涸れ井戸の世界
幽霊が見えるだとか、心霊写真があるだとか、たまにそんなことを耳にする。俺は霊感なんてないし、宇宙人と交信したりもできない。
でも一つだけネタのように話す不思議な話がある。
俺がまだ小学生だったころ、学校が終わってから日が暮れるまで友達と遊び倒していた。近くの山の山頂まで競争したり、公園の木に登ったり、空き家を勝手に秘密基地にしたり、たわいもなくでも真剣に毎日街中駆けずり回って遊んでいた。
そんな遊び場の一つ、それが公園の裏の廃屋だ。公園の裏は俺たちの身長をはるかに超える高い草が生えていて、その緑の中を突っ切っていくとボロボロのあばら家がある。もう家の体裁も取れないほどで、辛うじて腐りかけの床と塗装の禿げた柱が残っていた。そこは秘密基地にもなれない家として破壊も含めて遊び場になっていた。
その廃屋、傍に井戸があるのだ。
蓋もなければ桶もない。当然、その井戸は枯れていた。ぽい、と小石を投げるとしばらくしてカツン、と冷たい音が伝わってくる。大した興味もなく、井戸は時たま石を投げ入れられるだけだった。
俺たちはいつも5人くらいで遊んでいたが、その中でも仲が良かったのがリョウタだ。俺と似たような性質で、好奇心旺盛で泥まみれになるほど遊んでいた。
その日、たまたま遊べたのが俺とリョウタだけだった。
いつもなら鬼ごっこなりかくれんぼなりしていたが、二人じゃできる遊びも少ない。廃屋で破壊活動に勤しんでいたが、日が暮れ始めたころ何となしに石を一つ投げ込んだのだ。
ぽちゃん……
枯れたはずの井戸の奥から、石が水を打つ音が聞こえた。
「……」
「……」
「リョウタ聞いた?」
「聞こえた。ユキオ聞こえた?」
「聞こえた。」
顔を見合わせてから二人で井戸の奥を覗きこむ。真っ暗で、何も見えない。揺れる水面も見えないけれど、枯れた底も見えない。ただ真っ暗だった。
「もう一個。」
さっきよりも大きな石。リョウタは投げ込む。
ぼちゃん……
やはり時間はかかるが、さっきよりも大きな音が聞こえた。
得も言われない興奮に包まれた。枯れたはずの井戸が水音をたてる。それは俺たちにとって大発見だった。
「まだ水があったんだ!」
「もしかしたら昨日とかから水が湧き始めたのかも!」
「すげえ!器とか桶とかない!?」
何故だかわからないけれど水がある。兎にも角にも俺たちはそれを掬おうとした。廃屋の中にあった大き目の欠けた椀を必死に井戸の中に突っ込む。だが水のあるところまで俺たちの腕が届くはずもなく、椀は空を切るだけだった。
「届かねえっ……!ユキオ!俺のこと掴んで!もっと奥まで手え伸ばすから!」
「わかった!」
少し考えれば届くわけもないことくらいわかるが、小学生のころの俺たちはできると思い込んでいた。リョウタは井戸の中に身を乗り出し、俺はリョウタの腰あたりを掴んでいた。
でもリョウタがぐっと身を乗り出した時、一気に体勢が傾いた。
「あっ……!」
「うあああああっ!!」
足がふわりと浮く感覚。俺はリョウタを掴んだまま井戸の中へと落ちて行った。
どれだけ落ちて行っただろうか。数秒だったか、数分だったか、わからない。俺にとってはとてつもなく長く感じた。
ザッパアアン……
気が付くと俺たちは水の中で、死に物狂いになりながら水面を目指した。
「ぷっはああ……リョウタ!無事!?」
「大丈夫だ!ちゃんと支えとけよユキオ!」
「ご、ごめん。」
俺たちは水から這い上がった。
水はきれいで、白い空を映していた。
「リョウタ、ここどこだ……?」
「井戸じゃないのは、わかる。」
俺たちは井戸に落ちたはずだった。だが俺たちがいるのはどう見ても井戸の底じゃなかった。俺たちが落ちた先は池のようで、すぐ傍には家が建っていた。
障子に縁側、日本家屋。
