徒歩で行く古都
久しぶりに、手書きで仕上げました。
もっとも、打ち直す段階でそうとういじったのですが……。
つい先日――具体的に言えば二月二九日のことである――、なじみの喫茶店で昼食のハヤシライスをつつきながら、同郷の友人Y氏と世間話をしていた。
少し前に、彼も含めた数人と総合雑誌三誌の共同購入を行い、小さな読書会を始めたのだが、その一冊である某業界誌を借りに、Y氏は私と落ち合い、昼食を摂ったのである。
一時間ほどトグロを巻いているうちに、あらかた読み終えたらしく、彼は本を返すと、食後のコーヒーを飲んでいた私にこう切り出した。
「アテもなく、ブラつこうぜ」
先頃、写真館でアルバイトを始めた彼は、高校時代写真部にいた根っからのカメラマンであるが、それと同時に散策好きでもあった。
「いいね。どうせ何も予定はないし、つきあうよ」
と、言ったのはよかったが、外はあいにくの雨。しかたなく、私の下宿で雨の上がるのを待って、出発ということになった。
二時すぎに雨の上がったことを確認すると、私はカサを地面にたて、モーセの杖よろしくコテン、と倒した。
カサは南を向いていた。ということで、私とY氏は一路、南へと歩き出した。平安神宮あたりまで行ってこよう、と思ったわけである。
白川疎水を南へ下り、京大のグラウンドへ近づいた辺りから、道幅が狭くなり、両脇にがっしりとした日本家屋が見えるようになってきた。よく自転車で通る道だから、風景に格別と言って思い入れがあるわけではないはずなのだが、どうしたことかその日に限って
、初めて来た道のような雰囲気がそこら中にただよっていた。
ふと、私はこの界わいへ歩きで来たことがないのに気付いた。どうやら食事と同じで、ゆっくり、それこそ歩きでないと風景の味、という奴はわからないようだ。
「考えたら、歩きでここいらに来たのは初めてだなア」と、私が言うと、
「オレ、写真撮りによく歩くからなあ。お前は?」
「ウン、目的地までツッ走るから、もっぱら自転車だ。情緒もナニもありゃしねェ」
Y氏がなるほどという顔でこちらを覗き込む。徒歩での移動については、彼のほうが二枚程ウワ手らしい。
そのうちに、疏水の左折点とも言える、銀閣寺門前の通りへと出た。サテ、どうしたものかと考えているうちに、Y氏が裏通りから行こう、と言った。
彼とともに大通りを抜け、吉田山の裏手――京大側が表かどうかは知らないが――にある住宅街へと入った。この辺は急斜面に家がならんでいて、あちこちに階段がある。歩みをとめて石段を下り、上に残されたY氏に、
「こりゃア、青春映画のワン・シーンだなァ」
「ホントだ。画になるな」
なんてやり取りをしながら南進するうちに、一条天皇陵を過ぎ、稲荷神社の前をかすめ、西への坂道を進むと、突如として大パノラマが眼前に開けた。
京大のある百万遍の学生街、鴨川沿いのホテルオークラが一望出来る、大迫力の風景であった。
「見ろよ、すごい坂だ。こりゃあ、自転車じゃ来られないぜ」
Y氏の指さす先には、ウッカリ自転車のハナ先を向けたら病院送りになってしまいそうな、急な下り坂があった。彼の言葉にごもっとも、と返してから、その坂を下り始めた。
両手を横に広げたら、左右の家にくっついてしまいそうな、小さい道、そして坂である。雨で湿った足元を慎重に踏みながら、ふもとへたどりつくと、どうやら岡崎公園、そして平安神宮はすぐそこのようであった。
「動いたらハラ減ったなあ……。オイどうだ、四条まで足をのばして、イノダか何かに入ろうぜ」
イノダとは京都の老舗喫茶店、イノダコーヒーのことである。私の提案に彼も賛成し、我々は一路、四条へ針路を定めた。
京都市美の前で、近々来るモネ展の話にふれ、もうチョイト入館料が安くならんかなあ、とグチりながら鴨川のほうへ出ると、友人がカメラ屋に行きたい、と言った。三条河原のサクラヤという店である。
