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政略結婚BC486 3月

アーシア君の結婚と結婚パレードです。

この時エルピニケさんの方が1才年上なので姉さん女房になります。

結婚式の後はパレードです。このあたりのプロデュースは派手好きのアテナイのテミストクレスあたりが仕切ってそうです。

=BC486 3月3日 イオニア2世号甲板にて アーシア=


ついにサモス島が見えてきた。

この地でエルピニケと結婚することになる。

古代ギリシアの結婚式っていうのは現代と案外差がない。

まず聖なる水源での沐浴、神殿への生贄を寄付、親族での披露宴、花嫁の新郎宅への輿入れという順番ですすむ。

これが終わると妻は父親の氏族から夫の氏族へと移動する。つまりキモン家からアルクメオン家に移動することになるのだ。

神殿での生贄は結婚に関しては聖鳥のカッコウや鶴が用いられることも多い、というのも聖獣は牝牛なので非常に高価なのだ。

鶴やカッコウに関しては放鳥してヘラに遣わすということで、それを専門に取る猟師がいるらしい。

時期的には農閑期の冬に行われることが多い結婚式だが、ガメリオン(1月後半~2月前半)に結婚ガメリア祭が行われてゼウスとヘラの結婚を祝うときに一緒に自分らの結婚式を挙げてしまう夫婦も多い。これで費用はかなり軽減できるので貧しい層(といっても市民階級の中でだが)はこの方法を使うらしい。


さて今回のボクらだが、生贄はゼウスとヘラ両方に出すということで、ゼウスにはドドナの聖域に山羊が81頭、ヘラにはサモス島のヘライオンに牝牛を9頭奉納することが決まっている。

頭数に関しては、占いで決まったらしい。

またヘライオンは半世紀前の戦乱で崩れ落ちているので再建中なので、別途金銭の奉納も行うようだ。


甲板でいろんな想いを味わってるボクの横ではピュロスが島をじっと見つめている。

恩師ピタゴラスのことを思い出しているのだろう。

「そういえばピタゴリオって最近の呼び名だって聞いたんだけど、ピュロス、知ってる?」

「もともとはティガニとよばれていました。先生が高名になってから出身地域を中心にその名を使い始めたと聞いています。まだ10年もたってないと思います。」

「そんなに新しいんだ・・・」

「ええ、その前はペルシア名でしたので」

小アジアの反乱はここサモス島でも起き、鎮圧されたが、民衆はしぶとく反抗の芽を残していた。

それがピタゴラスの名前を借りた地名変更に至ったと思われる。


「サモス島から小アジアまでは1kmもない海峡しかないが・・・ペルシアの動きは大丈夫かな?」

「今、サトラップが全員集められて後継者を決める会議の真っ最中です。特に心配はないと思います。」

ボクの疑問にピュロスが流れるように答えた。

いや、それはわかってるんだが・・・サモス島に近づくにつれ気が重くなる。

この時代のギリシアは若干の例外を除けば一夫一婦制だ。

主な理由は結婚の守護神ヘラの潔癖症と嫉妬深さのせいだ。

浮気をすればバチがあたるは、この時代では十分な抑止力を持っていたのだ。

中心領域ではなく周辺地域、マケドニアとかトラキアとかでは、一夫多妻制も普通に見られるし、そもそもエルピニケもミルティアデスと第2夫人の間の娘だ。

しかし、アテナイの名門アルクメオン家がそのような蛮習を認めるはずもなく、長老たちの反応はエルピニケと結婚する以上、レイチェルとの結婚は認めてもらえそうになかった。

レイチェルが正常な判断を下せる状態なら、その判断も参考にできたのだろうが、彼女は現在15才の少女にすぎない。とてもあの連中ジジイズに対し堂々と意見を告げることはできなかった。

とはいえ、息子キモンのことを考えるとエルピニケとは結婚しなくてはならない。

彼のナイルでの地位を揺らがせるわけにはいかないのだ。

(まさに政略結婚ってやつだな・・・)

