野生時代の私の本音
誰しもがたくさん悪いことをしてきたであろう、保育園・小学生時代。
そりゃ悪いことをしたのならば怒られるのはいわば因果応報、当然のことだといえるわけです。
ただそこで私の親は少し特殊だったんだなって思う節があって、悪いことをした後に「悪いのは誰?」って親に聞かれるんです。
自分が悪いんだよなって最初は素直に思っていたりもしたのですが、小さい時は違うなら違うと言いたかった人間だった私は、とにかく違うところがあれば違うと言っていたのですが「それは屁理屈っていうんだよ」なんて父に言われて、そこからの少しの不貞腐れ。
「本当はどうなの」そう言われても、さっき本当のこと言ったのに屁理屈って言ったじゃん。
ここまできたら私だって大人しくしてるしか方法はなくて黙ってたら「だんまりはよくないよね?」なんて責めに責めてこられたんです。
「もういいたいことなんてない、私が悪かった」なんて、今となっては記憶は定かじゃないけど6,7歳ながらに思ってることを押し殺して話す能力を身に着けたんです。
こんなのいらないって今なら思うけど、本気であの時はこの家で私が楽に生きていける唯一の手段だったんです。そんなに楽に生きていた記憶はないですけど。
そして親は私が罪を認めれば、小学卒業まではまだ動物と一緒だっていう考えだから、躾として母親のげんこつと父からの尻への平手打ちを食らうことになるんです。
半ば途中まで必死に弁明していたのは、この謎の暴力に耐えなければいけなかったからかもしれないです。
そもそも私は馬鹿なのか何なのか、怒られている理由がわからないんです。
それは18歳になった今も変わらずで、教師やバイト先の先輩、クラスメイトや親に怒られているとき、本当になぜ自分が怒られているのかがわからなくて焦るんです。
焦っても当然分かり得ないことなのですが、言われていることも理解しないと。そう思うとなおさらわけわからなくなって、脳の作業がキャパオーバーで追いつかなくなってなおさら焦って結局泣いてしまうんです。
「泣いてもしゃーないべ」
最近怒られてた中で、私が一番腹立った言葉がこれです。
いや違うだろって腹の中で思いつつも、泣かないように息を整えて「はい」なんて言ってたけど、心の底からこいつの死期はいつだって本気で考えてました。
怒られてる時に出てくる涙は悲しいからという理由で出たことはなくて、相手への憎悪、自由の利かない腹立たしさ、思っていることを素直に言えない自分に対しての苛立ち、怒られている理由がわからないがために感じる理不尽さへの憎しみ。
これらに対して涙を流すことが多いので、あの時言われた「泣いてもしゃーないべ」っていう言葉はどれにでも当てはまるようで、本人の私からしたら1つにも当てはまっていないのです。
そんなの当たり前だろって、逆に開き直ったりもしてみちゃったりして。
怒られているのに理由もわからないんじゃ、反省のしようも微塵もないんですから、納得できるように教えるか何かをすればいいのに、大人は頭があほみたいに固すぎて、話していても面白くないです。