16.
せがまれたので仕方なく。
そうとしか言いようがない。
葉桐市長に「女子会やろうぜ! ガールズトークしようぜ!」と強く誘われた。女子会といっても、参加者は市長本人と私だけ。私は部屋着諸々を入れた小さなボストンバッグを肩にさげて、スーツ姿で市長が住むマンションを訪れたのだった。
部屋着は黒いジャージという色気皆無の恰好だ。着替えている最中「下着まで黒なんだあ」と言われ、なんだか恥ずかしい思いをしてしまった。中高は白、自衛軍時代はベージュ、退役後は黒で通している。市長は「今日は可愛いピンク色ぉ」などとのたまいながらタンクトップをめくってブラジャーを披露してくれた。サービス精神旺盛だなと私は思った。
なぜか将棋を指すことになった。えらく年季の入った盤だ。駒も古いものである。「おじいちゃんの形見です」ということらしい。
「ガールズトークですか? それをするんじゃなかったんですか?」
「将棋を指しながらでもできるでしょう?」
「市長って、いろいろとおやりになりますよね。将棋の他にも、合気とか座禅とか」
山寺にまで行き、本格的に座禅を組む様子には、非常に驚かされたものだ。しかし、それはやめてほしいなとも考えた。警備の態勢を構築するという手間が生じるからだ。市長いわく「時折、精神をメンテナンスしないと、いい仕事ができないの」ということなので、一方的に控えてくださいとは言えないのだけれど。
「さて、始めましょうか、ガールズトーク」
「はい。いいですよ」
「得意?」
「苦手に決まっているじゃありませんか。というか」
「というか?」
「私、ほとんど友人なんていないので、したことがありません」
「それでも、高校は出ているんでしょう?」
「はい」
「同窓会とかは?」
「出席したことはありません。私が出ても誰も喜びません」
「イジメに遭っていたとか?」
「それに近いものはありました」
「そうなの?」
「とにかく根暗でしたから。今でも根暗ですけれど」
「恋は?」
「恐怖症とまでは言いませんけれど、とてもそんなことをする気分にはなれませんでした……って、これってガールズトークですか?」
「キスは?」
「キスは、とは?」
「したいかしたくないかって訊いてる」
「興味がないことはないです」
「セックスも?」
「はい」
「あら。今日はテクニカルタームを持ち出しても取り乱したりしないのね」
「市長がなにを言い出そうと、もう驚かないと思います」
「女のコなんだから、胸がきゅんってなる時くらいはあるでしょう?」
「それも、なくはないです」
「貴女の物差しがどういうものかはよくわからないけれど、一つだけ教えておいてあげるわ」
「なんですか?」
「『治安会』の男性陣って、とんでもなく魅力的だと思う。だから、貴女が悠さんに惹かれても、なにもおかしくない」
私は玉を逃がす。手強い。このままでは押し切られてしまうかもしれない……などと考えていたところで、市長が盤の上をぐちゃぐちゃにした。
「せっかく真剣に考えていたのに、なにするんですか」
「飽きちゃった」
「じゃあ、次はなにをしますか?」
「かぼちゃを食べながら、お酒を飲みましょう」
なんだそれと、思わず首をかしげたくなった。
市長はキッチンに向かい、おぼんを持って戻ってきた。それをちゃぶ台に置く。おぼんの上にのっているのは青い蓋の四角いタッパと赤ワイン、フォークとグラスが二つずつ。タッパの中に入っていたのはかぼちゃの煮つけだった。作りすぎて冷蔵庫に入れていたとのこと。フォークを使って齧ってみると、味が染みていて思いのほかおいしかった。赤ワインとも案外、合う。こういう組み合わせもあるのかと、感心したくなった。
両膝を左手で抱えつつ、かぼちゃを食す市長。
「やっぱり、悠さんみたいなヒトと一緒になろうとすると、少なくとも、立場は捨てる必要があるわよねぇ」
「捨てたくないのであれば、サラリーマンになってほしいとでも懇願されてみてはいかがですか?」
「お願いしたら、素直に聞いてくれるヒト?」
「聞いてくれないでしょうね、恐らく」
「でしょう?」
「市長よりは付き合いが長い私だって、忍足さんがいったいどういうヒトなのか、図りかねていたりするんです」
「ただ優しいだけのヒトじゃないの?」
「背筋が凍るくらい怖い時もあります」
