25.
その日の夜、泉さんの愛車である黄色いスイフトスポーツに乗せてもらって、スポーツジムを訪れた。今日は本庄さんも一緒だ。
まずは泳ごうという話になり、更衣室でアスリート用の水着に着替えて、スイムキャップをかぶった。
「黒峰ちゃん、ちょっとこっちに来てみな」
「なんですか?」
「いいからおいで」
そんなふうに呼ばれ、私は鏡の前に立っている泉さんの隣に並んだ。
「ほらほら。肩回りとか二の腕とか、もう黒峰ちゃんのほうが太いんじゃない?」
「えーっ、そうですかあ?」
「とはいえ、そのあたりには筋肉がつきすぎないようセーブしてるんだな、私の場合」
「そうなんですか? それはまたどうしてですか?」
「腕が太い女見たら、男はヒくでしょ? あと、腹筋割れてたりしたら」
「うっ……」
泉さんの腹筋は真ん中にすっと線の入ったシャープなものだ。見るからに美しく、またカッコいい。一方の私のそれはというと、順調にシックスパックに育ちつつあって……。
「あはははは。ジョーク、ジョーク。女でもマッチョなほうがいいって」
「で、ですよね?」
「いや、今の完全に嘘だから」
「うっ、嘘なんですか? しかも完全に!?」
「私はこれからもお色気路線を突き進みまぁす」
「お供させてくださいよぉ」
「ダメ」
「えー……」
更衣室から出ると、本庄さんがプールサイドで待っていた。相変わらずのド迫力ボディ。私はそんな本庄さんの肉体を直視できない。加えて、本庄さんからの視線にも耐えられない。両腕を胸の前で交差させ、もじもじと太ももをこすり合わせてしまう。
「黒峰、おまえ、伊織より腕太いんじゃねーか?」
「うっ!」
「なんだ? うっ! って」
隣から私の肩を叩きながら、クスクスと笑う泉さん。
「う、腕……」
「あん?」
「ううっ、腕なんですけど……」
「ああん?」
「腕太いのはダメですかっ!?」
「なんだよ。いきなりデケー声出すなよ。ビックリするじゃねーか」
「うぅぅ……」
悲しい。
なんだか途方もなく悲しい……。
「なんでも太いほうがいいんじゃねーか?」
「……えっ?」
「いや。なんでも太いほうがいいんじゃねーかって言ったんだよ」
「朔夜それ下ネタぁ?」
「伊織、テメーはだぁってろ」
「それではお二人さん、私、お先でーす」
「準備体操しろよ」
「泳ぎながらしまーす」
「意味わかんねーよ、馬鹿野郎」
泉さんは「とぅっ」という掛け声とともにプールに飛び込んだ。あっという間にクロールで向こうまで行き、帰りはスゴい勢いでバタフライ。その様子を見て本庄さんは「マジで馬鹿だろ、アイツ」と罵った、笑った。
「ほほ、本庄さんっ」
「だからなんだよ。どもんねーではっきり言えよ」
「太くてもいいって本当ですか……?」
「ああ、そうだ。女だからって甘えんなよ」
ホッとさせられてしまった。
「よかったです。まだ一応、女として見ていただけているようなので。なんでも太いほうがいいっていうご意見は、どうかと思いますけれど……」
「太くていいんだよ。大は小を兼ねるってヤツだ」
「それとこれとは話が別かと……」
「細かいこと抜かしてんじゃねーよ」
「は、はい。ごめんなさいっ」
「だから、簡単に謝ってんじゃねーよ」
泉さんが背泳を始めた一方で、本庄さんはプラスティック製の青いベンチに座った。
「泳がないんですか?」
「まあ、座れ」
「えっ」
「座れ」
私は本庄さんの隣に腰掛けた。
なんだろう、その体からは強烈なオスの匂いが漂ってくるような……。
「黒峰」
「はは、はいっ」
「だから、なんでどもるんだよ。しかも激しく」
「お、恐らく、邪念が多いせいです」
「邪念?」
「はい……」
「んじゃ、待っててやっから、その邪念とやらを振り払え。まずは静かにしろ」
「そうします」
何度か深呼吸を繰り返した。
ようやく落ち着いたというところで、本庄さんのほうを向いた。
「今回の仕事、どうだったよ?」
