ムト神殿の死闘
ラコニアはスパルタのある地方のことです。
スパルタンと名乗らないのは・・・きっと悲しいからでしょう。
ファラオの共同統治は実例が山ほどあります。
やはり上ナイル、下ナイル一人で治めきるには広すぎるのかもしれません。
ボクの声が届いた瞬間にメネラオスの体はブルリと震えた。
しかしそれは続くことなく、顔を上げると仮面の人影を睨みつけた。
(今回は大丈夫そうだ。)
ボクは胸いっぱいに空気を吸い込むと、大声で叫んだ。
「ア~~タ~~ナ~~ト~~イ~~!」
コプト語を話せないボクには兵士たちに警戒させることすら難しかった。
敵の名前を気づいてくれればいいのだが・・・
すると意外なことが起こった。
奇襲隊の中で、ほとんど包帯を巻いていない人物が先頭に立ち、大声をあげた。
「いかにも我はアタナトイ ラコニア族のプロクレス、いざ!!」
その間にも彼の体に矢が突き立っている。
それなのにまったく動じていない。
まるでシャワーでも浴びているような気軽さで突っ込んできた。
彼に引き続き、残りの部隊も突撃してきた。
神殿の守備兵はその光景でパニックに陥りかかっている。
一人メネラオスが隊列を組ませようと声を張り上げていた。
すぐにプロクレスと名乗った敵は味方防衛線で大暴れしている。
切り付けても軽々と躱し、次々守備隊を屠っていく。
見ていてすぐに分かった、あの強さはサルピズマのサンチョに匹敵する、あるいはそれ以上の強さの怪物だということだ。
間違いない、デマラトスの親衛隊だ。
みるみる彼は防衛線を突破し、ムト神殿の内部に突入しようとしていた。
しかし入口に差し掛かったところで、彼の見えない動きは見えない壁にぶつかったようにはじき返された。
「!?」
彼のマスクがはじけ飛ぶ。
鰐の下に隠れていたのは、うつろな瞳孔、両目の間隔が広くあいた、インスマウス人の顔だった。
彼はマスクを慌ててかぶると、周囲のリヴィア兵を殲滅し始めた。
まるで自分の顔を見たものは許さないとでも言っているようだった。
プロクレスに変わって次の敵が神殿に入ろうとした瞬間、頭から股にかけて真っ二つに切り裂かれた。
そのまま、痙攣すらせず絶命する。
ゆらりとムト神殿から出てきたのはイナロス王子、彼の手には王笏が握られていた。
彼の周囲にはメネラオスの時のようにほのかな光が灯っていた。
(魔術?)
次の敵も王子に向かって突っ込んだが、彼は王笏を横殴りに振るう。
それだけで上半身と下半身が真っ二つに千切れ吹き飛ぶ。
有りえない光景に魔術が発動していることを確信する。
(王笏に魔術が込められていたとすると・・・代償は?)
ボクらの使う魔術は空間系なら髪の毛、時間系なら色素という代償を支払っていた。
この魔術での代償はないのか?
その疑問はすぐに答えが得られた。
王笏を一振りするごとに、イナロス王子の肌が黒褐色から赤褐色に急激に変化している。
(・・・もしかしてファラオの赤褐色の肌ってこれが理由か?)
髪の毛もいつしか黒から茶に変わっていた。
残り半数になった奇襲部隊は、運河に飛び込むと、ナイルに向かって全力で泳いで行った。
そのあと訪れたのは爆発的な歓声である。
イナロス王子が声高々と何かを宣言している。
その声を聴いたメネラオスは、イナロス王子に歩み寄ると抱き着いた。
王子も彼女の肩を抱くと、そのまま次々と指令を出しているかんじだ。
すこししてメネラオスも何か叫んでる・・・民衆が熱狂したけど・・・よくわかんない。
何が起きたのか。よくわからないんだけど
たぶんイナロス王子がメネラオスを妃にするとでも宣言したんだろう。
問題は今のボクには、それを確認するすべがない。
まさか、渦中のメネラオスに聞くわけにもいかないし・・・ボクは熱狂する人々をよそに壁の花になり、ただ眺めていた。
(Asia Are you all right ?)
(レイチェル、ちょうどよかった。)
ジャストタイミングでレイチェルからの連絡がやってきた。
(What happened to you ?)
