透明で見えない好き
ちょっとした短編です。そんなに文字数はないですが、楽しんでもらえると嬉しいです。
僕には好きな人がいる。
彼女はいつも明るく、一緒にいると元気がもらえる。話していて楽しいし、いつまでもそうしていたいと思うくらいだ。
「おはよう、まさき!」
彼女のことを考えていたら、丁度向こうから手を上げてやってきた。彼女はとても小柄なので、人の間を飛び跳ねながら、存在をアピールしている。
「お、おはよう、千夏……」
僕は周りを見渡し、たどたどしく挨拶を返した。千夏は僕の様子がおかしかったからか、不思議そうに首を傾げた。僕がそうしたのは、彼女にはほかの人にない特徴があるからだ。
「どうしてそんな小声なの?風邪でも引いてるの?」
「いや、そういうわけじゃ、……」
僕はそう言いつつ、千夏の姿をまじまじと見つめる。彼女の足は透けていて地についていない。それどころか、彼女は宙に浮かんでいる。彼女は他の人からは声も姿もない透明な存在。つまり、彼女はこの街から離れることのできない、地縛霊なのだ。
「あっ!そっか、はたから見るとひとりごとに見られちゃうもんね。ごめんごめんっ!」
千夏は慌てて自分の姿を確認して、そう軽く謝罪した。本当に申し訳ないと思っているのだろうか。彼女は手を合わせれば僕が何でも許してくれるのだと思っているのかもしれない。
「別にいいよ。それより、今日は何をするの?」
「今日も私の名前をこの街に刻む計画を順調に進めるよぉ」
彼女は張り切ってそう言った。
そもそも、彼女が地縛霊になったのは自分が育った街に何も残せずに死んだことが未練となり、魂がこの地から離れることが出来ないからだ。それは裏を返せば、彼女がこの街に何かを残せば成仏できるということだ。
僕は彼女がこの街にいたという証を残すための手伝いをしている。学校が終わると、帰宅途中に彼女と待ち合わせて、こうして一緒に行動するのだ。
「じゃあ、早速神社っ!行ってみよう!」
「神社?そんなところで何をするの?」
「まぁ、あれこれ言わずに。私についてきなっ!」
「う、うん」
千夏は鼻歌交じりに僕の前を歩き始める。テンションの高い彼女に戸惑いつつ僕は彼女の後についていった。
「ついたよっ!」
彼女に案内されてついたのは街の名所でもある大きな神社だった。この街に来る人は必ずと行っていいほど、この場所に来る。正月の初詣では溢れかえるほどの人がいるのだが、今はこの夏の暑さであまり人を見かけられなかった。
「ここで何をするの?」
「もちろん、この神社に貢献して私の名前を残すに決まってるじゃない」
「貢献ってお参りでもするの?」
「それもあるけど、この神社の清掃よ!この神社が綺麗になればお参りする人も気持ちよくお参りができるじゃない」
「はぁ……」
「それじゃあ、これ持って!」
そう言って、千夏は僕に竹箒を投げる。僕は戸惑いながらもそれを上手くキャッチする。
「でも、千夏は実体を持たないから……」
「よしゃあああ!やるよぉお!!」
千夏はやる気満々だったようだ。僕の話などそっちのけで箒で落ち葉を掃除し始めた。僕はため息を吐きつつ仕方なく箒で落ち葉を掃く。今は十二月の中旬。彼女がやってるこの奉仕作業は来月に正月を控えるこの神社にとってはとてもいいことをしていると思う。けど、この作業が彼女の名を残すほどの偉業なのかと聞かれるとそうでないと思う。そう簡単に名前を残せるほど、世の中も甘くはないのだ。
僕が暫く、箒で辺りを掃いていると半泣きになった彼女が僕のもとにやってきた。
「まさきぃ~。箒が落ち葉を掃いてくれないんだよぉ~」
「だから言おうと思ったのに。聞かないからだよ」
思った通りだった。実体を持たない千夏は自分が持ったものまで霊化してしまう。そのため、僕は毎回この事を忠告をするのだが、彼女は一向に学習をしない。