不幸中の幸いはエルピニケはこの結婚に前向きというぐらいだろうか。

それだけに余計に申し訳なく感じるのだが・・・


沐浴の後ボクは花婿衣装に手を通した。

といっても男は白のキトンである。

女性の方は色とりどりなのだが・・・いつの時代も男は礼服は白黒らしい。

エルピニケの花嫁衣装はすけそうな絹の布地を下から赤、青、黄で重ねて孔雀の羽を縫い付けた、ドレープ部分が激しく色変わりのする美しい衣装だった。

美しい衣装には慣れているはずの親族からも感嘆の溜息が漏れていた。

この意匠はヘラの聖鳥「孔雀」にちなんだものを、アリキポス商会がデザインしたもので、当然ながら一品物である。

この衣装は後でコリントスの本店で展示される。師匠は結婚衣装のデザインにも手を広げるつもりらしい。

ロードス島からサンチョとサルピズマのスペード隊が護衛にやってきた後は、花嫁披露でサモス島を馬車で一周する。

普通は結婚パレードなんてしないのだが、サモス島をギリシア領域に引き込むためのデモンストレーションである。

美男美女の新郎新婦がにこやかに道筋の人々に挨拶していくのは、予想以上に効果があったようだ。

大きくギリシア側に支持が傾いたのは間違いない。

あとはこの空気が壊れないうちに、対ペルシア用の砦を海峡の岬に作って港の防衛力をあげればよい。

そのあたりはサルピズマとスパルタ・アテナイ連合海軍が工事を請負ってくれていた。

アポロ教皇への結婚祝儀ということらしい。

サモス島をゆっくり4日かけて一周した後は花嫁をイオニア2世号に残して、ダイダロス号で小アジア側の宣撫に出かける。

サモス島の対岸は比較的中立な雰囲気だったので、説得工作を行い、こちら側にも砦を作ることになった。

そこまで終わらせるのに10日間を必要とした。

その後アーシアはサンチョ達と別れ、3月18日にサモス島を出発しアテナイに向かった。


=BC486年3月20日 カイスラ近郊 デマラトス=

ウエイでの防衛戦の後、さらに2個歩兵隊マニプルスの増加を許可された我々は、急ぎローマ市民を200名募り、第11・12部隊としてハスターリ(前衛)に組み込んだ。

彼らの練度はまだ新兵レベルでしかなかったので、プリンチペに組み込むことができず、言語の問題で(エトルリア語とラテン語)ハスターリに補充として組み込むこともできなかった。

このため新たな部隊を作って補充として組み入れる方式になるのだが、これは部隊内構成員の練度が均一化する一方で、部隊ごとの練度は異なってくるので指揮には注意が必要になった。

(余談だが、この後もトラキアーノ軍団の補充はこの方式が用いられる。少なくなりすぎた部隊は解散して補充にあて、その部隊番号は欠番とするのが一般的になった。このため複数の部隊を経験したベテラン兵は百人隊長並みの敬意が払われるようになった。)

総兵力1000名まで回復した我々は2個騎兵隊(50騎)と合流しカイスラを目指した。

カイスラではローマからの派遣軍3500がエトルリア連合軍9000に防禦に徹することで時間を稼いでいた。

時間を稼いでローマからの増援を待ち、攻勢をかける予定だったのだが、エトルリア連合北方諸国の兵が増援に現れることにより、時間と共に形成はよくなるどころかむしろ悪くなってきていた。


執政官はスプリウス・ カッシウス・ウェケッリヌス とプロクルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルス だったが、スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスは徴兵を円滑に進めるという目的で平民に土地を分配しようとして「農地法」改正に手を出し、貴族階級の反発にあっていた。史実では農地の分配しようとした彼は貴族の策謀により平民に殺されるのだが、なぜ平民派の人物が平民に殺されるというのはパトローナスとクリエンティスの関係を理解していないとわかりにくい。


パトローナスは(貴族が多い)クリエンティス(ほとんど平民)の陳情を受けて便宜を図る。

その代りパトローナスが困ったときはクリエンティスが助けるという義理人情の世界がローマにはあったのである。このため貴族が困ったときに自分のクリエンティスに声をかけて世論操作をするのは当たり前のこと。それでできた世論で執政官が失脚するのは当然のことである。

殺人まで行くのはさすがに稀だが・・・


戦争に強いファビウス家がカッシリスの出陣反対に回ったせいでスプリウス・ カッシウス・ウェケッリヌスがローマに駐留し、プロクルス・ウェルギニウス・トリコストゥス・ルティルス一人が軍を率いているのだが、前述の問題でローマ本国が揺れており、大規模な兵力補給は難しい情況であった。


デマラトスはスパルタから流れてきた人物でトラキア人がクリエンティスと認められたため、最初からパトローネスであり貴族として遇されていたためピンと来ていないのだが、平民対貴族といった簡単な構図には収まらないのが農地法の問題であり、これを最終的に解決するにはカエサルの出現が必要な程の難問であった。


トラキアーノ軍団は棟梁がドーリア人、それにトラキア人、エトルリア人、今度のラテン人といった種族で言えばすでにごった煮状態である。

いやが上でも首領はコスモポリタンの目線を持たざるを得ない。

そのような内部事情で戦争に負けたら意味がないのに争うのは人の性か、こんな時はスパルタの簡単な原理が懐かしくなる。「戦争での勝利、それはすべての行動目的である。」

それに基づいて考えると今回のローマでの紛争はスプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスが悪い。

平民に農地を分配するのに戦争のドサクサを使おうというのは卑怯ですらある。

自分の意見を堂々と押し通せないならやるべきではない。少なくとも戦時は自重すべきことである。

デマラトスは9000の兵を見ると感慨を催した。

(ほぼスパルタ全軍と同じ人数か。)

今、自分はイタリア半島北部でローマ軍の一部になっているが、かつてはスパルタの兵を率いたのである。

(あの漢達に比べると、圧迫感がない。)

このため恐怖が起きないのである。

「セレウコス、着いて来い。執政官に挨拶に行く。」

「は!指揮はどうなさいますか?」

「マルクスに任せる。宿営準備に入れ。」


デマラトスとセレウコスは二騎でローマ陣地に向かっていった。

その翌日、イタリアの運命を決めたといわれる「カイスラ会戦」が控えていた。

次回はデマラトス主役の戦闘です。カンネーに匹敵するターニングポイントになる予定です。

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