18.
市長宅。
着替えはないけれど、泊まりになることは覚悟している。
ピンク色のパーカーにピンク色の短パンという部屋着に着替えた市長。相変わらず可愛らしい装いだ。二十歳前の大学生くらいに見える。
市長はおぼんを持ってきて、チーズがのった皿とワイングラス、それに赤ワインをテキパキとちゃぶ台の上に配膳した。
「お酒を飲むんですか?」
「飲んだほうが喉の滑りがよくなるでしょう?」
「中年男性みたいなことをおっしゃるんですね」
「まあ、ひどーい」
乾杯はせず、互いにグラスに口を付けた。
値が張りそうな味だなと、私は思った。
「さて、整理しましょうか。といっても、議題からして、結論は早く出そうだけれど」
「ええ。そうですね。忍足さんもおっしゃっていました。この件は、市長の帰宅ルートを知っていないとできない待ち伏せだと」
「そう。そういうことなのよ。相手は『サイドワインダー』? 間違いないわよね?」
「そう思われます」
「では、誰が彼らに情報を漏らしたのか」
「現状、市長の一日のスケジュールを知っているニンゲンは、非常に限られています」
「私を除いてで言うと、知っているのは、SPのまとめ役である大門さんとその日の運転手さん、それにマリカと黒峰さんってわけね」
「それで間違いありませんね。事実です」
「運転手さんの可能性は否定してもいいのかしら?」
「自ら運び屋を務めた可能性もなくはありません」
「それでも優先度は低いでしょう? 頭を強打して入院しちゃったわけだから、とりあえずは逃走の心配もないわけだし」
「そうですね。取り調べは回復し次第ということでいいと思います」
「それじゃあ」
「はい。まずは大門さんの身柄を押さえる必要があります。彼が犯人だった場合、もう逃走していることでしょうけれど」
「それでも家にヒトをやるくらいはしたほうがいいわよね? できる?」
「問題ありません。SPの住所は、ウチのDBに放り込んでありますから」
「じゃあ、そっちの手配はお願い。私はマリカに電話してみます」
私は後藤さんに連絡を入れた。急ぎであること、事情はのちほど報告書に記すことを伝え、大門氏の自宅にヒトをやってもらう段取りを組んだ。ウチの『情報部』のニンゲンを使うのか、所轄を使うのかはわからないけれど、とにかくこれで問題ないはずだ。
市長に目をやる。彼女は右手で頭を掻きむしり「ダメ。つながらない」と苛立たしそうに顔をゆがめた。
「もう眠られたのでは?」
「かもしれないけど、彼女、いつもは必ず出るのよ」
「今回が初の例外なのかもしれません」
「そうなのかなあ」
「仮にマリカさんが犯人である場合なんですけれど」
「そのケースは考えたくないけれど、考えないわけにはいかないわよね」
「はい。彼女は以前からスパイ活動をしていて、今回に関してはメッセンジャーまで務めたのかもしれません」
「でも、その『サイドワインダー』に、そもそもどうして私が狙われなくちゃいけないわけ? 『OF』だけでも辟易しているのに」
「私の予測だと」
「予測だと?」
「『サイドワインダー』と『OF』は、つながっているのではないでしょうか。『OF』は自前の武力を有していますけれど、その中でも暗殺に特化した部隊として『サイドワインダー』を雇っているとか」
「ああ、なるほど。それなら合点がいくわね。というか、そのほうがいいわ。あちこちから狙われているって考えるよりは気が楽だから。敵は『OF』だけでじゅうぶんです」
「そうですね」
市長のスマホが着信を告げた。彼女はディスプレイを見て、「マリカだわ」と言った。
「マリカ、ちょっと話があるんだけど、今、大丈夫?」
市長はそう訊ねた。すると、不可解な返答でも寄越されたのだろうか、彼女は眉をひそめ、私に視線を向けてきた。
短い通話だった。「はい、はい。わかりました」と締め括り、市長は電話を切ったのだった。
「なんて言ってきたんですか?」
「今、港湾地区の倉庫街にいるそうよ」
「どうしてそんなところに?」
「わからない。わからないけれど、会えませんか? って……」
「予感ですけれど」
「なに?」
「マリカさんがクロであるような気がします」
「同感。その確率は高いように思うわ」
市長は鼻から息を漏らしつつ、右手を額にやった。
「わからない。どうして……。私のなにが気に食わなかったんだろう……」
「そういう問題ではないのかもしれませんよ?」
「そうね。感情どうこうの話じゃ、きっとないわよね。だって、マリカなんだもの」
「SPを配置しないと」
「ダメよ。私と黒峰さんだけで来てほしいってことだったから」
「私はオッケーなんですか?」
「不思議?」
「そう思って当然なのでは?」
「とにかく、SPは要りません」
「そうもいきませんよ」
「お願い。マリカを信じてあげて」
市長の目は真剣だ。
その瞳には射抜くような力がある。
「わかりました」
そうとだけ告げた私は、タクシーを呼ぶためにスマホを手にした。
潮の香りが漂う暗闇の中、カーキ色のトレンチコートを着たマリカ女史は、係留用のボラードのそばに立っていた。私達が到着するとこちらに向き直り、笑って見せた。どことなく悲しげに、笑ってみせた。
「まさか、こんなことになるだなんて、思っていませんでした」
「それはマリカ、私とまたこうして会うだなんて、思っていなかったってこと?」
「はい。市長は今夜、お亡くなりになるはずだったんですから」
「貴女は『サイドワインダー』のニンゲンなの?」
