亭主様は、若奥様の事を泣く程好きなようですっ!
亭主さま視点です。
夕闇が茜色の空を奪いその色に染め変えた頃、俺は目的地を目指して客引きで混雑している歓楽街を疾走している。
額に滲み出た汗を拭いながら、街ゆく人に肩をぶつけながらも、先を急ぐその脚は止まる事を知らないかのように動き続ける。
「ココット嬢が血相変えて実家に帰った」と青い顔をしたマルスから聞いた時は、聴力が超人並みにある我が耳を疑った。
しかし、マルスのその顔色からしてそれは疑う余地の無い、真実であると俺に知らしめた。取る物も取り敢えず、俺は走り出した――――。
……思い返せば、食事中に俺が噎せた時から、彼女は少し暗い表情をしていたかもしれない。
しかし、アレは仕方が無かったと言える。
頬を紅潮させて、俺とお揃いと言える翡翠の瞳を輝かせながら、うっとりとマルスの料理に見入っていた彼女。目の前に居る俺の存在を忘れている様な、そんな瞳だった。
若干、ココット嬢の視線を独占した料理に嫉妬しながら、俺が「食べよう」と言った一言に頷き、そっと一匙を掬い取りそれを口に入れた瞬間、まさかあんな叫びを上げるとは予想していなかったんだ。
あれは、筋肉親父―――ココット嬢の父(俺の義父)が降臨したのでは、と思える程の見事な叫びだった。それは、目の前の彼女が、筋肉親父と重なって見える程に……。
笑いのツボは、人それぞれ違うと思う。
何故かあの時、可憐なココット嬢から出たとは思えない叫びは、ここぞとばかりに俺の笑いのツボを刺激してくれた。「笑っていは駄目だ、恥ずかしがっている彼女に嫌われてしまう」と、俺は必死に我慢した。
しかし、じわりじわり、と笑いの波が腹の底からわき上がり、ココット嬢から目線を逸らす事で、辛うじて噴出するのを抑える事が出来ていた。平静を装う事が出来ていたんだ。―――だが、口腔内の料理を嚥下する際、チラリと彼女を見たのがいけなかったのかもしれない。恥ずかしがる可愛いココット嬢が、俺には恥ずかしがる筋肉親父に見えたのだ……!
『モジモジする筋肉親父』そう想像したら、噴火する火山の如く噴き出しそうになった。そして、笑いを我慢しながら無理に飲みこもうとしたのがいけなかったのだろう、嚥下中の料理は食道ではなく気管の方へと下っていった。
ココット嬢は、涙を流しながら咳き込む俺を、格好悪いと思ったのかもしれない。
心配気な表情を浮かべながら不意に立ちあがった彼女は、暫く俺の方を見ると一瞬悲しそうな表情をした。そして、俺が落ち着くのを待った後、『お客様』に接するかのような笑顔を浮かべて、まるで俺から逃げるように立ち去ろうとした。
このまま行かせて良いのだろうか―――?
こんな偽りの表情を浮かべさせたまま離れてはいけないと、これまでの人生で経験してきた俺は、離れていく彼女に縋る様に、筋肉親父との約束を口にした。
「―――後から、一緒に君の実家に行こう? 店主と、”毎日通うって”約束したんだ」
ココット嬢は俺の発した言葉に返答する事も無く、そのまま店の奥に消えていった。
だが、俺は見てしまった。
店舗の奥へと入る瞬間、彼女が立ち止まって重い溜息を吐いたのを……。
後ろ姿だったが、あの仕草は溜息に間違い無い。そう思った途端、神からの天罰のように、目には見えない黒い稲妻が俺の脳天目掛けて降り注いだかの様な気がした。
「……きらわれた」
あまりの衝撃で、持っていた匙を落としてしまった。
金属と陶器の皿がぶつかり軽い衝撃音が耳に響く。
「……う~ん。嫌ったと言うよりも、私が余計な事をしてしまったのかも……? マルスさんにも ”空気を読め”っていつも言われるのよね。せっかく良い雰囲気だったのに、ごめんなさい」
「……いや。アンナじゃない。俺が悪いんだ。彼女と筋肉親父を重ねたばっかりに……クッ! 」
「はぁ? 重ねるって何ソレ? ……いや、多分違うと思うわよ? ―――ちょっ! リウヴェル! な、なんで泣くのよ~! 泣くよりも奥さんを追いかけなさいってば! 」
ショックで魂が抜けるよりも先に、どうやら俺の目から涙が溢れ出ていたらしい。
給仕のアンナが困り顔で俺の背中を叩きながら、ココット嬢を追えと捲し立てている。
今、この泣き顔で追いかけろと?
―――行けるわけないだろうがっ!
