風邪の良薬は……。 3
ヴェルさんが高熱で寝込んで数日後、私も寝込む事になりました。
なぜ同じ症状を患ったのかは、聞かないでくださいね。
……察してください。
今朝、私が熱を出しているのに気付いたヴェルさんは、朝早くからマルスさんの元へ行き、仕事の休みをもぎ取ってきたそうです。
私としては嬉しいのですが、この前も高熱で休んだばかりなのに、いいのでしょうか。
……良くないですね!
「あの、そんなに高い熱ではないので、お仕事に行ってきてください。……数日前から、マルスさんと出かける用があるって言っていましたし」
「そんなに急ぎの要件じゃないから大丈夫。それに、君の状態が心配で仕事なんてしていられないよ。……まだ熱が高そうだしさ。一度、薬を飲もうか」
ヴェルさんは私の額に手を当てて熱の程度を測ると、心配げな表情を浮かべながら寝台から離れた机の上にある薬を手にして、横になっている私の元へ戻ってきました。
ヴェルさんが手にしているのは、父が作った直伝薬『はつらつX』ではなく、お医者様が処方してくれたお薬です。
―――え?
『はつらつX』はどうした、ですか?
……いえ、ね。『はつらつX』の予備があったので、それを飲もうとしたら必死の形相で止められたのです。
あまりに必死に止めるので、飲まずにお医者様に掛かったのです。
「ね、自分で飲める? 飲ませてあげようか?」
……?
そこまで調子が悪いように見えるのでしょうか。
ヴェルさんは、グラスを片手に私の顔を覗き込んでいます。
しかし、なぜでしょうか。
その表情は、心配しているというよりも、嬉しそうな笑顔を浮かべているのですが。
ずずい、と顔が近付いてきているのですが!
「この前の水みたいに口うつしで、さ?」
私の口元に指を滑らせて、妖艶に微笑んでいます。
その表情は、物語に出てくる少女を魅了する悪魔のよう。
この表情を浮かべるヴェルさんは、たいていはアレコレ良からぬことを考えている時です。何度もこの表情を見た後に、とんでもない目に遭うのでこの表情は危険だと断言出来ます!
……しかし、健康体の時ならいざ知らず、今日はまずいです。ダメです。
体力ゼロですから!
「―――の、のの飲めます! 自分で飲めます!」
熱のせいか、ヴェルさんの表情のせいか、顔に熱が集中してくるのがわかります。
恥ずかしさを誤魔化すために、薬を奪うように受け取ると、粉薬を一気に口に入れて水でおなかに流し込みました。
……残念。とかすかな笑い声が聞こえたのは、聞かなかったことにしましょう。
目を合わせるのも危険な感じがするので、早々に横になり頭まで掛け布を被って隠れます。
「あれ? 寝ちゃうの?」
「はいっ! 寝ます!」
「……そう。でも顔は出さなきゃ苦しいと思うよ」
ヴェルさんは、笑い声を上げながら掛け布をめくると、おもむろに私の頭を撫で始めました。
大きな手は、やさしく髪を梳くようにゆっくりと私の頭を上下しています。
それは子供のころ、熱が出ると家族がやっていてくれた仕草と同じ。
眠るまでずっと、頭をやさしく撫でてくれていたのが思い出せます。
「ふふっ」
小さな子供に戻った気分になり、心がくすぐったくなって笑いが漏れました。
「……くすぐったかった? 止めた方がいいかな」
「いえ。思い出し笑いです。昔、熱を出すたびに必ず、上の兄がこうやって頭を撫でてくれたなと思って」
「上の兄? お兄さんは一人じゃなかったっけ?」
目を丸くしてヴェルさんは驚いています。
……あれっ?
伝えて無かったですか?
「兄は二人いるのです。父と一緒に働いているのが下の兄です。上の兄は城仕えをしていて、何年かに一度しか帰ってこないのですよ。最後に会ったのは、三年ほど前です」
「……へぇ。俺の弟も城仕えだよ。城仕えって言っても、軍隊なんだけどね」
「―――えっ?! 兄も軍隊です! もしかしたら、知り合いかもしれないですね!」
思わぬ話に、眠気が一気に吹っ飛びました。
気付けば掛け布を払いのけて、ヴェルさんの手を握り、ぶんぶん振り回していました。
城仕えをする家族の同士の握手です!
