フォロロマーノBC487 12月 7日
念願のローマ到達、一瞬で通過w
そろそろ何のためにここに来たのか忘れかかってるアーシアです。
本来の目的はシチリア島や南部のポリスをペルシア戦争に協力させるため、南部の脅威を確認するはずだったのに・・・ケルトに気を引かれてイタリア観光です。
=BC487 12月 ローマ アーシア=
結局、ローマを間近に見たいという欲求にボクは勝てなかった。
だってあのローマですよ。
余分なもののない原ローマともいえる状況をこの目で見たいと思っても誰が文句が言えるのでしょう。
幸いローマに入り込むチャンスは直ぐにやってきた。
今では戦闘艦から輸送艦に変えたアッティカ級4番艦トリクラナが河を下ってくるのが見えたのだ。
たしか今の船名はカルナック号だったか?船長もクルナから選抜された人物のはずだ。
アポロの息吹関係の機密武器は外してあるが、前後のクラブセイルと射手台座は残っているのですぐ他国の船と見分けがつく。おまけに今あげている旗はコリントスの旗だ。
任務は交易をしながら情報収集を行う情報収集艦になっていたはずだ。
急いでローマの北に迂回して川上に回ると、街に入る前に矢文で連絡をとった。
すぐにボートが迎えに来てくれた。
船長室でクルナの船長と情報交換を行う。
彼らはアテナイから陶器を運び、ローマで売って食料品を手に入れると、川を上ってエトルリア領域に売りに行き、鉄を仕入れて戻ってきたところらしい。
3か月ほどかけて北方のケルト人との交戦地区まで売りに行き、ぼろ儲けしたらしいが、その際にケルト人の戦い方を実地で確認してくれたのはありがたい。
この時期のケルト人は毛皮を被って盾を持った野蛮人という認識は正しいようだ。
軍隊としての規律はなく、略奪者としての戦闘のみに終始していた。
具体的には部族単位もしくは氏族単位での浸透攻撃、略奪後、進路変更ということで、全体的な方向性がない分、重点防禦策がとれず、攻撃側の3倍の人数を必要とする広域防禦を取らざるを得ないということが分かった。
エトルリアにしても街だけを守れば麓の農作地が荒らされるため、対応に苦慮しているのが見えるようだ。
武器は剣、戦場は山中や林を好み、重装歩兵の陣形が組めない場所で襲って混戦にもちこんでくる。・・・うちの海兵に話したら喜んで突っ込んでいきそうな攻撃方法だ・・・エトルリア人やローマ人の非専業軍人ではきついだろう。
ともあれ、仕入れた鉄も見せてもらったが純度も高く、軟鉄と鋼の区別もあるようだ。
製品に関しては武器は向こうでも不足して高騰していたから、安かった鉄とケルトの奴隷を仕入れてきたらしい。
仕入れてきたケルトの奴隷は、すでに漕ぎ手に採用し使っているものもいる、とのことでみさせてもらったが、身体はさほど大きくはない。がっしりした体つきの反抗的なヘーゼルの目が特徴的な人物たちだった。
徐々にこちらに慣らすように伝えると、ケルト人は言語が通じないので躾が難しいと返された。
まあ、それはそれで機密保持にはうってつけかもしれないと思い船長に一切を委任することにした。
船倉には他にも女子供の奴隷がいたが、これも鉄と一緒にローマで売りさばくつもりらしい。
そこで、市場への荷揚げについていき、ローマを視察することにした。
馬たちは奴隷を荷卸ししたスペースに入れ、サルピズマと一緒にトラキアーノ市場に入り込む。
商品の多くの奴隷の見張りも兼ねているため不自然さはない。
桟橋で船長のツゥイガは以前にここでデマラトス2世と会話したらしい。ボクとそっくりだったようだ。
又来るように言ってたようなので正体は気づいてないようだ。
ただ、その話を聞いて念のためトーガにフード付きのマントで顔を隠せるようにしていくことにした。
ローマではいまウエイ砦運営に人手がとられていることもあって奴隷の価格が上昇中だ。
ツゥイガはそこに大量入荷したので、飛ぶように売れている。
鉄にいたっては運んできた分すべてが買い手がついた。
値段交渉が活発化する中、ボクらはこっそりとトラキアーノ地区をでてカピトリーヌスの丘を抜け、フォロ・ロマーノを目指す。
政治と経済の中心であるフォロ・ロマーノは元老院議事堂を備えた30m程の円形広場がベースになっているがサトゥルヌスの神殿も出来上がり、今はカストルとポルックス神殿が建設中だ。
広場のあちこちでトーガの縁を赤に染めた元老院議員が談笑している。
アテナイの広場と比べても雑多な感じは少ないし、なにより臭気が少ない。
やはり働いているのが奴隷だけでなく市民が多いことも影響しているのだろうか?