私も写真をやるクチだから、気にならないこともない。三条京阪で鴨川を越え、にぎやかな三条の通りへと足を進める。
サクラヤの手前で歩くのをやめたのは、私だった。
「Y、丸善に行かないか」
「イイネ、入ったことないんだ」
「よし、行こう」
河原町のBALという商業ビルの地下に、丸善はあった。去年、一〇年ぶりに再オープンを果たしたこの文具・書籍の殿堂は、私にとってこの上なく幸せな空間である。
二〇分少々、文房具や本をのぞいてから外へ出ると、目的地である三条サクラヤへついた。さて、ショーウィンドーを見るか、と思った矢先、Y氏が声をあげた。
「上のギャラリーで、写真展をやってるみたいだ。行こう」
「じゃア、ひととおりノゾいてからにしよう」
当初の目的からどんどん脱線してゆく――特に苦でもないが――ことへのささやかな反抗、とでも言うべきか、さらりとガラス越しにカメラやレンズを眺めてから、私とY氏はギャラリーへ向かった。
うすぐらいギャラリーの中には、大判に引き伸ばした風景写真が並んでいた。その中に故郷・新潟の棚田や朝霧を見つけ、少しうれしくなった。
ギャラリーを出た辺りから、それまで人数まばらであった通りが騒がしくなって来た。帰宅ラッシュには少々早いが、そんな頃合いである。それを自覚したとたんに、四条烏丸手前のイノダまで行く気がフイと消えてしまった。
「うむー、イノダはチト遠いな……。オイどうだ、新京極のはす向かいに御多福珈琲という地下喫茶店がある。そこでどうだ」
「いいね。そこにしよう」
話がまとまると、私とY氏は阪急河原町の駅前交差点を渡り、高島屋沿いに西へ向かった。
去年に完了した道幅の拡張工事のおかげで、昔に比べて歩きやすくなった四条通りは、仕事上がりでうちくつろいだ雰囲気のサラリーマンや観光客、学生でにぎわっていた。
その大通りから一歩退いたところ、御多福珈琲はある。急な階段を降りた先に広がる、八畳ほどの広さの店内は、しっとしと、そしてゆったりとした、まさに「喫茶店」という内装である。隅のボックス席に向かい合って座り、Y氏はココアとチーズケーキ、私は名物のブレンドコーヒーと、同じくチーズケーキを頼んだ。
三〇分ほどカップ片手に雑談をしながら、ケーキに舌鼓を打つと、少しずつ客の増えてきた店を後にし、地上へ出た。
この頃は少しずつ日が高くなっていて、五時ごろに街灯が点いているようなことはもうない。雲の間に見え隠れする夕日を背に雑踏を眺めていると、三食が入る側のハラが鳴りだした。
「Y、一緒にバンメシでもどうだ。……たとえば、スシとか」
「いいね。どこにする?」
「うちの近所に、出前専門の寿司屋がある。二人前、頼んでウチで喰おう」
そうと決まると、とたんに力が抜けてきた。Y氏は帰りも歩くつもりだったようだが、さすがにもうその気力がなくなったため、三条河原から市バスに乗り、家路を急いだ。
Y氏の家で軽い用事を済ませてから下宿へ着くと、すでに辺りは真っ暗になっていた。すきっ腹を抱えてカタログを見、電話をかけると、届くのは七時前後ということだった。あちこち歩いて疲れたせいか、届くまでの三〇分間がやたらに長く感じられた。
そして、七時過ぎに寿司が届いた。
ネタを口へ運ぶと、魚介のヒンヤリとした味が一杯に広がり、コーヒーであたたまった舌に優しく溶けていった。Y氏も同様に、「ウン、一〇〇円寿司とは違う、ウマイ」と、ご満悦であった。
そして、八時前に彼が下宿を出、長い散歩は幕を閉じた。日が落ちて、すっかり寒くなった窓の外を見ながら、私はコタツにもぐり、
――歩くってのは、なかなか面白いモンだァな。
と、舌の上に残る余韻を楽しみながら、体を奥へと押し込んだ。
また、折を見て、古都を歩き回るつもりである。
よく考えたら、喰ってばっかじゃないか。
……財布が軽くなるわけだ。