11.
大学時代の友人とのワインバーでのお忍びの女子会。
市長がその催し事に参加するため車にて移動。
現地到着後、トラブル発生。
私が先に降車して傘を広げ、その下に市長を迎え入れたところで、周囲を取り巻いていたSPの一人が身を翻し、「葉桐ぃぃっ!」と叫びながらこちらに向かってきた。
手には光る物、小ぶりのナイフ。
私は傘を捨て、盾になるべく市長の前に立った。男は腹部を狙ってまっすぐにナイフを突き出してきた。
咄嗟の反応。
右にかわして、相手の右腕を左の小脇に抱えることで拘束する。それから顔面にごつんと頭突きを浴びせてやった。ウチの先輩方ならもっとスマートに対応しただろう。だけど私は突発的なアクシデントに、まったくと言っていいほど慣れていない。経験不足なのだ。実際、必死だった。鼓動は速まり、ふっふっふと短い息を繰り返す。
仰向けに倒れた男を、素早く近づいてきた他のSPがうつ伏せに転がし、後ろ手に拘束する。二人がかりで押さえつける。
私は背後を振り返る。白いパンツスーツ姿の市長が傘を拾い上げているところだった。冷静な目、表情。「女子会への参加は取り止めね」という口調もさばさばしている。
別に出席してもらってもいいとも考えるけれど、本人がそういう気分ではなくなってしまったのだろう。「申し訳ありません」と私が謝罪すると、市長は「貴女のせいじゃないわよ」と微笑んで見せた。
私は膝を折り、襲ってきたSPと目を合わせる。「は、葉桐ぃぃっ」とまだ言っている。この時になって初めて、SPではないことに気づいた。黒いワイシャツを着て黒い革手袋をしているこの男は公安のニンゲンだ。それだけしかわからない。どういう理由で寄越されたのかは知らない。私が知らないということは、詳細については市長も知らないということだ。ちょっと後藤さんに確認をとってみる必要があるかもしれない。
翌日の始業前。男が市長室を訪れた。
丈の長いベージュのステンカラーコート。グレーのスーツに赤いネクタイ。能面のような顔。女顔。紅色の唇がやけに目立つ。
対応するのは私と市長。男は静かに頭を垂れつつ、市長に名刺を差し出した。
「クボクラさん、ですか」
「はい。公安のクボクラと申します」
市長が私に名刺を手渡す。”公安四課 久保倉”とだけあるのを確認してから市長に返却した。
「どうぞ。お掛けになってください」
「失礼いたします」
久保倉は二人掛けのソファに腰を下ろし、向かいの二脚の一人掛けには私と市長がそれぞれ座った。
「いったい、なんの御用でしょうか?」
「昨日、ウチのニンゲンがしでかした不始末についての謝罪に参りました」
「ええ。ひどい迷惑を被りました」
皮肉めいたことを、市長は微笑し、言った。
久保倉は表情を崩さない。口元に小さな笑みをたたえてすらいる。
「そもそも、どうして公安のかたが私の警護につかれていたんでしょうか?」
「おや。ご存じありませんか?」
「ええ。秘書からは、公安からヒトが来るくらいしか聞かされていません」
「どこかで手違いがあったようですね」
「こちらの不手際だと?」
「いえいえ。そのようなことはけっして。我々が関わらせていただいた理由について、ご説明いたしましょう」
「お願いします」
「市長は『OF』、『オープン・ファイア』から殺害予告を出されたお立場です。我々は連中を追っているんですよ。しかしながら、組織の構成を知るにあたっては、現状、手掛かりが少なすぎる。そこで、細い糸でもいいからなにか辿れるきっかけが得られないかと考え、このたび、私どものニンゲンを一名、派遣させていただいた次第です」
「『オープン・ファイア』という名を耳にしたから飛んできた。そうとしか聞こえませんけれど」
「細い糸でもいいと申し上げました。ですから、つまるところはそういうことです。例えば、ヤクザで言うところの鉄砲玉のようなかたちで暗殺者が寄越された場合、それをウチで引き取る段取りだったということです」
「警視庁の刑事課ではなく、あなたがたが捜査の主管を?」
「こういうことは、ままあるんですよ。特に今回のケース、『OF』のケースは、到底、ただの警察官の手に負える事柄ではない。この先、彼らの物量に期待することはあるかもしれませんが、それだけです」
「お話の内容は理解しました。しかし、現時点において、やはり公安を信用することはできません」
「それは止むを得ないことと認識しております」
「厳正な対処をお願いします」
「もちろんです。我が組織を構成しているニンゲンの身辺調査を改めて行います。公安に『OF』のシンパがいるなどあってはならないことですから。ところで、黒峰さん」
「なんでしょう?」
「おや。いきなり名を呼ばれても驚かれませんか」
「ああ、このヒトがそうなのか。それくらいの気持ちでいます」
「『治安会』の中で、私は有名なんですか?」
「取るに足らない。現状は、そういった評価でしょうか」
「なのに貴女はご存じだ」
「私は調査したということです。貴方が一方的にこちらを知っているというわけではないんですよ? 久保倉順平さん?」
「おぉ、怖い怖い」
久保倉は肩をすくめて見せると腰を上げた。「では、私はこれで」とだけ言った彼を、私と市長は立って見送った。