さっき ”笑いを押し隠してその結果噎せる” という醜態を晒して嫌われたかもしれないのに、更に泣き顔を晒してもっと嫌われろとでも?!
「こんな顔で追えるわけないだろう! これ以上嫌われたらどうしてくれるんだっ!! 」
泣きながら怒鳴った所為か、震えて掠れた声が店舗ホールに響いた。
アンナはそれに負けじと「嫌われても、追え! 」と叩いていた手を腕に回し、椅子から立ち上がらせようと強く引っ張っている。
これ以上の醜態をココット嬢に晒したくない俺と、どうしてもココット嬢を追わせたいアンナの騒がしい攻防は暫く続いた。それを見かねたのか、厨房からマルスが飛び出てきた。
「お前等なにやってんだっ! ―――アンナァッ!!! 」
「―――は、はいっ! 」
「今日は嬢ちゃんとヴェルの貸し切りだ。だがな、ホールに居る間は ”どんな状況でも気配りに気を抜くな” といつも言ってんだろうがっ! 店主の幼馴染だからって、タメ口が許されると思うな! 前店主の決めた従業員訓示を言ってみろっ! 」
「 ”爆弾が降ってこようが、槍が降ってこようが、給仕はお客様の一挙手一投足を常に見なければいけない” ですっ! 怠った挙句、若奥様の気分を害してしまった様子です。すみませんでしたぁ! 」
逆三角の体系のマルスが大胸筋が盛り上がった胸を突き出し、腰に手を当て真っ赤な顔で鬼軍曹の如くアンナを叱りとばしている。対するアンナは怒られているのに、手を揃えて額に付ける敬礼をマルスに向かってしている。……表情は反省を浮かべている。しかし、その瞳はマルスに怒られる事が嬉しいとでも言うように、熱く光輝いている。
反省しているのか、していないのか判らないアンナに対して、マルスが顔を顰めながら重く長いため息を吐き、今度はお前の番だと、こちらに向き直った。
「リウヴェルッ! お前は! お前は、おま……お前はだなぁ、何というか……頑張れ? 」
マルスの顰めていた顔が、俺の顔を見て名を呼んだ後、次第に憐みの顔に変化していった。
『頑張れ』とは何を頑張るんだ?
空しいやら悲しいやら格好悪いやら、で滲みでた涙を拭きながらマルスを睨み見る。
「まぁ、アレだ? ケンカするほど仲が良いっていうじゃねぇか! 良かったなぁ、ケンカできるほど親しくなったって事だっ! 」
「……ケンカ? 違う。ココット嬢に嫌われたんだ。……俺が、彼女の発した言葉に筋肉親父の幻影を重ねたばかりに……! 」
「いや……? そんなお前を嫌った感じには見えなかったがな? むしろ―――いや、お前も男だ。お前が何かやらかして嫌われたと思ったなら、ピーピー泣く前に、花束や贈り物でも用意して謝れ! ……数年越しで手に入れた女なんだろう? 」
俺は、ココット嬢との初めの出会いを誰にも言った事は無い。
数年間黙っていたのにも関わらず、何故か知っているマルスに驚き、気付けば情けない涙が止まっていた。
時間さえも止まったかのように口を開いたまま微動だにしない俺に向かい、いつどんな風に出会ったのか全て知っていると言う風情で、マルスはニヤリと片方の口角を上げた。
「人生経験の差ってやつだ。 ……ああ、そういえば、お前が頼んだ物が出来たって連絡がきてたっけな? 」
マルスの言葉を耳にし、耳の中で反芻すると俺は急いで店を後にした。
頼んでいた物とは、俺とココット嬢が夫婦である証明の装飾品。―――そう、『結婚指輪』だ。
馬車を使う事すら考えれずに、うさぎ亭から徒歩二十分程の場所にある貴族街の装飾店へと走った。そこで指輪を受けとった俺は、早くココット嬢に指輪を渡したくて、花屋で花束を買う暇をも惜しみ帰宅した。
しかし、店先で俺を待っていたのは、青い顔をしたマルスの一言だった。
それを聞き踵を返した俺は、それから走り続けた。
ずっと走り続け、心臓が限界を訴えている。
しかし、ココット嬢を求める心が足を動かす。
やがて近道である歓楽街を抜け、繁華街へと入った。
目的地は直ぐそこにあり、煌々と明かりを灯していた。闇夜に飛び交う羽虫を誘う光の如く、客を引き寄せて扉を開ける。店の中から時折漏れ聞こえる声は、求めて止まなかったココット嬢のもの。
俺は、その明りに吸い込まれるように、愛しい彼女の声に引き込まれるように、毎日通い続けたその扉に手を掛けた―――。
何とか一話書き上げる事が出来ました(^^♪
後書き小話で入れようと思ってたアンナとマルスの部分も、一部ですが話の進行上、有った方が良いと思い、本文に入れてしまいました^_^;
今回の後書き小話は、少しばかり亭主様の過去が出てきます。……ほんのちょっとですが(-_-;)
メインは、アンナとマルスです!
