亭主様は、心が狭いですっ。
亭主様視点
マルス達が料理を運び、大テーブルにそれらが並ぶ。
ほかほかと湯気を立てて、その香りを漂わせる料理達を並べ終わったマルス達厨房衆は、忙しいとばかりに仕事場へと戻って行った。
従業員であるアンナ以外の皆は、料理を囲むように楕円のテーブル前の椅子にそれぞれ腰を下ろした。
どうやらアンナは、その顔に貼りつけた笑顔から推察するに仕事モードに入ったらしい。
まだ就業時間前なのに、素晴らしい事だ。マルスもアンナも従業員の鏡だと思う。
ココット曰く、このテーブルに並んでいるのは、マルスお手製の舌を巻くほどの絶品料理らしい。
空腹だったから、あのタイミングでマルスが料理を作ってきてくれて正直言って有難い。絶品料理であろうが、地獄料理であろうが嬉しい。その辺は空腹を訴えたフィルスに感謝しなければいけないな。
……しかし、前言撤回だ。
この子供に感謝なんて無用だった。
「……その席は、俺が座りたいんだけど?」
「ぼく、おねえちゃんといっしょがいいな。おねえちゃんは、ぼくがとなりだといや?」
「まあっ! そんな事はないですよ。私もフィルス君がお隣だと嬉しいです」
のほほんと笑う彼女の隣から、勝ち誇ったフィルスの笑顔を見たのは気の所為だと思いたい。見た目が三才児くらいなのに、口は達者だ。絶対に三才児ではないな。
……いくつだ、こいつ。
俺は先ほど目にしたフィルスの笑顔をとりあえず忘れる事にし、ココットのもう片方の空席に座ろうと手をかけた。
しかし、俺が座ろうとした椅子に彼女の兄が滑る様に入ってきた。
猫の様な俊敏な身のこなしで。
テーブルと椅子の間をほんの少し開けた瞬間に入って来たのだ。
……椅子取りゲームなんてやって無かったはずだが。
「どけ邪魔者っ! そこは俺の席だ」そう意味をこめて胡乱な視線を邪魔者である彼女の兄に送った。もちろんそんな言葉は口に出さない。全部視線にこめてある。
彼女に嫌われたくはないからね。
だが、邪魔者である彼女の兄は、俺の視線に気づきながらも勝ち誇った一瞥をこちらに送ると、彼女の頭を撫でながら親しげに話しだした。
「ココット、私もお前の隣で食事ができるだなんて嬉しいですよ。何年ぶりでしょうね。こうして共に食事をするのは。……ああ、お前の亭主様が隣に座りたがっていますね。さ、こちらにおいで。昔の様に私の膝の上で食べなさい」
「―――カッ、カイト兄っ! 膝の上で食べてたのは子供の頃の事ですっ! 今はそんな年齢じゃないですよっ」
「年齢なんて関係ないですよ。お前はいつまでたっても私の可愛いココットなんだから。―――おいで。その席を亭主様に譲ってあげなさい」
真っ赤な顔になりながら、延ばされた手をばしばしと叩くココット。
どうせ叩くのならばその邪魔者の顔に一発! そう思ってしまったが口には決して出さない。
いや、口に出せない。ココットに嫌われたくないから。
以前、彼女に城仕えする兄の話を聞いたばかりだ。彼女は上の兄が大好きだと言っていた。単なる『好き』じゃない。『大好き』なんだ。そんな兄の事を悪く言えば嫌われてしまうに違いない。
現に彼女は真っ赤な顔になっていても、嬉しそうじゃないかっ。
そんなに膝に乗りたいのだろうか!?
―――我慢。我慢だ!
俺がここで「あっちに座るからいい」と言えばそれで済む。彼女が膝にのってる姿を見る事も無いじゃないか。
……でも、羨ましい。
膝の上にココットを乗せるなんて。俺も今度やってみたい。
―――そうだ、俺は毎日彼女と一緒にいれるじゃないか!
この邪魔者は今日中にいなくなるじゃないか!
