出たり消えたり、秋の気配
まだ店頭に並んでいる、生めんの冷やし中華を見て思ったことです。
人と会うたび、十年前とかはもっと涼しかったよねぇ、と愚痴りあっていた酷暑がようやっと終わった。日陰の合間を縫ってひっそり飛んでいたトンボが堂々と羽ばたくようになって、夜風からも熱気が抜けて稲刈り後の田畑特有の甘い香りが混ざるようになってきた――。
こう書けばいかにも季節は秋へ移りにけり、となるが現実はそう甘くない。ちょっと涼しくなったと思って長袖を出すと、三十度を前後する陽気がひょっこり顔を出す。ああ、まだ半袖がちょうどいいかな、と思うと今度はゲリラまがいの夕立に、たまの散歩も興を削がれるという始末。この調子ではあっという間に雪が降ってくるに違いない。今年も輪をかけて寒いという話を耳にして、早くもこたつが欲しくなってくる。まだ網戸ははめっぱなしだというのに、我ながら馬鹿みたいである。
出すもの外すもの、脱ぐもの着るもののほうで気をもんでいる割に、食卓のほうはあまり変化がない。相も変わらず休日は、夏に買った小豆島のそうめんが現れるし、鍋の具になりそうな魚介や野菜をチラシで見ても、さほど関心は沸かない。冷ややっこ向きの小ぶりな豆腐を見て、ビールが脳裏にちらつくことの方が多いところを考えると、まだまだ心のほうは夏のつもりでいるらしい。
ひとつ、夏のつもりでいるうちに、冷やし中華の食べ納めでもしておこう。暑さで需要が尾を引いているとかで、大手メーカーもまだまだ製造中らしい。これを逃すと、あと半年近く待たねばならない。
秋の気配を感じるために、冷やし中華で夏の締めくくりと洒落ることにしよう。
さすがにお店での食べ納めは難しそうなので、大人しく袋めんを買って自分で作ろうと思います。