読んでくれる心の広い方、下へお進みください(^-^)
↓↓↓↓
『不屈のアンナ』
私はアンナ。
幼児教育課程から続いているリウヴェルとの腐れ縁で、今現在では『うさぎ亭』従業員になっているの。
私が高度教育課程を終えて二十歳でこの店で働き始めた時、まだリウヴェルはこの店で働いていなくて、彼のお母さんが『うさぎ亭』の店主だったわ。
マルスさんは店主のお弟子さんで、逆三角の身体に似合わず繊細な料理を作ると店主自慢の人だった。
私はその料理に魅せられ、胸元から覗く盛り上がった筋肉に魅せられ、気付けば親ほど歳の離れているマルスさん自身に魅せられていたわ。
彼の筋肉は、繁華街の片隅にある食堂『ラサジエ』の筋肉チャンピョン店主に対抗すべく備わったもので、その維持法は普通の運動では駄目らしく、毎日野生動物を倒して『うさぎ亭』に貢献しつつ、筋肉増強という努力と根性の鍛錬法らしい。
そんな努力のマルスさんがいつも一緒に居たのが、当時『夜の貴公子』と遊び名が付いたリウヴェルだった。
当時のリウヴェルは、完全夜型生活だったらしく、見かける時は何時も陽が沈んだ後だった。
彼の隣にはいつも筋肉自慢のマルスさんがいて、二人は薔薇の世界の人達かと暫くの間勘違いしていたわ。……当時のリウヴェルは、髪が長くてそこらの女の人よりも、ダントツに綺麗だったから。
あまりに綺麗で、マルスさんまで一人占めして、当時、私はリウヴェルに対して完全な嫉妬でいつもキレてた。
私のあしらい方を心得ているリウヴェルは、全然相手にしていない風だったけれど……。
まあ、そんな状況が数年続いた頃、店じまいした夜中にフラリと私の前に現れた。
何故か、ずっと伸ばしていた長い金の髪をバッサリと切り落として。
髪を切ると同時に、何かを決めたかの様な顔付きになって私の前に現れた彼は、私に向かって苦笑した。
「何? 俺じゃないみたい? ―――好きな子が出来たんだ。その子に女性に間違えられちゃってさ」
「す、好きって……マルスさんっ?! 」
当時、完璧に二人の薔薇の仲を誤解していた私は、リウヴェルの胸倉を掴み、嫉妬の鬼と化した。
「マルスさんは、アンタにあげないからね! アンタにあげる位なら、今すぐマルスさんに薬盛って押し倒して既成事実作ってついでに子供も―――! 」
「―――ちょ、それ犯罪だけど? ……第一、俺は男に走る趣味は持ち合わせてない。アンナは何時もそうやって、一人で押し切るからいつも言えなかったんだけどさ、マルスは俺の師匠であって唯一相談できる人なだけだけど。ね? 」
「……ね? って誰に――― 」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべるリウヴェルを前に、背筋に一筋の汗が流れた。
夜にリウヴェルと一緒に居るのは、一人しか……いない。
私って、さっきナニ言った?!
聞かれた?
いつから居たの?
ギギギギと音が出るのではと思えるほどの動きで、後方を見るとそこには、酸っぱい物と苦い物を同時に食べた様な奇妙な顔をしたマルスさんが立っていた。
私が振り向くと同時に、一歩離れたのは何故ですか?!
ああっ!
私がマルスさんに近づくと逃げるのは何故ですか?!
ジリジリと進む私とその分後退するマルスさん。
何となくそれで私は納得した。
「聞いていたんですね……? 何処から? 」
「ぅぅ……! 薬のあたりから」
「全部じゃないですかっ! ……こうなったら、もうお嫁に行けません! 責任とってさっき言った事全部実行しましょう! マルスさんっ! 大好きですっ! 」
「ぅわぁぁ! ヤメロ~~ッ!! 」
それから数年が経ち、昨日リウヴェルは結婚した。
連れて帰った奥さんは可愛くて、リウヴェルが彼女に心底惚れぬいているのが見て取れた。
未だに女っ気の無いマルスさんに対し、少し薔薇の世界を疑っていた私は、リウヴェルという恋のライバルになるかもしれない奴が居なくなった事に、喜びを隠せない。
そして―――毎日のように紡ぐ私の愛は、マルスさんに届いているのか居ないのか判らない。
でも、諦めませんからね!!
落ちるまで粘りますからっ!