「あー、やだ。気持ちの悪い男ね。ああいうの、私、大嫌い」
市長はそう言うと、胸の前で両腕を交差させ、ぶるるっと身を震わせた。
「絶対、女性にモテないわよね」
「あいにくプライベートの情報までは、私も持ち合わせていません」
「間違いなく童貞よ、あんな奴」
「ヒドい言い方をされますね」
「名刺、捨てちゃおうかしら」
「捨てるなら、私にください」
「冗談よ。一応、もらっておくことにするわ」
もうすぐ昼食という時間帯。
市長が隣室で今日の会見の打ち合わせをしている最中に、後藤さんに電話をした。
「やあ、曜子さん。どうかしたかい?」
「今朝方、公安の久保倉と名乗る男が、訪ねてきました」
「ああ。昨日の君の報告書にあった部下の不祥事、その謝罪に訪れたというわけだね?」
「はい。他にも同類がいないか、洗い出しを急ぐとのことでした」
「久保倉君というのは、君から見てどんな男だった?」
「生理的にはNGです。ですけど、印象としてはやり手です」
「表情から、なにか読み取れそうだったかい?」
「それは困難でした。ただ、自らの利になることしか考えていないようには見えました」
「ふむ。一度、会ってみたいな」
「会おうと思えば、会えるんですか?」
「実は難しい。公安の中でも四課だけは特殊、別物だ」
「基本的にはウチと同じ、なんでも屋、ですよね?」
「国の安寧を図るにあたっての安全弁。その点においてはウチと同じかもしれないけれど、彼らは武力を持ち合わせていない。自前の頭とコネでなんとかするセクションだ」
「おまけにステルス性が高い」
「そこのところもウチと同様だね」
「それにしても……」
「なんだい?」
「いえ。対『OF』、対『UC』という観点で言うと、我々と四課の目的は一致しているはずです。であるなら、すでにウチが関わっている以上、四課が首を突っ込む必要はないんじゃありませんか?」
「まあ、彼らには彼らなりの正義があるってことなんじゃないかな」
「私はいろいろと邪推してしまいますけれど」
「そのへんは君の自由だよ。で、通常業務のほうはどうだい? そろそろ飽きてきたんじゃないかい?」
「葉桐市長は魅力的な女性です」
「答えになっていないよ?」
「お伝えしたかったことは以上です」
「うん。ま、頑張っちゃってね」
後藤さんのほうから通話は切れた。
市長が打ち合わせから戻ってきた。
デスクにつくと、ふぅと一つ息をついた。
「昨日の一件は発表されるんですか?」
「しないわ。誰も得をしないから。記者から質問を受けるようなら、答えるしかないけれど」
「質問、受けるでしょう?」
「そうよねぇ」
今度は市長、はあと息を吐いた。嘆息だろう。
「もう『オープン・ファイア』がなにをやってこようと驚かないぞっていう自信はあるけれど、彼らが私にご執心だと、パパラッチが絶えないのよねぇ。それがうっとうしいのよねぇ」
「『OF』の的になっていることと、パパラッチに遭うことは無関係では?」
「まあ、そうね。なにせ、美人すぎる市長ですから」
「今のお立場は、市長ご自身が望まれたわけです」
「そうよぅ。死ぬまで公人。そんな人生もアリだとは思わない?」
「私だったら、耐えられないと思います」
「『治安会』の仕事のほうが激務じゃないかしらって思うんだけど?」
「肉体的にも精神的にもキツい時はありますけれど、楽しい、面白いって感じる瞬間もあるんですよ?」
「まあ、やり甲斐がない仕事なんて、根本的にはないのかもしれないわね」
「そのやり甲斐を感じなくなったから、私は軍を抜けちゃったんですけれどね」
「そこよ、そこ。不思議なの。どうして軍に入ろうと思ったの?」
「似合いませんか?」
「ええ。そう思う」
「弱い自分を鍛えたかったんです。少しでも自分のことを好きになりたかったと言い換えることもできます」
「自分が嫌いだったの?」
私は「今でも好きとは言えないんですけれどね」と言い、苦笑した。
「『治安会』に入るにあたっては、面接でも受けたの?」
「いえ。面接はなかったです。後藤さんに誘っていただいたというだけです」
「どこで?」
「ガールズバーです」
「アルバイト?」
「そうです」
「モテたでしょう?」
「そんなことはありませんよ」
「客として訪れた後藤さんと、偶然、出会った?」
「そうです。そして、お話をさせていただく中で、自然とそういう流れになりました。その結論として、一緒に仕事をしないかと提案していただいたんです」
「貴女としては、思い切った決断だった?」
「はい。両親からは結婚を望まれていましたし。いえ、望まれているのは今でもですね。ことあるごとに孫の顔が見たいって言われます」
「その点で言うと、ウチの両親は理解があるから楽だわ。実は口に出さないだけかもしれないけれど」
「女性って、いろいろと面倒です」
「男性だってそうよ。たとえば、悠さんだって、ご両親に早く結婚しろーって急かされてるかもしれないじゃない?」
「そうなんですよね。忍足さんにもご両親がいらっしゃるんですよね」
「なに当たり前のこと言ってるのよ」
「そうですね」
私はクスクスと笑ったのだった。




