謝罪しなけきゃいけないのは僕のほうだよ。ウチっていう組織の性質上、身元がバレてしまうという点は、リスクとして評価しなければならないファクターだからね。曜子さんにはこれからも、日頃から注意して行動してもらいたい」
「承知しています」
「とはいえだ。現状は問題ないかもしれないね」
「というと?」
「考えてもごらんよ。例えば、目下、我々にとって最大の脅威と言える『OF』にしろ、『UC』にしろ……って、この場で話すようなことじゃないね。またの機会にしよう」
「わかりました」
後藤さんとの話を三十分ほどで終え、その後、私と市長は同じ三階にあるテラスに出た。ウッドデッキだ。マリカさんは屋内の休憩スペースで、やはりパソコンのキーボードを叩いている。彼女の仕事について詳しいことは知らないけれど、市長秘書というのはそれなりに忙しい役割なのだろうくらいの想像はつく。
私達は揃って、木製の柵の上に上体を預けた。
「後藤さんって、不思議なヒトね」
「そう感じますか?」
「うん。そしてスゴく魅力的なヒト」
「話ができて、よかったと?」
「そうね。これからも仲良くさせてもらえれば最高よ」
「恐らく、後藤も市長のことを気に入っています」
「どうしてそう思うの?」
「活力に満ちた若者が好きだと、常々、言っていますから」
「そんなふうに言ってくれる上司の下で働けるのは、幸せなことよね」
「はい。心の底からそう思います」
私の隣にヒトが現れた。
突然も突然だ。
ビックリしないはずがない。
実際、肩も心臓も跳ねた。
「お、忍足さん」
そう。忍足さんだった。くせっ毛の茶髪は今日もくしゃっとしていて、いつも通り、首には黒い大きなヘッドホンをさげている。
「やあ、黒峰さん、久しぶり」
「そう久しぶりでもありませんよ。というか、気配を消して近づくのはやめてください」
「それって、コアラにユーカリを食べるなと言うのと同義だよ」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味」
「今日はどうして本部に?」
「これから尋問」
「尋問? それって――」
「ああ、そうか」
忍足さんがのっそりと動いた。きょとんとしている市長の前に立って、小さくぺこっと頭を下げた。
「はじめまして。忍足です」
すると市長は右手を差し出して。
「いざなみ市長の葉桐です」
忍足さんと市長が握手。けれど、ただの握手ではない。市長は忍足さんの右手に左手まで添えたのだ。俗っぽい表現になるけれど、目がきらきらしている。そして、彼女はいきなり訊いたのだった。
「忍足さんには、お付き合いしている女性っているんですか?」
私の口からは期せずして「なっ!」と声が漏れた。
いませんとだけ答えた忍足さん。「ちょっと待ってくださいね」と言い、市長はクリーム色のダッフルコートのポケットからスマホを取り出した。がっつくようにして「連絡先を教えてください!」と発した。私は咄嗟に「ダ、ダメですよ、市長っ」と訴えた。
「どうしてダメなの?」
「だ、だって、忍足さんも我が組織のニンゲンで――」
「LINEしたいです!」
「し、市長っ」
「煩わしいからLINEはやめたんです。電話番号なら」
「お、忍足さんっ」
忍足さんがそらで言った番号を聞き、すかさず電話をかけた市長。そしたら当然、つながったわけで……。それがよほど嬉しかったのか、市長はニコッと笑ったりしたわけで……。スマホをコートのポケットにしまうと、また忍足さんの手を握ったりしたわけで……。
「ファーストネームを教えてください」
「悠です」
「スゴくいい名前ですね!」
「そうですか?」
「はい!」
「じゃあ、僕、もう行きますね」
「今晩、電話します!」
「出られないかもしれませんけど」
「出ていただけるまでコールします!」
「了解です。わかりました」
忍足さんはぺこっと頭を下げ、それから身を翻して立ち去った。
私はなんとも言えない気持ちでいる。なにか言おうとするのだけれど、言葉が喉の奥でつかえてしまって出てこない。腹が立っているわけではない。でも、忍足さんが他の女性と握手を、しかもあんなに熱い握手をしているところを見せられたりするとなんだかこう、胸の内がもやもやして……。
「やったーっ! スゴいっ! 恋の予感っ!」
大きな声でそう言うと、子供みたいにぴょんと跳ねて、右手を突き上げて見せた葉桐市長なのだった。