お話を聞いてみましょうっ。 2
さて、白金のブレスレットの事が解った所で、私が一番聞きたかった事を聞くとしましょう。
料理で言う所のメインですね。もちろん、前菜がブレスレットですよ。
「あの、ブレスレットとカイト兄の事は理解できました。……実は、まだ聞きたい事がありまして」
「…………まだあるの?」
「はい。その、一番聞きたかった事は―――」
そこまで口に出して、ふと止まりました。
なんて聞けばいいのでしょう?
”ヴェルさんの過去の女性遍歴を教えてください”? でしょうか。
それとも、”ヴェルさんを振った方の事を教えてください”の方がいいでしょうか?
女性遍歴だと、誰がフィルス君のお母様か解らないかもしれません。おそらくヴェルさんはモテタでしょうし。
ヴェルさんを振った方の事を聞いても、バレンさんは知らない可能性がありますね。
普通は振られた事を弟に言ったりしないでしょうし、だれそれさんとお別れしましたといった話はしないでしょうし。
かくいう私も、兄のそう言ったお話は耳にした事がありません。
第一、バレンさんは長い事お城に居たじゃないですか。知らない可能性が高いですね。
……困りましたね。なんて聞いたらいいのでしょう。
小ぶりなジャガイモを手に転がしながら言い淀んでいたその時、鶏小屋からフィルス君の大きな歓声が聞こえてきました。どうやら鶏に追いかけられながらも卵を手に入れた様子です。
金の髪に鶏の羽やらゴミやらを付けたまま、小さな手には宝物のように卵がしっかりと握られています。
フィルス君は卵を回収する籠に入れると、再び鶏の群れの中に飛び込んで行きました。
「俺って鶏が苦手なんだよね。突かれると痛いじゃない? ……あの子ってさぁ、行動が母さんそっくり。食材に突進していく姿が瓜二つ」
「……えっ?!」
意外な事に、バレンさんはフィルス君のお母様の事をご存じみたいです。
しかもかなり知っている風ではないでしょうか?!
……ズバッと聞いてみましょうか。
「フィルス君のお母様をご存じなんですかっ? その方の事を聞きたかったのです!」
「ご存じも何も、俺が軍に入れられるまで一緒に住んでたからね。知ってるのは当たり前だろう?」
一緒に住んでたっ?!
同棲ですかっ?!
家族公認のお付き合いですかっ?!
……これはやはり、私の考えていた通り、フィルス君のお母様は五年ほど前にヴェルさんの求婚を断った揚句に振った女性で間違いないですね。
「そのお母様は、いつ頃この家を出て行ったのでしょうか」
「さあ? 俺が軍に入ってからなのは確かだけど。……随分前に俺に来た手紙では”家に帰ろうと思っても兄さんが怖くて帰れない”って書いてあったかな。昔から破天荒な人だったけど、何をやったんだろうな。―――まっ、想像出来るけどさ」
目の前でバレンさんはジャガイモを剥きながら快活に笑っていますが、私は笑えません。
フィルス君のお母様がこの家に帰りたいと思っていると言った一言。その、バレンさんの一言が頭の中を渦巻いて、今、私がどのような表情をしているのかも解りません。
解るのは、心がモヤモヤして鼻の奥がつんとして、頭がぼうっとしきたことだけです。
なんでしょうか、この感覚は。
どうしようもなくて絶望した時に陥る感覚に近いです。
「―――ぅわぁっ!」
今、私はどのような表情をしているのでしょうか?