「危ないってこと?」
「はい」
「その危なさにまで惹かれそうになるあたり、私もまだまだ若いのかなあ」
「そうなのかもしれませんね」
「貴女はどう? いつかは幸せな家庭を築きたいって考えてる?」
「先のことはわかりません。今を一生懸命生きることで精一杯ですから。最後のかぼちゃ、もらっていいですか?」
「ダメです。私が食べます」
「がめついですね」
「貴女のほうこそ」
仕方がないので、市長に譲って差し上げた。
洗面台を前に並んで歯を磨いてから寝室に入った。クイーンサイズのベッドが置いてある。「狭いベッドは嫌なの」ということらしい。
「毛布くらいは貸していただけるんですか?」
「なに言ってるの。一緒に寝るのよ」
「えー……」
「なに? 嫌なの?」
「変なことされないかな、って」
「あ、それはしちゃうかも」
「床で寝ます」
「冗談よ、冗談」
結局、一緒に布団に入った。背を向けて寝転んだのだけれど、「ダメ。こっち向いて」と言われた。「背を向け合って寝るなんて寂しいじゃない」という理由だった。
結局、向き合った。「ガールズトーク、ガールズトーク」と言って、市長はにこにこ笑う。私は「まだ続けるんですか?」と眉根を寄せた。
「あー、しばらくセックスしてないなあ」
「そうなんですか?」
「うん。最後にしたのは大学院にいる時だったから。今思うとね、やっぱり、なんであんな男としちゃったんだろうな、って」
「後悔ですか?」
「そう。でも多分、その時はその男が自分の中で一番イケてたってことなんでしょうね。そうじゃない女のコもいるでしょうけれど、私は興味本位や欲求不満で行為に走ったことは一度もない。黒峰さん、貴女はどう? やっぱりヴァージンは大切なヒトにあげたい?」
「よくわかりません」
「でも好きなヒトとなら、裸で抱き合いたいくらいの欲求はあるでしょう?」
「それはまあ、はい」
前にジムのプールサイドで忍足さんに抱き締められた時のことを、私は思い出した。あれは気持ちがよかった。水着越しではあったけれど、肌同士が吸いつくような感覚があって、たまらなかった。もう一度、あの瞬間が訪れてほしい。そう望んでいることは事実だ。
「まあ、なんだかんだ言っても、ニンゲン、おさまるところにおさまるのよね。私はいつか誰かと結婚するんだろうし、貴女だってそうだと思う」
「そういうものでしょうか」
「ちょっと太ももに触ってみてもいい?」
「また、いきなりですね」
「いい?」
「いいですよ」
「わあ、スゴい。パンパン」
「色気とはどんどん縁遠くなってきている気がしています」
「まだまだ強くなりたい?」
「私は今の仕事が好きですから。先輩方に置いていかれないようにしないといけないんです」
「『オープン・ファイア』」
「またまた、いきなりですね」
「怖いなあ……」
「そう感じるのも無理ないです。私も怖いです」
「それでも戦うの? 戦えるの?」
「私一人はちっぽけなものですけれど、それこそ、心強い味方がいますから。『ОF』の存在を完全に抹殺できた時、初めて美味しいお酒が飲めるのかもしれません」
「強いわね。さすが、ミス・クールビューティ」
「こうして見ると」
「うん?」
「市長って、本当に幼顔ですよね」
「あら、いけない?」
「かわいらしいと言っているつもりです。マリカさんとはこういった話をしたり、こういった状況になったりはしないんですか?」
「しないわ。彼女は凄腕の秘書ってだけ。本音のところで私のことをどう思っているかなんてわからないし、私だって彼女のことは上っ面の部分しか知らない」
「でも、戦友なんでしょう?」
「そうよぅ。これからもいいパートナー同士でいられたらいいなって思ってる。あー」
「なんですか?」
「そろそろ眠くなってきちゃった。もっとお話ししたいけれど、これで最後ってわけじゃないものね」
「そうですね」
「眠る前に言っておくわ。黒峰さん、これから先も、くれぐれも無茶はしないでね? 『オープン・ファイア』の狙いはあくまでも私なんだから。いざとなれば、私の命で足りるんだから」
「そんなことをおっしゃるから、私はがんばろうって思うんです」
「そっか」
「はい」
市長が頬に触れてきて、私も彼女の頬に触れた。
二人で一緒に目を閉じた。




