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亭主様と恋の種  作者: まるあ
間章 花の蜜はとても甘く
33/58

風邪の良薬は……。 1

 外からは卵を産む鳥の鳴き声が聞こえ、今の時刻が朝であると知らせてくれています。

 心地の良い眠りの波をもたらしてくれる温かな寝具から出るのは嫌ですが、朝ならば起きなければいけませんね。これでも主婦ですから!

 朝食はマルスさんが用意してくださるのですが、いつまでも上げ膳据え膳に甘えている訳にはいきません。

 絶品料理を作り出すマルスさんのお手伝いくらいはしなくては、女が廃るってものです。

 それに、お手伝いをすれば、高級料理店『うさぎ亭』の絶品料理が身につくかもしれないですしね!

 

 様々な思惑を胸に、寝台から出る決意を固めて重たい瞼をそっと開きました。

カーテンの隙間から朝日が洩れ入らないことから、今日は天気が悪いのだと知れます。心なしか、雨音も聞こえてくるようです。


 隣で寝息を立てて眠るヴェルさんを起こさないように、そっと寝台を抜け出そうと身をずらした時、不意にヴェルさんが私の腰に手を回し抱きついてきました。

 今まで眠っていたとは思えない程の力強さです。


「……寒いんだ。もう少しだけこのままで」

「―――えっ? 寒い、ですか?」


 寝起きの為か、掠れた声で私に離れないでと伝えるヴェルさん。

 しかしですね、今は夏へと季節が変わる蒸し暑い時期です。

 なので―――、

 私は熱いくらいですが……?

 汗が出てきそうなほど、蒸し暑いですが……?

 


 蒸し暑い部屋に反する言葉を言うヴェルさんに視線を移すと、翡翠色の瞳は潤んでいて頬も紅潮し、首筋には汗が流れています。

 前髪は汗で額に張り付き、それが気になるのか気だるげに掻き上げる仕草が何とも色っぽく……。

 鼻血が誘発されそうなほど、ヴェルさんのお色気度は普段の8割増しです。


 「寒い」と言っているのに、こんなに汗が出ているなんて……。

 そう言えば、服越しに触れている腕はいつもよりも熱い様な気がします。

 そっとヴェルさんの額に手を当てて熱の程度を測ったのですが、私の体温との差が激しくて驚きました。

 寝起きで、まだあたたかい私の手よりも、遥かに高い体温だったのです。


「熱があるみたいですよ!」

「……熱? ああ、そう言えば夜中に寒くなったり熱くなったり繰り返してたかも」

「夜中から調子が悪かったのですか?!」

「うーん……? どうかな……」



 ヴェルさんは座っている私の腿の上に身をのり上げるように頭を置いて、腰を抱きしめながら再び夢の世界に旅立ち始めました。

 長い睫毛が伏せられ、寝息と共に熱い息が吐き出されます。薄手の服越しに腿に触れるその息からも、ヴェルさんがかなりの高熱だと知れます。


「解熱剤を……」


 解熱剤といえば、お父さん直伝薬『元気モリモリ気分すっきりジュース』があったじゃないですか!

 アレはかなりの効き目で、飲めばたちどころにどんな高熱でも疲労でも回復して、熊をも倒せると評判が高いのです。

 


「直伝薬を作ってきます! 少しですが、出かけてきますね」


 思い立ったら即実行、が私のモットーです。こんなゴロゴロしている場合ではないです!

「―――うわっ!」

 寝台の上で勢いよく立ちあがると、腿に乗って眠っていたヴェルさんが鼻から転げ落ちてしまいました。痛そうに鼻を押さえながら上体を起こして、立ち上がった私を見上げるヴェルさん。その瞳は、自分も付いていくと物語っています。

 その表情は、普段の八割増しの愛嬌を備えた子犬そのものです。

 そんな子犬が、「置いていかないで」と潤んだ瞳で訴えています。

 ですが、フラフラの病人を連れて歩くなんて出来ません!

 ここは心を鬼にして、その表情を見なかった事にしてしまいましょう。


「直ぐに帰ってきますから、寝ていてくださいね」



 言うや否や寝台から飛び降り、着替えるべく隣の部屋に急ぎました。背中に彼の視線を痛いほど感じていましたが、後ろ髪を引かれるヴェルさんの顔は見ておりません。

 ……見たら、離れがたくなるのは必至です。

 今でも心配で離れがたいのに……。

 ですが、今はヴェルさんの熱を下げて、元気になってもらうのが先決なのです!



 手早く着替えを終えると、肖像画のある長い廊下を走り抜けて調理場へと急ぎます。

 そこでは、『うさぎ亭』従業員であるマルスさんとアンナさんが、騒がしくも仲良く本日の仕込みをしていました。


「おはようございます! 急な事なのですが、実家へ行ってきます! あ、朝ご飯は向こうで食べますから」

「―――嬢ちゃんっ?!」

「ええっ?! 実家って……。リウヴェルの馬鹿とケンカでもしたの?」 


 いきなりの実家帰りを驚く二人。マルスさんとアンナさんは顔を見合わせて、渋面を作りました。

 二人はテレパシーが通じ合ったのか頷きあうと、アンナさんは腕をまくって白い腕を出し、粉で汚れたエプロンをはためかせて歩き出しました。

「―――ちょっと待ってなさい。私があの馬鹿ヴェルを引きずってきて土下座でもさせるから」

 アンナさんの女性とは思えない男らしいセリフに、胸が少しときめきつつ、慌ててその腕を掴み止めました。

「違いますっ! ヴェルさんが熱を出したので、実家で薬を作ってきたいんです」

「……ああ、なんだ。ケンカじゃないのね」

 ホッとした表情をして、口元に手を当てて微笑むアンナさん。

 綺麗な笑顔を浮かべた彼女は私に、「いつも肝心なひと言が足りないわね」と、やんわりと釘を刺す事を忘れません。


「珍しいなぁ? アイツが熱を出すなんてよ。……寄り道なんざせずに、早く帰ってきてやれよ? あまり遅くなると向こうに押し掛けるかもしれねえぞ? はっはっはっ!」

「そうねぇ。後で部屋から出れないように細工をしておくけど、寄り道せずに、できるだけ早く帰ってきてね? ふふふっ!」


 二人は気が合った様子で再び頷くと、快活に笑い私を見送ってくれました。


「はいっ。直ぐに帰ってきます!」


 

 二人は何故か『寄り道せずに』を嫌に強調していましたが、そんな事はしません。

 だって、ヴェルさんの為に直伝薬を作りに行くのですから!

 ―――ヴェルさん、直ぐに『元気モリモリ気分すっきりジュース』を作って帰ってきますね!




 

 

 




 

 

 

 

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