物持ちの良さなのか、これは?
中身をざっくりとしか決めないで筆を執るとこうなる! という例です。
小学校高学年ぐらいのころ、ギミックの多いプラモデルにはまっていたことがある。モーターで動く軍艦とか、リモコンで走る戦車とか、そういうやつである。
で、そのころ作ったプラモデルの一つで「ビックリ分解自動車」というのが押し入れの中からホコリを被って出てきた。
この珍妙な名前のプラモデル、壁にぶつかるとバネが外れて車体や運転手の人形がすっとんでゆく愉快な奴で、たしか国産プラモ誕生の五〇年記念とかで復刻販売されたものだったと記憶している。ただ悪いことに、一度棚から落とした記憶があって、案の定部品は接着面から分かれ分かれのバラバラであった。
「お色直しと洒落たいけれど……どれがどの部品かわかんねえなあ」
ダメ元でネットの海をあさるも、説明書の画像なんてそう簡単に出るわけもない。このまま不燃ごみの日に捨ててしまおうか、と思った矢先頭をよぎったのは――。
「――そういや、箱絵と一緒に説明書を保管してなかったか?」
昔から洒落た絵葉書とか観光案内のパンフレット、重大事件のあった日の新聞なんかを取っておく習慣があるのだが、そのきっかけになったのはプラモデルの箱の絵、ボックスアートと説明書の保管だった。それらを入れていたファイルが去年あたり、大掃除の時に出てきていたような覚えがあったのだが、保存したのかどうか記憶が定かでない。
まさかそう簡単に捨てもしまいと、古新聞などを置いている本棚へこわごわへ目をやる。すると、そこにはカドが擦れて綴じも怪しくなった「ボックスアート・説明書」という下手な字の躍る青いファイルがあったではないか。過去の自分の保存癖に感謝する日が来るとは思わなかった。
さて、タイトルを書いておいてなんだが、はたしてこれが「物持ちがいい」ということなのかと言われるとちょっと怪しい。
普通なら数年で消耗するものが十数年、下手をすると二十年くらいロングラン――言葉としてはもっぱらそんな意味でつかわれているような気がする。それを踏まえると、これは物持ちがいい、とはちょっと違うのではあるまいか。
他人なら捨てるようなもんを取っておく、ただの変態というくらいに構えているがちょうどいいかもしれない。人を襲うようなこともないから、いたって安全な気もするというのは自画自賛か――。
目下、ビックリ分解自動車はホコリをはらっている最中です。
にしてもまさか、当時愛用していたチューブ入りのプラモデル用セメダインがとっくに生産中止とは……(当時よくお世話になっていました)。これも時代か。