「『OF』、『オープン・ファイア』です」
市長が私にちらと視線を寄越した。やっぱりという意を込めた視線だろう。私も同じ気持ちだった。『OF』と『サイドワインダー』はつながっている。そう見て間違いはなさそうだ。
「いつ『OF』のニンゲンになったの?」
「クスミという議員をご存じありませんか?」
「それってひょっとして、一昨年亡くなった、クスミ・イチロウ議員のこと?」
私は記憶を探る。思い出した。クスミ・イチロウ。久住一郎議員。市長は亡くなったと言ったけれど、正確には殺されたのだ。自宅近くの路上で他殺体で見つかった。野党第一党の若手議員で、舌鋒で鳴らしたホープだった。
「彼が『OF』とつながりを持っていたんです。たびたび連絡を取り合っていました。野党の中でもとりわけ目立つ議員。だから、いつかなにかの役に立つかもしれないと考えられていたんでしょうね。彼は『OF』から資金提供を受けていました」
「貴女がそこまで把握しているってことは……」
「はい。私、彼の女だったんです」
「久住議員には妻も子もあったはず」
「不倫相手だったということです」
「彼の秘書を務めた経歴はないわよね?」
「まだ市長の秘書になる前に、とあるパーティで知り合いました」
「不倫なんて、貴女らしくない気がするわ」
「市長、私だって、ニンゲンです。女なんです」
「それで?」
「私、彼の子を身籠ったんです。どうしても産みたかった」
「でも、産めなかった。中絶したの?」
「その意思がないこと伝えると、彼は私に暴力を振るいました。腹を何度も殴られて、蹴られて、それで流れてしまいました」
「彼との関係が重要だったの? それとも赤ちゃんのほうが大切だったの?」
「後者です」
「オーケー。大体、わかったわ」
「さすが市長。勘がよろしいですね」
「貴女が『OF』に久住議員の殺害を依頼したのね? その引き換えとして、貴女自身が『OF』に入った」
「言ってしまえば、そういうことです。政治家秘書。それはそれで使えると判断されたのかもしれませんし、あるいはそうではないのかもしれません」
「少なくとも、久住議員より利用価値があると思われたんでしょうね」
「その理由はについては、やっぱりわかりませんけれど」
「久住議員が知っていることは、貴女もある程度知っていた?」
「『OF』の窓口については、彼の個人ケータイから情報を得ました。彼自身、『OF』に心酔していました。本当に、熱烈なシンパだったんです」
「議員の中に熱烈なシンパ、か。世も末ね」
「他になにかお知りになりたいことはありますか?」
「あるわよ。貴女はどうして、ここに私と黒峰さんを呼び出したの?」
「実は黒峰さんはどうだっていいんです。でも、市長には来てほしかった」
「だから、それはどうして?」
「悲しいんです。市長の秘書を務められなくなることが。私は『OF』のニンゲンで、だから指示には従わなければいけなくて、実際に帰宅ルートを教えてしまって……。ただ、私は市長のことが嫌いというわけではないんです」
「私は貴女のことが好きよ」
「ありがとうございます」
「話を戻すわ。マリカ、貴女はどうして私にここに来てほしかったの?」
「最後に話をさせていただきたくて」
「最後? どういうこと?」
「上から、市長の暗殺に失敗した旨の連絡を受けました。その上で、私は私でここに呼ばれたんです。逃げることは考えませんでした。逃げたところでどうにもならないでしょうし……。だったらもう……もう、いいかな、って……」
「待って、マリカ。それって――」
「そうです。私はもう、『OF』に不要とされたんです」
いきなりだった。
マリカ女史の体がびくっと微動した。
次の瞬間、銃声が轟いた。
狙撃!?
マリカ女史の体がどっと横倒しになる。
「マリカ!」
市長が叫んだ。
マリカ女史に駆け寄ろうとする。
私は手首を掴んで、市長を止めた。
「ダメです! 撃たれます!」
「撃たれたっていい!」
「市長!」
「うるさいっ!」
市長は私の手を振りほどいて、マリカ女史のもとまで駆けた。舌打ちしたい思いに駆られながら、私はあとを追う。
マリカ女史の胸元が血に染まっていた。正確な距離はわからない。狙撃ポイントなんてわかるはずがない。でも、胸を撃たれたということは、正面から撃たれたということだ。だから私は市長の真後ろに立ち、両手を広げた。盾になることくらいはできる。最低でも一発は凌げる。
「マリカ! マリカ!」
「市長……本当に申し訳、ありませんでした……」
「待ってて! すぐに病院に連れていってあげるから!」
「もう、無理です……」
「そんなこと言わないで!」
「貴女の秘書になれて、よかった……」
「マリカ! マリカァァァッ!」
市長の悲痛な叫びは、銃声なんかよりもっと大きかった。
私を撃って、市長を撃てば、『OF』の目的は達成されるはずなのに、そうはならなかった。
その後、私は市長を無事に家まで送り届けることができたのだ。
なぜ殺されなかったのか、そこにある意図はなんなのか。
やっぱり彼らは根本的なところで遊んでいるということなのだろうか……。
マリカ女史の死を隠蔽するなんてことは、当然できるはずもない。彼女は『OF』のニンゲンだったとはいえ、世間的には一般人だ。殺し屋とは違う。『治安会』で内密に処理することなんてできない。できるはずもない。
市長も逃げなかった。
調査が済み次第、すべての事実を明るみに出すとメディアに発表したのだった。




