4.
市長杯をかけた、男子中学生のバスケットボールの決勝戦を視察中。
場所は市内の総合体育館。
観覧席は二階。
市長の隣に、私はインカムをつけて座っている。
セキュリティの観点から、さすがにこういった催し事への参加は好ましくも望ましくないように思う。けれど、市長たっての希望だ。「危ない危ないって言っていたら、どんなイベントにも参加できないわよ」というのは間違いではない道理だし、「私、がんばってる子供を見るの、大好きなの」と言われると、折れざるを得なかった。否。折れてあげたかっただけのかもしれない。
体育館の周囲の警備はかたい。相当な人員で攻め込まれでもしない限りは問題ないだろう。そもそもスポーツの、しかも子供の大会でテロ行為をしようものなら、いよいよ人非人だと認定し、蔑まざるを得ない。テロリストの集団に人間性うんぬんを求めるのは、お門違いでしかないのだろうけれど。
白いユニフォームのチームのほうが優勢だ。ゾーンディフェンスがとてもよく機能していて、オフェンスは中学生にしては珍しいアイソレーション……ということがわかるくらい、私はバスケットについて詳しい。中高とやっていたからだ。強豪校ではないにもかかわらず、それでもベンチ入りもできないくらい下手くそだった。あまり運動神経がいいほうではないので、それも当然のことと言えた。
そのまま、白いチームが大差で勝った。肩を組み合い、やったやったと飛び跳ねる姿は微笑ましい。負けたほう、赤いチームのメンバーが涙する様子も微笑ましい。
壇上で市長が優勝トロフィーを白いチームのキャプテンに手渡している最中も、私は後ろに控える。はたから見たら、険しい顔をした黒スーツの女はいかにも場違いに映るだろうなとは思う。だけど、ちょっと勘のいいニンゲンなら、なぜ目に見える位置に警護のニンゲンが立っているのかわかるはずだ。
帰りの車中。
後部座席に私と市長。
高速道路を走行中。
市長が「大会の視察をするということについては、問い合わせというか苦情というか、そういった声がたくさん寄せられていたはずよね」と言った。
私は「そうですね」と肯定し、「襲撃されたら、子供達の命を危険に晒すことになるわけですから」と続けた。
「そのへんについてマリカがなにも言わなかったのは、彼女なりの優しさかしら」
「そう思われます。マリカさんのところで、せき止めてくれていたんでしょう」
「でもね? しつこいようだけど――」
「わかっています。予定されている行事に参加しないとなると、それはそれで不安がる市民も多く出てくることと予想されます」
「そうよね」
「はい。正直、どちらを取るのも難しいところですが」
「今後の外での公務について、一度、マリカを含めて三人で話し合ったほうがいいかしら」
「話し合って、最終的に多数決で決めるとなると、必ず市長が負けてしまいますよ?」
「それもそうね。ああ。困ったなあ」
「今さら困ることでもないと考えます」
その時だった。
インカムを付けている運転手のSPが「なにっ!」と驚いたふうな声を発したのだ。そして、いきなり車のスピードを上げた。私は「どうしました?」と訊いた。すると「後方の車両が銃撃を受けている」という答えが返ってきた。
私のインカムにはなにも聞こえてこなかった。薄いノイズが鳴り続けているだけだ。機械というものは気まぐれだから本当に困る。調子が悪くなる時は唐突だ。これはメーカーを変えることを検討しなければならない事案だけれど、無論、それはあとになって考える話だ。
後ろを向く。ちょうどウチの車が退いていく場面だった。タイヤをやられたようだ。
さらに速度を上げ、逃走を図る。ところが、前方の警護車の向こうにも襲撃者がいるらしい。やはりタイヤを撃たれたようで、だけど後ろの車とは違い、派手に回転しながらこちらに向かってきた。
市長が「きゃああっ!」と悲鳴を上げ、頭を抱える。私は咄嗟にアシストグリップを握った。緊急停止。運転手は腕がいいらしい。それとも、ただ運がよかっただけなのか。とにかくなんとか衝突は免れた。スピンしてきた警護車は側壁に激突し沈黙。
前からも後ろからも武装したニンゲンらが、銃を構えて近づいてくる。よくない。挟まれた。挟撃だ。本当に、非常によくない状況だ。
座していてもじり貧になると考えたのだろう。運転手が外に飛び出した。でも、頭部を撃ち抜かれ、すぐにやられてしまった。
それでも、取り乱すな、
取り乱すな、考えろ。
考えろ、考えろ。
どうすればいいのか考えろ。
……わからない。
どうしたらいい?
どうしたらいいの……?
相手はどんどん近づいてくる。いくら防弾ガラスだといっても、サブマシンガンでも連射されてしまっては、あっという間に破られる。
どうしたらいい?