バレンさんが素っ頓狂な悲鳴もどきを挙げてこちらを見て青ざめています。魔法の様に皮を剥く手が止まって、なにやら慌てている内に彼のナイフが地面に落ちてしまいました。
そんなに慌てる程にひどい表情をしているのでしょうか。悲鳴をあげる程に怖い顔をしているのでしょうか。
そんな事を考えながら私の足元に落ちてきたそれを拾おうと屈んだ瞬間、地面に小さな染みがあるのを見つけました。
「雨……?」
呟いた後に、その染みは雨ではないと解りました。とめどなく増え続ける染みは、私の頬を伝って落ちた涙が作ったものだったのですから。
……どうして涙なんて。
悲しくないのに。
―――早く泣きやまなければ。
いきなり泣きだした私を見て、バレンさんが困っています。
もしかしたら、先ほどの悲鳴もどきは、いきなり泣き出した私を見て驚いて出たものだったのかもしれませんね。
「ごめ、……なさい」
「いや……。俺さ変な事言ったかな。泣くようなひどい事を言ったつもりは無いんだけど」
「……な、にも。私が勝手に……。たぶん目に砂が入ったんです。たぶん……」
「そう……?」
若干訝しんでいますが、バレンさんは深く追求をするのを止めてくれました。
何か拭くものを探しているのか、服をまさぐっています。何も持っていないのに気付いたのか、バレンさんの手が伸び、その服の袖で私の涙を拭ってくれました。
優しいヴェルさんの手つきとは違い、やや乱暴な手つきで頬を擦る様に。
バレンさんが必死になって涙を拭ってくれているのですが、止まりません。
次第に心の奥からどす黒いモヤモヤとしたものがせり上がってきました。ひどく醜くて、嫌な感情です。
誰も悪くないのに。どうしてこんな、醜い気持ちになるのでしょう。
溢れ出る涙と一緒に、こんな気持ちも流してしまおう。
そんな風に考えながら、止まらない涙を流し続けました。
どの位泣いていたのでしょうか。
不意にカイト兄の声が聞こえてきました。
「―――バレン、私の愛する妹を泣かせた罪は重いですよ。腹を切って詫びなさい。……ああココット、可哀そうに。目元もこんなに真っ赤になって。バレンが擦り過ぎたせいですね。後ほど仇打ちでこのうつけの目をやすりで擦っておきますからね」
「ええええっ!? 俺、何もやってないし!」
「……本当です! バレンさんは何も。……ただ、砂が目に入ったんです」
どうやら、『うさぎ亭』へ日参してくるカイト兄が訪問する時間帯だったようです。
この裏庭にはマルスさんが通してくれたらしく、兄を置いていく代わりにとばかりに、マルスさんがバレンさんの襟を掴んで引きずってお店の方へと歩いて行きました。時折バレンさんの悲鳴が聞こえる様子から、マルスさんに叱られているのだと窺えます。
……マルスさんはもしかしたら、バレンさんが私を泣かせてしまったと勘違いをしているのかもしれません。あとで、バレンさんに謝らなくては。
カイト兄は私の目をのぞき込んでいます。その視線は、私の吐いた嘘を見透かしているようです。
「……ココット。正直に言いなさい。何が怖いのですか?」
どうして解ったのでしょうか。
私が怖がっている、と。
フィルス君のお母様が帰ってきたいと言っていると聞いて、とても怖くなってしまった。
もしかしたら、私と離縁してその人とやり直すかもしれないと一瞬でも想像して怖くなってしまった。
おぞましい程の黒い感情が私の中にあって、それを知られるのが怖い、と。
カイト兄にこれ以上詮索されないように視線を逸らそうとしたのですが、それを阻むように、カイト兄の両手が私の頬を挟んでしまいました。
力を入れて頬を挟まれているので、タコの様な口になっている事でしょう。
これはこれで恥ずかしくて別な意味で涙が出そうです……。
カイト兄は内心で私がそんな事を考えているとは思っても居ないのでしょう。真剣な顔で話をしていますからね。
何も答えない私の頬を挟む手に、更に力をこめました。むにゅっと。
「私にも言えないのですか……? そうですか」
何も言わない私をのぞき込みながら、カイト兄の顔に哀愁が漂い始めました。
正直に言いますと、思いっきり挟まれすぎて口が動かないのです。なんせタコの口ですから……。
カイト兄は憂いのこもった溜息を吐くと、私の頬から手を離して、持参してきた鞄をまさぐり始めました。
……なんだか嫌な予感がします。
「あのっ、カイト兄? 何をしているのですか?」
「――――――口を割らない頑固な妹に、自白剤を飲ませてみようかと」
自白剤っ!?
喋りたくも無い事を言わされるという薬ですよねっ?!
そっ、それは勘弁願いたいです!
あまりにビックリして涙なんて止まってしまいました。
「言いますっ! 言いますからっ!!」
「……そうですか。では、何が怖いのですか?」
「……もしもの事を考えていたら、怖くなってしまったんです。もしかしたら、ヴェルさんと別れるかもしれない。そう考えたら、自分の中で嫌な気持ちになって怖くて」
半ば叫ぶように吐露した私の気持ちを聞いたカイト兄は、少し考える仕草をした後に私に向き直りました。
「お前達を見ていて、何も心配はないと思っていたのですが。そう考える何かがあったということですね。……ココット、少しの間ここを離れてはどうですか」
……離れる。
それもいいかもしれません。
こんな醜い感情を抱えたまま、フィルス君の傍に居るのはよくないですし。その内に、この感情が爆発して、罪の無いフィルス君に当たってしまうかもしれません。それは避けたいです。
……でも。
私は、フィルス君のお母様にお手紙で頼まれたのです。
しかも、贈り物までいただきました。
「……もう少しだけ、頑張ってみます。もし、最後の最後で我慢できなくなったら、覚悟を決めます」
もしも、ヴェルさんがフィルス君のお母様と復縁したいと考えていると解ったのなら、私は、離縁状を置いてこの『うさぎ亭』を去ろうと思います。
ココット以外はフィルスの事を知っているのに、なんだろうこの状況。
誰か早く「弟だ」って言ってやれよと一人でツッコミながら書いてます^_^;




