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亭主様と恋の種  作者: まるあ
第三章 百花繚乱、花の嵐は尽きることなく
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冷えすぎ注意報発令中ですっ。

 フィルス君が来て一週間。フィルス君が常に私の傍に居る為に、未だにお母様のことは聞けていません。原因不明のもやもや感と時折痛む胸は現状維持中です。

 そして、もやもや感と原因不明の胸の痛みで悩んでいる私が少し暗く感じたのでしょう。毎朝『うさぎ亭』にカイト兄が通ってくる様になりました。父作成の『これであなたも元気爆発☆すんごいドリンク』持参で。

 それは、ヴェルさんが止めるので未だに保冷庫の中におさまっていますが……。



「お義兄さん。こんなに毎日、しかも大雨の中わざわざ来ていただかなくてもよかったのに。数年ぶりの実家で、根っこが生えてきそうなほどゆっくりしていてください」

「ふふふ。いやいや、根っこを生やすならここで生やしますよ。こんな雨くらい、愛する妹に会うためならば気にしません。槍が降ってこようと、火の玉が舞っていようが毎日来ますとも。……ああ、貴方は店舗に顔を出す時間ではないですか。さっさと行ってきてください、亭主様?」

「ははは。そんな根っこは切ってしまいましょう。ああ、従業員は皆優秀なんです。店主が居なくても店は回るのですよ」

「ふふふ。それはそれは。……亭主様が使えない奴だと、従業員は優秀になるのですねぇ。さすがです、一流の『うさぎ亭』従業員達は」




 毎日のように繰り返されるこの問答。二人ともいつの間にか仲良くなったのでしょうね、とても楽しそうに笑っています。

 言葉は些か辛辣な気がしますが……。

 そう言えば、兄が訪ねてくると不思議な事に部屋の温度がぐんと下がるのです。特に兄の傍に居ると、鳥肌が立つほどに冷えてくる感じがします。

 兄だけがこの寒さの原因ではないと知らしめるように、私の隣のヴェルさんからもとてつもない冷気が漂ってきています。

 二人とも不思議な道具を身につけているのでしょうか?

 ですが、その道具は一つの空間に二つも要りませんね。

 向かいの兄からは冷気、隣のヴェルさんからも冷気。とても冷えるのです。それはもう身体の芯から。

 ……今は、まだ夏のはず……。

 秋に近づいている季節ですが、今はまだ夏……のはず。

 

 

「おねえちゃん、さむいの?」

「……ええ。少しだけですが」

「そうなの? まってて」


 私が肌を擦るのを見ていたフィルス君が、おもむろに部屋から出て行ってしまいました。

 ……何しに行ったのでしょう?

 それにしても、フィルス君は三つほどなのに、気遣いが出来る子だと思います。

 つい三日ほど前だったでしょうか。

 街外れまでフィルス君と二人で出かけた際、珍しい薬草を発見してしまったのです。一種類ではなく、何種類も!

 私も薬草師の端くれなので、滅多に見る事の出来ない薬草には興味があります。それで、つい、採り過ぎてしまったのです。炎天下で時間を忘れて。

 あまりの猛暑に頭がクラクラして来た時、不意にフィルス君が冷たい飲み物を差し出してくれたのです。

 背負ったうさぎ型のリュックに入れて来たと聞いた時には驚きました。しかもその中には、タオルだけではなく、傷薬やお菓子まで入っていたのです。

 帰宅後にマルスさんから聞いた話では、フィルス君が出かける際には用意して欲しいと頼んでいた事が解りました。

 大人顔負け……いえ、大人大負けの気遣いさんです。

 将来大物になる事でしょう。

 こんな気遣い出来る子に育てたお母様は、本当に素晴らしい方だったのでしょうね。

 どうしてヴェルさんと別れてしまったのでしょう。

 こんなに気遣い出来る素晴らしい女性ならば、きっとモテたでしょうに。

 ……もしかして!

 ヴェルさんと初めて会った時に彼を振った女性とは、フィルス君のお母様の事だったのかもしれません。

 ヴェルさんが振られて泣いてしまう程に好きだった女性……。

 よっぽど好きだったのですね。そして、彼女もまたフィルス君をこの世に生み出すほどにはヴェルさんの事を想っていたのでしょう。

 ………………。

 ……いけません。また胸がチクリと痛みます。

 そっと胸元の服を握りしめると、ヴェルさんとカイト兄が揃って声をかけてきました。



「……どうしたの? 大丈夫?」

「ココット、どこか痛むのですか? しがない軍医ですが私も医者ですよ。さぁ、遠慮せずに言いなさい。診てあげますから」

「はい? だ、大丈夫です。元気ですから!」


 

