オリンピア動乱
いつものごとくギリシア人の唯我独尊による内部分裂がアーシアの足を引っ張ります。
アーシアも口では物騒なことを言っても、中身は日本人ですから・・・どこまでやるか?
このままだとローマのイタリア侵略に間に合う可能性は低いです。
=BC487 5月ラムヌース アーシア=
タルゲリア祭を目前にして、またギリシャ領域で揉め事が起こった。
揉め事の始まりはいつものことで、いつものように片付くはずだった。
ところが、とんでもないところに飛び火した。
なぜ?
この年はイストミア祭とネメア祭が同時に行われる年だった。
古代ギリシャの4大祭りは オリンピア祭(4年に1回)ピュティア祭(4年に1回)、イストミア祭・ネメア祭(2年に1回)でオリンピアの次の年がネメア・イストミアその次にピュティアが来てまたネメア・イストミアでオリンピックに戻るという順番で繰り返されている。
去年はオリンピア祭だったので今年はイストミア祭とネメア祭の順番だった。
それ自体は全く問題が無い。
ただ今回はイストミア祭の方が圧倒的に盛大になった。それだけのことなのだ。
イストミア祭はコリントスが主催する。
海上貿易の要衝ということもあり、アリキポス商会の本店も置かれたことで経済的な発展はアテナイに次ぐところまで成長してきている。
次はコリントス陸峡にエジプトの技師呼んできて運河を掘ろうかという話すら出ている。
それに伴いポリスのインフラ整備を進めた結果、市民のファッションセンスの劇的変化が起きたのは仕方ない。
そのせいで服飾史が若干ではなく早まったとしても。
例えばキトンはすでに古典的な民族衣装に分類され、女性はワンピースに下着を身に着けるのが一般的になっていた。下着文化は男性にも飛び火しエジプト風の褌が流行になっていた。
服飾の発展は同時に寒暖への耐性を手に入れることに繋がる。
おかげで航海時期が一月ほど増えたことによるメリットは大きかった。
そのような理由もあって男性服は水兵服が最初に研究された。
照りつける日差しを保護し、冷たい気温に耐え、濡れても動きを阻害しない服。
その結果は極めて機能的な筒袖・7分ズボンに防水マント、それらを汚さないための下着やシャツといった製品の開発がアリキポス商会の手によってなされた。
女性も最初は流行に敏感なヘタイラの男装から始まり、ポルノイの下着とシャツの組み合わせによるエロスの発見等が組み合わさって、市民階級の女性でも女性用の服という形を着こなすようになっていた。(この春はロングスカートのワンピースが流行りになっている。)
そのコリントスが主催するイストミア祭である。
従来の競技項目に加えて服飾のセンスを競う部門が作られたのが大きかった。
簡単に言えばミスコンができたのである。
今年のミスコンはアテナイのフリュネという著名なヘタイラが栄冠を得たが、彼女に次ぐ次点はコリントスの一市民であった。受賞後はコリントス一の美女の名をほしいままにしていることから良いところから縁談が来るであろうと噂されている。
これが3月にあったイストミア祭のお祭り騒ぎである。
そして4月にネメア祭があったのだが、ネメア祭はネメアが主催して行ってはいるが、実際にはアルゴスが共催しているといっていい。
もともとネメア祭は競技者とその家族しか参加できないような古風な祭りであったが、年々盛大になるイストミア祭に比較されることから、一般受けするように歌劇等の競技も取り入れてきた。
しかし、今年は経済力で大きく差をつけられた、コリントスのイストミア祭に比べられて地味だとの批判が相次ぎ、出場辞退というポリスまで現れた。
これは祭りの時期が近いことから、以前からどちらかに主軸を置く傾向はみられたが、競技に参加するチャンスを2回から1回にへらしても、イストミア祭に合わせて調整してくる選手が増えたという事である。
つまりイストミア祭の方が格上という認識になってしまったのだ。
アルゴスは当然面白くないが、どちらの祭りも前後1か月は休戦するのが掟である。
現時点ではコリントス地域で戦争は起きていない。
揉め事が起きたのはメッセニアである。とんでもない場所に飛び火した。
スパルタに対する反乱を扇動する一派が入り込み急激に治安が悪化している。
その扇動する一派がオリンピアからの工作員というのが腹立たしい。
現在、早急にラムヌース市民になった人々も向かわせて説得しているが、なかなかうまくいかない。
オリンピアがメッセニアに肩入れするのは以前からなので、わからなくもないが、よりによってペルシア戦争の最中にやるとは思ってなかった。
しかもクルナやアレティアネットワークで情報を確認した結果、原因のあまりの馬鹿馬鹿しさに本気でオリンピアを滅ぼしたくなった。
ことの起こりはネメア祭の直前にあたる。アルゴスにアゲラダスという著名な彫刻家がいる。
彼は前年のオリンピアでもゼウス神像の補修を任された、いわば当代随一の彫刻家といっていい。
彼はこの年イストミア祭で舞台を飾る彫刻を手掛けていた。
ネメア祭では大きな仕事がなかったためである。
このアゲラダスの舞台はミスコンに使われ、彼の名をさらに高めた。
そこでコリントスは彼にイストミア祭の主神ポセイドンの神殿新築を任せた。
彼は勇躍その仕事にのめりこみ始めた。この時にオリンピアからゼウス神殿の補修の話が来たのであるが、新造できるポセイドン神殿を彼は選び、オリンピアの仕事を断った。
この時にオリンピア市民は不安を覚えたらしい。
もしかしたら将来オリンピア祭よりもイストミア祭の方が祭りとして格上になるのではないかと。
エーリス地方は海路による恩恵をほとんど受けておらず、オリンピアも内陸のポリスであることから、今後コリントスやデルフォイに比べて経済的な発展では後れを取るであろう。
そうなったときにイストミア祭やピュティア祭に比べて地味なオリンピア祭は人がこなくなるのではないのか?
そうなり4年に1回の観光資源がなくなってしまえばオリンピアはじり貧になる。
だから海路で発展しようとしているポリスの経済発展を阻止しなくてはならない。
今海路で発展しているのはアリキポス商会が絡んでいる場所だ。
ならばアリキポス商会の水夫供給源のメッセニアを動かそう。
ということでメッせニアに工作員が派遣され、あることないことの噂と、オリンピアからの資金援助で対スパルタ感情が悪化して、治安が低下している。
オリンピアって馬鹿?
ペルシアに攻め込まれたらそれどころじゃないだろうに・・・オリンピア祭が原因で滅んだとなったら泣くに泣けん。
そうはいってもスパルタ・オリンピアって130kmしか離れてないから、仮想敵国扱いなのはずっと続いていたし、マケドニアで協調できた方が奇跡だっていわれたのを考えるとそんなものかもしれない。
とはいってもここで第3時メッセニア戦役が起きたら、ペルシア戦争にとんでもない影響が出るぞ。
ひとまずカラマタ港に移動して、メッセニアを押さえないと、場合によっては、そのままオリンピア侵攻か。
やりたくないが、見せしめの必要があるかもしれない。
アポロとアルテミスは神罰で街一つ平気で消すから、最悪それも考慮しないと。
ああ、トラキアーノ一族の調査が遅れる。
ローマの調査が遅れるのはすごく嫌な予感がする、でも現状、仕方ないか。