「ヴェルさんの弟さんと言うと、廊下の肖像画に描かれている、笑顔がまぶしい少年ですね! ぜひとも、兄を交えてお会いしたいです!」
気分上々で口を開く私の前で、ヴェルさんが目を見開いていきなり固まりました。握っている手も、心なしか固まっている感じがします。
先ほどまでの和んだ雰囲気が急速冷凍されたように、冷えて行く感じがします。
ヴェルさんの顔も、猛吹雪にさらされたように蒼白に近いです。私よりも顔色が悪くなっています。
「……ダメだ」
「えっ?」
蒼白の顔色で、その唇が紡いだのは「ダメ」という意外な返答でした。
―――ダメ?
何故でしょう。
「アイツは、たらしだ。女と見ると見境がない。あの胡散臭い笑い顔で絶対に君を誑かそうとする。断言できる。……だから、ダメだよ。君と弟を会わせたくない」
「た、たぶら……。私はヴェルさんの、お、奥さんなのですよ? お兄さんの奥さんを誑かすなんて普通はしませんよ」
「普通じゃないんだよ。多分。アイツの嗜好は、幼女から老女まで幅広いんだ。人格矯正の為に、両親が軍隊に入れたくらいだ。だから、弟がこの街に帰ってきても、絶対に近づいてはいけないよ? ―――わかった?」
……人格矯正の為に入隊させたって、どのような人柄なのか、正直興味はありますが。
幼女から老女って、すごく幅広くてどのように誑かすのか非常に興味はありますが。
ヴェルさんの、あまりの真剣な表情に、頭を縦に振るしかありません。
「近づかなければいいのですね。わかりました」
「うん。……そういえば、君の上のお兄さんはどんな人? やっぱり筋肉オヤ―――いや、店主みたいな立派な人かな」
ヴェルさんが、私を再び寝台に寝かせて掛け布をかけてくれました。
頭も優しく撫でて、その翡翠の瞳にも優しさを浮かべてこの部屋の空気を和ませてくれています。
「……上の兄は、私より十二ほど年上なのです。ヴェルさんよりも上ですね。お父さん―――いえ、父が軍医をしていた頃を知っているので、憧れて軍に入隊したのだそうです。本当にたまにしか帰ってこないのですが、帰ってくると私が飽きるまで遊びに付き合ってくれる優しい人なのですよ! なんでも出来る自慢の兄で、将来は兄と結婚すると言っていたそうなのです」
「ふぅん? 何だか妬けるね」
「……どうしてですか?」
「―――どうしてか、わからない?」
急に不機嫌になったヴェルさん。
返事をする前に、ヴェルさんが掛け布の上から私の体を押さえ、性急さをあらわすように荒々しく口塞ぎます。
深い口づけに翻弄されて、頭が働きません。
熱も益々上がった様子です。
「俺が君に好きだって言ってもらえるまで随分と想い続けていたのに、そのお兄さんは最初から君に想ってもらっていたなんて妬けるじゃないか。それに、お兄さんの事を語る君の表情は随分と幸せそうだ」
「……それは、ヴェルさんが兄の事を聞いてくれて嬉しかったからですよ?」
「……え?」
「一番好きな人に、兄の事を紹介出来るのが嬉しいのです」
ヴェルさんと吐息が感じられるほどの至近距離で、視線が重なりました。
寝台に縫い止められた手に力が籠り、目の前で翡翠の瞳が嬉しそうに細まるのを見ると、心臓が大きく鼓動を刻み、ますます顔に熱が集まるのがわかります。
「すごく鼓動が早い。顔も真っ赤だし。……さっきの言葉と言い、その潤んだ瞳と言い、俺を誘ってる? 君は俺を煽るのがうまいね」
くすり、と笑うその表情は、肉食獣の獰猛さが垣間見えました。
……その後ですか?
ご想像にお任せします。
次話から、第三章に入ります。
次回からは、他の連載作にキリが付くまでの間、亀更新になる予定です。すみません(^_^;)
ゆるりとお待ちいただければ幸いです <m(__)m>