アテナイよりは気忙しい感じがする。
アテナイのアゴラだと市民はのんびり喋っているだけで、ゆったりとした雰囲気なのだがローマは活気がある。
熱気のせいか冬の寒気が緩んだ気がする。
ブラブラとあちこち見てまわり、石造の技術を評価しながら、カピトリーヌスの丘に戻る。
ここにはユピテル・オプティムス・マクシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿 が存在する。
まだできて20年程度の神殿だが、すでにローマ随一の格式を誇っている。
ユピテルはゼウスのような最高神、ユーノーはヘラと同じく女神の最高位で最高神の妻。
6月はユーノーの月ということで、結婚にユーノーからの祝福があるようにという意味でジューンブライドがもてはやされるという、現代まで影響力をもった数少ない神である。
ミネルヴァはアテネと基本同じだが軍神の要素がなく知恵・医学・魔術の神として祀られている。
アポロがいないのはなんだが一応お参りしておく。
この頃人外のものと出会ってない幸運を感謝する意味を含めて・・・
もっとも9割は観光気分ではあるが。
お参りの後は丘をおりてトラキアーノ地区に戻る。
戻ってくるとフォロ・ロマーノにくらべて、建物が柔らかい感じを受けた。
おそらく、彫刻や飾りのテラコッタ彫刻のせいだと思うが、カピトリーヌス神殿に似た雰囲気を醸し出している。
あの神殿はウエイの彫刻家が作り上げたと聞いた。
ということはこの地区の建材の出どころはウエイの建物の解体品か・・・
ウエイの状況を確認しておく気になったのでツゥイガには合流地点をアドリア海に面したブーツの根元スピカにすることを連絡してもらい40騎に糧食を積み込むと北帰行を再開した。
=BC487 12月 ローマ カルナック号 ツゥイガ=
「しかしワジ様には聞いてたけど、本当に暴風みたいな人だな・・・」
ローマで大理石やら彫刻やらの仕入れをしてコリントスに向かうことにしたカルナック号の船長室でツゥイガはぼやいた。
僅か半日にも満たない邂逅だったが、おそらく一生忘れることはできない程度の衝撃は受けた。
なんといっても、行動が軽やかで、先が読めない。
(まるでネコみたいな人だな。)
このままスピカに向かうといわれたときには驚いた。直線距離でも北に300kmはあるのだ。その上あの辺りはケルト人が浸透していて物騒だ。
サルピズマと一緒の騎行というのはわかるが・・・この船でぐるっとイタリア半島を周回した方が早く着きそうな気がする。もっともそれだと満足にはならないのだろう?
そもそも、この時期になぜアポロ教皇が自らローマ地域にいるのかが不思議でならない。
対ペルシア戦線を考えればマケドニアかエジプト、せめてギリシアにいないと何かあったら大変じゃないかと思う。
とはいえ、ポリス間の緊張が下がり、対ペルシアでかろうじて同盟が保たれているのもあのお方の尽力のおかげだ。エジプトは彼によってペルシアから解放されてもいる。
なにか深い考えがあるのだろう。
ワジ様はその内容を聞いているのだろうか?
(ともあれ、合流先はスピカと伝えないと、タラントで連絡すればいいのか。)
ツゥイガは季節柄起こる暴風に注意しつつも、勅命を果たすべく帆走で着実に南下していくのだった。