女は恥じらいの生き物です。
エプロンを握りしめながら、先ほどのヴェルさんと給仕の方とのやり取りで生じたモヤモヤ感を発散するように、走って実家へと戻りました。
息を切らせた私の目に入ってきたのは、扉前で列をなす食堂お馴染みの素敵筋肉の皆さんと、店舗の出入り口を封印するかのようにある、【本日開店遅延中】という謎の張り紙でした。
私の危惧していた事は当たったようで、食堂内では気合いが入っている事が一目で判るアマレットちゃんが、家族の皆に止められていました。
彼女は、滑り止め加工された穴あき手袋に、動きやすい服装と柔軟性のある布靴。そして、気合いを入れる為のねじり鉢巻きまで頭に巻いています。
こっそりと店内に入って家族達を見ていた私ですが、妊婦でも私の替わりをしなくてはと言い張るアマレットちゃんに対して重い物を持たせたくない家族達、その話し合いは平行線をたどる一方でした。
話し合いに夢中の家族達は気付いていないですが、外にはたくさんの常連さん達が開店を待ってくれています。私は、外で待ちぼうけの素敵筋肉さん達を店内に入れるべく、この話し合いを終わらせる為に口を開きました。
「―――もうっ! 外にたくさん並んでるんだから、話し合いは終わりっ!! ……今まで通り毎日手伝うから、もう揉めないでっ!! 」
私のいきなりの登場に、お父さん以外の家族は驚いているようです。一瞬だけ、騒がしかったこの空間に静寂が訪れました。
しかし、タイミングを見計らったかの様に発せられた私の空腹音によって、静かな空間は笑いが木霊する空間へと一転してしまいました。
ゴゴゴゴ―――キュルキュル……
家族達が笑っている間も、昨日から満足に食べていない私のお腹は盛大に食べ物を要求しています。
昨夜もヴェルさんの前でこのお腹が鳴り響いたのは記憶に新しく、同じような事を繰り返すお腹を持つ私は、顔から火が出そうな程真っ赤になりました。
……場を和ませてくれた空腹音には感謝ですが、本当に恥ずかしかったです。
「コ、ココット……これでも食え」
見かねたお父さんが、私では絶対に食べきれない大皿料理を出してくれました。
―――そう。常連さん達やヴェルさんが、必死になって食べている料理です。
実は私、目の前で美味しそうな湯気と香りを振りまいている、この大皿料理を平らげた事が無いのです。自分の顔よりも大きいお皿に山盛りに乗った料理は、どうあっても私のお腹に全て収まらないでしょう。
先ほど『うさぎ亭』で料理を粗末にしたので大きな顔で言えませんが、……私は、完食する自信のない食べ物には手を出さない主義なんですっ!
―――ですが、揚げた鳥の香ばしい香りと、甘辛いタレの香りが胃を刺激して食を誘います。まるで料理自身が「私を食べて」と私を誘惑している様です。
ああっ!
ダメです! 我慢できませんっ!!
そんなに良い香りを出さないでください! 誘惑されてしまったじゃないですかっ!
*****
―――結局。限界まで食べたものの、半分も食べきらない内にリタイアする事になりました……。いつも食べきるヴェルさんは、細身の体に似合わず素晴らしい胃の持ち主だったのですね。
もしかしたら大皿料理攻略法なる物が有るのかもしれません。今度ヴェルさんに聞いてリベンジですっ!
私が大皿料理に奮闘している間も繰り広げられた家族会議は、お互いが少し折れる事で収拾がついた様子です。
「妊婦でも働きたいの」と譲らないアマレットちゃんは、会計を任されることになり、彼女が付けていた穴あき手袋は、今は大盆を持つ私の手を保護してくれています。
「ねじり鉢巻きもあげる」と言われたのですが……。さすがに、それは固辞しました。
少し遅めに開店した食堂『ラサジエ』の店内は、張り紙を剥がすと同時になだれ込んできた素敵筋肉の皆さんで満席状態です。
私の結婚の事を知っているのか、皆さん「おめでとう」と冷えた麦酒片手に祝辞をくださいます。
たび重なる追加注文でいつものように―――いいえ、いつもより数倍は忙しく店内を動き回っていました。そして、常連であるジョニーさんのテーブルで注文を聞いていた時です。
店の扉が、派手な音を立てて開かれました。店内に居た方達の殆どが、扉の方に視線を向けました。当然、私も「何だろう? 」とそちらに振り向くと―――……。
髪も服も乱れた格好のヴェルさんが、必死な形相で立っていました。
癖など知らない真っ直ぐな髪は縦横無尽に跳ね、その毛先には水滴が滴っています。服も若干湿っているのか、上衣の隙間から見える服が肌に張り付いているのが判ります。
……いつの間にか、外は嵐になっているのでしょうか?
ヴェルさんは店内を見回し私を見つけるや否や、「ココット! 」と私の名を叫びながら、こちらに駆け寄ってきます。
家族以外の人に、しかも男の人に初めて呼び捨てで呼ばれました。
衝撃度大です!
目玉が飛び出る特技を持っているのなら、確実に飛び出ている程の衝撃です!
驚き過ぎてお盆を足元に落としそうになり、緩い口からは「うはぁ」と変な声が出そうになりました。
「リウ……ヴェルさん」
彼の短い名を言い終わる前に、何故か私は彼の腕の中にすっぽりと包まれていました。
着崩れた上衣の隙間から覗く首元には汗の雫が流れ、押し付けられた彼の胸からは早く鼓動を刻む音が私の耳に響いてきます。
胸元に顔が押し当てられた事で、ヴェルさんの乱れた状態は嵐ではなく彼が走って此処に来た為だと知れました。
「―――頼むから、出ていかないでくれ」
「えっ? 」
ヴェルさんは私を包む腕に力を込めて、この世の終わりだとでもいうような悲痛な声音をしています。
……マルスさんに言付けたのが、うまく伝わっていなかったのでしょうか?
「実家に(お手伝いをしに)帰ります」と言ったつもりなのですが……。
伝言ゲームみたいに、変な言葉に置き換えられてヴェルさんに伝わったのでしょうか。
彼の焦った状態を見る限り、そんな気がしてなりません。
どんな風に伝わったのか非常に気になりますが、―――ここは食堂なんですっ!
衆人環視の中、抱き合う私達に向かって口笛と指笛の音が鳴り響いているんですっ!!
さすがに、恥ずかしいんです~~っ!!
「ヴェ、ヴェ、ヴェルさんっ! 離してください~~っ!! 」
初めて彼の愛称を呼べた事に気付けない程うろたえていた私は、何故か更に強く抱きしめられてしまいました。彼の髪が私の耳元に触れ、熱い吐息が首筋に触れて胸の奥がゾワゾワします。
「嫌だ」
たったの一言なのに、耳朶の直ぐ傍から響いた甘い声は、私の足の力を奪い取った模様です。ヴェルさんが私を抱きしめていなければ、地面にへたり込んでいたでしょう。
更新が開いてすみません!
活動報告にも書きましたが、書いたは良いものの、このまま更新をして良いのか悩んでいました。
感想欄にもあるのですが、悩んでいた事に的確に返答があり、【普通のラブストーリー】になりかかった小説を【刺激のあるラブコメ】に戻す軌道修正するべく、本を読んで書き方を研究中です。
この最新話も訂正を入れて、編集し直しました。読みやすさの改善と軌道修正が、少しでも出来ているといいのですが(>_<)
更新頻度は少し落ちるかと思いますが、納得のいく完結まで続けて行く予定です。このような後書きに目を通していただき、ありがとうございました(^-^)




