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軍団(レギオ)誕生

どっちが主人公かわかんなくなってきましたが、デマラトス無双の回です。

200年ほどすっ飛ばし、マリウスの改革後のような軍団レギオによる浸透戦術を使い始めています。

アーシア、藪をつついて蛇を出した感じです・・・。

=BC486 3月2日 ウエイ近郊 デマラトス=


ウエイ防衛に向かうトラキア軍団は大きく分けて3つの部隊からなっていた。

第1・2・3歩兵隊マニプルスは熟練のトラキア人からなる部隊である。第4・5・6・7歩兵隊マニプルスはトラキアから連れてきた半自由人や解放奴隷からなる部隊でローマ式に重装歩兵にしている。第8・9・10歩兵隊マニプルスは南イタリアで徴兵した南部イタリア人からなる部隊で装備も練度も前者に比べると低い。

しかし、これまでの連戦の結果、歩兵隊マニプルスの定員100人を満たしているのは後者の3つである。南部イタリア人は言語が異なる(エトルリア語)のため従来の部隊に補充で組み込むことはできなかった。

現時点では第1~3歩兵隊は平均人数が60人程度、第4~7歩兵隊では80人程度である。

ここに補充するにはギリシア人傭兵を再訓練して組み込むしかないため、非常に手間がかかる。

このため軍団の陣形を刷新することになった。

ハスターリとよばれる前衛、プリンチペスとよばれる中堅、トリアーリとよばれる後衛である。

ハスターリはイタリア人で固め、第8・9・10歩兵隊をあてる。プリンチペは第4~7歩兵隊をあて、精鋭だが補充の難しいトラキア人部隊1・2・3部隊はトリアーリとして決戦戦力とする。

本来なら歩兵の両翼に騎兵を各1部隊配置することで、弱点をカバーしたかったが、今回はそれができない。このためファランクスを諦め、歩兵隊マニプルスごとの集団行動を重視した。

この結果戦術に柔軟性が発生し陣形も方陣もしくは斜陣のみから地形と目的に合わせた陣形がとりうることが分かった。

行軍の間にその可能性を追求した結果、十人隊長を基本とし百人隊長が歩兵隊を指揮しハスターリを率いる前将、プリンチペを率いる副将二人、トリアーリを率いる大将という軍勢が出来上がった。


行軍で確認しながら移動したため10日程かかってウエイに到達した。

ウエイに攻め込んでいたウエルツナの軍勢は3500。防衛隊は1000人だったが、堅牢な砦にしたせいでほぼ5分の戦いになっていたようだ。


トラキア軍団はウエイとテヴィレ川の間の丘陵地に陣をはった。

今まで戦闘に使われていた平地よりも川に近くアップダウンが激しい。

このためファランクスが組みにくいことで、集団戦闘に使われていなかった土地だった。


陣をはった翌日2000人のエトルリア人の部隊と衝突した。

エトルリア人は普段よりゆっくり進軍することでファランクスの隊形を維持しながら進軍してきた。

ハスターリはそこに投槍器で強化した投槍を投げ込むことで接敵直前に敵の最前列の盾に槍を突きたて使い物にならなくした。

プリンチペの半分が副将セレウコスに率いられ戦列を横移動して迂回、ファランクスの弱点である盾のない右側面に突入した。

一旦崩れた隊列を整える暇もなく、ハスターリが敵に突きかかる。

ファランクスの維持を考えていない分、こちらの足取りは軽く、敵の動きは遅かった。

攻撃に入ったハスターリは犠牲が出ているようだが、残り半分のプリンチペが崩れそうな部分に応援に行くためエトルリア人はハスターリを抜くことができない。

その間にも攻撃隊のプリンチペが側面からファランクスを食い破り、中で暴れはじめた。

これでエトルリア人はファランクスが完全に崩壊し、敗走に入る。そこを見逃さず追撃する。

敵が砦の見張りに残していた1500人が敗走する兵士に巻き込まれ浮足立ったところに、全軍で吶喊する。

いままで戦闘に参加してないトリアーリが一気に放たれる。

敗走する敵の殲滅が目的だ。

夕方になった時には敵兵の死体は1000を超えていた。

こちらの損害は64人でハスターリが殆どを占めていた。

作戦は成功した。

ウエイの救援を成功させた我々はローマに伝令を送るとカンパーニュ地方への治安維持用の兵の派遣と騎兵の合流を要請した。

次は主戦場のカイスラでこの戦法を試してみよう。そして今回わかった追撃の速度不足を補うための騎兵が来れば相当に戦術の幅が広がる。

デマラトスは新たに手に入った軍団の使い方に想いを巡らし、人食い狼のような笑みを浮かべていた。


BC486 2月25日 ナクソス島 アーシア=


アテナイを出発したイオニア2世号は安全優先で航路をとったため、いったんナクソス島で停泊していた。

ナクソス島はエーゲ海の中央にある島で貿易と農業で栄えている豊かな島だった。

暴風になりそうだとソバネスが判断し、アーシアもそれに同意したためである。

これまでの航路でミルティアデスとの間に気づまりな雰囲気は生じていなかった。

話題に困りそうなときはエルピニケがうまく誘導してくれた。

おかげで、対スキタイ人用のシュンマキア同盟について詳しくなってしまった。パンティカパイオンがアテナイみたいな感じのクリミア半島のギリシア植民市の同盟だけど、銀貨の鋳造をすでに行っているというのは富の蓄積が相当進んでいると思われた。

ここは史実だとボスポラス海峡付近にボスポロス王国ができてダーダネルス海峡の対岸にポントス王国ができるがローマ共和国のポンペイウスに征服された、ポントス王国の方が有名である。

ポントス王国は肥沃な農耕地と豊かな鉱物資源、黒海とエーゲ海をつなぐ要衝という地理で大きく発展する。

やがて、ペルシア領域に進出してローマ共和国にぶつかることになるのだが・・・ポントス王国が出来上がるのは今から200年ほど後である。

いま手を出すとどうなるか、まったく予想がつかないが、場合によっては対ペルシア作戦に組み込むことになるかもしれない。

暴風が襲ってくるまでまだ時間があったためエルピニケとミルティアデスは上陸して船の揺れを避けることにした。当然ボクもついていくことになる。

島の宿で詩人の詩を聞いていると、ナクソス島はアローアダイという巨人の兄弟にまつわる話が多いらしい。トラキア人を追っ払った英雄でこの地の王になったとか、この地でアルテミスに謀殺されたとか、謀殺したのはアポロだとか、神殺しに挑んだ巨人らしい・・・それにしてもうちの神様に殺された英雄とは、こまったもんだ。誰も気にしてないらしいが。

ちょっと気になったのはトラキア人を追い払ったという点である。

さらに詳しく聞くと、この巨人たちはヘリコン山のムーサイ(文芸の女神達)の祭祀を定めたとされている。

ムーサイならばアポロンの眷属だ。デイアネイラとの共通点も多い。

一度ヘリコン山に行ってみる必要がありそうだ。

その晩に襲ってきた暴風は三日三晩吹き荒れた。

おそらく今年最後の暴風だろう。

ボクらは一旦港に陸揚げして嵐を避けたイオニア2世号を海に戻すと、舳先をサモス島に向けた。


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