……しょうがないから、今日だけは彼女の隣を譲ってやろう。
「いえいえ。カイトお義兄さん。ココットの隣なら、いつでも座れますので。今日くらいはどうぞ?」
「……そうですか。私はそこのバレンが帰るまで実家に居るので、こちらに来るのは今日だけじゃないですけれどね? ふふふ」
……バレンが帰るまで毎日邪魔しに来るつもりか?! 毎日彼女の隣を陣取る気かっ?!
鋭利なカトラリーを、この悪魔的な笑顔を振りまく邪魔者に投げてもいいだろうか。バレンの尻を蹴ってこの店(家)から追い出してもいいだろうか。
いやいや。我慢。我慢だ。この男はこれでもココットの兄だ。彼女が「大好き」と言っていた兄だ!
彼女の中では俺は『優しい人』なんだ。
強硬手段に及んだらきっと……いや絶対に嫌われてしまう。幻滅されてしまう。それだけは何としても避けたい……!
俺は無理やり笑顔を作り、後退を余儀なくされた。
そして俺は、彼女の兄である邪魔者の隣の席に置かれたうさぎの人形と、バレンの間に座る事となった。
……なんだか負けた気がするのは気のせいだろうか。
***
食事もひと段落つくと、それまで給仕していたアンナはマルスに呼ばれて厨房へと下がって行った。どうやら開店時間が迫っているらしい。
あまりゆっくりもしていられないなと思い、俺はフィルスの事を説明しようと口を開いた。
「あのさ、それでその子の事だけど……」
「ぼく、おトイレにいきたくなっちゃった!」
不意に被さるフィルスの声。タイミングを合わせているのでは、と疑りたくなる程にいいタイミングだ。
フィルスはココットの手を引いて店の奥へと去って行った。フィルスの事を一番伝えたいと思っていたのは、彼女なのに。
ココットが帰ってくるまで待っていようと思ったが、それは許してもらえそうもない。
彼女の兄である邪魔者が、こちらを睨んでいたからだ。
「―――それで? 認知をする気になったと」
「マジで? 兄さん認知する気になったの?」
「……まだ誤解してたのか。あの子は俺の子じゃなくて、俺の弟だ」
絶句する二人。
それはそうだろう。俺も絶句したかった。
邪魔者が何を考えているかは解らないが、バレンが何を考えているか手に取る様に解る。
おそらく両親の年齢を鑑みて「一体なにやってんだよ」とでも思っているに違いない。
わかる。解るぞ、その気持ち。
しかし、俺の考えていた事とは違い、腕を組んで頭を縦に振っていた俺に向かって、二人から笑いともとれる声が飛んできた。
「言うに事欠いて弟ですか。往生際が悪いですね。……怪しい者こそ自分では無いと強く否定するのですよ」
「兄さんっ。両親がいくつか知ってるだろう? 親父は五十超えてんだぜ。お袋だって四十五だ。いくらなんでも無理があるさ」
二人は俺の言葉を全く信じてくれなかったらしい。
それならば、と証拠になる物を見せてみた。
あの手紙だ。
―――そう、今朝、フィルスが持っていた母直筆の手紙。俺を朝からひっかきまわしてくれた憎き手紙の事だ。
あの時、破り捨てなくてよかったと思う。
手紙と同時に、今日までの母との手紙のやり取りも簡潔にだが話した。
手紙を見て今日までの経緯を聞いても、ココットの兄である邪魔者は納得していなかったが、バレンは納得した様子だ。
眉間に皺を寄せた邪魔者と、どんよりと暗くなったバレン。そして、説明するのに疲れきった俺達のもとに、フィルスを連れたココットが帰ってきたのは、俺が説明を終えた直ぐ後の事だった。
「……皆さんお疲れみたいですが、どうしたんですか?」
状況が解らなくて、怪訝な表情をするココット。
彼女に聞かせない為に、席を立ってトイレに行っていたのではと思うタイミングで帰ってきた二人。
もしかしたら俺と同じで、フィルスは聴力が極端にいいのかもしれない。
考えるとキリがないが、彼女の隣で、彼女と手を繋いでこちらを見ているフィルスの笑顔が、怪しく感じたのは気のせいだろうか。