「市長のボディガードですか?」
「ああ、そうだ」
「学ぶことが多かったです。課題もたくさん見つかったように思います」
「有意義だったってか?」
「はい」
本庄さんは前を見たまま、口元を緩めて見せた。
とても穏やかな笑みだ。
「正直、おまえにゃあ荷が重いんじゃねーかって思ってたんだけどな」
「そうなんですか?」
「ああ。でも、立派にやり遂げやがった。大したもんだ」
尊敬する大先輩から褒められると、一気に照れくさくなる。
「私がもっとたくさん助けてほしいって言っていたら、本庄さんはどうされていましたか?」
「適度に助けただろ。でもって、適度に突き放した」
「それ、違う気がします」
「あん?」
「本庄さんなら、助けてって言った分だけ助けてくださるように思うので」
「この俺様が、リアルに優しい男に見えるとはねぇ」
「本庄さんは優しいヒトです。優しい先輩です」
「まあ、これもまたぶっちゃけちまうとな、やっぱ俺にとって後輩ってのは、おまえしかいねーわけだよ。かわいくねーっつったら、嘘になっちまう。こんなこと、前にも言ったよな」
「はい。伺いました」
「ああ、そうだ。俺はおまえのことがかわいいんだよ、ミス・クールビューティ」
「そんな。私、ビューティなんかじゃありませんよ。クールにもなり切れていませんし。クールビューティという言葉は、きっと泉さんのようなヒトにふさわしいんです」
「ああん?」
「えっ?」
「ああ、わかってなかったのか」
「なにが、ですか?」
本庄さんが高らかに笑った。
さらに「馬鹿か、おまえは」とツッコミを入れてきた。
「ミス・クールビューティなんてシャレだよ、シャレ。いや、シャレっつーより、啓発だな」
「啓発?」
「そんなの気取ってんじゃねーよ馬鹿野郎って話だ」
「ク、クールにもビューティにもなるなってことですか?」
「ビューティはビューティだからいいんだよ。でも、クールになんかなるな」
「えっと」
「おう」
「反論します」
「来いや」
「任務を遂行する上で、クールさは必要だと思います」
「必要な場面もあるってことは認めてやる。だけど、最初から最後までクールである必要なんてねーんだ」
「ですけど、忍足さんなんかは……」
「黒峰おまえ、あのヒトがクールなだけのヒトだって思ってんのか?」
「違うんですか?」
「俺はあのヒトほど根っこが熱いヒトを知らねーよ」
「え、えっと、でも、クールさはやっぱり必要で――」
「うるさいぜぇ」
本庄さんが前を向いたまま、左手を伸ばして、その手で私の胸の真ん中に触れた。拒む暇がなかったのは事実だけれど、不思議と拒もうとは考えなかった。
「ほら見ろ。おまえのハートにだって熱量はあるじゃねーか」
「そう、ですか……?」
「おまえはもう、ただのクールビューティなんかじゃねーよ。ビューティなだけの、熱い女だ」
本庄さんは二度、私の胸の真ん中をぽんぽんと叩くと立ち上がった。
一方で、プールから上がった泉さんが近づいてきた。
そしていきなりだ。
泉さん、本庄さんの頬にパンチを浴びせたのだ。
「い、いてーよ、馬鹿! なにしやがる!」
「私以外の女の胸を揉むな!」
「揉んでねーよ!」
「揉んだじゃない!」
「揉んでねー!」
「揉んだ!」
周囲の目線なんてどこ吹く風、二人はキャンキャンキャンキャン言い合う。
なかばぽかんとなっていた私は、首を横に小刻みに振って自分を取り戻してから、本庄さんに触れられた部分に手を当てた。
ハートに熱量、か……。
いいこと言うなあ、本庄さん。
そう思えてくると同時に、なんだかとてつもなく楽しい気分になってきた。
私はプールサイドを駆け、お尻から水の中へと飛び込んだ。
「えーっ、なに今の、黒峰ちゃん!」
「ははっ! わかってるじゃねーか!」
二人はそんなふうに言うと、同じように飛び込んできた。
しばらくの間、私達は小さな子供みたいに水をかけ合い、はしゃぎ合った。