本当にどうしたら……。
市長が「こんなところで、私はオシマイなの……?」と小さく言った。涙声に聞こえた。同じ気分だった。こんなところで終わりたくないという切実な気持ちは、焦りにばかりつながる。だけど、私はやっぱり動けない。動けないままでいる。
次の瞬間、私が目にしたもの、光景。
黒いセダンが正面から逆走してきた、勢いよく、猛スピードで。けたたましいブレーキ音。こちらに迫りくる三人の男らに車の側面をぶつけて、彼らをまとめてはね飛ばした。
後方からは銃声。短い時間に、パン、パン、パァン、三回響いた。振り返る。敵とおぼしき連中は駆逐され、一様にして前のめりに倒れていた。
前方の黒いセダンの運転席からヒトが降りてきた。思わず「あっ」と声が漏れた。大きなヒトだ。知っている男性だ。
男性は自らがはねた三人にとどめを刺した。順繰りに頭を拳銃で撃ち抜いたのだ。それからこちらにやってきた。スモークガラスをコンコンコンとノックする。硬直してしまっていた私はやっと覚醒した思いで、ドアを開けて外に出た。
男性はやはり大きい。黒いスーツの上からでも分厚い肉体をしていることがわかる。ヘアスタイルは重めのマッシュにニュアンスパーマ。目を引く風貌であることは間違いない。
私は男性を見上げ「本庄さん……」と呟くように言った。本庄さん、本庄朔夜さんは「おう」と返事をし、それから「怪我してねーか?」と尋ねてきた。「だ、大丈夫です」と答えた私。
今度は後方からヒトが近づいてきて、その人物も私の前に立った。艶やかなロングの黒髪に健康的な浅黒い肌。背は私より十センチは高く、スタイル抜群。今日もブラウスの胸元を大きく開け、深い谷間を挑発的に覗かせているその女性の名は泉伊織さん。私の憧れの先輩。
「ハロー、黒峰ちゃん、元気?」
「泉さん、貴女まで、どうして……」
「言っておくけど、ずっとフォローしてたわけじゃないから」
「今日だけってことですか?」
「そ。コイツがね、市長さんのスケジュールを確認して、今日はちょっとヤバい気がするって言ったの」
泉さんが本庄さんの胸に右の拳を当てた。「朔夜の勘って結構当たるんだよ?」と、どことなく自慢げに言って微笑む。
市長が車から降りてきた。
「あの、あなた達は……?」
「はじめまして、市長さん。ご覧の通り、私達は黒峰ちゃんのお仲間です」
「なあ、黒峰」
「は、はい、本庄さん」
「こいつはおまえの仕事だ。だからもう茶々入れたりしねー」
「茶々だなんて、そんなこと――」
「ちげーよ、馬鹿。おまえがやり遂げろっつってんだ。方法についてはもちっと考えろ。今日みてーなことがパンパカ起こっちまうようなら、目も当てられねーだろうが」
「それは……はい。わかりました」
「頼んだぜ。ミス・クールビューティ」
本庄さんが身を翻した。泉さんは私の左肩に手を置き、ウインクをしてから場をあとにした。
本庄さんが運転する黒いセダンに、泉さんの可愛らしい車、黄色いスイフトスポーツがついていく。そのまま二台とも走り去ったのだった。
現場の後片づけの算段をつけるのには少々時間を要し、市役所に到着した頃には、もうすっかり日が暮れていた。
黒い公用車を地下の駐車場に入れ、速やかに市長室へ。先に戻り、今は書類に目を通していたらしい市長が「おかえりなさい、黒峰さん」と笑顔で迎えてくれた。
私がソファに腰を下ろすと、市長がやってきた。向かいの一人掛けにどっと座るなり、天井を仰いで息をついて見せた。あっけらかんと「ヤバかったねー」と言うあたり、もうすっかり落ち着いたということなのだろう。
「スッゴくカッコよかったね。あのおにいさん。それにおねえさんも。だけど、あんなに簡単にヒトを殺しちゃうことについては驚きを隠せません」
「ウチはそういう組織なんです」
「勧善懲悪?」
「そうです。それを成すにあたっては手段を選ばないということです」
「黒峰さん、パニックにはならなかったけど、動けもしなかったわよね」
「その通りです。二人がいなければ、私達は死んでいました」
「認めるんだ?」
「はい。言い訳はしません」
「だけど私は、貴女の任を解こうとは思っていないから」
「解くと言い渡されたら、土下座するつもりでした」
「どうして?」
「本庄が言った通りです。これは私の仕事だからです」
「責任感が強いのね」
「社会人ですから」
市長は当たり前のセリフだから、かえって笑えるわと言った。
実際にクスクスと笑いもした。
「ところでミス・クールビューティっていうのは?」
「茶化されたのかもしれませんし、そうであれってハッパをかけられたのかもしれません」
「とにかくがんばりなさいってことなのね」
「恐らく、はい」
「黒峰さんは、元自衛官なのよね?」
「それがどうかしましたか?」
「『治安会』は軍上がりのヒトばかりなのかなと思って」
「そうでもありません。たとえば、本庄は本庁の刑事でした」
「あんなに危なそうなヒトが刑事さんだったの?」
「危なそうに見えましたか?」
「まあ、知的な感じもしたけれど。それにしても、どうして『治安会』みたいな組織ができたのかしら」
「後藤の信念のカタマリが『治安会』なんです」
「信念っていうのは、イコール正義?」
「正確には、後藤なりの正義です」
「今さらもう一度の確認だけど、内閣直属なのよね?」
「それも後藤の人脈の賜物です」
「スゴいヒトなのね、後藤さんって」
「昼行燈に見せ掛けているのはポーズですよ」
「そんな切れ者の下で働けるのは幸せ?」
「というより、誇らしく思っています」
私は真剣なまなざしを、市長の目に向けた。
「わかりました。この先の警護も、やっぱり貴女にお願いすることにします」
「ありがとうございます。市長」