「何なら僕が全部やって、君の手柄にしてもいいんだよ」
「それじゃあ。だめなの!私がやるから意味があるのっ!」
千夏は一切、僕のアドバイスを聞かない。彼女には彼女なりのやり方があるらしい。でも、それだといつになっても成仏なんてできないんじゃないんだろうか。
僕は何か、彼女が納得するやり方はないかと考える。だが、中々浮かばない。いや、成仏する方法なら一つ僕は知っているのだが……。それには僕が努力しないといけないんだ。
僕は改めて彼女を見つめる。見つめられた彼女は少し微笑んで僕をにらみつけてきた。頬を膨らませる彼女を見て、僕はやはり彼女を愛おしく思ってしまう。そんな自分を情けなく思いながらも僕は心を決める。
「千夏」
僕は彼女の名前をはっきりと呼んだ。
「なぁにぃ?」
千夏は一つに纏めたポニーテールを揺らしながら、ニコニコとしながら振り向く。
僕は深呼吸をする。そうすると少し落ち着いた気がした。
僕が言っていた成仏の方法は簡単だ。僕が彼女に抱いている気持ちを伝えるだけだ。そうすることで、彼女が僕のかけがえのない大切な人として心に名前が残っている事になる。この方法なら、僕の手で彼女は確実に成仏できると思う。
「あの……」
だが、僕はその簡単な一文を口することが出来なかった。千夏に自分の正直な気持ちを伝えたいが、それ以上に彼女が消えてしまうことが怖かった。そして、何より自分の意思の弱さが情けなかった。
僕は代わりに違う言葉を紡ぎだしていた。
「どうしてそこまでして名前を残したいの?」
これは僕がずっと抱いていた疑問だった。僕は千夏と偶然出会い、彼女を手伝うようになってからずっと考えていた。でも、分からなかった。あんなにも元気な彼女はどうして地縛霊になってまでそうするのか分からなかった。
だけど、その答えは簡単で単純なものだった。
「ふぅ……。それはね……怖いからだよ。私は怖いの」
笑顔だった千夏は一転して、声を震わせてそう言った。
「え……」
僕は思わず、驚きの声を漏らしてしまった。
まさか、活発で明るい千夏からそんな言葉が出るとは思わなかったからだ。そんな悲しげな彼女を見ていると聞いたことを後悔した。
「私が交通事故で死んじゃったのは前に話したよね。私は未来も夢も残したまま死んじゃったの。でもそれはあんまり後悔はして無いの。私は夢も特になかったし、これといった目標もなく生きてたからね」
千夏は話しながらも自嘲気味に少し笑って見せた。
「でもね。私はそれだけなら、成仏出来たんだと思う。けれど、私は成仏出来なかった……」
「どうして……」
「考えたの。私がした事って何があっただろうって。そして、お葬式が終わってみんなが色んな所に帰って行くときに気が付いたの……。私、忘れられちゃうんじゃないかなって」
僕は考えた。自分が忘れられ何も残らないとしたら、それはどれだけ恐ろしいことか。想像しただけで寒気がする。
「だからね、私は名前を残したいの。死んでからじゃ遅いかもしれないけどやり遂げたいの。私は自分の心から逃げに走っているのかもね。おかしいでしょ」
千夏は無理矢理微笑んでいるように見えた。その心のうちは今でも泣きそうに見える。
僕は彼女を過大評価しすぎていたのかもしれない。彼女の心は脆く傷付きやすい。そして、誰よりも弱虫なのだ。誰かに支えてもらわなければ、すぐに崩れ押してしまうほどに。
僕はバカだ。彼女を好きでありながら何もわかっていなかった。恥ずかしくてたまらない。
けれど、それは僕だけではない。彼女も同じくバカなのだ。僕たちは何も互いのことをわかっていないんだ。そして、彼女は何も気がついていない。本当に何もしてないのか。何をするべきなのか。何をしてきたのかを。
