授業中の教室
企画「場所小説」参加作品
山本の後ろ姿が大きいわけじゃないのに、私の座高が低いのか黒板の字が見えない。島田の髪の毛が跳ねていて、チョークの白が途切れている。大塚は今日も居眠りをしていて、彼の座っている真ん中だけは空いているのに、矢沢先生がそこから退いてくれない。
くそっ!
いつものことながら、私はノートにシャープペンシルをぶつけ、芯を折る。
どうして最前列の男子は背が高い奴ばっかり……!
窓側最後列、教室の一番奥で、私は下唇を噛んだ。テスト週間も終盤に差し掛かり、数日後に期末考査が控えている。すっかり夏のものとなった日差しが眩しいが、矢沢先生の早口は休むことを知らず、窓側といえどカーテンを閉めている場合ではない。
机の上は散々だった。
板書をしたかと思えば、「教科書開いてー」。線を引くところだけパパッと済ませると、「資料集の三六二ページ、図三」がなんたらと、閉じる間もなく次々と開いた結果、ノートがほとんど見えない。だからと言って閉じてしまうと、また同じページを参照するのだから開きっぱなしになるのは必然である。
分厚く大きい二冊を抱えるようにして板書を写そうとする汗臭い乙女にとって、前列の人間はまさに目の敵だった。
邪・魔・だ!
口の動きだけでそう言ってはみるものの、テレパシーが通じるほどの仲なわけがない。と、思っていたが、隣から反応があった。
「呼んだ?」
……山田だ。
頭の中で何かが沸く。ウケ狙いか、コラ。
「呼んでない」
脳内が牛乳だったら湯葉が出来てるんじゃないか。
苛々とシャープペンシルの芯を折りながら、左手で山田の視線を払う。
「にしても、暑いなぁ、今日」と、山田は勝手に喋りだした。
相手をする余裕はない。こうなったらノートは後で友人に写させてもらうとして、今は耳を矢沢先生の早口に集中させよう。
「なぁ、ここからだと黒板見えなくね?」
「だまらっしゃい」
「冷たいなぁ、見た目暑苦しいのに」
喧嘩売ってるのか。
「聞こえないでしょ」と山田を睨みつける。
「だってさぁ。もうテスト前で皆集中してるんだか……寝てくれないんだよねー。せめて頭下げて欲しいっつーか、――」
「こうして、幕府は滅亡へ向かうわけですね。ここは資料集の――」
山田と矢沢先生の声が重なり、頭の中で混ざり合って奇妙なハーモニーが生まれる。嗚呼、これは聞いたことがあるぞ。学園ドラマかなんかで、主人公がショックを受けたときに反響する声に近い。それが二重になって、しかも気の早い蝉のガラ声と交じり合って、それで……
ごち、と鈍い音がした。
「せんせぇ! 北見さんが倒れたー!」
薄れゆく意識の中、遠くの方で山田の声を聞いた。
頬に当たる風がひんやりと心地良い。蛍光灯の光を斜めに受けながら、ふっと目を開く。
「あれ?」
窓の外は明るい、が、緩い風が風鈴を涼しげに揺らしていた。
「目が覚めたのね」
声のする方を見ると、見覚えのある中年女性が立っている。誰だっけか。彼女は柔らかく微笑んで、手を差し伸べる。
「起きられる? 今ちょうど休み時間なの。まだ授業あと一時間あるけど」
「あと、一時間……?」
たしか、日本史は二時間目。今日は木曜だから、最後はホームルームで、えっと――
「あ、起きたー?」
入り口のほうから変に高い声が飛んできた。
「山田……」
「お前、授業中に熱中症になるくらいなら、カーテン閉めろよー」
山田はケタケタと笑いながら、近づいてくる。
「熱中症?」
「次のホームルームは俺サボりだからさ。お見舞いに来てあげたわけ」
別にそんなことは聞いていない。
「あぁ、あとこれ。俺がいつもやってる方法なんだけど、北見さんも試しに聞いてみるといいよ。なんか毎日キツそうだし?」
そう言って山田が鞄から取り出したのは、白い物体。
「何これ」
「MP3ってやつさ」
山田は自慢げに胸を張る。
「……や、分かるけど、これ」
「今日の授業全部録音してあるから。あとこれ清水さんが渡してくれって」
"清水桃子"と書かれた親友の授業ノートを受け取りながら、私は心底感動していた。
「ありがとう、山田!」
「どういたしましてー。じゃ、俺帰るから」
山田は、すたすたと部屋を出て行った。
放課後、嬉々として再生したプレーヤーは、途中肝心なところで山田の声に占領されていた。が、それは桃子のノートで、プラスマイナスゼロということにしておいてやろうと思う。
初企画小説です。
日常そのまんまになってしまいました。
企画の意図に沿っていればいいな、と思ってます。