 たまに胸が痛む程度でカイト兄の手を煩わせる訳にはいきません。数年ぶりの休暇なのですから。

 さすがに四六時中痛む様でしたら、近所の病院に行こうとは思っていますが……。

 ヴェルさんとカイト兄は未だに心配そうに私を見ています。

 私をソファに座らせると、カイト兄は熱を測り始めました。



「そんな顔色をして元気な訳が無いでしょう。ああ……熱は無いみたいですね」

「だから病気ではないですってばっ。……多分」

「……それではなんだと。…………もしかして、子供でも出来ましたかっ?!」

「―――ええっ?! それ本当? ココット、子供が出来たの? 妊娠初期って大事な時期なんだよね。じゃあ寝てなくちゃ!」

「ちっ、違、違います~~っ!! 多分、出来てませんっ!」



 無理やりに抱き上げようとするヴェルさんには、私の声など耳に入っていないのかもしれません。

 ソファにしがみ付く私を抱き上げようと、ヴェルさんはソファに片膝をついて屈んで手を伸ばしています。片手は膝裏に、もう片手は背中にまわって、……いわゆるお姫様抱っこをしようとしているのが解ります。

 巷の乙女達が選ぶ『いつかして欲しい事ランキング』上位にくいこむアレですね。

 以前ヴェルさんにして貰った事がありますが、誰かの前……特に親族の前ではご容赦願いたい事柄です。

 恥ずかしすぎるのですっ。

 


「あああ~っ! だから病気でも妊娠でも無いですってば。……わっ」



 ヴェルさんが私を持ち上げる寸前、不意にひらりとパイル生地の布が降ってきました。

 寝室に置いてある、フィルス君がお昼寝する時に使用する掛け布です。

 

 

「おねえちゃんは、さむいっていってたよ。……だいじょうぶ?」

「は、はい。フィルス君のお昼寝用の掛け布を持ってきてくれたのですね。ありがとうございます」

「うん。……あのね、さっきコレおとしちゃった。ごめんなさい」



 フィルス君は、おずおずといった感じで顔に掛かった掛け布を払うヴェルさんに向かって、箱を差し出しました。フィルス君の手の平よりも少し大きめの、華美な装飾が無い代わりに、複雑な彫り物がされている飾り箱です。

 ヴェルさんはフィルス君からその箱を受けとると、箱を検分するように見回しました。最後に箱を開けて蝶番が壊れていない事を確認すると、泣きそうな表情をしたフィルス君の頭を撫でて微笑みます。



「……ああ。大丈夫。壊れてないから気にしなくてもいい」

「うん。これからはきをつけるね」



 泣きそうなフィルス君を優しく慰めるヴェルさんは、本当にお父さんのようでした。

 微笑ましいはずなのに、胸が痛くなります。

 チクチクと棘が刺さっているように、痛いです。

 癖のように胸の部分を押さえていると、カイト兄が箱の中を見てとても驚いた声を挙げました。



「ああっ! この腕輪は……!」

「―――は? ああ、ご存じでしたか」

「ご存じも何も、ある意味有名ですよコレは。この腕輪は夜会専門の情報屋の印でしょう? なぜ貴方がこれを持っているのですか!」



 夜会専門の情報屋? それがどのようなものかは私は解りませんが、箱を覗いた私の目に入ってきたのは、過去に一度だけ見た事がある腕輪でした。

 数年前、兄の特訓を見ていた時に、偶然再会したヴェルさんがマルスさんとお揃いで腕に付けていたものでした。

 あの時は結婚の証の物だと思っていましたが、今振り返ってみるとそんな訳無いですね。

 でも、カイト兄が驚いているということは、ここにあるのは不思議という代物なはず。



 最近実感したのですが、私はヴェルさんという人の事をあまり知らないのです。

 私の知っているリウヴェル=ホルスタインさんは、『うさぎ亭』の亭主様で、子犬の様な方で、直ぐに真っ赤になって、とても優しくて実は力持ちな男性です。

 ああそういえば、結婚した当日にですが、朝と深夜帯に働いているとも聞いた事があります。

 あら?

 でもですね、深夜に働いている姿は見た事が無いですね。結婚当初は寝れないとかで出かけていた事もあったようですが。

 もしかして、あの時は夜会専門の情報屋として仕事をしていたのでしょうか……?

 夜会とは、夜に催される貴族のパーティのようなものですよね。

 会を開催する貴族に招待された方でないと入れないという、アレですよね。

 

 やはり、解らない事が多いです。

 ヴェルさんは、その夜会に出れる身分の方だったのでしょうか。

 

 ヴェルさん。貴方はどういう人なのですか……?

 

   

 

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