そう思うと僕は思いもしないことをしていた。
「ハハッ……!」
笑っていた。
こんなことをしたら嫌われるかもしれない。けれど、気づいてしまったからそうせずにはいられなかった。
「何で笑うのっ……。普通そこは慰めるとこでしょ。私も真剣に話したんだから、流石に怒るよ」
千夏はわざと頬を膨らませる。
彼女は本当に怒っているように見える。いつものおふざけとは少しきつい口調だ。それでも、これだけは僕から伝えないと。彼女はいつまでも変わらないから。
「だって、僕と同じなんだよ」
「……?」
千夏は黙って首を傾げる。僕が何を言いたいか分からないみたいだ。
「僕も生きるのは怖いよ。自分が何をしているか、わからなくなる時がある。下手をすれば、何もしないまま死ぬって思うと怖くなる」
僕は息を切らしながらも、慎重に言葉を選ぶ。
「でもね、それは逃げにならないと思うんだ。生きるのはつらいし、不安だらけだ。だから、僕たちは必死になって生きて恐怖から抗っているんだ。だから、それは決して逃げにはならないよ」
「でも、私は死んでるよ!生きることから逃げてる私に何ができるのっ!」
千夏は声を荒げ、僕の言葉を否定した。多分これが彼女の恐怖の根源であり、彼女が抱えていた不安なのだろう。
けど、僕は終われない。これだけは伝えなくちゃいけない。
「だから、僕がいるんだ。僕が君の分を生きればいいんだ」
「でもそれじゃあ、私が生きた証には……」
「なるっ!!僕が君の代わりに名前を残す!!」
「どうやって……」
「もうやっているじゃないか。僕は君のために名前を残す手伝いをしている。それは君が名前を残すためにしたことの一つじゃないか」
僕は考えすぎていた。千夏は実体がないから、実際に名前を残すことは出来ないと思っていた。けれど、彼女はもうすでに行動に移していた。僕の前に姿を現して。
「まさきに手伝ってもらっても名前を残すことになる……?」
千夏は疑い深く僕に問いかけてきた。僕は迷うことなく答える。
「あぁ、もちろんだよ。事実、僕は今、この時を君のために生きてるんだ」
「え……。ぁん……」
千夏はとたんに顔を赤くした。僕もその様子を見て、自分の言ったことに気が付いた。僕は途端に言い訳をする。
「いや、そういう意味じゃなくて……。その……。君を手伝っている間は君の代わりに生きている気がするっていうか……」
「うん……」
僕と千夏は余りの気恥ずかしさに俯いてしまう。けれど、それもしばらくすると、顔を見合わせていた。
「「あはは!!」」
不思議と僕たちは笑っていた。なんだか、悩んでいたこともばからしくなってきた。
でも、この時間がとても気持ち良かった。暗い気持ちが晴れるような、ぽかぽかとした温かさに包まれていた。
「よぉし~!まさきっ!」
千夏はいつもよりも明るい笑顔を僕に向けて言う。
「ん?どうしたの?」
僕は千夏が言いたいことを薄々わかりつつも、あえて聞き返した。
「名前を残しに行こうよっ!!」
「うん!!」
僕は大きくうなずいた。
改めて、元気になった千夏をみた。彼女は振り返って僕の顔を見つめてくる。彼女はクスリといたずらに笑うと再び前を見て歩き出す。僕はそれを見て自分の気持ちをもう一度見つめなおした。けれど、その気持ちは変わることはなかった。
やっぱり、千夏が好きだ。消えてほしくない。
けれど、彼女の目標は無事に成仏することだ。いつかは消えなければいけない。
だから、僕はこの気持ちをその別れの時まで取っておこうと思う。
そして、その時が来たらありのままの気持ちを話そう。
笑って。
この透明な気持ちを。
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