「どこかの庭……?」
「あ!わかった!ここは地球の裏側なんだ!」
「裏側?」
「そう!地球は丸いから、井戸の穴を通って日本の裏側の国に来たんだ!」
「裏、ならブラジル?」
「うん!地球の裏側は時差があるから、日本が夕方ならブラジルは朝方だ!兄ちゃんが言ってた!」
井戸を通って地球の裏側に来た。俺たちはそう信じて疑わなかった。
「すごいね!俺たち外国に来たんだ!」
「すげえ!」
ぎゃあぎゃあと歓喜に湧いていたら、家から物音がして二人ぴたりと動きを止めた。
ここは庭だ。言ってしまえば俺たちは勝手に人の家に入り込んだのだ。小学生でもそれがまずいことはわかる。
「やっべえ!」
「帰ろうリョウタ!」
障子が開くか開かないかと言うところで、俺たちはその庭にあった井戸に迷いなく飛び込んだ。来た時と同じように、耳元の風と共に、落ちていく。
俺たちを出迎えたのは強い光だった。目を開けると、俺たちを懐中電灯が照らしていた。
大人たち曰く、俺たちは二人で行方不明になっていたらしい。捜索の末、枯れ井戸の底で二人眠っているのを発見したのだと。
そんな馬鹿な、と俺たちは二人で井戸の先のことを説明した。落ちて行って落ちて行って、ブラジルに行ったのだと。しかしそんなことを信じる大人は誰一人おらず、皆呆れたように、安心したようにため息を吐くだけだった。
それでも、大人たちにもわからないことがあった。俺たちの服が濡れていたのだ。無論、井戸の底に水はない。通り雨かと考えたが、雨も降っていない。皆一様に首を傾げたが、子供二人が無事に帰ってきたことでそんなことは些細なことと、さっさと忘れられた。
誰も信じてくれないことに俺たちはブスクレていた。
「なんで誰も信じてくれないんだろうね。」
「大人ってのはみんな頭が固いんだよ!アレしちゃダメ、コレしちゃダメって。井戸だって塞がれちゃったし。」
あれからしばらくして、枯れ井戸の上には石でできた蓋がされた。もう誰も中に入らないように。
いつしか誰も信じてくれない不思議な体験は二人だけの秘密になった。
だがその秘密も、もう俺だけのものとなり、大人になった今では不思議な体験というネタの一つの扱いだ。ここまでは。
井戸の中の世界を訪れてから、一年ほどたったころ、リョウタが姿を消した。以前と同じように、夕暮れ時に。違うのはリョウタが一人だったこと。
皆必死にリョウタを探した。遊んでいそうな場所、立ち寄る場所、通学路。誘拐されたのかとも思い警察も動員された。しかし誰も彼を見つけることはできなかった。
大人たちはまず、井戸を疑った。井戸の石のふたが開いていたのだ。
だが井戸の底には誰もいなかった。井戸は相変わらず、枯れていた。
あれからどれほどの時間がたっただろうか。今もリョウタは見つかっていない。
俺は確信していた。リョウタは井戸の底のもっと奥。かつて行ったあの庭に再び行ったのだと。ブラジルなんかじゃ、地球の裏側なんかじゃない、場所。そんなところより、はるかに不思議な場所。
今も思うのだ。あの日、俺とリョウタが二人で行ったとき、障子を開けた家主に見つかっていたら、どうなっていたのだろうか。一人で行ったリョウタは、あの家主に見つかってしまったのだろうか、と。
俺は知ってる。かつて遊んでいた公園の奥、肩ほどの背丈の草をかき分けていくと朽ちかけた廃屋がある。その傍に、一つの井戸。石を投げ込んでも、渇いた冷たい音が響く。だが夕方、空が真っ赤に染まりこの世界を茜色に染め上げるころ、石を投げ入れると、音がするのだ。
ぽちゃん……
誰にも知られず、あの井戸の世界は今もある。
読了ありがとうございました
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