恋の種は知らぬ間に芽生えるのです
数々のヴェルさんとの想い出を思い出しました!
女神と錯覚するような男装の麗人は、ヴェルさんだったのですね。
あのお姉さんが、女性にしては低音の声だったのは、男性だったからなのですね!
それにしても……。
見事な金糸の髪だったのに、
「―――切ってしまったのですね」
ヴェルさんの短くなった髪先を触りながら、勿体ないと切ない溜息が出ます。
そんな溜息を受けたヴェルさんは、眉尻を下げて苦笑しています。
「……マルスがあまりに笑うから、三度目に逢った直ぐ後に切ったよ」
「……そうですか。実は私も、お二人と別れてから随分と家族に笑われました。何で笑われたのか判らなかったのですが、今、笑われた意味がわかりました。私がリウヴェルさんの事を、女性と間違えていたからなのですね……」
男女の区別がつかなかったなんて、恥ずかしい。
しかも、恋人だと思ってた男性がマルスさんだったなんて……!
マルスさんとヴェルさんが結婚したと思いこんでたなんて!
当人さん達に向かって「おめでとうございます」とか言った気が、大いにします。
……誰か穴を掘って私を埋めてくださいっ!
「あの。……間違えて、ごめんなさい」
頭を下げて、恐る恐るヴェルさんを見ると、彼はいつもの優しい笑顔をしていました。
愛しむような、慈愛に満ちた笑顔です。
優しい温もりの手は、私の頭を気にするなと撫でてくれています。温かな大きな手で。
「今は気にしてないから。でも、最初に君が俺を女だと思いこんでくれたお陰で、今があると思うんだ」
「えっ? 」
「男が一人で教会の階段に座っていたら、君は絶対に声を掛けないだろう? 」
……た、確かに! ヴェルさんは私の事をよくご存じですね。
知らない人には声を掛けてはダメだと、小さな頃から言われていました。
あの時は、女性だったから声を掛けたのかもしれません。
もし、男性とわかっていたら後ろ髪を引かれつつも、見ていないふりをしていたに違いありません。
「……そうですね。夜は人攫いが横行するので特に夜間は他人と話してはいけないと、厳命を受けてました……。なので、男性だと見ていないフリをしていたかと……」
実際、厳命を破っていたと知った時の父の顔は、鬼と見まごう程でした。
人助けをした、という事でお咎めは無かったのですが。あの時の顔は『金輪際、厳命を破る事はしまい』と心に決めた程、怖かったです。
「厳命……。まぁ、確かに夜間は人攫いが横行してるし、君みたいな子は狙われてもおかしくは無いね。―――でもさ、今日みたいに月が明るく照らす日は、犯罪が少ないんだ」
「そうなんですか? 」
「そう。満月は顔をも照らし出すからね。犯罪には不向きな夜だ」
夜空を見上げるヴェルさんは、実に神秘的な顔をして、明るい光を放つ満月を見ています。
その表情からは、何を考えているのかは読み取れませんが、口元は弧を描いています。
「そういえば知ってたかな」と夜空を見上げていたヴェルさんが私の方へと、ついさっきまで月を見ていた視線を私に向けました。
「初めて逢った日、あの日は雨が降らなければ満月だったよ。二度目に逢った日も、夜を照らしたのは満月だった。三度目もね」
「ふふっ。満月に縁があるのかもしれないですね? 」
「ついでに言うと、この教会のシンボルは『月』だよ」
ここまで月に縁があるなんて珍しいのではないでしょうか。
まるで、月が私達を引き合わせてくれたような……。
そんな事を考えながら、月を眺めていました。少しの静寂を心地よく感じながら。
「三度目に逢った時も、君はそうやって月を眺めてた。運命だと思った。―――……ココット。」
「は、はい! 」
いきなり呼ばれた名前に、心臓がひときわ大きな音を刻みました。
宝物を愛しむような視線で見つめられ、心地の良い温かな声音で呼ばれて心臓が高鳴らない女性は居るのでしょうか?
ドコドコと胸の奥で太鼓を叩いているかの様です。
高鳴る胸を持て余し、ヴェルさんの視線に真っ赤になった私を見て、満足気な笑顔を浮かべた彼は上衣から一つの指輪を取り出しました。
銀に輝き、今目にしている月光の色をした石が嵌められている指輪です。
「俺は、三度目に逢ったあの日。月に照らされている君に恋をした。……いや、初めて話をした時から恋の種は芽生えたのかもしれない。ずっと君の事が頭から離れなくて、街に出れば、君の面影を目で探してた。逢う度に種は育ってて、きっと三度目に花開いたんだ。今の俺の心の中は、大輪の愛の花を咲かせているよ」
月明かりに浮かぶヴェルさんは、やはり月の神のようです。
見ているだけで、ドキドキしてきます。
彼の唇から紡がれる言葉も相まって、私の心臓は破裂しそうな程です。
持て余した切なさを発散する息を吐くと、不意にヴェルさんに手をとられました。
指に、先ほどの指輪がいい具合にはまりました。
指輪の収まり具合に満足すると、月光食に輝く石に一つ、口づけを落としました。
「いつか、俺と同じ花を咲かせてくれると嬉しい」
ヴェルさんはそう囁くと、今度は私の手の平にその唇を落としました。
唇の熱と、私に向けられる熱い視線に頭がクラクラしてきました。結婚式やその日の夜にも、同じ場所にキスをされました。
騎士が、お姫様に忠誠を誓うかのように。
――――何度も行うという事は、意味があるのでしょうか……?
「なぜ、いつも手の平にキ、キキキスをするのですか? 」
真っ直ぐに私を見つめるヴェルさんの瞳の熱に気圧されて、上ずった声になってしまいました。
顔もゆでダコの如く、耳まで綺麗な赤色に染まっている事でしょう。……今が夜で良かったです。
手を離したヴェルさんは、動揺する私に柔らかな頬笑みを向けると、私の頬に指を回しその線を堪能するように撫でおろしました。
顔を逸らせない様に顎を持ち上げる形で指を置くと、弧を描いた唇がその答えを紡ぎました。
「『俺を見て欲しい』と、懇願してるから。手の平への口づけは『懇願』の意味があるからね」
そういえば、結婚式で初めてヴェルさんにキスをされた時も、その日の夜も、今も、ヴェルさんの瞳は熱く甘い色を湛えて私を捕えています。
目の前の翡翠の瞳の中には、その甘さに溺れたような顔の私が。私の瞳にも、優しく微笑む目の前のヴェルさんが映っていることでしょう。
……懇願なんてされなくても、私の目はいつでもヴェルさんを映しているのに。
……店の中でも、ヴェルさんの気配や声を目で追ってしまっているのに。
この、私に触れる温かな手に触れていたいと、そう思っているのに……。
そこまで考えてようやく気付きました。
私の『恋の種』は、もう芽生えている、と。まだ小さいけれど確実に。心に太い根を生やし、小さな芽をのぞかせて……。
「ヴェルさんの事を、いつも見ています。――――心臓が胸から飛び出るのではないかと思うほど、ドキドキしながら……」




