13.
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
そんな感じで、一晩眠ればいつもの自分に戻れるだろうと楽観視していたところがあったのだけれど、残念ながら、そういうことにはならなかった。
昨日の人質事件。
誰がなんと言おうと、あれは私の判断ミスだった。そのミスで、一般人を一名、亡くしてしまった。
犠牲になった老婆の葬儀は週末に執り行われる。遺族に詫びる心づもりは、当然、できている。でも、いったい、なんと言って詫びればいいのだろう……。
一生、抱えていかなければならないことだとしても、事実から目を背けたり、逃げ出したりしたくなったりすることはあるかもしれない。そんなふうに考えると、胸の内に暗い影ばかりが落ちる。
無意識に救いを求めたのだろうか。
誰かに慰めてほしかったのだろうか。
そのあたりの理由は曖昧だけれど、夜、仕事が終わると、私はとある喫茶店に足を向けていた。
もういい時間だ。店は閉まっている確率が高い。
それでも開いていることを心の中で祈った。
JRの駅からタクシーを使って、郊外の目的地を訪れた。三角屋根のログハウス。立派な建物を目にすると、不思議とほっとした気分になった。
店の灯りはついていた。クルーカットの金髪が特徴的な、二メートルもある巨躯の男性が、店を出たところで夜空を眺めていた。男性の名前はミウラさん、ライアン・ミウラさん。喫茶店のマスターでありながら、『治安会』の『行動部』のメンバーでもある。後藤さんいわく、ビッグダディ。
私がタクシーからおり、近づいても、ミウラさんは星空を仰いだままでいる。
「本来なら、営業はとっくに切り上げている時間なんだがな」
「そうですよね。私、とってもラッキーです」
「綺麗な星空に感謝することだ」
ミウラさんの隣に立ち、私も上を向いた。
私の口からも、ミウラさんの口からも、白い息が漏れる。
「ヒトが作った味も素っ気もない島でも、こんな夜がある」
「はい。いつまでだって見ていられそうです」
「市長殿の警護、がんばっているみたいだな」
「はい。がんばっているつもりです。だけど……ちょっとダメみたいです」
私は笑顔を作った。
でも、左の目尻から涙が伝ったのがわかった。
「年を食った喫茶店のマスターには、コーヒーを淹れてやることと、話を聞いてやることくらいしかできん」
「お願いしてもいいですか?」
「めそめそするなとは言わん。ただ、おまえの涙を見るのはひどくつらい」
肩に提げていたトートバッグを下に置いて、私は「ごめんなさい」と謝った。謝ってから、ミウラさんの胸にすがり付いた。そして、号泣したのだった。
マンダリンをお願いした。カップを両手で持ち、ふーふーと息を吹き掛けてから味わった。とてもおいしい。体の芯から温まる。
ミウラさんは、カップを丁寧に拭いている。眼鏡の奥の美しいブルーの瞳が、ちらと私に寄越された。
「報告書は読んだよ。昨日の人質事件のことだな?」
「はい……」
「確かに、おまえは判断を誤った。だが、それは止むを得ん一面を孕んでいる。おまえには経験が不足しているんだからな。感情的になってしまうのも無理はない」
「本来なら、誰かに叱られてしかるべきだと思うんです」
「叱ったところで、なにも変わりはしない。時間だって巻き戻らない。後藤さんも含めて、ウチのメンバーはそれがよくわかっている」
「じゃあ、私はどうすればいいんですか?」
「そう訊いてしまう時点で、すでに甘えている」
「甘え、ですか……?」
「ああ。ウチで仕事を続けたいなら、タフになるしかないんだよ。つらいことや悲しいこと、それに失敗するようなことがあっても、なんとか前に進むしかないんだ。自分で立ち上がるしかないんだ。みんな、それを待っている。だから、あえておまえになにも言わないのさ」
「そういうことだったんですか……」
「まあ、特にハジメの奴なんかは、メチャクチャ励ましたがっていることだろうがな」
「私、本当に、大先輩なのに、ミユキさんのこと、軽んじていたんです」
「そうであろうことは知っていた。まあ、奴自身、そう思われても仕方がない部分はある。軽率で軽薄だし、ホームシックにかかって傭兵業を抜けたという経歴も到底自慢できるものじゃないしな。今だって、ちょっとしたことでメンタルがふらふらする。基本的には情けない男なんだよ」
「それでも、あの時はカッコよかったな、って……」
「それは言わんでいい。アイツはすぐ、調子に乗る」
「……あの」
「ん?」
「私、こうやってミウラさんと二人きりでお話しさせていただくなんて、初めてですよね」
「そうだったか?」
「本庄さんもそうなんですけど、体の大きな男性と接していると、なんだかとても心強く感じます」
「悠やハジメはダメか?」
「すみません。語弊がありました。『行動部』の先輩は信用に足る方ばかりです。忍足さんにだって包容力はありますし、ミユキさんのことだって今回のことで見直しました」
「ヒトに対する評価については、おまえ独自の基準があっていい。みなが先輩だからといって、遠慮はするな」
「はい。ありがとうございます」
「俺はな、曜子、どうあれ自分は運がいいと考えているんだよ」
「どうしてですか?」
「上司と同僚に恵まれているからだ。喫茶店のマスターとして天寿を全うしようと考えていた男が、『治安会』という新しい居場所を与えられて、案外、面白おかしく生きている」
「楽しめるって、いいことですよね。私もいつか、そう思えるようになるでしょうか」
「一生懸命、生きることだ。それを継続していたら、いつか人生は楽しくなる。素晴らしく思えてくる」
「わかりました。これからも、精一杯やります」
「その意気だ。お願いだから、途中で辞めるなんて言わないでほしい。寿退社なら話は違ってくるがな。さあ、早いところカップを空けてくれ。おまえのことを送っていってやらにゃあならん」
「ご迷惑をおかけします」
両親にも話せないことでも話せてしまう。
ミウラさんって、そういうヒトだ。
翌日、出勤すると、葉桐市長が市長室の前で立っていた。
「あれ? どうされたんですか?」
「どうされたんですか? じゃないわよ。昨日の貴女、自殺しそうなくらい落ち込んでいたじゃない。だから、ひょっとしたら今日から来ないかもしれないって心配してたのよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「すみません」
私は素直に頭を下げた。
「ふぅん。なんだかすっきりした顔をしてるわね。なにかあった?」
「ありました。でも、報告の義務はないと考えます」
「あら。かわいくないわね。でも、そのほうが貴女らしいから見逃してあげる」
「ありがとうございます」
「お礼は結構。さあ、バリバリ働いてもらうわよ。オーライ?」
「オーライです」
私はらしくもなくサムズアップをして見せた。