(何が起きてるかがわかんないんだよ。)
(?…Wait. I'll take look at your memory.)
(・・・できるの?)
(Wait a minute.…all right. Prince Inaros declared a joint governance with the marriage of the Princess Aegean.)
(エーゲ姫との結婚と共同統治を宣言したのか。えーーー共同統治ぃ???)
結婚は予想範囲内だけど共同統治は予想外
(Princess said that she became the Apollo holy wife's adopted daughter.)
(養女になる話しちゃったんだー)
そういうことなら・・・まあ何が起こったかはほぼ理解できた。
まずイナロス王子が彼女を正妃にすると宣言した。
たぶん肌の色が王家の色になったんで、民衆の支持は獲得できそうになったから、特定の貴族の介入を防ぎたかったんだろう。
そして神殿はその宣言に反発した。
神官の多くは貴族と血縁をもっているはずだ。
とくにテーベ周辺の豪族の血縁者は不満をあらわにしたはずだ。
その空気を読んだメネラオスが光明神の聖妻の養女になり、クレオパトラ2世になったことを宣言して、その権威で押し切ろうとした。
それを聞いたイナロス王子がさらに権威を確立するために、クレオパトラとの共同統治を宣言した。
そんなとこかな。
(That's right!)
あれ、考えるだけも通じるのか・・・プライバシーもへったくれもないな。
(We will leave the Athens tomorrow.You do not leave Thebes ! OK?)
(わかった。到着までここにいる。)
(See You.)
でも順調でも2週間ぐらいはかかるかな?そろそろスキロンの季節だし・・・
レイチェル達との合流の目途がたち、ちょっと物思いに耽った時だった。
神殿中で沸き返っていた歓声が消えた。
ん、なんだ?歓声の消えた原因を探してあたりを見回した。
そのボクの目に、投槍に胸を貫かれ、石畳に倒れたイナロス王子の姿が飛び込んできた。
姫様は可能な限り手を尽くして、最速にいける方法を探っていたが、結局アリキポス商会の旗艦「アカイア号」の整備後の試験航海を使うのが一番早いことが分かった。
まあ、そうだと思う。
これから季節は冬の暴風雨スキロンの季節だ。
これからアフリカに向かう船はいない。
俺もコリントスで当面陸路だけの対応になるので少しは暇が作れると思う。
「弟子、準備はできてるの?」
「ああ、もう資材は積んであったし、船長に試験航海の行き先変更を告げるだけだったからな。」
「船長はキモン?」
「ああ、やる気満々で準備している。明日には出港できるはずだ。」
「こっちもピュロスとタルゲリアは明日到着するはず。明日中には出れるわね。」
おいおいピュロスとタルゲリアは休みなしかい。
たしかあの二人はラムヌース経由でコリントスⅡ号で移動中のはずだが・・・まあ、アーシアに会うまでは休憩もできないか・・・愛されてるねー、我が弟子は
「アーシア、今大丈夫?」
姫様がアーシアと連絡を取り始めた。
「何が起きてるの?」
「ちょっと待って、あなたの記憶を調べるわ。」
姫様は首をかしげながら考えてこんでいたが、徐々に機嫌が悪くなってきた。
「ちょっと待って・・・わかったわ!イナロス王子がエーゲ姫との婚姻と共同統治を宣言したの。」
「姫はアポロの聖嫁の養女になったって言ってるけど・・・」
姫様の表情がクルクル変わっている。
まったく、知らない間に別の女・・・まあ娘にするならギリセーフだけど・・・私達に相談があってもいいじゃない。ついたらすぐにお仕置きしないと・・・なんかブツブツ言ってるな。
哀れだなアーシアよ。自業自得という言葉を胸に刻んでおけ。
「そのとーり!」
あれ?
「私たちは明日アテナイを離れるから、つくまでテーベにいるのよ。いいわね!」
・・・弟子よ。お前には見えないだろうが姫の目がすわってる・・・幸運を祈るぞ。
「じゃね。」
「クレイステネスさん。明日朝までに地中海での嵐の起きてる場所と、進行方向を調べていただけるかしら。」
姫様の笑みで背筋に冷たいものが流れる。
「イエス・マム」
「ではごきげんよう。」
こえーよ。目だけ笑ってねー
おれも早いとこコリントスに逃げ出そう・・・ああ、地中海の天気図だけ作らないとな・・・